山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

愛の流刑地後編

2007-03-21 23:56:31 | テレビドラマ・映画
昨日前編について書いたので、後編についても書かなくてはいけない状況になっているが、筆は進みにくいような気がする。
まあ、見ごたえはあった。前編のように、2人の逢瀬やベッドシーンが繰り返されるよりは、私は裁判のほうが好きである。
主役は、高岡早紀、岸谷五朗に代わって、瀬戸朝香が前面に出てきた。予告で弁護士かと思っていたら検事だった。
真剣に真実を見定めようとする検事の姿や、村尾菊治を真剣に理解しようとする元の妻、息子に共感できた。

しかし、究極の恋愛とは何なのか?最後まで疑問がのこる。幸福の絶頂で死んでしまいたいと思ったにせよ、生身の人間には日常のしがらみがあるから、そんな純粋なことに突き進むことはできないのが事実だ。だから、究極の男女の愛などというものは私には追求する気もないしやはり絵空事だとしか思えない。しょせん小説の中での出来事だ。
実際に許されない関係の愛し合う男女が、その苦しさから共に死ぬことを選び心中することなどはあるだろうが、普通の恋愛ならばそれは生命の破滅に向かうことは生物学上ありえないといえる。付き合い続けたら愛情もムードもなくなり理想の恋愛とはかけ離れた状況になって行くわけだが、それが事実でありそれでいいのだと思う。
愛とは何なのかといえば、それは神秘でもなんでもない。男女の恋愛ではなく、人間愛に至ると言うのが私の考えで、よき理解者である村尾の元妻が私にとっては理想だ。
男女の恋愛については精神的にも肉体的にも理解できないというのが、私の状況である。

それでも、愛の行為に没頭する中で死を望み、相手を殺してしまうという論理があることを提示され、この作品で考えさせられた。また、作家の作品はその人の命の叫びであると思った。

罪とは何か?2人がよくて死んだり殺されたりし、それで恋愛を全うしたとしても、そのことによって影響を受ける人々がいる。そういう人の人生を無視できないではないか。
恋愛至上主義みたいなのは、エゴである。だから実際にこの世から一人の人間を消滅させてしまったことは大きな罪であり、懲役8年の実刑判決は妥当であり、その罪を償ったからと言って、その人を失った家族や友人の人生は取り返しがつかないのであり、恋愛を第一義にして生きるのはやはり普通ではない。

それでもなお、それに生きる村尾と死んだ冬香はやはり特別な感性の持ち主だったといえるだろう。
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充電器を獲得するまで

2007-03-21 19:17:27 | 未分類過去
この数日、コトがうまく運ばずかなり奮闘していた。
いつだったか、ソフトバンクに携帯の充電器を取り寄せるのになかなか電話がつながらず非常に手間取ったということを書いたが、また同じことが繰り返され、さらにまた問題がおきてしまった。

というのが、以前は、ケイタイにつなぐ部分の充電器の接触状態が自然に悪くなって充電できなくなり、代理店では取り扱わないので個人で取り寄せるようにとのことだったが、その取り寄せた充電器がほんのつかの間でまた破損してしまったのだ。
その原因は「ウサギ」で、気がついたときには充電器のコードにウサギの噛んだあとが残っていて金属の線がむき出しになっていた。ウサギを部屋の中で運動させるときには、娘の充電器はウサギの届かないところに片付けるのが普通だが、時によって娘がケイタイを充電させつつ布団の上でごろごろしていると、片付けないままウサギをケージから出しておくことがある。そういうときは普通、ウサギが近づいたらその場にいる娘がコードをウサギからよけるとか、ウサギを追い払うとかしている。
ところが、いつやったのかわからないのだが、娘の気づかぬ一瞬のうちにコードを噛んだらしいのである。娘の言い分によると、娘がくろいでいる時に私がウサギを出したのが悪いとのことだ。
金属線のむき出しになった部分をビニルテープでぐるぐる巻きにして一応充電はまだできる状態だったが、いつ断線するかショートするかわからないので、もう一度取り寄せることにした。

それで、またソフトバンクに直接電話をしたが、またまた「ただいま、電話が混雑しています。しばらくたってからおかけ直しください」の連発だった。
それを乗り越えて根性で電話をつなぎ無事注文をし、数日後に充電器の入ったダンボールが届いた。娘は以前の充電器がまだ使えたため、配送された箱を開封しないまま放置していた。

先日、法事で出かけるとき、新しい充電器を使おうと娘が箱を開けた。
すると、なんと中から充電器ではなく、「電池パック」と言うものが出てきた。
そのときは、その荷物が届いてから1週間以上もたっていた。

あわててソフトバンクに電話をしたが、また全然つながらず、田舎に帰る時間がどんどん遅くなっていった。やっとつながったら、返品して交換するのにいろいろ確認することがあるらしく折り返し電話をくれるとのことだったが、それを待つ時間はないので出発した。そして電車の中でソフトバンクから携帯に電話をもらっても出ることができなかった。翌日電話をもらったとき、今度は私のケイタイの充電が切れて途中で中断してしまった。
私のケイタイこそ実は新しい電池パックが必要かもしれない。古いせいか充電してもすぐに電池がなくなってしまう。しかし、滅多に通話などしないのでそのままにしている。
あわてて充電器をつなぎ、待っていたが再びソフトバンクから電話が来ないのでこっちから折り返し電話をしたが、こっちからかけられるのは代表番号だけなので、またいつものように自動応答が延々と繰り返され、つながるまでに1時間くらいかかってしまった。
ソフトバンクのほうでは、電話をくれたらしいが電源が切れているというメッセージが出たのであきらめたのだそうだ。

