山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

救急車と交差点

2011-10-24 19:54:37 | 運転・車・道路の事
昨日、都区内から福生のほうに出かけた運転で、特段の出来事もなかったと思ったが、思い起こしたら多少印象に残ることがあったので書いてみる。

まず、自宅付近の道路から幹線道路に右折で出ようとしていて赤信号で待機しており、青信号に変わったので出ようとしたところ、どこからともなく救急車のサイレンが聴こえて来た。後ろから来たのなら端に寄って停止し邪魔にならないようにするわけだが、その音は幹線道路から聴こえてくる。停止線が奥まっていて、様子がわからないので、とりあえず停止線と横断歩道を超えたあたりの位置まで出てみたところ、救急車は左方向から近付いてきていた。幹線道路の車は元々赤で停止状態のところを、救急車だけが信号を無視して通り過ぎようとしており、必然的にこちらは停まって待機しなくてはならない。

救急車が近付いて、そして通り過ぎるまでの時間が、とても長く感じられた。そうこうするうちに、こちらの信号が赤になるのではないか?
やっと救急車が通り過ぎたので右折を始めた。(ここは、直進道路は一方通行路地の入り口なので対向車は来ないから必ず右折できる。)しかし、幹線道路を横断しようとしていた人と自転車が救急車によってせき止められていたので、たくさん渡ってきた。しかもこの交差点は普通の十字路ではなく、形がちょっと変わっているため、横断歩道でない中央付近を平気でぞろぞろ渡ってくる。ここは、普段でも変な場所を渡る人間や自転車がいて危ないところなのだが、そういう人間がいつもよりも多くて驚いた。

幸い信号が青のうちに右折できたが、幹線道路を走りながら思った。もし仮に、救急車1台ではなく、消防車が何台も連なっていたりして、通過するのを待っているうちに、こちらの信号が赤になってしまったらどうなるのだろう?
横断歩道を超えて交差点にさしかかったまま中途半端な位置に停まっているわけにはいかないだろうし、幹線道路の車が動き出してしまったら進むことができないし、後ろに車がいれば下がることもできない。

あっ、そうだ。信号が赤になってしまったら、幹線道路の車が動き出す前に、急遽左折に変更して進むしかないかな?それが一番危険がなく無難だろう。

そんなことを考えていたら、次の側道に入るのをうっかり忘れるところだった。余計なことを考えないで運転に集中しないとダメだ。
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本日の運転(福生方面)

2011-10-24 00:25:17 | 運転・車・道路の事
本日は、福生市の米軍横田基地のほうに一般道を使って行って来た。
2ヵ月前に、貸切バスで横田基地の日米友好祭に行ってきたので、そのあたりを自分の車で走ってみたいと思っていたのだ。バスでは、新宿・八王子間を、中央道を使ったのだが、あまり神経を使いたくない気分だったので、一般道を行くことにした。

まず予定では、新青梅街道をずっと西へ進み、西多摩郡瑞穂町の「瑞穂宿西」という交差点を左折し、「新羽村街道」という交差点を左折して瑞穂バイパス・国道16号を走り、横田基地に沿って南に向かい、福生市に入り「武蔵野橋南」という交差点を左折して五日市街道をまっすぐもどってくるというものだった。結果はほぼ予定通りとなった。

先々週は、行きは同じように新青梅街道を進んで、日産村山工場跡地の西側の道を南に向かったのだが、今日はそれよりもさらに西に進んでから、曲がった。
新青梅街道は特に変わったこともなかった。今日は、大部分第2車線を走って行った。
東京に住んでいても、福生市なんて、長女の担任の先生が住んでいた所と、米軍横田基地がある、というだけしか知らないような土地である。また、今日走って初めて知ったのは、「瑞穂町」という町があることだった。
唯一間違えたのは、この瑞穂町の新青梅街道から瑞穂バイパス国道16号に出る途中の短い区間、都道163号でのことだ。
新青梅街道の「瑞穂町役場入口」という信号の次の「瑞穂宿西」で曲がる、と覚えていたところ、地図では認識していなかったのが「瑞穂町役場入口」を過ぎるとすぐ、電車の八高線と立体交差するために、道路が地下にもぐっていくことだ。その想定外の状況に気を取られていて、地下道から出たらすぐナビが左折せよというので左折したが、そこが曲がるべき「瑞穂町西」だったかどうか確認できなかった。するとナビがまた左折せよというので左折したらどうもおかしい。
出発する時に、ナビゲーションの経路設定の仕方がよくわからないので、目的地を仮にそのあたりの住所である「南平1-5-?(何か)」にしてあったのだ。そうしたら、その細かい住所の番地に行くための経路を案内してしまったのだった。車もほとんど走っていないような閑散とした場所だったので、一旦車を止めて、次の仮の目的地である「拝島自動車学校」に設定した。国道16号から五日市街道に曲がったところにあるからだ。そうしたら、ぐるりと回ってすぐに元の都道163号に戻り、そのまま進むと国道に出る事ができた。

