
息の発見~五木寛之、対談者:玄侑宗久(作家、禅僧)
挿画:蓮池図~伊藤若冲(国の重要文化財)
平凡社
フルートを吹いていると悩まされることの多いブレス。そして、昨年春からはじめたヨーガはゆったりした呼吸に動作が伴う。息を意識する機会が多いので自然に手が伸びた本だった。
五木:「息の発見」というのは、そういう身体的技法の発見ではない。そうではなくて、息をすることは、こんなに嬉しいことだったのか、という実感をとりもどすこと、いのちへの気づきだと思っているんです。…
玄侑:私も、まっすぐ背中を伸ばしなさいとはいいません。座禅のときも、わずかに、わずかですけど、S字になっているくらいがいいと思いますね。大事なのは脱力なんですよ。…
玄侑:良寛和尚も、白隠さんの影響をうけているようですね。白隠さんの「内観の法」をやっていたらしいということが、良寛さんの書簡からわかったんですね。
五木:ええ。「内観の法」というのは、意識を集中していくと、臍下丹田に気が充実しはじめて、心身の調和が保てる。そうしてはじめて、内臓器官が正しく働き、どんな病でも治すというものですね。…
玄侑:「軟酥(なんそ)の法」(イメージ療法)のことですが、これもいちおう、白幽仙人に習ったということになってますけど、あれは、いまでいう自律訓練法にも通じる方法ですよね。私も座禅で膝なんかが痛むとき、よくやりました。ほんとうに、驚くほど速やかに消えますね。
五木:「延命十句観音経」というお経がありますね。これを唱えておけば、いのちが延びるという、おまじないみたいな経を広めましたけれど、ガン治療で有名な帯津三敬病院の帯津良一さんも毎朝かかさず唱えるそうですよ。
玄侑:いや、「延命十句観音経」の人気はすごいですよ。以前フィリピンで誘拐された、三井物産のマニラ支店長だった若王子さんも、幽閉中はずっと唱えていたといいますし、最近は、うちの座禅会に来ているかたが、自分で、あ、脳梗塞だな、と思ってすぐに唱えはじめて、唱えながら病院にいったらしいんですが、まったく後遺症がないって、先日感謝されたんですよ。…
玄侑:吸った息を丹田におさめて、丹田からだしてください。そしてまた吸ってください。清新の気を入れて、邪気を出す・・・それで、宇宙とつながっているというイメージができるといいますか・・・
五木:邪気を出して、宇宙のエネルギーを呼気として入れる。…
玄侑:ブタが座禅をしてたという話はきいていませんから(笑)、ただただ自然に生きていくうえで、快適な呼吸をしていたらそうなった、ということなんでしょうが、われわれ人間は、その「自然」を取り戻すことが困難なので、座禅とか、ヨガとか、太極拳といった不自然な行為を必要とするのでしょうね。
五木:禅的呼吸法をきわめるには、ブタに学べとはね(笑)。でも、実際に生きたブタの呼吸法を観察するのも、むずかしそうですが。いやそれは、一種の革命的なことですよ。自然な息ということなんですね。
玄侑:人間が自然を取りもどすというのは、たぶん、それほどやっかいなんですよね。
五木:そうだと思います。だからこそ、ブッダは呼吸に、息に気づきなさいといったんですね。
玄侑:ブタに学べと(笑)…
五木:「怒り」を腹が立つというでしょう。腹が立つわけだから、抑えるには、それを横に寝せればいい(笑)。「怒り心頭に発する」というけれども、その場合は「腹が立つ」という庶民の感覚とは、ちょっとちがうけれども、でもやはり、元は腹で怒っている。
玄侑:心頭の頭は接尾語で、心そのもののことですから、やはり腹が立って胸あたりまできたイメージですね。もっと行くと、「怒髪天を衝く」なんていう状態になりますから、腹から立ち上がったものが、最後には頭までいくんでしょうね。いずれにしても、そんなときは呼吸が浅く短くなる。激しい感情は、どうしても呼吸を塞ぎますね。
五木:なるほど。たしかにそうかもしれませんね。だからブッダは感情の平静さであるウペークシャー(捨)を大事にしたんですね。…
玄侑:アルファベットのSの発音というのは、口のなかを息がとおる形なんだそうですね。日本語でもそうですけど、シャ・シュ・ショと、Sがはいる音は息を感じますよね。それって音感とすると、とても爽やかな感じがするんですね。最近、音韻学の黒川伊保子さんというかたの本で教わったんですが、たとえばシュンタロウとか、シュンスケという名前は、中学・高校ぐらいでは、いちばんモテる名前なんですって(笑)。
五木:Sがはいる言葉には、息を感じて、なにか活きいきしているというか、エネルギッシュな、フェロモンが出ているという感じがしますから、モテるとも考えられますね。
玄侑:ええ。ところが、二十歳すぎて甲斐性がでてくるかというと、それはまた別な問題になる。この名前では、なかなかそれが出せない。それは、漏れちゃうからじゃないかという話を書かれてましたけれど(笑)。…
五木:人は息を吐いて生まれ息を吸って死す。
玄侑:人は息を吸ってこの生を受け入れ、息を吐いて休息する。