そこで、やっと箱の中の伝票の住所に返送するようにと伝えられた。帰省先で現物がないので、ただそれを聞いて承諾していたのだが、帰宅して現物を見ると伝票には住所が書かれていなかった。送付元は梱包の外の箱に張ったシールに書かれていたが、梱包をあける時にめちゃくちゃにはがして破いてしまってあった。なんとかその部分をつなぎ合わせて判読し、返送元を突き止めた。

返送は佐川急便の着払いでするようにとのことだった。佐川急便はそのへんにあるだろうと思っていたらなかなか見つからなかった。通勤の行き帰りに行ける距離の取り扱い店をネットで検索すると、魚屋と布団屋とお菓子屋と米屋などがあるようだった。佐川急便っていうのはクロネコヤマトのように個人の荷物をあまり取り扱っていないのか、コンビニなどでは扱っていない。業者の荷物を運んでいるのが主なのかもしれない。それで、それらの取り扱い店の場合も、普段、そこで売っている布団だの魚だのを届けるために利用しているのではないかと思える。なんだか古風な目立たない店ばかりだ。だいたいの場所に見当をつけ、会社に行く時に持って行って昼休みか帰りに送ろうと思っていたのだが、うっかり忘れてしまった。

今日になってようやく布団屋に持って行った。
どうもさびれている。個人商店で客の姿などはない。入り口らしき戸をあけようとすると鍵がかかっていた。もう1つの入り口をみつけ入っていくと、薄暗い店の中に年配の店主がいた。
荷物のことをきくと、今着払いの伝票を置いてないのでそれを取り寄せてからでないと送れないとのことだった。でも今日は佐川が来ない日でいちいち呼ばないとだめだから、今日送るのは無理だとのことだった。
それで、断念し別のお菓子屋に行った。魚屋もあったが、魚屋のほうはいつも客が多く忙しそうだし、床や何もかもが水っぽい感じだ。そこで配送を頼んだら荷物が魚臭くなりそうだからやめた。お菓子屋さんに行ったら着払い伝票もあってやっと無事に返送することができた。
商品が違っていることに気付いてからここまでくるのに5日も要してしまった。

電化製品が故障したときなどは、普通はそれを扱う店が部品を取り寄せたりし、それが入荷したら店からお客に伝え、来店したお客に手渡すというのが普通ではないだろうか?そうであれば、受け取った時点で注文の品と違うことが判明する。
ところが、それが直接に会社の代表窓口に発注する形となり、いろいろな不都合が起きていると思う。送られてきたダンボ-ル箱は靴箱くらいの大きさだが、実際の物品は封筒にもはいるくらいのもので、あとはクッションばかりだった。こんなに大きい荷物にするのもすごい無駄な気がする。

立て続けに同じものを注文するという普通ではありえない注文をしたせいで、別のものが送られてきた可能性が高く、こっちがウサギを管理していなかったことも落ち度であり、さらに送られてきたものをすぐにちゃんと確認しなかったのもこっちの落ち度だが、このようなシステムゆえに手間取るのは大変だ。

娘のケイタイもあまり新しいものではないので、そろそろ買い替えの時期に来ているのだが、高校時代の友人とのメールなどが入っているため、それを保存しておきたいらしい。それで、今の機械を使わなくなっても中身を見たい時に見られるよう充電器はちゃんとしたものを残しておきたいのだという。

いろいろと大変だ。

充電器は10日~2週間後に届く予定となっている。
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ぬるい眠り

2007-03-21 13:55:23 | 読書
ここには9編の短編小説が収められているが、一口に印象をいうと、「非常識、半分狂気の人の物語」という感じがする。
常識的な日常世界の中に生きている私には、たとえば性の自由などということはとうてい無縁のものであり、心赴くままに仲間と楽しんだりお酒を飲んだり出かけたりと言う風な登場人物のようすに苛立ちさえ覚えてしまう傾向にある。
しかし、小説というのは、常識を踏み外した人が多く登場する。昨日見たテレビドラマの渡辺淳一の「愛の流刑地」の中の冬香にしてもそうなのだが、あるべき状態を逸脱しているからこそ物語にもなるのであろう。
常識の中の物語でも当然小説となって成り立つはずであるが、小説も近代絵画のように、かなり象徴的にデフォルメされたものになっているようである。あるいは、本当に人間の実生活もそのように変化しているのかもしれない。

私が子どもの頃から学生時代に読んだ小説では、性描写(ベッドシーン)というものはほとんど出てきたことがなかった。せいぜい伊藤整が翻訳した「チャタレイ夫人の恋人」くらいなものだが、今では小説を読むと必ず男女の絡みが出てくる。
母親仲間の話では、子供が読んでもいい本かどうかチェックするために、まず自分が読むのだそうだ。そのため、新刊をいっぺんに10冊くらい買ってきて、中学生の子どもには読ませたくないようなものはどこかにはじいてしまい、その他の数冊を渡すということにしている人もいるそうだ。子供に多くの読書をさせつつ健全な精神を培うにはそこまで努力しなければならないということだろう。

「ぬるい眠り」も若者向けとはいえ、中高生には勧めたくない作品といえるだろう。
なんとなく気の合った男と女がくっついたり離れたり、なんか人生のけだるさのようなものを感じてしまう。
本当は十把ひとからげではなく、一作品ずつ書くべきだろうが今日はこの辺にしておく。