地図では、この国道16号は瑞穂バイパスと書いてあり、東京環状とも書いてある。オレンジ色の太い線になっているが、走ってみるとそれほど立派な道路でもなかった。
米軍横田基地を左側にして南に進んでいると、「横田基地12ゲート」というのがあった。さらに進んでいくと、2ヵ月前に日米友好祭で出入り口となっていた「第5ゲート」があり、「ああ、ここだ」と思った。さらに南に進み、難なく五日市街道に左折することができた。あとはひたすら五日市街道をまっすぐに東に向かって戻ってきた。帰りに小金井公園に寄った。五日市街道は今日は公園まで渋滞していなかったが、駐車場は普通の場所は満車で臨時の場所に置くように案内された。

今日の運転では、特別無謀なことやおかしなことには出くわさず、終始平和な運転であったが、多少のエピソードはあったので、あらためて別記事に書くことにする。小金井公園についても改めて書くことにする。

本日の走行距離65.2km。オドメーター5391km。


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日経の雑誌

2011-10-23 00:50:24 | 日記
先週、図書館で「日経ビジネス」(2011.7.18)と「日経ものづくり」(2011.9)と「日経ビジネスAssocie」(2011.7.5)を借りてきた。図書館だから、最新号を借りることはできず、最新でないものでも結構借りられていて、そのような過去のものになった。

会社には、「日経ビジネス」「日経ものづくり」「日経パソコン」が書架にそろっているのだが、なにぶん仕事中に読む時間などはなく、他の社員も同様のようであまり読まれている形跡がなく、もったいない。しかし、そこでちらっと見たところ、興味深そうな内容のものが多いので、図書館で借りることにした。

この中では、会社にはない「日経ビジネスAssocie」(以下「日経アソシエ」と記載)が、私には一番合っているように思う。しかし、この雑誌は「次世代を担うビジネスリーダーのための雑誌」ということなので、50代のおばさんが読んでもどうかと思うが、これを読んで少しでも成長できればいいかと思う。

そこで、「日経アソシエ」の7月5日号の特集は「日本語力トレーニング」であった。「仕事力を問う 日本語検定に挑戦!」というページをぱらぱらとめくり、役に立ちそうだな~と思ってそのまま通り過ぎるところだったが、こりゃあ、やってみないことには、意味がないので、とりあえず力試しをしてみることにした。(最近は新聞でも放送大学の教科書でも、ぱらぱらめくって読んだ気になっているが、実はページをめくっているだけであって、読んだ振りして読んでいないことが多いのであった。反省)

「日本語検定」とは日本人の日本語力をはかるものである。(厳密にいえば、日本語を使う人ずべてであって、外国人でも良い。日本語を母語としない人を対象とする「日本語能力検定」とは違うという意味で、日本人の~と書いた。)
普通の会社員としては、まずは2級が目安だそうだ。敬語・文法・語彙・言葉の意味・表記・漢字の領域で計40問に挑戦とあるが、実際には50問に解答した。
やってみたところ、50問中39問の正解。合格域は80%以上の正解率であるため、1問足りなかった。残念だ。しかし、2級には手が届かないものでもなさそうである。来年受けてみようかな。ビジネス会話は普段することもないので、苦手な分野である。
「日経アソシエ」は面白そうだし、値段も590円と安い。今度から本屋で見て、よさそうな内容だったら時々買おうと思う。

「日経ビジネス」の7月18日号の特集は「年金残酷物語」である。ある人のこれからの年金を仮の想定で計算してみたところ、払った額よりもらう額のほうが少ないという残酷な話が載っていた。年金制度は破綻しちゃうのかな?それでも、国家がそんなバカなことはしないだろうと、私は国を信じたいところだ。まだ一部分に目を通しただけなので、もう少しちゃんと読もう。

「日経ものづくり」は、ぱらぱらめくっただけで、まだ読んでいないのだが、泳ぐ内視鏡というのが載っていて驚いた。それはカプセルのような内視鏡に尾ひれがついていて、人間の消化管の中を泳ぎ、みたいところに移動して撮影することができるもので、尾ひれは磁力で動くそうだ。もはや、管のついた胃カメラを飲まなくてもよい時代になってきた。

これらの雑誌はなかなか興味深いものばかりである。日経はさすがだと思う。新聞はとれないけど、こういうものは積極的に購入して読んで行きたい。



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佐々木家住宅(佐久の名主の家)

2011-10-22 11:18:53 | 旅行・街歩き
生田緑地 日本民家園



長野県の家が続きます。南佐久郡佐久穂町畑、千曲川沿いの名主の家だったものです。国の指定重要文化財です。ボランティアの方が丁寧に説明をしてくださったこともあり、ちょっと気合いを入れて見てきました。大八車の置いてあった家でもあります。縁側の庇の上に、伊那市の三澤家のような石が載っていますね。



