山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

三島由紀夫没後50年

2020-09-13 13:16:24 | 読書

今日は、週に1度のドライブの日なのだが、運転しながらラジオを聴いていると、どなたか女優さんが話しており、今年は三島由紀夫の没後50年で、それに関して舞台公演があり、それに出演するという話をしていた。

へえ、三島由紀夫の没後50年?

そういえば、昨日偶然にも自分の40年くらい前の日記をみつけ、そこに三島由紀夫のことが書いてあって、そのことをきっかけにして、文芸に掲載されたらしい三島由紀夫の「問と答」まで見つけたのだった。(それは昨日のブログ記事に書いてあるとおり)

なんたる偶然・・・というか、本当に気味が悪いほど私にはこういうことがよく起こるのである。(きっと三島由紀夫の霊がそうさせたんだろう?)

いや、これはたまたまであり、通常は何も知らずに物事が過ぎ去り、世の中の大部分の人が知っているのに、何で私だけが知らなかったのか・・・という出来事の方が、百倍も千倍もあるのが事実なのだが・・・。

とにもかくにも、昨日今日の出来事によって、三島由紀夫が50年前の11月25日に自決したことを確認した。

あの事件は知っている。三島由紀夫事件というのか、なんか演説をしたあと日本刀で腹を刺し、介助したものが首を切り落としたとかで、物々しく亡くなったのだった。

あれはいったい何だったのか?私は10歳くらいだったからわけがわからないが、今でもわけがわからないのである。

三島由紀夫は憲法改正を訴えて自衛隊員を呼んで演説をしたそうである。このままだとアメリカに都合のよい軍隊になってしまうから、自衛隊を天皇に返すべきとか・・・(ささっと読んだだけでよくわかりません)

当時の総理大臣は佐藤栄作であり、防衛大臣は中曽根康弘だったが、この事件は迷惑以外の何物でもないと答えているようである。

本当になんで演説をした後に割腹自殺をしなければならないのかわからない。

三島由紀夫は東京大学法学部を出ており、ものすごく頭がよかったはずである。身長は163cmと結構低い。たしかボディービルなどもやっていたように記憶している。

彼には一種の美学があり、死に方を追求していたのかもしれない。

wikiには、小説家のみならず、政治活動家・皇国主義者と書いてある。

生まれたのは1925年(大正14年)。私の父親くらいの年齢である。
亡くなったのは1970年(昭和45年)。彼が45歳のときであった。

もし生きていれば、現在95歳ということになる。

私が昔読んだ作品は「仮面の告白」「金閣寺」「潮騒」「豊饒の海」の「春の雪」くらい。「豊饒の海」は3部作なので他のを読もうと思っていたが、読まずにそのままとなった。

三島由紀夫のお墓は多磨霊園にあるらしい。

そういえば、今日は多磨霊園のあたりの東八道路を運転している最中にラジオが没後50年だと言っていたのだ。

ひえ~~~~

3部作の残りを読めってことなのね。

晩年は政治活動家としての色合いが濃くなったそうだが、そちらには興味がございません。小説だけ読ませていただきます。

 


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