今日は、人工内耳音入れの17周年。通称「耳誕(みみたん)」です。
今年は、子供がお腹を壊してしまい、ケーキはなし。
代わりに妻が豆腐に味噌で文字を書きました。
妻曰く、「うまく書けなかった。」と。でも、子供は喜んでいました。
それから、下記の手記を読み直してみたり、
人工内耳の検討
Hは、全聾である。補聴効果も認められない。しいて言うなら、太鼓の音等を感じることができるが、耳からではなく身体への振動として感じ取っているようだ。耳が聞こえないということは、いくつかの問題がある。
まず1つは、音としての言葉がないということである。私達健聴者は、物事を考えるとき、言葉それも音としての言葉で考える。そして言葉にならない気持ちは、心の中がもやもやとしてすっきりせず、何とか言葉に置き換えて整理しようとする。しかし彼には音としての言葉がない。言葉自体は存在するが私達とは異質なもので、どうも理解の範囲を超えている。少なくとも私達より言葉を獲得し、使いこなすのが難しく、それゆえ論理的な思考ができにくいと言われている。
2つめには、コミュニケーションの問題である。聞こえないということは、自分の声のフィードバックもないわけで、結果としてうまく話すことができない。口話法や読話には限界がある。筆談にしても面倒で、どうしても伝えたい或は伝えなければならないことのみになりがちである。こうしたことで社会に進出することが難しい。
さらには、生活音も聞き取れないという問題である。踏み切りの音や自動車のクラクションの音などは、よく言われることだが、日々の生活の中で音を頼りにしているものは非常に多い。インターホン、テレビ、ラジオ、電子レンジ、目覚まし時計等々数え上げたら切りがない。振動やランプで知らせる機械もあるが、生活音とは必要な情報を得るための音だけではなく、様々な音が存在する。また音には、葉ずれの音や、そよ風の音、水の流れる音や、鳥のさえずりなどなどといったように心地好く人の心を和ませる音や、或は逆に工事の音などのように不愉快な音があり、情緒にも影響する。
こうした問題を少しでも減らすには、音を入れるには、人工内耳しかない。そう思い検討を始めた。
しかしながら、人工内耳を入れたからといって全てが解決するわけではない。
先ず第1は、人工内耳をつけても必ず聞こえるようになるという保証はないことだ。Hは、食道閉鎖などの先天異常を持って生まれてきており、どうも臭いも感じていないようである。もしかしたら聴神経も障害を受けているのではないかという不安がある。事前にプロモントリーテストを受けてみても、確実なところは分からない。
2つめには、手術を伴うことだ。今まで3回手術を経験してきたが、それは受けなければ生きてはいけないという特別の事情があった。しかし今回は違う。あえて痛く苦しい思いをもう1度させたくはないと思う。顔面麻痺などの併発もあるようだ。また、身体の中に人工の機械-異物-が入るという漠然とした不安もある。
3つめは、事後の管理とリハビリである。体内に機械が入ってるわけだから、強くぶつけたりしないよう注意が必要である。髄幕炎にならないように中耳炎などにも注意しなければならない。また強力な磁気にも弱く、最悪の場合、中の機械が壊れたり、内耳を火傷することがある。事故が起きたときには再度手術を受けなければならない。また、リハビリも言葉の獲得には7才では遅いとも言われており困難が伴う。日々の生活において本人の負担にもなるし、一生病院と手が切れなくなる。
こうした危険を侵してまでもなお人工内耳をつけるべきであろうか。大変悩むところではあるが、全てが結果である。
もし手術がうまく行かず音も入らなかったとしたら、止めておくんだったと後悔するだろう。あるいは将来事故が起きて再度手術をしなければならなかったとき、こんなことになるなら始めから止めておけば良かったと思うだろう。しかし、手術をしなかったらどうだろう。Hが大人になってから自ら人工内耳をつけたいと言っても、言葉を獲得するには今以上に困難である。また、自動車のクラクションの音が聞こえず事故にあうかもしれない。或は、人とコミュニケーションが取れず、社会に出ることができず、孤立するかもしれない。
人工内耳をつけないことで、素晴らしい将来が開けているわけではない。将来を不安に思うことばかりである。耳が聞こえなくても大成を成す人はいるであろうが、並大抵の努力ではない。それならば人工内耳にかけてみてはどうか。不安は隠せないが、もし少しでも音が入れば、希望が持てる。
本人はまだ子供であり、どこまで事柄が分かっているか疑問ではあるが、「音が聞こえるようになりたい。」、「お父さんやお母さんが、後ろから呼ぶのが分かるようになりたい。」と言う。また、「入院や手術はいやだけど頑張る。」とも言う。
妻と話しあって、人工内耳にかけてみることにした。
手術の前後
人工内耳を検討し始めてから、1年半以上が経った。色々な事情があり、大津日赤、東京医大、と回って、やっと阪大病院で手術が決まった。しかし、日程は決まってもHの体調などでなかなか事前の検査などに通うことができず、入院の際も少し微熱があった。 こんなに月日と苦労を強いられて、これはもう止めなさいと誰かが言っているのではないかとも思った。しかし考え方をかえると、人工内耳をつけることはそれだけ大変なことで、こんなことで諦めていては、これからやっていけないよ、と言われているような気もした。結局手術は、受けることになった。
入院の前日(1月17日)は眠れなかった。Hも眠れなかったようで、入院が決まった日からは、お寝尿をするようになった。口では嫌だとは言わないが、ストレスはたまっているのだろう。妙に病院慣れをしていて我慢をし、子供らしくないところがかえってかわいそうである。
1月23日、8時半ごろ病室を出て、予定より1時間ほど遅れて14時半ごろに帰ってきた。手術後、分かってはいてもやはり辛そうな顔をしている。顔はむくんでおり、痰は溜り、おう吐は続く。そんな痛々しい姿を見ていると、「本当に手術をして良かったのだろうか」という不安がよぎった。手術中の検査により、聴神経は生きていますという言葉が唯一の救いだった。
一晩は痛んだらしいが、翌朝は顔の腫れも引き、元気そうになった。尿の管と点滴がとれたら、少し歩けるようになった。回復が早いのに驚き、安心もした。
その後顔が再び腫れたり、耳から水が出て髄幕炎を疑われたりした。音を入れたとき顔面神経を刺激して、顔がピクンとなるかもしれない、音を入れなければ良いが直らないとも言われた。また水疱瘡になってしまい、不安は幾つも出てきた。しかし顔の腫れも、耳からの水もじきに良くなり、水疱瘡も一時は高熱も出たが段々と良くなった。
2月1日始めての音入れをした。最初から反応があった。顔の麻痺もなかった。背後で手を叩く音の回数も分かる。最初からこんなにも音が入るとは思っていなかっただけに驚いたが、嬉しさは後になって感じてきた。
これが第1歩であり、これからが大変ではあろうが、まずは音が入ってほっとした。そして希望の光が見えてきた。
手記はここまで。
それから、手術の記録のアルバムを3人で見たりして過ごしました。
下の写真は、音入れの日。白い点々は、水疱瘡の薬です。
※手記は、当時のものをそのまま載せてあります。(名前はHにしてありますが。)
当時は手話のことをよく知りませんでしたし(今もだけど。)、考えてもいなかったので、ちょっと偏りがありますが・・・。
でも、子供は、「いろいろ考えた上で人工内耳をしてくれて幸せ。」だって。良かった。