プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

上田卓三

2012-01-15 21:03:39 | 日記
投球フォーム・・・詳しい資料がありません


球種・・・ストレート、カーブ、シュート、スライダー、チェンジアップ



第二の荒巻の期待も・・

上田卓三投手(南海・三池工)

一昨年の高校優勝投手。昨年は予選で敗れたが、上田のピッチングには変化が見られた。
カーブ主体の技巧から、直球で勝負していく力の投手になっていた。南海のスカウトは
そこに彼の将来を見出した。一七七㌢、六七㌔。まだかぼそいが、下半身のバネがきている。
投球が体の割りに生き生きしている。どんどん投げ込むことだ。当分の間、カーブやシュートに
目をくれなくたっていい。直球が本ものになると制球力のいい頭脳派上田はオニに金棒である。
第二の荒巻。そんな期待をいだかせる。
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水谷啓昭

2012-01-15 19:50:40 | 日記
投球フォーム・・・左スリークォーター
・一度上げた足をいったん止める「時間差投法」をしたかと思えば、今度はサッと足を降ろす「クイック投法」を見せる。変幻自在の投げ方に打者はまったくタイミングを狂わせてしまう。ダテには大学、社会人野球を経験してはいない。とぼけたピッチングぶり、その「だましのテクニック」は、ルーキー時からまさに10年選手のそれであった。


球種・・・サイドハンドから多彩な球種を繰り出す「テクニカル左腕」ストレート、シュート、スライダー、シンカー、チェンジアップ

、得意球はカーブとフォーク。ストレートは必ずナチュラルにシュート回転している。このストレートを同じ握りでシュート回転ではなく

スライダー回転にしょうと試みるなど研究心もおう盛だった。


1979年
・対広島6回戦。先発・青山KOのあと1回からマウンドに上がった水谷。7回の1死まで、なんと6回3分の1の長丁場を、200発打線を相手どり、三振10個を奪った。「こりゃ、水谷への評価を変えなくちゃいかんかも」こうあわてたのは中監督、稲尾コーチの両首脳である。左対左のワンポイントしか使われなかった水谷が、マウンドで「オレは先発だってできるんだ」と証明したのは、なんとも痛快。いかにも年季の入った新人である。

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北田嘉秀

2012-01-15 18:08:12 | 日記
1982年の秋季練習中にテスト生として参加したところ首脳陣の目に止まった。高校卒業後、家業の果物店を手伝っていたため

2年間のブランクがあった。


・1983年・初年度年俸270万
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西尾利春

2012-01-15 18:07:20 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースローの速球派。投手にもってこいの良くしなる体と腕を持っているが、やや突っ立ったままのフォームが

球の威力を激減させていた。


球種・・・ストレートの球質は重い。大小2種類のカーブ、シュート。
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橋本敬司

2012-01-15 15:13:55 | 日記
投球フォーム・・・・ノーワインドアップ「左腕としては広島の大野豊に匹敵する球威を持ちながら制球難は致命的だった。原因として、首が上を向く、右肩が上がりすぎるなどが指摘されていたが解消されることはなかった。」

球種・・・ストレート、カーブ、フォーク


1985年「橋本・大乱調!水差すKO・・・」
8月26日・広島ー巨人17回戦「広島球場」観衆2万6千・試合時間・3時間5分
巨人010000000・1
広島60002000・・8
勝ち・川口・・負け・橋本

橋本投手・投球内容・0回・・被安打0・・四球4・・自責4

・阪神と広島との激しいデッドヒートから一歩でも抜け出したい巨人は、意表をついて左腕の橋本を先発に起用した。ところが、初回一死も取れず、セ・タイ記録の4連続与四球で押し出し。19球のうち、ストライクが3球では交代も仕方ない。広島・先頭の山崎はいきなりカウント0-3となり、二つストライクが続いたが6球目を余裕タップリに見送り四球で一塁に歩いた。次の高橋の初球がボールになったところで、王監督がたまらずマウンドに歩み寄った。だが、投げる橋本には何の効き目もなく、高橋と小早川に連続のストレートの四球。ここまで三人の打者が一度もバットを振らず無死満塁だ。続く山本浩もバットを振らなかった。初球には珍しくカーブが入ったが、あとは4球連続ボール。橋本は一死もとれず、押し出しの1点を与えて満塁の走者を残しマウンドから追われた。

