この頃、人は見かけに寄らないということが分かってきた。
言い換えれば、これまでは、人を見かけで判断していたということでもある。
「人は見かけに寄らない」ということは、よく言われていることであり、当たり前なのだが、それが分かっていなかった。そして、最近、やっと分かるようになってきた気がする。
人当たりが良い人、一見腰が低そうな人、気さくな感じの人がいる。しかし、意外にプライドが高かったり、偏屈だったりすることがあるのだ。
感じのよい話し方をするので、気が合うと思っていたのだが、よくよく観察したり振り返ってみると、反対の意見を言っていたりするのである。
考え方が違っていることに今さら気付く。
昨日だったかな、テレビで、嫌いな先輩から誘われたら、メールでどう返信して断るかってのを芸能人に聞いていて、その時広末涼子が「行きたい気持ちはてんこ盛りですが、今回は残念ながら行けません」のような返事をすると言っていた。こういうのって本当に意味不明だ。行きたいのに、特に理由もなく行かないってのはどういうことなんだ?「じゃあ行こうよ」ってKYな私は思ってしまう。「行きたくない」のに「行きたい気持ちがてんこ盛り」等と言う人間が居ることに驚く。この場合、「行きたくない気持ちがてんこ盛り」ってのが真実なんだろう。
さらに、トキオの長瀬は「飲み始めたら3日間先輩を帰しませんがいいですか?」なんていう返事を帰すそうだが、このような返答は全く何を言いたいのか分からず、私の場合断っているとは思えないのである。喜んでいるのかと思ってしまう。「いや3日は困るけど、1晩飲み明かそうよ、じゃ参加ということでいいですね」なんて思っちゃう。こういう遠回しな表現をする人間が一番苦手だな。こういうのってどうやって察するの?「3日ですか?それはちょっと無理だから、また今度誘うね」と言って遠慮するべきなのかな?
私はこれまで、こういう類の人たちの心を理解していなかったに違いない。
しかし、最近は、「にこにこしているけど、この人私を嫌ってるらしい」とか、「表面は同意してるけど、内心は同意してないな」とか、見えてきてしまうようになったのである。
そして、表面上都合よく合わせている人がいかに多いことか。
ところで、逆もある。
年をとってくると、昔怖かった他人もあまり怖くなくなってきたりする。そっけない人や無口な人にも、普通に話しかけてしまうオバサンになってしまったのだ。
最近、一見怒っているみたいな表情の人間と同じ場所に出入りするようになったのだけど、そんな恐い顔の人は、おそらく若い人たちは敬遠してしまうだろう。
しかし、私はおばさんだから、あまり怖くはないのである。
最近その人と道ですれ違ったのであるが、相変わらずの恐ろしい表情をしながら、なんかかなり離れたところから頭を下げているではないか。そうだ、こっちを向いてお辞儀をしてくれていたのだった。
実は、いつもにこにこしている人が、このシチュエーションで公道ですれ違う時に、見て見ぬふりをしたり、気付かぬふりをして視線をそらして通り過ぎたりしていることも多々あるのである。
あの人、いつも親切そうにしているけれど、実は私のこと嫌いらしいと思ったり、きっとB型の人間が苦手な人なんだろうな、と思ったりする。
そう、なんとなく敬遠しているような感じなのである。
そんなことが、いろいろ見え透いてしまうこの頃、私も人生を重ねたなあと思う。
それでも、まだまだ誤解も多く、見えないこともあるんだろうな。
言い換えれば、これまでは、人を見かけで判断していたということでもある。
「人は見かけに寄らない」ということは、よく言われていることであり、当たり前なのだが、それが分かっていなかった。そして、最近、やっと分かるようになってきた気がする。
人当たりが良い人、一見腰が低そうな人、気さくな感じの人がいる。しかし、意外にプライドが高かったり、偏屈だったりすることがあるのだ。
感じのよい話し方をするので、気が合うと思っていたのだが、よくよく観察したり振り返ってみると、反対の意見を言っていたりするのである。
考え方が違っていることに今さら気付く。
昨日だったかな、テレビで、嫌いな先輩から誘われたら、メールでどう返信して断るかってのを芸能人に聞いていて、その時広末涼子が「行きたい気持ちはてんこ盛りですが、今回は残念ながら行けません」のような返事をすると言っていた。こういうのって本当に意味不明だ。行きたいのに、特に理由もなく行かないってのはどういうことなんだ?「じゃあ行こうよ」ってKYな私は思ってしまう。「行きたくない」のに「行きたい気持ちがてんこ盛り」等と言う人間が居ることに驚く。この場合、「行きたくない気持ちがてんこ盛り」ってのが真実なんだろう。
さらに、トキオの長瀬は「飲み始めたら3日間先輩を帰しませんがいいですか?」なんていう返事を帰すそうだが、このような返答は全く何を言いたいのか分からず、私の場合断っているとは思えないのである。喜んでいるのかと思ってしまう。「いや3日は困るけど、1晩飲み明かそうよ、じゃ参加ということでいいですね」なんて思っちゃう。こういう遠回しな表現をする人間が一番苦手だな。こういうのってどうやって察するの?「3日ですか?それはちょっと無理だから、また今度誘うね」と言って遠慮するべきなのかな?
私はこれまで、こういう類の人たちの心を理解していなかったに違いない。
しかし、最近は、「にこにこしているけど、この人私を嫌ってるらしい」とか、「表面は同意してるけど、内心は同意してないな」とか、見えてきてしまうようになったのである。
そして、表面上都合よく合わせている人がいかに多いことか。
ところで、逆もある。
年をとってくると、昔怖かった他人もあまり怖くなくなってきたりする。そっけない人や無口な人にも、普通に話しかけてしまうオバサンになってしまったのだ。
最近、一見怒っているみたいな表情の人間と同じ場所に出入りするようになったのだけど、そんな恐い顔の人は、おそらく若い人たちは敬遠してしまうだろう。
しかし、私はおばさんだから、あまり怖くはないのである。
最近その人と道ですれ違ったのであるが、相変わらずの恐ろしい表情をしながら、なんかかなり離れたところから頭を下げているではないか。そうだ、こっちを向いてお辞儀をしてくれていたのだった。
実は、いつもにこにこしている人が、このシチュエーションで公道ですれ違う時に、見て見ぬふりをしたり、気付かぬふりをして視線をそらして通り過ぎたりしていることも多々あるのである。
あの人、いつも親切そうにしているけれど、実は私のこと嫌いらしいと思ったり、きっとB型の人間が苦手な人なんだろうな、と思ったりする。
そう、なんとなく敬遠しているような感じなのである。
そんなことが、いろいろ見え透いてしまうこの頃、私も人生を重ねたなあと思う。
それでも、まだまだ誤解も多く、見えないこともあるんだろうな。
でも、あからさまに正反対の嘘はつけないなあと思います。
逆のことを言う人がいるってことは、最近になって気がつきました。遅すぎ~。
実はとても小心で臆病な人が多いと思います。
飛鳥さんのような人は強い人なんだと思います。
私のような歳になると大概の人は、あぁそんな人もいるよなぁ
大概の事は、あぁそんな事もあるよなぁと浅く通り過ぎてしまいます。
まぁ、私もそんな人なんだ。
シャッキリ、スッキリ生きたいけど
格好良くいえば凛として美しく生きたいけど
気付いたらウジウジしている事がけっこうある。