印象に残ったのは「災難の顛末」「清水夫妻」だった。
そのうち気がむいたらこれらの読書感想文でも書くとしよう。
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愛の流刑地

2007-03-21 01:12:17 | テレビドラマ・映画
そういえば、現代作家といえば、渡辺淳一がいた。今日は渡辺淳一原作の「愛の流刑地」をテレビでやったので見た。ドラマは原作とは内容が多少違うものの、基本的には同じものであるので、実際に小説を読むよりも短い時間で作品の雰囲気を知ることができる。「知るため」だけの目的で見るわけではないが、世事に疎い私にとっては、できるだけこういう機会は逃さないほうがいいと思う。

主演は岸谷五朗と高岡早紀。岸谷五朗を見ていると、最初は「みにくいアヒルの子」のガースケを思いだしてしまい、笑ってしまいそうだった。どうも恋愛ドラマには向かないような気がした。高岡早紀は和服の似合う不倫妻としてちょうどいい感じだが、何かと布袋とか保坂とかの出来事を思い出してしまう。

岸谷五朗じゃなきゃ誰がいいだろうか?と思ったのだが、意外と中年俳優のいい男っていないものだ。
まず、役所広司が思い浮かんだが、そういえば「失楽園」ってのがあったなと思い出した。
役所広司ではちょっと年が行きすぎだ。東山紀之はどうか?いい男だが、やはり食いタンの印象が強いし、男女が抱き合うシーンなどはどうか?もっと精神的な感じだ。
江口洋介はどうだ?年恰好はいい感じだが、やはりもっと健全と言うか純粋な感じがする。
三浦友和じゃ太りすぎだし、ドクターコトーは作家っぽいけどやはりちょっと違う。
40歳くらいの人を探していたら、2時間ドラマの帝王、船越英一郎など思い出したが、この人が出ると事件解決物になってしまうだろう。結局、これはという俳優が思い浮かばない。
そういえば、この作品の映画では、豊川悦司と寺島しのぶが主演のようだ。作品名は記憶になかったが、確かに制作時に話題になっていたような気がする。
なるほど、豊川悦司ねえ。寺島しのぶも顔はあまり好きじゃないが、色気最高と言う感じだ。

ガースケのほうも見ているうちに変じゃなくなってきた。顔じゃなくて中身を感じることができるからだ。あとは、恋は盲目だからこの女はガースケでもとりこになれるのだろうという不思議な納得が生まれる。

姑の泉ピン子は面白かったなあ。けっしてふざけた演技をしているわけではないのだが、ああいう顔したああいう態度のいやみなおばさんよくいるなあと思った。

なんだか、話が重要なことからかなりそれてしまった・・・。

愛の流刑地、今日までのところは官能小説かと思われるようなもので、こんな不倫シーンの繰り返しで、いったいどういう筋なんだろう、どんどん恋愛に溺れていくようだが、まさか最後までこの調子か?と思ってしまった。
そしたら、前半の最後のところで話は急に展開し、村尾菊治が冬香を殺してしまったようだった。エクスタシーを感じながら「殺して・・・殺して・・・」と願う冬香の声に応えて首を絞めてしまったのだ。明日の予告では、裁判のシーンなどがあり、話の筋は一変している。弁護士なのか瀬戸朝香が登場するようである。明日は面白くなりそうである。

なんだか、支離滅裂になってしまったが、明日もぜひ見よう。

ところで、何年か前の「失楽園」はすごく話題になったものだが、それも私は見ていないし、原作もよんでいない。
もっと前に「麻酔」というのがあったと思う。テレビドラマで、たしか高橋恵子が植物人間になっていた。「麻酔」は原作を読んだことがあるような気がする。

渡辺淳一の作品も、何か読んでみなくては・・・。
ああ、忙しい!
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私が持っている“レア”なもの

2007-03-19 00:19:18 | トラックバック練習・ご意見板
“レアなもの”ってどういうもののことを言うのか?
あまり人が持っていないもので、自分だけが持っているめずらしいものということで考えてみて、それに近いものというとこれくらいかな?
面白くもなんともなく、かなり「オタク」系ですね。

「知的財産検定1級学習の手引き~過去問題厳選40問収録~」

これは、今年の1月19日に知的財産教育協会から初めて発行されたもので、書店には売っていない。ネットで注文してお金を振り込み、発送してもらう形だ。
1級は2級が受かった人でないと受験できないので、この書籍を持っている人は世間に多いとはいえないだろう。
いつ受験するかはまだ決めていないが、とりあえず買ってみた。A5で1cmほどの厚さでありながら、3150円もするのは驚きであるが、過去問はこれ以外には手に入らない。
合格者の体験記や参考図書なども載っているので、そのようなものを参考にしつつ、ぼちぼち勉強して行こうと思っている。

私は、世の中の新しいことにはかなり疎く、友人やパートの同僚などには、何も知らないし何もしない人だと思われている節がある。実際に新しい文芸・映画・音楽・芸能・ファッションなど多くの物事についてそれは否定できないのであるが、それを知らない分ぼーっとしているか眠っているかの化石のような人だと思われてしまうのは少々心外である。実際には、放送大学やこのようなことに意識や時間を使っているわけだ。
しかし、こんなものに興味を持っているとなると、逆に、ますます敬遠されてしまいそうだから、毎日何にもしないで寝て暮らしていることにしている。


