湯ノ倉温泉 湯栄館は渓流沿いの岩場にたたずみ、野趣あふれる露天風呂とランプの宿として愛された秘湯でした。
今は、岩手宮城内陸地震で、土砂ダムの底に沈んでしまいました。
私は2007/8/29に湯栄館に宿泊させていただきました。
今日は、その当時の思い出などを綴っていきます。
湯栄館は、1820年の開湯。
いわな釣りややキノコ採りのために深山にはいった村のきこりが発見したと伝えられ、館主の三塚さんによると、三人の釣り人が源泉を発見したそうです。
昔は湯治場として営業しており、湯治に訪れた客がお金のかわりに米や野菜を納めた、という歴史もあります。
宿は白糸の滝のつり橋を少しこえた場所に、鉄筋の赤い橋がかけられており、そこからは山道を徒歩20分程歩きます。
一本道ではありますが、道の途中に看板などはなく、だんだんと不安になってきた頃、やっと宿がみえてきました。
渓流の見えるお部屋に通されました。
木造の階段を上るたびに、ギシギシしました。
トイレでは自然保護のため、使用済みの紙は専用のバケツに入れて下さいと説明されました。
あとで燃やして処分するそうです。
宿には電気が通じていないので、日が暮れる前になると、館主が灯油ランプを所々に設置してくれます。
温泉は館外に出るしかなく、内湯と渓流沿いの露天(混浴)があります。
その日は、前日の雨の影響で渓流の冷たい水が露天風呂に流れ込み、お風呂はぬるいというよりは、むしろ冷たく入れそうにありませんでした。
源泉が崖の上の方で、ジャバジャバと湧きだしてはいるものの、途中で漏れてしまっているようです!
仕方なくバケツで浴槽の水を掻きだし、熱い湯を溜める作戦を相方と計画。
即実行!
ふたりで40分程は水を掻きだしました。
それから少ししていざ入浴してみましたが、焦りすぎでしたまだまだ冷たかった!
もっと温かくなってから再度入浴した写真がこちら(満足げな表情)
夕ごはんは広間で、時間は確か5時か5時半くらいでした。
渓流の音を聞きながら、ランプのやわらかい光がさす中で食事です。
いいムードです♪
思わず、山の宿にきた高揚感が深まってきます。
食事は期待していなかったのに、ボリュームがあって素朴な山の幸に満足しました。
日が暮れると、渓流沿いの露天風呂へは懐中電灯を持って外に出ます。
心もとないあかりでしたが、ないよりはましです。
足元も悪く上に、岩が濡れていて滑りやすくなっていました。
完全に夜になると、やわらかいランプの灯かりの下、不気味なほど静かな時間が流れます。
テーブルにはノートが置いてあり、ここへ来た人たちが自分なりの足跡を残していました。
絵だったり、日記だったり、本当にいろいろ…
皆の足跡を見ながら、その人のイメージが膨らみます。
私も足跡を残しました。
ずいぶん時間をかけて、人生の一部始終を綴りました。
今思えば恥ずかしい気もしますが、その時は何もない自然の中で、開放的な気分になっていたのでしょうね、きっと。
夜も深まり、外は漆黒の闇でした。
ランプの灯りだけが頼りで、残量が残り少なくなるにつれ、時のはかなさを感じた夜でした。
それから1年と経たずに、まさかの地震…
地震から5日後の19日に館主がヘリで旅館に戻った際には、すでに1階が水没し、1820年の開湯とされる歴史を記した書物や、客の思い出が詰まったアルバムなどは持ち出せなかったといいます。
あのノートも、思い出とともにどこか遠くへ流されてしまったのでしょうね。
今は、岩手宮城内陸地震で、土砂ダムの底に沈んでしまいました。
私は2007/8/29に湯栄館に宿泊させていただきました。
今日は、その当時の思い出などを綴っていきます。
湯栄館は、1820年の開湯。
いわな釣りややキノコ採りのために深山にはいった村のきこりが発見したと伝えられ、館主の三塚さんによると、三人の釣り人が源泉を発見したそうです。
昔は湯治場として営業しており、湯治に訪れた客がお金のかわりに米や野菜を納めた、という歴史もあります。
宿は白糸の滝のつり橋を少しこえた場所に、鉄筋の赤い橋がかけられており、そこからは山道を徒歩20分程歩きます。
一本道ではありますが、道の途中に看板などはなく、だんだんと不安になってきた頃、やっと宿がみえてきました。
渓流の見えるお部屋に通されました。
木造の階段を上るたびに、ギシギシしました。
トイレでは自然保護のため、使用済みの紙は専用のバケツに入れて下さいと説明されました。
あとで燃やして処分するそうです。
宿には電気が通じていないので、日が暮れる前になると、館主が灯油ランプを所々に設置してくれます。
温泉は館外に出るしかなく、内湯と渓流沿いの露天(混浴)があります。
その日は、前日の雨の影響で渓流の冷たい水が露天風呂に流れ込み、お風呂はぬるいというよりは、むしろ冷たく入れそうにありませんでした。
源泉が崖の上の方で、ジャバジャバと湧きだしてはいるものの、途中で漏れてしまっているようです!
仕方なくバケツで浴槽の水を掻きだし、熱い湯を溜める作戦を相方と計画。
即実行!
ふたりで40分程は水を掻きだしました。
それから少ししていざ入浴してみましたが、焦りすぎでしたまだまだ冷たかった!
もっと温かくなってから再度入浴した写真がこちら(満足げな表情)
夕ごはんは広間で、時間は確か5時か5時半くらいでした。
渓流の音を聞きながら、ランプのやわらかい光がさす中で食事です。
いいムードです♪
思わず、山の宿にきた高揚感が深まってきます。
食事は期待していなかったのに、ボリュームがあって素朴な山の幸に満足しました。
日が暮れると、渓流沿いの露天風呂へは懐中電灯を持って外に出ます。
心もとないあかりでしたが、ないよりはましです。
足元も悪く上に、岩が濡れていて滑りやすくなっていました。
完全に夜になると、やわらかいランプの灯かりの下、不気味なほど静かな時間が流れます。
テーブルにはノートが置いてあり、ここへ来た人たちが自分なりの足跡を残していました。
絵だったり、日記だったり、本当にいろいろ…
皆の足跡を見ながら、その人のイメージが膨らみます。
私も足跡を残しました。
ずいぶん時間をかけて、人生の一部始終を綴りました。
今思えば恥ずかしい気もしますが、その時は何もない自然の中で、開放的な気分になっていたのでしょうね、きっと。
夜も深まり、外は漆黒の闇でした。
ランプの灯りだけが頼りで、残量が残り少なくなるにつれ、時のはかなさを感じた夜でした。
それから1年と経たずに、まさかの地震…
地震から5日後の19日に館主がヘリで旅館に戻った際には、すでに1階が水没し、1820年の開湯とされる歴史を記した書物や、客の思い出が詰まったアルバムなどは持ち出せなかったといいます。
あのノートも、思い出とともにどこか遠くへ流されてしまったのでしょうね。