山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

アモイの夜

2009年06月25日 | 海外
今回の宿泊先、ミレニアム ハーバービューホテルはアモイでは下町にあたり、一歩ホテルを出れば繁華街がひろがります。

一日の観光を終え、いったん部屋のお風呂で軽く汗を流した後は、アモイの町を散策するのが、旅の中で楽しい日課になっていました。



アモイの夜は、これから~よ♪

アモイでは、お昼休みには2時間程の休息をとる習慣があって、そのために夜が長いのです。
百貨店やスーパーや個人商店、食べ物屋さんも、夜23時くらいまで営業しており、
夜の街は、平日でもたくさんの人で賑わっているのでした!



こちらは、お茶のモニュメント。

アモイは富裕層も多く、百貨店では富裕層向けの高級ブランドのショップもありましたが、安易に立ち入ってはならないような雰囲気をかもしていました。
百貨店では、軽い気持ちで商品を見てみようとすると、店員さんが即、声をかけてくるので、見るどころか迷うゆとりもありません。
おまけに、プライスが見ずらくて…こんな些細なところに、社会主義の体質を感じました。



こちらは、アモイの歴史を残したブロンズ像。
きっと、この場所でこんな芝居が行われていて、人々の心を楽しませたのでしょう。

街中では、屋台ふうのお店がたくさんあり、かなり安い値段で食べ歩きができます。

私は夕飯でお腹いっぱいで無理でしたので、あとから少し後悔が残りました。

一度だけ、のどが渇きマクドナルドでコーラを飲みました。
マックは世界共通食堂とでもいうのでしょうか、指さしただけで暗黙の了解が作用して、オーダーしたものがきちんとくる、その安心感は今回の中国でも、かつてフランスでも同じでした。

私の後に英語圏のグループが皆指さしでオーダーしていて、思わず親近感を覚えました。



さて、こちらはホテル周辺のスーパーで購入した、歯磨き粉と歯ブラシ。
ずいぶんまとめ買いしてしまいましたが、総額で日本円に換算して千円ちょっと位。

海外に行ったときには必ず、歯磨き粉とか歯ブラシ、ポケットティシュなどなど、普段いつも使うような生活用品を買います。
日本に戻ってそれらを使っている時に、旅の思い出がいろいろとよみがえってきます。
そんな旅の余韻が日用品を通して長く続くのも、楽しいものです。



食料品も買ってしまいます。
スーパーでは、こんな日用品を買い込んでいたので、無料会員カードを作られてしまいました

日本に輸入されていないような食材にしぼって、厳選して購入しました。
食材の表示に1級、2級などの明記のあるものは、あえて一級を選びました。

写真の袋ラーメンも、干し梅もなかなかいい味してました。
こちらの食材で、トータル2000円ちょっと位でした。

みな中国語で書かれているので、ありとあらゆる想像を巡らして選ぶ楽しみのある、とても刺激的なアモイのナイトショッピングでした。

南普陀寺

2009年06月24日 | 海外
南普陀寺は浙江省の普陀山の南に位置することから、南普陀寺と呼ばれるようになりました。
五老峰の麓にあり、総面積三万平方メートルという広大な敷地に、観音菩薩を主として祀る、中国国内でも有名な千年古刹です。



こちらが南普陀寺の山門。



大きな庭園には池があり、たくさんの蓮が見られました。
蓮の花が満開であれば、相当美しいことでしょう。



天王殿では、ちょうど僧侶たちのお祈りが始まったばかりでした。
こだまする祈りの言葉の意味はわからないけれど、心に響きました。



釘を一本も使わず建てられた大悲殿(たいひでん)。
1930年再建で、三重の屋根がそれぞれカーブを描くそり返った絢爛豪華な造りで、石積みの台上に立つ。



大悲殿に安置されている千手千眼観音菩薩像。



蔵経閣内部は撮影禁止。
堂塔伽藍が美しい。






お寺の裏山の五老峰には数多くの刻石がありました。

なかでも清の僧侶が書いたといわれる高さ4m幅3mの「佛」の題字は有名なのだそうです。

はじめは朱の文字だったが、近年、金色に変えられたそうです。



「佛」の意をWikipediaで調べてみました。

中国において buddha を「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国に buddha に当たる意味の語がなかったためであろう…4世紀以後に仏典がサンスクリット語で書かれて、それが中国語訳されるようになると、buddha は「佛陀」と二字で音写されるようになる。
つまり、「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」が buddha を意味していたことに注意すべきである。

仏陀(ブッダ、buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。
buddha はサンスクリット語で「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。


胡里山砲台

2009年06月23日 | 海外
アモイに到着し、胡里山にある砲台を観光しました。



入場するとすぐに、人口の滝。



城門や城壁・壕・兵士の宿舎・秘密通路・弾薬庫などの軍事施設がそのまま保存されていました。



こちらは、ギネスブックに登録されている大砲です。
かつて、ドイツから2門の大砲を購入し、現存するのは1門のみです。
砲口直径28cm、砲身全長13.96m、当時としては世界最高峰の技術の結晶の大砲でした。



砲台は1891年から建造が始まり、5年の歳月をかけてやっと完成したそうです。
砲台の望帰台から台湾の金門領島も見ることが出来ます。



弾丸が残されていました。
二度とこんな武器が使われることがないよう、心から世界平和をお祈りします。



かつての様子が石に刻まれていました。
こういった技術はアモイの伝統として、今も受け継がれています。



砲台の斜面の下は海岸になっています。



かつての様子が再現されている展示室。
この面々の中には、来館者が来ると音声が出るよう操作している方が一人混じっていて、びっくりしました。
どなたか、わかりますか?