(トラックバック練習板ということで、トラックバックをしているのですが、なぜか練習板のほうにトラックバックできていないようです。いつもと同じようにやっているのに何でかな~
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法事

2007-03-18 20:59:05 | 未分類過去
昨日法事をしたので、金曜の夜から今日まで実家のほうに帰っていた。
今日の昼に東京に戻ってきたのだが、なんだかどっと疲れてしまい、駅ビルの中華料理店で昼ごはんを食べてから帰宅し、その後昼寝をして起きたら、すでに8時という時刻。
食料も何もないので、またデリバリーピザを取るという手の抜きようで、出費はかさむばかりだ。
家族4人の新幹線代を節約して鈍行で往復したのだが、結局は疲れてしまって余計なお金を使っているような気がする。
天候も寒くて田舎でも東京でも過ごしにくかった。特に法事の日は雨が降ったりしたために、法事以外にはどこにも出かけずに過ごした。

法事は夫の母の3回忌だが、夫の親族はいないのでうちの家族と私の実家の母だけの内輪でやった。しかし、たった5人の人間が集まるのでさえ予定がつかなくて日程を決めるのが大変だった。
卒業、バイト、就職活動、仕事、母の習い事などそれぞれに都合がある。みんなの都合の良い来週の日曜日にしようと思っていたら、友引でダメだった。それで1週前にできるようみんなの予定を調整した。
ところが、この時期季節の変わり目だったり急に寒くなったりしたせいか、亡くなる人が多く、急に立て続けに同じお寺や町内でお葬式が入ったりして、危うく日時が重なるところだった。なんとかぶつからずに済んだが、お寺のほうも忙しそうだった。
実家の母も、70代半ばになって、このごろ歯だの膝だのにガタがきてちょっと気弱になっているようだが、かなりな強行日程になってしまった。

それでも法事でもなければみんながそろうこともないので、あまり宗教心もないのだが、生きている人にとっても法事をやるのはいいことかもしれない。

今年は実家の父の法事もあるが、とりあえず、我が家中心で今年やるべきことを済ませ、ほっとしている。
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江國香織?

2007-03-16 02:44:55 | 読書
恥ずかしながら、「江國香織」という人のことを知らなかった。
最近、新潮社からこの人の書いた「ぬるい眠り」という文庫本の新刊が発売されているが、この作家の名前を知らない私にとっては、作家名も本の題名もまったく記憶に残らないものだったのだ。しかし、人によっては、有名じゃないですか!ということである。

この本を人から紹介されて今読み始めたところだが、最初の作品にプレスリーが好きな母親が出てきたところで、プレスリーには何ら魅力を感じない私にはあまり引力のない作品だと第一印象を持ってしまったが、なんとか読み続けようと思う。
世の中の関心についていくため、こんな気持ちで義務のように読書をするのはどうなのだろうかとも思うが、でも読んでみよう。

そこで、この本について簡単な解説を読んでみたら、この人の代表作として「きらきらひかる」というのがあり、今回の作品は短編集だが、「きらきらひかる」の10年後を描いた作品も含まれているのだそうだ。
そういえば、「きらきらひかる」という題名は聞いたことがあるな、と思った。それでは、まずそれも読んでみたいものだと思ったが、本屋でそれをみつけることができなかった。

江國香織の「きらきらひかる」は1992年に紫式部文学賞というのを取っている作品だ。そんな賞があるのも初めて知った。
ところで、混乱をきたしたのは同じく「きらきらひかる」という郷田マモラというひとの漫画があるということだ。こんな漫画家も私はまるで知りはしないのだが、どうやら私が「きらきらひかる」という題名を覚えていたのは、こっちの作品がテレビドラマ化されたものからだったらしい。これは女性監察医が死体から事件の真相を探るという内容のもので、漫画では1995年に連載され、1998年にテレビドラマ化されている。深津絵里・鈴木京香・松雪泰子・小林聡美などが出ていて、そういえばテレビでは何回か見た記憶があった。
題名が同じというのはかなり紛らわしく、迷惑な話だなと思う。こっちのほうが後だが、どちらかというとこっちのほうが「有名」になっているんじゃなかろうか?
この間の「アサノアツコ」違いといい、紛らわしいものが多い!

しかし、江國香織の作品はそればかりではなく、「冷静と情熱の間」(2001年映画、竹野内豊・ケリー・チャン主演)、「東京タワー」(2001年映画、黒木瞳・岡田准一)、「間宮兄弟」(2006年映画 佐々木蔵之介 塚地武雅)の原作者だったことを初めて知った。残念ながら話題になったこれらの映画を私は見ていない。それで作者についても知らなかったのかもしれないが、私の場合いちいち原作者の名前を確認しようとはしないので、映画を見たところで知らなかったかもしれない。「冷静と情熱の間」なんか娘から角川の文庫本をもらっていたのに読みもせず、作者の名前も記憶していなかった

そういえば「東京タワー」も、これとリリー・ランキーのとあるから紛らわしく、以前はこんがらがっていた。
これからは映画の原作者の名前を気をつけて確認するようにしよう。

江國香織の作品は映画になったものも多いし、直木賞なども取っているし、やはりこのひとは有名だということにうなずける。

経歴を見ると、1964年生まれ。目白女子短期大学国文科卒業。
私と同世代だがもっと若い。短大である。しかし、その後留学し外国の大学を出ているし、父親が江國滋というエッセイストらしい。

今後、作品を読んだり、映画のビデオを見たりしたいと思う。


(写真:図書館から見たたそがれ時の景色)