南側には広くて長い縁側。日当たり最高ですね。西側のつき当たりには、お客さん用の洗い場があります。お風呂かと思ったら浴槽はなく、木の床の中央に溝があって排水ができるようになっていました。



南の入口を入ると土間の右側に馬屋。左側が床敷きで、囲炉裏があって「おかって」となっていました。馬は人間と同じ屋根の下に居て、食事をする一家の主と向かい合いになり、いつでも目が届くようになっています。馬は大切な家族の一員だったようです。馬屋の奥に「みそべや」ありました。他の家にもあり、さすが味噌の産地である信越地方の家らしいなと思いました。昔は冷蔵庫がなかったので、味噌や漬物などをたくさん保存したのでしょうね。土間には、料理をする「かまど」などがあります。



降雪量があまり多くない地方なので、柱や梁は比較的細いそうです。



板敷きの奥は仏間でしょうか。南側の縁側に面した部屋です。もう1つ囲炉裏があり、先祖の位牌の置かれた仏壇や神棚などがありました。その他には畳の部屋がいくつかあります。



上の写真は部屋のほうから土間に向かって撮ったものです。前方右正面入り口側に馬屋、前方左正面に味噌部屋が写っています。

下の写真は建物を西から見たところです。



北西の角にはトイレがあって、そこから外にも出られるようになっています。出た所には南天の木が植えてあり、難を転ずる意味があるそうです。そういえば、私の生まれた家のトイレの外にもナンテンが植えてあったのを思い出しました。

この名主の家は、お客さんをもてなすように、かなり気を使って作られているようでした。名主は百姓から集めた年貢を役人に渡す仲介役であったため、やってくる役人をもてなすような作りになっているようです。

縁側からの眺めは最高でした。ここでは、飛騨の合掌造りの白川郷と富山県の合掌造りの家が眺められました。コスモスやススキがきれいです。

昔の家なのに、とても豊かで居心地がよい感じがします。庶民の家ではないからでしょうけど、このような作りは日本の風土に合っていて、しっくりくる感じです。
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昨日で2周年

2011-10-22 01:12:28 | 運転・車・道路の事
すっかり忘れていたが、10月20日で、車の納車日から2年経った。昨年の1周年では3100km以上走っていたのに、2周年では合計して5300kmくらいしか走っていない。
2年前のブログを読むと、毎日運転しようと焦っていたようだが、このごろは週末だけしか運転しない事が多い。あとは、長女が来る時だけ駅まで迎えに行く。2年前に、いきなり電柱に車の左前方をぶつけてしまったが、今だったら路上でバックして路地に車庫入れなどしようとは思わないし、しなければならないならかなり慎重になる。住宅街の狭い道路ほど怖いものはないこともわかっている。初めて走ってしまった道路は、今走っても自分にとってかなり難易度が高く、今では避けて通りたい経路が多い。そんなところは滅多に走らず、走りやすいところを選んで走るから、うまく走れるようになったような気がするけど、技術的にはあまり進歩していないのかもしれない。
走りやすい道路を選ぶのも、経験と技術のうちかもしれない。どっちにしても、車になじんできたことは確かだ。
3年目は絶対に、静岡県の実家まで走って行こうと思う。ムーヴちゃん、よろしく。
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老後の暮らし

2011-10-21 23:55:35 | 日記

年金暮らしとか老後とか夢もないようなことばかり考えるこのごろ。
今日は早くも雨が降ってきて、今週末は雨らしい。よって車の運転ができない。(できなくはないけど、行くところもないしね。)
東京では車は要らない。なのになぜ私が車に乗っているかといえば、田舎の母が、1人で通院などできなくなったときに、私が田舎に移住して母の足となるための準備のつもりだ。
とりあえず、運転技術としてはそのくらいはできそうだけど、相変わらず運転に慣れないし、田舎の町は私にとっては未知の世界であり、道もわからないから、東京と同じ迷走状態が続くと思われるけど、それは仕方がないだろう。

実家の母は、運転免許を持っていない。父が亡くなったのはもう30年近くも前で、母は51歳にして未亡人となり、家に車を運転する人がいなくなったのだ。それ以来、母は電車やバスを使って生活してきたが、このところ足腰が弱くなり、駅の階段の上り下りや、バスのステップを上がるのにも一苦労の時があるようだ。それに、先日、実家に行ったところ、なんとバスの本数が私が高校生の頃よりもずっと減っているのである。昔は1時間に2本くらいはあったと思うのだが、今では1時間に1本、時間帯によっては2時間に1本という不便さ。通学バス以外は、みんな自家用車で移動しているらしい。
夏に娘とバスに乗ってみたら、バスの始発駅から実家近くの停留所まで、乗客は私と娘の2人だけだった。その先誰か乗ったのだろうか?バスのお客がいないから、バスは走らなくなる。バスは滅多にこないから、ますますバスに乗らなくなる。これでは、バス会社もつぶれそうだ。
春に帰省した時に、母が通う整形外科に母と一緒にバスで行ったのだけど、帰りは1時間以上待たないとバスが来ないので、タクシーを呼んで帰ってきた。母は病院のそばのスーパーによって猫の餌など買ったのだが、そこからタクシーを呼ぼうとすると公衆電話がない。おそらく病院にはあるはずではあるが・・・。それで、私の携帯電話で呼んだけど、母はケイタイを持っていないので、母1人ではかなり不便である。しかも、国道沿いの駐車場に立って待っていなくちゃならない。夏だと日射病になりそうだし、冬は寒い。元気だったら歩いて30分かからないところだが、足が痛くて整形外科に通ってるんだから、歩けるわけない。バスで160円くらいのところが、タクシーでは1000円もかかってしまう。
自家用車を持つよりはタクシーのほうが経費がかからないというが、通院のたびに片道1000円を超えるような金額がかかるとなると、どうしてもなるべく通院しないで済まそうとしてしまう。だから、治るものも治らなくなる。
買い物に行くのも辛い状況だと、家にある粗末なものを食べて済ませてしまうので、栄養状態が悪くなって悪循環だ。

