山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

秋田犬 麿

2009年06月12日 | いきもの
6/3は秋田犬「麿」の命日でした。
亡くなって3年が経ちました。

麿という名前は「万葉集」選者の柿本人麻呂からとったものです。

万葉集が発刊されたのは、奈良中期ごろ。
集歌は天皇、貴族から名もない防人、遊女ら様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたことから、私の中では人麻呂のイメージは一言で「愛の人」でした。

麿も名前負けせず、愛の溢れる秋田犬でした。



10歳頃の麿。



誰の足跡もない、白い雪の原が好きでした。
時々雪をパクリと食べる仕草で、黒い鼻が白くなっても、何食わぬ顔でピョンピョンとはしゃいでいました。



いつか麿とお別れする日が来る不安から、お嫁さんを迎えてみたけれど、浅はかでした。



こんな年の離れた子犬なんて、麿の好みなはずなかったよね。
あたし、どうかしてたね…



海にもよく行ったね!



あ、クジラの小さいのが打ち上げられて死んでいた時もあったよね。
麿にとっては御馳走だったけど、食べてはいけませんといわれてガッカリだったよね。



乳頭山には毎年一緒に行っていたよね。
麿が最後に登頂したのは12歳。
てっぺんに着いて、これが体力の限界という顔だったよね。




麿は山が本当に大好きだったよね。
ブナの森が、特に好きだったよね。

一緒にテントでゴロンとしたり、焚き火を見ながら静かな夜を過ごしたよね。



ある日、病院の先生に診てもらうと、老衰ですがどうされます?といわれて、驚きました。

後で、火葬してくれた葬儀屋さんが言っていたけれど、下腹部に癌があって痛かっただろう、って。



次第に自由に歩けなくなり、体を動かすにも痛みが走って、お風呂もオアズケになったよね。

麿は、野良の猫ちゃんに自分の餌を与え続け、時には一緒に寄り添ってお昼寝したり…
麿が痩せていくので変だと思うと、鼠が餌をセッセと住処に運んでいたりして…

本当に優しんだから、麿って
私は、今でも心の麿の、ぬくぬくした優しさに包まれてます♪