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自動車免許

2007-03-16 01:07:05 | 未分類過去
先日高校を卒業した娘が、2月から自動車の教習所に通っていたのだが、この度無事普通自動車免許(オートマ限定)を取得した。通った期間は1ヶ月半で、25万円ほど最初に払ったが、追加料金もなく済んでよかった。
普段まったく勉強をしない娘で、今まで受験で筆記試験というものを受けたことがなかった。高校受験は推薦入試だったので、内申書と面接だけ。専門学校受験も同様だった。
どっちも3倍くらいの競争率だったが、学力試験がないのは事実で、この子はこんな生き方でいいのかなあと思っていた。

それが初めて試験らしい試験に挑戦する場に遭遇したわけだった。
私は運転免許証を持っていないので、どのような手順になっているのかよく知らないが、学科も実地も順調に進み、仮免も一発で受かり本試験も一発で受かったとのことだ。
若いから物覚えもいいのだろうが、若くても仮免が落ちたとか、なかなか取れなかったなどという話も時々聞くので、私の子供にしちゃあ予想外にうまく事が進んだといえよう。

我が家では自動車免許を持っている人間がいないので、この一番若い末っ子が最初に免許をとることになるなんて、本当に驚きだ。
車を持つ余裕はないので、当面はペーパードライバーということになってしまうが、とにかく免許がとれてよかった。

娘に続いて私も取りに行こうかなと思っているところだが、こんなおばさんで大丈夫かなあとかなり不安だ。しかし、取るならば40代のうちに、なるべく早くなんとかしたいものだ。免許をとれば世界が広がるだろう。
取るか取らないか、人生の別れ道という気もする。

               

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再見

2007-03-15 01:27:31 | 未分類過去
会社に勤めていた中国人の方が、今日で会社をやめて帰国することになりました。
働いている部署が少し違うので、今まで一度も話をしたこともなかったのですが、私は少なからずこの人に好感を抱いていました。
というのも、根本的に私は中国人が好きなのです。
それで、この人とは仕事上の接点はなかったのですが、昼休みなど廊下ですれ違ったりするときに、同じ会社に勤める人というだけで簡単な会釈をするくらいでした。
するとこの人はいつもにこにこして会釈をし、挨拶を交わしてくれました。
まさか会社を辞めてしまうなどとは思っていなかったので、そのうちに機会があったら、いろいろな話をしたいなあと思っていたのですが、その機会もないままに終わってしまい本当に残念でした。

今月の初めころ、この人が辞めることをしりました。人が会社をやめるときは決まってメッセージカードというのが回ってきます。社員会の幹事が準備をするのが恒例です。
それで、ぜひともそのメッセージカードに私が一度お話したかったことなど書き、さらに中国語の言葉をそえようと考えていました。
ところが、そのいつも配られるメッセージカードの記入が今回は全然回ってこないのです。
その人の部署のパートさんに、まだ回ってこないけどどうしたのかな?と聞いたところ、今回はその人の部署の内部でしかメッセージを書かないことになったのだとのことでした。

どうして?なんで今回に限ってまわさないのだろう?

きょう、残業をしていつもより遅くまで残っていると、社内で5時過ぎにその人のお別れをするということでみんなが集まったので、私もその場に行きました。
花束などを贈呈したのですが、そこでその人が簡単な挨拶をしました。とてもウィットに富んだスピーチでしたが、そのとき、自分は外国人だが皆さん差別もしないで接してくれてありがとうございましたという話もされました。
確かに差別なんかしなかったとは思いますが、でも、なんかちょっと違うんじゃないかな?と思いました。なんとなく、会社の人たちは日本人に対するよりも他人行儀なんじゃないだろうかと思いました。メッセージカードにしたって何で全員に書く機会を与えなかったのか?どうして幹事がその人の部署だけにしようという判断をしてしまったのか?どうせ他の部署に親しい人はいないからと勝手に決め付けたんじゃないだろうか?そして、実際に他の部署の人が積極的にその人と親しくなろうとは思っていなかったのかな?などと思います。もちろんその人と本当に親しい人は身近なところに多くいたとは思いますけど、他の部署の社員さんたちも仕事上多少のやりとりはあったはずです。
とにかく今回は今までやめて行った日本人社員に対するのとは違うやり方だったわけです。

私は中国の人ときくと、自ら寄っていきたくなってしまうのですが、もしかしたら他の人の感覚はそうではないのかもしれません。
それが欧米人だったらまた違う反応を示すような気がします。

中国の人と一口に言ってもいろいろな人がいます。それは日本人でもいろいろな人がいるのと同じです。悪い例ではマナーが悪く常識を外れたひともいますが、逆にものすごく紳士的で教養のある人もいます。会社で働いていたそのひとはその後者のほうです。
私が今までつきあってきた中国人にも本当に立派な人がたくさんいました。
一番最初に知りあった中国人は日本の大学に招聘された客員教授でしたが、それは私が最初に日本語のボランティアをした人で、その教養といい誠実さといい、最たるものでした。
日本社会の中で暮らす中国語の先生たちも尊敬できる魅力的な人ばかりでした。
日本語学校の中国人の学生はピンからキリまでいろいろですが、中国人に信頼できる優れた人が多くいることは事実で、それは中国という品格を感じるものでした。

日本語教師をやめて全く違う分野の今の会社に勤めた時に、そこに中国の人が勤めているというのを知って、なんだかとてもうれしかったのです。
その人がひとりいるだけで、過去とのつながりが保てるような気がしました。
今の会社に勤めるに至ったのは、会社のホームページが日本語・英語のみならず中国語版もあったことにも関心をもったのが原因でした。きっとその人が作ったのかなと思いました。