かといって、急に私などが実家に行って料理などしても、母は口に合わないものは食べない。年を取ると新しいものを受け入れる順応性がなくなってくるようで、自分が普段食べる物以外はみんなまずいという。それで、普段いない人がいると落ち着かないから余計疲れてしまうようだ。自分流のやり方で、ものを片付けたり食器を洗ったりしないと気が済まないので、人が行くと母の仕事が増えるだけである。
母が飼っている猫は老人にだけしかなつかないので、私たちが実家に行くと家の外に出たまま戻らず、餌も食べに来なかったりして、母は気が気ではない。いつも猫と2人きりで仲良く暮らしているので、そういう生活が破壊されてしまうのだ。

だから、実家に行ったほうがいいのか、行かない方がいいのかわからない。
しかし、母はどんどん年を取って行くから、このままというわけにはいかないだろう。

私自身はいったいどうなるのか、それさえもわからない。自分もまた、いつか老人の1人暮らしになるのだろう。

父がもし生きていたところで、もう90歳近くになるから、運転はできないだろうし、同じ事だったと思う。現に、母の知り合いの老人が先日アクセルとブレーキを踏み間違えて、民家に突っ込んでしまったそうだ。幸い怪我は大したことがなかったらしいが、80歳にもなったら運転は危なくて無理である。父がもし長生きしていたら、母は年老いてから父の介護などもしなくてはならず、もっと大変だったかもしれない。

老後を暮らすのは、医療や福祉の面でも田舎より都会のほうがいいのではないかなと思う。
母は、変に節約をする人間であり、血圧の薬も自己判断で時々しか飲んでいないし、健康診断などもちゃんと受けていない。驚くべきことに、静岡県の実家の自治体では、すでに病院にかかっている人は、市の健康診断が受けられないのだそうだ。健康診断は健康な人だけが受けるものだそうである。血圧が高くて病院にかかっているとはいえ、血液検査やレントゲン・尿検査などをするわけではないのだから、そういうものはやってもらいたい。
なんだか納得できないが、それだけ田舎は予算がないのだろう。母はケチだから、自費で健康診断を受ける気はない。お金がないわけではないのに、そんなことにケチる母にも問題がある。

孫にばかり小遣いをくれるが、ガスもれ警報機や火災報知機もつけないし、床板が痛んでいても直さない。自分のことにお金を使えばいいのに、何度言っても聞きはしない。極端な電気の節約やお湯の節約をしている。

困ったことだ。
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ゴーヤと朝顔

2011-10-21 02:06:34 | 日記


秋も深まり、急に冷え込んできたこのごろです。
ベランダには、小さなゴーヤの実がいくつかなり、小さな朝顔の花もいくつか咲いています。
朝顔は直径4センチくらいです。ゴーヤは5センチくらいかな?
こういうのも、かわいいものですね。
命のあるかぎり、緑のカーテンは撤去しません。

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変化のない日々(自分)

2011-10-21 00:18:43 | 日記

ウ~ン、何を書こうか・・・。なんら変化のない日々を送っているため、何もネタがない。
困ったことだ。

日経新聞の営業の人が訪問してきたが、夫がインターホンであっさりと断っていた。
以前、私が1週間試読したんだけど、日経側としては、試読させたからには購読してもらわなきゃという感じか。ただでは済まない無料の試読、恐るべしだ。
私は、購読してみたいなあという気がなくもないのだけど、とにかく一家のアルジが取る気がないんだ(取らせる気がない=断然阻止体制だ)から、どうにもならないのだ。たぶん、1人暮らしだったら日経に変えてみていたかもしれないなあ~。
それにしても、日経新聞は、やっぱりちゃんとした職業のある人が読んでる物のような気がして、パートタイマーのおばちゃんが読むようなもんじゃないと言う気がする。日経でやっているセミナーも平日が多いのだが、きっと仕事関係で研修みたいな感じで参加するのであろう。私には場違いなものばかりだし、平日で出られないし、セミナーに出たら、それこそ日経とらなくちゃならないことになるだろう。