外はあいにくの土砂降りとなり、私たち一行がその日の最後の来館者になったかも知れません。

海天堂講

2009年06月22日 | 海外
厦門からフェリーで渡るコロンス島の「海天堂構」は、フィリピン華僑の黄氏により1921年に建てられた有名な別荘です。

入場料は大人60元。
コロンス島の中では、比較的新しい観光スポットのようです。



大きな観音様が今でも大事に残されています。



中洋折衷の別荘でしたが、観光スポットとして修復整備をしたらしいです。
エキゾチックな魅力と西洋文化の融合が、絵になります。



敷地内のトイレは旧式トイレだと聞きました。好奇心旺盛な方は、試されるとよいかもしれません。

屋敷の一角では、厦門地方で古くから伝わり無形文化遺産に指定されている、東方古楽「南音(なんいん)」と、人形劇がお楽しめます。



南音は古い民間音楽の演奏のことです。
演奏曲は2曲でした。
最後の曲は切なげで女心を唄ったものでしょうか、言葉さえ解らないけれど、私は親近感を感じました。

休憩を挟んでそれぞれ20分ぐらいすると、「操り人形」の舞台を鑑賞する事ができました。
それらの公演は、一日に何回か繰り返されているそうです。



この繰り人形劇は、一言でいえば指人形です。
セリフは一切なく、中国風の効果音が舞台を盛り上げていました。
誰にも解りやすく、なかなか面白い舞台でした。



舞台が終わって、指の動きを説明しているシーンです。
指がまるで関節を失ったかのように、クネクネと素早い動きでした。
普通の人にはできる技ではありません、感心しました。

そう…気がつけば夢中になってしまい、子供心に還っていたのでした。

コロンス島

2009年06月19日 | 海外
アモイに着たら行かないなんてありえないといわれている「コロンス島」。

コロンス島は、中国語で「鼓浪嶋」。
島の名前の由来は、西部にある岩礁が風雨にさらされ洞窟になり、満潮時になると波に叩かれ、太鼓のような音を発したことによるそうです。



島へはフェリーで渡ります。
500Mほどの短時間の移動ではありますが、フェリー2階(+1元)では、さわやかな風に吹かれながら船上からの景色を楽しむことができます。



徒歩で半日ほどあれば、島を一周できるそうです。



島の唯一の交通手段は、この写真(左)の、電気カート。
帰りはこのカートを利用(ピアノ博物館周辺から10元)しましたが、まるで遊園地のアトラクションのようで、面白い体験でした。



島には椰子やガジュマルの木々や、 鳳凰木やリラの花などが咲き乱れていました。



コロンス島が最初に知られるようになったのは、オランダに支配されていた台湾を解放したことで知られる鄭成功(1624-62)が、島を根拠地にして兵を駐屯させ訓練を行った、明末期です。

1841年、アヘン戦争(1840-42)では、イギリス軍に占領されます。
1842年の南京条約によって外国人に対して開港。
1860年代からは烏龍茶の積出港として海外に知られるようになりました。

南京条約によって開港した後は1862年にイギリスに租界、1902年になるとコロンス島はイギリス、アメリカ、スペイン、ポルトガル、フランス、日本、ドイツ、オランダなどの共同租界地になりました。
そうして各国の領事館を開設。

それに伴って個人の邸宅や、商店、映画館、ダンスホール、図書館、教会、病院などが建てられ、約半世紀の間に小さな島は世界各国の様々な建築デザインが並ぶ、華麗なギャラリーのように変貌しました。
また、裕福な華僑が次々と別荘を建て、今までに建てられた別荘の数、千六百軒に及ぶともいわれているそうです。



この建物はもと日本領事館。
今はどんな使われ方をしているかはわかりませんが、木々が生い茂り近寄りがたい雰囲気を感じました。
今でも建物の地下には牢が残っているそうです。

かつて1942年12月日本軍がコロンス島を占領し、殖民地統治が行われていた歴史があったとは…



こちらはコロンス島のお土産屋さんです。
黄色の旗を持っているのが、ガイドのコウさん。



小高い山が「日光岩」。
てっぺんには展望台がありますが、上るのは大変とのことで、今回のツアーでは遠くで見るだけとなりました。



華僑の富豪、林さんの別荘庭園は、何千もの海底の石でできているそうです。
石は空洞の箇所もあり、まるで迷路のよう。
今はアモイ市に寄贈されているそうです。



日差しが照りつけ、気温は30度以上。
海からのそよ風が、汗だくの体に心地よく感じました。



こちらピアノ博物館は、写真撮影が禁止されていますので、外観だけの撮影となりました。
この博物館では、イギリス製、フランス製、ドイツ製などのクラシックなピアノが82台展示されているそうです。

これを収蔵したのは、現在オーストラリア在住の華僑、胡友義さん。
1936年コロンスに生まれ、若くして音楽を志しベルギーに留学し、海外で苦労をしながら財を成しました。
商売の成功で得たお金で、世界中から一台一台、古いピアノを収集し、それを全部まとめて、ピアノ博物館を造りコロンスに寄付をしました。
今では値がつけられないほどのピアノもあるそうです。
ピアノに詳しくはない私の目から見ても凄い逸品揃いで、見たこともないほどの年代ものには息をのむほどでした。



この島からは中国を代表する音楽家が何人も育っているそうです。
ピアニストの殷承宗はこの島で生まれ育ち、幼いときから教会でピアノを学び、才能を開花させました。
文化大革命時代に作られたピアノ協奏曲「黄河」は彼の代表作。
現在はアメリカで暮らしていますが、年に一度コロンス島に帰ってきて、島の子供たちにピアノのレッスンをしているそうです。

林さんも、胡さんも殷さんも、コロンス島をこよなく愛しているのですね。


次は、コロンス島の海天堂講について、レポートします。