6/3は秋田犬「麿」の命日でした。
亡くなって3年が経ちました。
麿という名前は「万葉集」選者の柿本人麻呂からとったものです。
万葉集が発刊されたのは、奈良中期ごろ。
集歌は天皇、貴族から名もない防人、遊女ら様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたことから、私の中では人麻呂のイメージは一言で「愛の人」でした。
麿も名前負けせず、愛の溢れる秋田犬でした。
10歳頃の麿。
誰の足跡もない、白い雪の原が好きでした。
時々雪をパクリと食べる仕草で、黒い鼻が白くなっても、何食わぬ顔でピョンピョンとはしゃいでいました。
いつか麿とお別れする日が来る不安から、お嫁さんを迎えてみたけれど、浅はかでした。
こんな年の離れた子犬なんて、麿の好みなはずなかったよね。
あたし、どうかしてたね…
海にもよく行ったね!
あ、クジラの小さいのが打ち上げられて死んでいた時もあったよね。
麿にとっては御馳走だったけど、食べてはいけませんといわれてガッカリだったよね。
乳頭山には毎年一緒に行っていたよね。
麿が最後に登頂したのは12歳。
てっぺんに着いて、これが体力の限界という顔だったよね。
麿は山が本当に大好きだったよね。
ブナの森が、特に好きだったよね。
一緒にテントでゴロンとしたり、焚き火を見ながら静かな夜を過ごしたよね。
ある日、病院の先生に診てもらうと、老衰ですがどうされます?といわれて、驚きました。
後で、火葬してくれた葬儀屋さんが言っていたけれど、下腹部に癌があって痛かっただろう、って。
次第に自由に歩けなくなり、体を動かすにも痛みが走って、お風呂もオアズケになったよね。
麿は、野良の猫ちゃんに自分の餌を与え続け、時には一緒に寄り添ってお昼寝したり…
麿が痩せていくので変だと思うと、鼠が餌をセッセと住処に運んでいたりして…
本当に優しんだから、麿って
私は、今でも心の麿の、ぬくぬくした優しさに包まれてます♪
亡くなって3年が経ちました。
麿という名前は「万葉集」選者の柿本人麻呂からとったものです。
万葉集が発刊されたのは、奈良中期ごろ。
集歌は天皇、貴族から名もない防人、遊女ら様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたことから、私の中では人麻呂のイメージは一言で「愛の人」でした。
麿も名前負けせず、愛の溢れる秋田犬でした。
10歳頃の麿。
誰の足跡もない、白い雪の原が好きでした。
時々雪をパクリと食べる仕草で、黒い鼻が白くなっても、何食わぬ顔でピョンピョンとはしゃいでいました。
いつか麿とお別れする日が来る不安から、お嫁さんを迎えてみたけれど、浅はかでした。
こんな年の離れた子犬なんて、麿の好みなはずなかったよね。
あたし、どうかしてたね…
海にもよく行ったね!
あ、クジラの小さいのが打ち上げられて死んでいた時もあったよね。
麿にとっては御馳走だったけど、食べてはいけませんといわれてガッカリだったよね。
乳頭山には毎年一緒に行っていたよね。
麿が最後に登頂したのは12歳。
てっぺんに着いて、これが体力の限界という顔だったよね。
麿は山が本当に大好きだったよね。
ブナの森が、特に好きだったよね。
一緒にテントでゴロンとしたり、焚き火を見ながら静かな夜を過ごしたよね。
ある日、病院の先生に診てもらうと、老衰ですがどうされます?といわれて、驚きました。
後で、火葬してくれた葬儀屋さんが言っていたけれど、下腹部に癌があって痛かっただろう、って。
次第に自由に歩けなくなり、体を動かすにも痛みが走って、お風呂もオアズケになったよね。
麿は、野良の猫ちゃんに自分の餌を与え続け、時には一緒に寄り添ってお昼寝したり…
麿が痩せていくので変だと思うと、鼠が餌をセッセと住処に運んでいたりして…
本当に優しんだから、麿って
私は、今でも心の麿の、ぬくぬくした優しさに包まれてます♪