そういえば、うちはべつの新聞だけど、このあいだのオリンパス社長解任のニュースで、外国企業を買収して、フィナンシャルアドバイザーに高額な金額を支払っていたのは、日本人の経営陣のほうであったことがわかった。今回社長を解任されたマイケル・ウッドフォード氏は、そのことの不透明さを指摘していたほうだった。そこをつっつかれたくなくて日本人たちがウッドフォード氏を解任したようだから、外国人社長のほうが正当だったように思える。このことで、オリンパスの株が下がったそうだ。私は、外国人の社長が買収に走っていたのかと思いこんでいたが、逆だった。いつも日本人が正しいわけじゃなさそうだ。

それから、最近ニュースになっているのは、エリエールの会社(大王製紙)の元会長が、会社の多額の金を個人で使いこんだりしていたようで、困ったことだ。
企業の経営者はしっかりしてもらわないことには・・・。

最近、松下幸之助のドラマが3回連続で放映された。震災後は、日本の近代化や戦後の復興のころの物語がドラマ化されることが多いように思う。日曜の南極観測隊のドラマもその一つだ。
日本は、西洋と肩を並べて行動しようとする根性のある国だよな、と思う。アジアの民族では珍しいし、やっぱり優秀であることには違いないのであろう。昔の歴史を振り返ると、なんで日本人はこんなに頑張れるのか不思議なくらいだが、今現在はどうなのかな?おそらく、日本人の優秀さは変わってはいないと思うし、日本の財産は、「人材」に他ならないと思った。だから、もっとそれを自覚し、それを強化し、人材を育てないといけない。

今、東北の復興が叫ばれているけれど、戦後の復興と違うところは、日本は1つになっていないことだ。震災に遭ったところと遭わなかったところの人間の意識が全然ちがうのだそうだ。震災にあわなかったところでは、他人事のような感覚であることは否めない。
自分だけは被害をこうむりたくないと思っている人間が多すぎる。放射能に汚染されているわけでもないがれきの処分を受け入れることさえ、反対する人がいるのだ。税金を払いたがらない人。貰うものだけもらいたがり、自分では何も負担しようとしないのは、恰好悪いよ。私自身、偉そうなことが言えるような立場じゃないけど、税金も払わないで福祉国家なんかできるわけがないんだから、国民は惜しみなく義務を果たしたまえだ。

わけがわからなくなってきたところで、やめにしよう。
このごろ、つくづく、自分の無能さを感じるので、身の程を知って静かにまじめに働こうと思います。

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三澤家住宅(板葺き屋根)

2011-10-19 01:02:13 | 旅行・街歩き


生田緑地 日本民家園の家
この家は、長野県伊那市から移設されたもので、薬屋だった。
特徴は屋根が板葺きで石が載せられている。その板は、釘などで固定されておらず、ただ置かれているだけで、その上に石と木材を重しとして載せ、風等で飛ばないように押さえられているそうだ。このあいだの強風の台風のときも飛ぶことはなく、雨漏りもせず、大丈夫だったそうだ。

日本の昔の木造建築は、木材を組んで造られており、土台も石の上に載っているだけであり、今の建築のようにセメントで固めたり、釘を打ったりして固定されているものではない。だからこそ、分解してまた元のように組み立てられるのだそうである。すじかいもないので、揺れるが、壊れはしないそうだ。
現在では、法律で、土台を固めなくてはならず、すじかいを入れない建築は認められなくなり、昔の工法の家は作れなくなった。昔の家は、柱だけなので、ふすまを開け放すと、壁がなくなるが、今はそのような家はない。

この民家園にあるような家はもはや新たに造ることができないので、すでにある家を保存するしかないようだ。昔の技術は消えてしまうのだろうか。
なんだか、惜しいような気がする。
昔の家の柱や梁は、本当に立派なものだ。今では、家を組み立てるのに、クレーン車などを使う事が多いようだが、人間だけで作ったのはすごいものだと思った。



こんな屋根の家を見たのは、初めてだった。現在これを作ると、板1枚の値段と枚数からして、屋根だけでも、かなりの金額になるらしい。
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高井戸北陸橋

2011-10-18 01:18:54 | 放送大学
今日は、放送大学の「物質・材料工学と社会」第2回の録画を見た。内容は「橋梁、船舶、プラント」である。

教科書に載っている美しい橋は、19Cに造られたイギリスの「ブリストル橋」。橋の専門家は必ず見に行く橋だそうだ。私もイギリスに行ったら見てみたいな。

私が好きな橋と言えば、府中の是政橋だが、最近は見に行っていない。最近撮影した橋の写真では、環状8号線にかかっている「高井戸北陸橋」の写真があるので、それを載せてみる。



この橋は、陸橋であるので、川に架かる橋ではなく、道路を立体交差するための橋であり、その下には「五日市街道」と「井の頭通り」が通っている。写真に撮ってみると、なかなかきれいな曲線の坂を作っている。


