ときどき
著者:藤原新也
三五館
随分前、音楽療法の講習を受けていたときに、耳にしたことがある「メメント・モリ」。
そのときは意味分からず気になりながらも忘れてしまっていた言葉。皮肉なことに療法の現場から離れて何ヶ月も経ってからこの本に出会った。
25年前の改編版。写真一枚づつ(全部で74枚)に短い文章が付いているだけなので、いろいろな思いが広がっていく。凝視できない写真もあれば、思わず笑ってしまうものもあるが、どれも、青空が写し出されているものでさえ、抜けるような明るさは無い。
読み手のその時々の心境で心に響く写真や文は違ってくるのだと思う。
メメント・モリ~死を想え
ペストがはびこり、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語。
今の自分が一番衝撃を受けた文章↓。一番衝撃的な写真は載せられませんが。
しおれ、悲しみ、滅入り、不安を抱え、苦しみにさいなまれ、ゆらぎ、くじけ、うなだれ、よろめき、めげ、涙し、孤独に締めつけられ、心置き忘れ、打ちひしがれ、うろたえ、落ちこみ、夢失い、望みを絶ち、
…あとは生きることしか残されていないほど、ありとあらゆる人間の弱さをはき出すがいい。
黄色と呼べば、優しすぎ、黄金色と呼べば、艶やか過ぎる。
朽葉色(くちばいろ)と呼べば、人の心が通う。
信じることの愚かさ。信じることの賢さ(えらさ)。
あの景色を見てから瞼(まぶた)を閉じる。
いま世界は疲弊し、迷い、ぼろぼろにほころび、滅びに向かいつつある。
そんな中、つかみどころのない懈満な日々を送っている正常なひとよりも、それなりの効力意識に目覚めている阿呆者の方が、この世の生命存在としては優位にあるように思える。
わたしは後者の阿呆の方を選ぶ。
わたしは、あきらめない。
藤原新也
著者:藤原新也
三五館
随分前、音楽療法の講習を受けていたときに、耳にしたことがある「メメント・モリ」。
そのときは意味分からず気になりながらも忘れてしまっていた言葉。皮肉なことに療法の現場から離れて何ヶ月も経ってからこの本に出会った。
25年前の改編版。写真一枚づつ(全部で74枚)に短い文章が付いているだけなので、いろいろな思いが広がっていく。凝視できない写真もあれば、思わず笑ってしまうものもあるが、どれも、青空が写し出されているものでさえ、抜けるような明るさは無い。
読み手のその時々の心境で心に響く写真や文は違ってくるのだと思う。
メメント・モリ~死を想え
ペストがはびこり、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語。
今の自分が一番衝撃を受けた文章↓。一番衝撃的な写真は載せられませんが。
しおれ、悲しみ、滅入り、不安を抱え、苦しみにさいなまれ、ゆらぎ、くじけ、うなだれ、よろめき、めげ、涙し、孤独に締めつけられ、心置き忘れ、打ちひしがれ、うろたえ、落ちこみ、夢失い、望みを絶ち、
…あとは生きることしか残されていないほど、ありとあらゆる人間の弱さをはき出すがいい。
黄色と呼べば、優しすぎ、黄金色と呼べば、艶やか過ぎる。
朽葉色(くちばいろ)と呼べば、人の心が通う。
信じることの愚かさ。信じることの賢さ(えらさ)。
あの景色を見てから瞼(まぶた)を閉じる。
いま世界は疲弊し、迷い、ぼろぼろにほころび、滅びに向かいつつある。
そんな中、つかみどころのない懈満な日々を送っている正常なひとよりも、それなりの効力意識に目覚めている阿呆者の方が、この世の生命存在としては優位にあるように思える。
わたしは後者の阿呆の方を選ぶ。
わたしは、あきらめない。
藤原新也