そんな張り合いをもたらしてくれた人ですが、一言もコミュニケーションを交わさないまま終わってしまい、本当に残念でした。
またいつかどこかで会えればいいなと思います。

(写真:季節はずれのつつじ。もう咲いちゃってる。5月になったらどうなるのか?)
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普通の日

2007-03-13 22:33:14 | 未分類過去
普通に会社に行って、普通に働き、普通に帰ってきた。
いつもと違うところは、帰りにスーパーに寄らずに図書館に寄ったことだ。
昨夜は夕飯時に家族が誰もいなかったので、夕飯を作らず、その材料が余っていたから、食料を買う必要がなかった。
そうすると、荷物がないから図書館に寄る事ができるのだ。
日没も遅くなってきたし、図書館で本の情報収集をしよう。

図書館でも浦島太郎になっていた。
いったい「現代文学」というのはどこからどこまでを言うのだろうか?
今現在生きている人のことなのか?
なんとなく、やはり置いてある本の様相が変わっている。
少し古いものはみんな保存書庫に入っているようである。

情報収集といいながら、目に留めた本を次々に選んで、あっという間に借りてきた。
いんすぴれーしょん!
どんな本かな?
知らない作家の小説
知的所有権の本
科学技術の本
など借りてきた。

帰宅すると、放送大学から同窓会の入会案内の郵便が届いていた。
入会金が1万円だそうだ。次年度から会費が1000円になるそうだが、最初に1万円なんか出す余裕はない。こんな学校あるのかな?今までこんな高い同窓会費を払ったことがない。
放送大学やっている人って、地味そうに見えるけど、もしかして余裕のある人なのかな?
もともと知り合いもいないし、同窓会に入ってもあまり意味がなさそうだから、入らない。

今週末は法事で田舎に帰るので、洗濯をしとかなきゃならないことに気がついて、洗濯機を回した。

(わが町のけしき   ・・・けっこうきれいなところに住んでる?)

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CMで気になる人

2007-03-13 01:14:03 | 未分類過去
このごろ気になっていたのが、エステー化学の消臭プラグのCMに出てくる殿様である。
最初は、顔も変だし売れない俳優か?と思って見ていたのだが、それにしてはなんだかオーラがすごい。
きょうも見ていたらすごい踊りを踊りだしたので、これはやはりただものではないのではと思い始めた。

それで、この人について何か情報がないかと「消臭プラグの殿」でブログを検索してみると、案の定書いている人がいた。
そこで、この殿様が「今井朋彦」という人で、NHK大河ドラマ、三谷幸喜脚本の「新撰組」で15代将軍徳川慶喜の役をやり、殿でははまり役の人であることがわかった。
私は大河ドラマを見ていないので知らないが、大河ドラマを見ている人にとってはよく知っている人だということだ。
googleで検索し、プロフィールを見ると文学座の俳優であることがわかった。「新撰組」のほかに、「HR」で社会科の村井朋彦先生役もやっていた。「HR」というのは、子供が見ていて面白いといっていたのを聞いたことがあった。この人を知らなかったのは私ぐらいなものかもしれない。

このようにCMでオーラを発している人は、他の番組やテレビドラマなどにもどんどん出て知名度を上げていくことが多いので、何かドラマかなんかに早くでないかな~と思っている。
たとえば、「引越しのサカイ」のCMの徳井優さんなんかも、小さくておかしなおじさんと思っていたら今ではドラマなどによく出ている俳優だ。
このような人はけっして若くはないわけで、結局のところその年になって突然才能を発揮したというわけではなく、テレビ以外の知らないところで活躍していたのであり、ただ単に私たちが知らなかっただけということである。

世の中には個性のある魅力的な人がいるものだ。

CMで他に気になる人間と言うと、ロッテガムアクオのCMをやっている若い男性で口臭が激しくて映画館の券売窓口を閉められてしまい券が買えないというシーンをやっている人がいる。その他にも口が臭くて電話ボックスに閉じ込められたりしているシーンのがあり、この人はずっとこれからも「口が臭い」というイメージなのかな?と思ったりするが、そこがマイナスイメージでありながら記憶に残って面白そうだし、あれを見ていると本当に口が臭そうに思えてしまうのだが、実際には背も高く好青年なのではないかと思った。
ちょっと調べてみたら、伊勢谷友介という人らしい。なんでも東京芸大を出て修士までとっているそうで、学生のころからモデルだが、映画「はちみつとクローバー」などにも出ていて、かっこいいという評判だ。なんだ、この人もすでにいろんな作品に出ていて有名な人だったのかと驚いた。

私は世の中のことに疎いからなあ。でもネットで検索できるから便利だなあ。

あっ、偶然にもこれらのCMは「臭い消し」の商品でした!
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予想外の多忙

2007-03-12 20:15:26 | 未分類過去
今日は早く家を出て、9時に銀行と郵便局に寄ってから会社に行く予定だったのに、なんと寝坊していつもよりも遅く起きてしまった。
いつもウサギが7時前に暴れて目が覚めるので、きょうもウサギに起こされるだろうと目覚ましもセットしないで寝ていたら、8時過ぎてもウサギはじっとおとなしくしていたのだ。なんで今日に限っておとなしいの!?まったく使いものにならないウサギだ!