五日市街道にかかる部分


井の頭通りにかかる部分

2本の道路を跨いでいるから、全長も結構あるのかもしれないが、全体像を眺められる場所はなさそうだ。グーグルマップの航空写真でなら全長を見る事ができるが、なにぶん道路のようにしか写っていない。

余談だが、この陸橋の上を何台の車が走っているのかと思って、グーグルアースの航空写真で車の数を数えてみたところ、北から南に向かう車は50台くらいだが、なぜか南から北へ向かう車が、橋の上を1台も走っていないのには驚いた。いったい、どんな時間帯に写したものなのであろうか?橋の上を車が走っていないのなんて見たこともない。しかし、橋の上は渋滞していることも多いので、交通量の多い時間帯だと、100台以上の車が載っていることもありそうだ。この陸橋の上は、地震のように揺れていることも多々ある。(本当の地震だったかも?)

橋げたを下から見るとこうなっている。



放送大学の放送授業によると、ただの1枚板では撓んでしまうが、このような構造になっていると頑丈になるそうだ。

高井戸北陸橋も桁橋であるが、下の道路を跨ぐためにも中央に向かってアーチ状に上がっていくが、その形によって圧縮応力がかかっているようだ。

橋の材料は主に鉄である。
鉄の作り方は、高炉の中で、鉄鉱石(酸化鉄)にコークス(炭素)を加えて還元し、銑鉄をつくり、転炉に移し、生石灰を加え不純物の炭素を分離する。
純粋な鉄は、強度が十分でなくそのままでは使えないので、炭素の量を調節したり、ニッケル・クロム・銅などを添加して鋼と呼ばれるものにする。
解けた鋼は、連続鋳造装置で鋳型に注がれて冷却・切断されて半製品となり、精錬・圧延などされて製品とされる。

鉄は最も安定な元素であり、地球の重量の3分の1が鉄なのだそうだ。地球の表面近くでも酸素・ケイ素・アルミニウムについで4番目に多いので、鉄が枯渇することはないようだ。最近はリサイクルもされているようだ。

この高井戸北陸橋も頑丈な鋼鉄がたくさん使われているようである。
この陸橋、あんまり好きではないのだが、色は青で、私の好きな是政橋と同じような色だということに写真を取って初めて気がついた。(追記:写真は青っぽく写っているが、実際はもっと緑っぽい色のようである。)
この橋の上も下もよく通る場所であるので、かなり世話になっている。

おまけ 

ちなみに高井戸北陸橋、自転車・大八車禁止です。側道を通ってくださいね。(10月10日掲載の標識はここのものでした)


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ジレンマ

2011-10-17 18:01:24 | 運転・車・道路の事
この週末もほとんど運転をしないまま終わってしまった。なぜならば、この週末は夫がいたからである。夫がいると、遠出ができず、行動が制限されてしまう。またしても、自転車でトンカツを食べに行って休日が終わるのだった。
全然運転ができなかったとぼやくと、運転したじゃないか、と言う。
ホームセンターと夫の用事で、車を運転したのだが、いずれも往復数km程の歩いても行ける距離であり、そんなものでは運転したうちにならない。しかし、夫はそれで充分だろうと考える。
夫は2ヵ月に1回くらい近隣を運転するが、いつも同じコースで、ぐるりと回って5kmくらいのコースだ。必ず私が助手席に座り、夫は1度も1人で運転をしたことがない。そんなもんだから、免許を取って1年以上たっても、全然うまくならない。例によって日曜日に夫の運転練習に付き合ったが、ぎくしゃくした運転にひやひやして、なんだか自分の運転までがそのようになってしまったかのような錯覚にとらわれて帰宅した。自動車学校の先生というのは、一年中、どんだけ神経をすり減らしていることだろうかとつくづく感じた。
夫が「またペーパードライバー教習を受ければうまくなるかな~」というので、自分1人で運転して経験を積まない限り意味がないと思うと話した。しかし、夫は運転がきらいなのでそれ以上のペースで運転をする気は毛頭ないらしく、そんなわずかな運転で、運転技術を維持していると思っている。そして、自分は「運転ができる」という。
夫の場合、結婚する前に「水泳ができる」と言っていたが、一緒に泳ぎに行ってみると、こわばった手足を水中でやみくもに動かして5mくらい進むと沈んでしまう。それでは泳いでいるとはいえないが、本人は「5m泳げる」と思っている。基準が低すぎるのではないだろうか???このあたりで、この男がどんな人間なのか見極められなかったのが、私の運の尽きだ。
トンカツを食べて夫と自転車で帰ってくると、30代か40そこそこの近所の奥さんが、さっそうと車で出かけて行った。この人の夫は車の運転のプロだ。夫婦そろって若くていいなあと思う。私もあと10年早く免許が取れたら、もっとどんどん出かけられたかもしれない。夫だってあと10年若かったら、今よりはマシだったはずだ。