それでも何とかいつもより20分くらい早く家を出て銀行に寄り、専門学校の授業料の預金口座振替依頼の手続きを済ませた。郵便局に寄る時間はなかったので昼休みに行くことにした。

会社に行くと「午前中にお願いします」という書類が机の上に載っていた。午前に出して午前中にお願いしますとはどういうことか!20ぺージもあるものを10時に始めて12時前に終われと?
しかも普通は机の脇の決まった書類置き場に順番に置いていくわけで、そこにはすでに先週末から4件も溜まっているのが見えるはずだ。なのに、「できるでしょうか?」という伺いもなく、これを先にやってくださいと机のど真ん中にでんと置いてあるわけだ。
この書類を置いた主は一番の新人だった。こんにゃろ~、ベテランの大先輩は先週の金曜日から「月曜までにお願いします」と言って私のところに持ってきているのであって、それが間に合うようにこっちも考えて残業などしながら調整してきたわけなのだ。
そこに突然これだよ。
しかたなく、午前中にとりかかる予定だった中堅社員のを午後に回すことにしたが、なんだか早く出してあった人に申し訳ない気分だ。
新人は課されたものを消化するのにあせることもあるのだろうから融通を利かせてあげたいとは思うものの、かなり強引な感じがした。

なんとか午前中にできるだろうと予想して始めたのだが、ぽろぽろミスがあって、思った以上に時間がかかり、12時を20分も過ぎることになった。
本当は昼ごはんを30分までに食べてから郵便局に行こうと思っていたのだが、これでは無理なので、先に郵便局に行った。会社に戻るともう50分で、それから昼ごはんを軽く食べ午後の仕事に・・・。なんか本当に落ち着かない日だ。

郵便局は専門学校の学生総合保障制度の振込みをしに行ったのだが、その領収書をコピーしたものや、銀行の振り替え依頼書や、卒業証明書などを同封して専門学校に送らなければならない。それを昼休みにする暇がなかった。
仕事は残業でもして少しでも減らしておきたいところだが4時半すぎには会社をでて、コンビニでコピーをし、また郵便局に行って書類一式を確かめた後に封をして速達で送った。
やれやれやっとやるべきことが済んだ。期限は明後日必着だったのだが、なんとか明日の午前には届くようだ。

結局のところ、この忙しさは自分が専門学校の手続きをやっていなかったのが原因だが、よりによって昼休みにまでにかかる仕事が入り込むなんてまったく予想外だった。

今日の教訓:やるべきことは後回しにせず、早め早めに済ませておこう!
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店をふらふら

2007-03-11 23:13:32 | 未分類過去
土日は暇でしょうがない。土曜日の未明、布団の中で寝返りをうったとたんに、この間やった「ぎっくり背中」が再発。また同じ筋を痛めてしまい、痛みで眠れなくなったので、またアリナミンを飲むことになった。ちゃんと治っていなかったらしい。
それで、また区の体育館のエアロビクスやピラティスは中止にした。
大掃除をする気もなし、洗濯もしないで、ぼーっとしていた。起きてしばらくすると背中の痛みはやわらいだのでそっちは特に問題はなかった。
昨日の午後は4時間くらい昼寝をした。

きょうは、2時から4時まで事件物のテレビドラマを見た。
そのあと、ぶらぶらと夕飯の買い物を兼ねてショッピングに出かけた。
春物の服がないので、カットソーを2枚買った。最近は洋服にお金をかけすぎている。
本も買いたいなと思ったが、服にお金を使ってしまったので、予算がない。

先日から、本を話題にした仲間の話についていけない状況なので、本屋で情報収集をした。見えなかった話の内容がいくらか見えてきた。「6巻もあって大変だ」「あさのあつこはあまり好きではない」などという人の話を聞いていたのだが、何のことやらわからず、「浅野温子か・・、浅野温子が主演でもしているのかな?」などと思っていた。
それが、ひらがなの「あさのあつこ」という作家が書いた「バッテリー」という作品だということがやっとわかった。とんだ勘違いである。女優の浅野温子だと思ってたんだから、話に加わらず黙っててよかった、と思った。
10代の子に人気らしく、中学生のお子さんがいる人はよく知っているようだ。
話題についていくためだけに6巻も読む(読むためには買う)元気はないから、やめておいた。また、山崎豊子の「華麗なる一族」3巻も同様だった。こっちのほうが内容には関心があるが、やはり買ってまで読む気力はない。

本屋の文庫本売り場の様相は昔とはずいぶん変わっている。昔は、夏目漱石・太宰治・川端康成・芥川龍之介、等の一連の作品が並んでいたが、今はそのような時代のものは古典文学のようになっていてほとんど見かけない。その代わり新しい作家の新しい作品が並び、さらには平積みして表紙を見せる置き方が主流になってきているようである。棚の上のほうでも、背表紙をだして差し込む形ではなく、表紙を見せて平たく陳列して目立たせている。
村上春樹、東野圭吾、宮部みゆき、島田雅彦、などは名前ぐらいは知っているが、その他知らない名前ばかりである。
まったく浦島太郎だ。

それでも、本屋をふらつくだけでもいくらか情報収集ができるもんだと思った。
なんのことはない、やはり映画化されたりテレビドラマ化されたものが多く、多くの人はそのような話題をもとに原作を読むという動きをしているようである。

お金がないので、自分にはやはり図書館だなと思い帰宅した。図書館で新刊話題作を借りることはほぼ不可能なので、人気作を追いかけるのはやはりやめておく。あとは、また親友が貸してくれた本があるので、それを読むことにしよう。