もっともっと行動的でありたい。しかし、超抑制的な夫の影響を受けるとともに、なんとなく、年齢と能力の限界を感じて、自分でも消極的になってしまうこのごろだ。
でも、頑張らなくてはなあ。
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へちま1号

2011-10-17 01:34:52 | 植物・花・木


秋になってから、やっと実がなったヘチマ。最近、かなり大きくなってきました。
中には水分をたくわえているようです。そういえば、ヘチマの化粧水なんていうものがありましたが、どうやって作るんだっけ?なんか、茎を切って瓶に差し込んであったりしたような・・・。
この実の用途はまだ、きめてありません。たわしにするのかな?いつ収穫すればいいのかな?
もうひとつ、高い所になっています。さらにもう一つ小さいのができています。

今日は、暑かったけど、だんだん寒くなります。暑いうちに成長しなくちゃね。
ゴーヤもちびが3つくらいできてます。頑張って!
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駐停車の課題

2011-10-17 00:54:31 | 運転・車・道路の事
駐停車

今日は、夫の用事で、現地に運転していったが、夫が用事を済ませる数分の間、幹線道路の第一車線に停車して待つことになった。
これがなんと自動車学校の卒業試験コースの停車位置と同じであり、できないわけない、というか、できなきゃ試験不合格で免許も取れないということになってしまう。実は、試験コースでは1番嫌いな停車場所であり、教習中に1度も成功したことがなかった。本試験ではこのコースに当たらなかったのが幸いだった。
免許をとって2年以上にもなるのだから、まさかできないわけがなかろうと思ったわけだが、結果を先に書くと、もし試験だったら不合格だった。が~ん。

そのあたりの道路は、第3車線まであるが、普段はその先で右折するので、第2車線か第3車線を走っている。しかし、今日は停車するために第1車線を走っていった。第1車線を走ることはめったにないので、狭くて走りにくい感じがした。幸いバスも停車車両もないまま進むことができて現地が見えてきた。すると、前方に1台の駐車車両。うわっ、どうする?その後には左に入る路地があるので、真後ろにつければなんとか5mくらいありそうだが、距離的にはぎりぎりのところだ。しかたなく路地に至る前の、路地から5m離れた所に停車した。一応停車禁止の場所ではないのだが、停まりたかった場所はあと50mくらい先だった。

ふと見ると、試験コースの停車位置の基準となっていた歩道橋までにも達していないことに気がついた。そういえば、教習中も第2車線を走ってきて、第1車線に変更したところ、今日と同じように前方に車が停まっていて前に進めず、このあたりに停めてしまったことがあった。そのときは、左の路地に5mと離れていない位置だったので、もっと失格だった。駐停車禁止位置を外したのは多少進歩したけど、それにしても、その頃のレベルからほとんど上がっていないことに愕然とする。

教習中、なんのために第2車線を走っていたかといえば、今思うと、第1車線では停車車両が障害になって前に進めなくなる場合が多いからであろう。そして、停車車両を超えたところで第1車線に移れば車線変更もしやすい。近々停車するからと思って第1車線を走っていったのは間違いだったと気づく。

間違えて手前で停車してしまい、前に駐車車両があったら、再発進して第2車線に移り、前に進んでからまた第1車線に戻ればよい。停車をやり直しても失格にはならないだろう。

今日は、夫に離れた距離を歩いてもらって事を済ませたが、停まりたい範囲内に停まるよう、もう1度挑戦してみなくちゃいけないかと思っている。
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今日の運転(ウィンカーの事など)

2011-10-16 00:28:59 | 運転・車・道路の事
ホームセンターにウサギの餌とシートを買いに行って来ただけ。
片側1車線の道路を走っていたら、幹線道路に出る交差点の手前に駐車車両があった。狭い道路なので、対向車がきたら進めない。いやなところに停まっているな、と思って進んでいくと、対向車は来ず、信号待ちをしている車の後ろと駐車車両の前の間に入るスペースがあったので、追い越して前に出た。信号が青になるのを待っていると、後ろから自動車学校の送迎バスがやってきた。
送迎バスは、右ウィンカーを出して駐車車両を超え、左ウィンカーを出して戻った。さすがは、自動車学校の送迎バスだ、ちゃんと合図を出している。実は私は出していなかった。反省だ。
私の車と駐車車両の間にもまだ入るスペースがあったようである。しかし、狭そうだったので、前の車との車間距離を少し詰めてあげた。私も少しは機転がきくようになったもんだと思った。次は左折だから、お手本通りにちゃんと曲がらなくてはと、ちょっと緊張した。自動車学校のバスは直進していった。バスによっては左折して進むものもあり、以前は道がわからず、そのバスを天の助けとばかりについていったことがあった。今では、その道も慣れたもので、迷うことなどはない。
ちょっと進むと、今度は教習車が見えた。側道に入り前を進んで行く。私もこの道を教習で走ったことがあった。ここの進路変更は怖くて、免許取り立てのころも、モタモタしたことがある。教習車は早々と側道に進むレーンに入っているので楽勝だ。今となっては私もここは決して怖い場所ではない。以前は、このまま進むとどこにいっちゃうの?と不安だった未知の直進コースも、今では日常茶飯事通るようになった。

ホームセンターに到着。最近、駐車場は苦手意識が強い。とにかく後ろから来られてしまうと、焦ってどこにも入れられなくなって、出口に直行してしまう可能性が高いので、早めに駐車スペースを見つけなくてはと思った。いっぱい空いている場所は、前向き駐車指定の隅の一帯。隣地に排気ガスが飛ばないようにアタマから突っ込めということらしい。アタマから突っ込んだら、出るときにお尻から出なくてはならないが、それができるかどうかわからないので、その一帯はやめる。他にないかとキョロキョロする。右に入ったところに、前進で入り前進で出られるスペースを発見。つまり、駐車スペースの前後が通路であり、しかも車3台分空いている。右方向に進むにはちょっと前に出過ぎていたが、ハンドルをめいっぱい切って右折することにした。すると右後ろからバイクが抜かそうとしていたので、右折を停止しバイクの通過を待った。安全確認は無意識のうちに習慣化しているようだ。しかし、ここでも、ウィンカーをだしていなかったのを反省。駐車場は道路ではないけれど、こまめに合図を出した方がよさそうだ。自分がどっちに進むかちゃんと知らせないと危ない。

駐車スペースには前進で入ったのに、やっぱり曲がっていて位置を修正する。車から降りて歩きだすと、私が置いた一帯は、3ナンバーの大きな車ばかりが停まっていることに気づいた。あれっ?軽自動車はそこにおいてはダメ?別に何も書いてなかったようだけど。見ると5ナンバーの日産キューブも置いてあったので3ナンバー専用ではなさそうだった。軽専用というスペースがよくあるが、それは軽しか入らない広さということであって、何も書いてない広い所に小さい車を置いて悪いということはなかろう。

買い物を終えて戻ってくると、ちょうど左横のスペースに大きな車が入ってきたところだった。その車体は長く、かなり前にでっぱっている。出口は左の通路に出るので、駐車スペースから左に進まなくてはならないが、いきなりハンドルを切ると隣の車にぶつかってしまいそうだ。ちょっと前に出てからハンドルを切らなくてはならない。しかし、通路はそんなに広くはなく、ハンドルを切るのが遅いと対面の駐車車両にぶつかってしまう。そのあたりの感覚がちょっと分かりにくかった。
軽自動車なんだから、きっと全然大丈夫なはずだ。もっと大きな車が出入りしているのだから。結果的には問題なく出られたが、駐車場はやっぱり怖いなと最近感じる。入るときにスペースがいっぱいあったところが、出るときに満車になって状況が一変していることも多い。

帰りは、駐車場内でちゃんとウィンカーを出そうと思って走っていたら、分岐がないただの曲がり角でまでウィンカーを出したりしてしまった。

夕方だったので、道路は渋滞。休日の夕方はやっぱりダメだ。自転車のほうが断然早い。
「右折専用レーン」と「直進右折兼用レーン」のあるところで、「直進右折兼用レーン」で信号待ちをしていたのだが、右折専用レーンの車の列は1台もウィンカー出していない。兼用レーンの車は右ウィンカーを出していた。確かに、どっちに進むか確実にわかるレーンでは早々とウィンカーを出す必要はないわけだ。何でも臨機応変ということ。
重要なのは、自分がどっちに進むのか、周囲の車や人に知らせることだ。ウィンカーというのは、車にとってとても重要なものであり、もし車にウィンカーがついていなかったら、事故が多発するし、すごく不便になるだろう。ウィンカーでちゃんと合図を出そう。
車にとって、ウィンカーやブレーキランプ、ワイパーなどの開発も重要なものだったと思う。

それにしても、週末になる度に緊張。いつになっても運転は怖く感じる。
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捏和(ねつか)

2011-10-15 01:30:35 | 日記
捏和
今日は、こんな言葉を文書の中でみつけた。

「捏」といえば、まず「捏造」を思い出す。というか、それ以外には思い浮かばないから、この文字は「ねつ」と読むのであろうと思った。
「ねつ」と読む漢字は、2つしかないようだ。「熱」と「捏」だ。
「捏造」は「事実でないことを事実のようにこしらえること」「でっちあげること」。けっして良い意味ではない。
しかし、「捏和」とは、そのような悪い意味は特にない。
「捏」は訓読みで「捏ねる」(こねる)。つまり、「捏和」は捏ね合わせることだ。
「和」を「か」と読むのは意外だった。
「攪拌」は、流体をかき混ぜる事を言うが、「捏和」は流体が高度に粘稠(ねんちゅう=粘り気があって濃い)な場合に使う言葉のようだ。「捏和混練」とも言い、「捏和」と「混練」は、こねあわせる、練り混ぜる、で似たような意味のようだ。

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