でも本屋で、これはと思う作家に出会いたいものだなあ。
びびっとくる題名や表紙の本に出会ったら、それを直感的に買って読みたいなと思ったのだが、あいにくそういうのには出会わなかった。

街に出てふらふらしているとついついお金を使ってしまうものである。
暇つぶしはだめだなあ。
でもそういうことをしないと世の中から取り残されれてしまうだろうから、それも必要だな。
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意外な結果

2007-03-10 15:51:38 | 放送大学
放送大学卒業認定の知らせは来たものの、再入学科目登録の振込用紙も成績結果も来ないなあと不安に思っていたら、2~3日前に振込用紙が届き、今日やっと成績結果が届いた。

そして単位認定試験の成績結果をみて、非常に驚いたわけだが、なんと「博物館経営・情報論」の単位を落としていた。成績は50~59点のDであり、60点ないと不合格だ。なんとかCくらいは取れるかな?と思ったのは甘かった。

思い当たることに、博物館法について記述するとき、いきなり制定された年を間違って書いてしまった。博物館法は1951年の制定であるが、「1950年代」「ぴったりの数字より1年ずれている」「生まれた年」というキーワードで記憶していた。正しくは夫の生まれた年そのものであるのにも関わらず、試験当日になるとどう間違ったか「自分の生まれた1960年を1年ずらした年」などと考えてしまい「1959年」などと書いてしまったのである。
もともと歴史の年数を覚えるのが大の苦手なので、制定された年など書かなければよかった。これは大きな減点だろう。
そのほかにも、「博物館マーケット」「博物館における評価」など、飛ばし読みして抜けていた部分で的外れな説明を書いてしまったものがあった。わからないものは白紙にしておいたほうがマシだったかもしれない。いいかげんなことを書いたため、それが大きな減点になったと考えられる。

試験を受けた感触としては同じ記述式の「博物館概論」とあまり違う感じはしなかったのだが、博物館概論がAで経営情報論がDという大きな差には驚いてしまった。

一方、絶対に不合格だと思っていた「日本の古典―江戸文学編」がAだったのにも驚く。
どう考えても博物館経営情報論のほうが一生懸命勉強したと思うわけだ。
その他の科目は意外にも○AとAばかりだった。

博物館経営情報論は残念だが、代わりに落ちると思っていた「江戸文学」の単位が取れたので、まあヨシとしよう。
博物館経営情報論は夏に再試験を受けるが、日程も会社が休みの日に当たっているから大丈夫だ。
「芸術系博物館活動支援」の科目群履修認証をもらいたいと思っていて、そのためには「江戸文学」を取り直さなければ単位が足りないと予測していたのだが、逆に「博物館経営情報論」のほうを取り直す必要が出たわけで、手間は同じことである。今回の失敗を踏まえ、次回はきっと○Aを取るぞ。

卒業要件単位数124に対して、習得認定単位数が127という結果だった。
結局は短大時代の国文専攻と日本語教師養成講座で学んだことの助けがあって卒業できたという感じだ。


(写真はこの記事とは関係のないものですが、先日行った「大倉集古館」の庭に展示されている仏像です。ここは“芸術系博物館”ですね。博物館学、しっかり勉強しなおそう!)


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3年間続けてきたこと

2007-03-10 11:58:34 | トラックバック練習・ご意見板
いろいろ考えてみて、唯一3年続けてきたと言えるものが「放送大学」である。

放送大学はこの3月で6年が満ち卒業となるが、振り返ってみると、平成15年度には単位を1つも取っていないので、この期間も放送大学をやっていたとは厳密には言えない。ただ、結果的に単位は取らなかったものの科目履修届けはしていたし、単位を取ろうとはしていたはずなので、一応この間も続けていたことにはなる。

そして、この15年度を除外したとしても、16年度から18年度までの3年間は単位をとり続けていたので、かろうじて「3年間放送大学を続けていた」と言えるわけだ。

3年続けているものがたったひとつでもあってよかった!

実はなんでも長続きしない性格だ。

今の校正の仕事もまだ2年とちょっとだし、その前の日本語学校非常勤講師の仕事も、かけもちなどしつつ計4校で働いたが、長い学校で2年、次に長いのが1年という短さ。スーパーの仕事も1年である。

最近の習い事では、6~7年前から中国語と韓国語をやっていたが、やはり3年もたたずにやめ、その後しばらくして中国語だけを復活させたが1年くらいでお金が底をついたためやめてしまった。中国語を熱心にやっていたころは中国語検定3級を受けてあと5点ってこともあったが、もう今ではすっかり忘れてしまい、4級でも受からないだろう。
もうやめてから2年もたつ。ずっと続けていたらとっくに3級は取れていたはずだけどな~。

でも、日本語学校の仕事もやめ、日本語ボランティアも同じ教室で3年間しっかり続けたということはなく、いやけがさしてきて中国人や韓国人と話す機会もなくなったから、もう中国語や韓国語を勉強する必然性がなくなってしまった。

これからやっていこうとするのは、3年目に入っている今の仕事で、なんとかこれは3年は続けたいところである。
放送大学にも入りなおすので、こっちもこれから3年は続けることになるだろう。そして、あまりにもできない英語を少し強化しておかなくてはと思っている。
石の上にも3年というが、これからは簡単にあきらめることなく、ひとつの事を長く続けることを頑張りたい。


(写真は、多くの人々が毎日通勤や通学に使う“線路”です!)
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