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中条善伸

2012-01-15 14:05:29 | 日記
投球フォーム・・・左スリークォーター「中継ぎ・ワンポイント向き」


球種・・・ストレートはMAX135キロ程度。カーブ、シュート、スライダー。制球はまずまずだが球威不足だった。


1987年「祖母が亡くなった翌日にプロ初勝利」
5月2日・ロッテー南海4回戦「川崎球場」観衆5千人・試合時間3時間17分
南200200041・9
ロ201010100・・5
勝ち・中条・・セーブ・井上・・負け・牛島・・本塁打・横田2号、門田9号、ハモンド1号、リー2号

中条投手・投球内容・3番手・1回3分の2・被安打1・・三振1・・自責1

南海・中条が供養の1勝。5月1日に祖母・チヨノさん「80歳」が老衰のため亡くなったのを知らされず、この日マウンドに上がった
中条。宮城県の実家にいる母親・きみこさんから大阪のさやか夫人に「息子には知らせないでほしい」ということで本人の耳には入っていなかった。プロ入り7年目の初勝利を飾ったあと祖母の死を知らされた中条は「残念です」と肩を落とした。

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荻原修

2012-01-15 12:54:31 | 日記
投球フォーム・・・・右オーバースロー?


球種・・・ストレート、カーブ、シュート、ナックル、フォーク


・入団3年目までは打撃投手という下積みを経験しただけに「雑草的」な強い生き方をしてきた。4年目にしてイースタンの試合に起用されるようになり、5年目には8勝10敗・防御率3,73の成績を残し、秋には米国に野球留学している。

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増本宏

2012-01-15 11:35:36 | 日記
投球フォーム・・・右サイドスロー
・プロ2年目の1980年、小谷投手コーチの「お前のフォームは威圧感がない。いっそのこと上から投げるのをやめて横から投げてみろ。シュートが生きてくるはずだ」というアドバイスでフォームを改造。鹿取義隆「巨人」の投法を盗み、小林繁「阪神」の間の取り方を参考にしてフォーム造りに励み、みるみるうちに球威、コントロールがついていった。


球種・・・ストレート、スライダー、カーブ、シュート、フォーク


・ルーキー時の1979年9月23日・中日24回戦「ナゴヤ」で初登板。そのときアキレス腱を痛め一年ぶりに打席に入った
谷沢健一に右前安打を許し「増本というピッチャーの名前は一生忘れることができません」と、再起をかけた谷沢にとり、
増本は「恩人」といえた。

・1980年9月7日の巨人22回戦「後楽園」では江川卓と先発対決。カーブ、シュートを巧みに使い5回3分の2を1失点の好投で巨人戦初勝利。

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前泊哲明

2012-01-15 10:17:17 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースローの技巧派


球種・・・ストレートはMAX130キロ程度。フォーク、シュート、得意球はタテの大きなカーブ。


1981年「チームに今季初勝利をもたらす」
4月9日・大洋ー巨人3回戦「横浜」観衆2万5千・試合時間・3時間47分
巨人000200200・4
大洋02010201・・6
勝ち・前泊、セーブ・遠藤、負け・新浦・本塁打・ホワイト1号、ピータース1号、田代1号
前泊投手・投球内容・6回・5安打・三振3・四死球5・自責3

・平松、田中ら先発要員を故障で欠いて投手のやりくりが苦しい大洋は、昨年テスト生で入団した前泊を先発させてきた。もちろん公式戦初登板だ。大洋打線は球威のない新浦を攻めて小刻みに得点を重ねた。援護を受けた前泊は緩いカーブと速いシュートの緩急が冴え走者を出しながらも巨人打線に決定打を許さず4人の投手に救援を仰いだがプロ初勝利を挙げた。
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藤岡貞明

2012-01-15 10:16:47 | 日記
・投球フォーム・・・右上手投げ「中継ぎタイプで球威不足を低めにていねいに投げることでカバーする」


・球種・・・ストレート、スライダー、カーブ、右打者のフトコロをえぐるシュートが持ち味。



・ノンプロ「大倉工業」時代は後楽園のマウンドを踏んでいなかったが、1980年5月29日の初勝利は後楽園で巨人から挙げるという喜びの「二重奏」となった。

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石井宏

2012-01-15 03:31:16 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー本格派

球種・・・ストレートはMAX140キロ程度で外角低めに決まる速球は威力があった。スライダー、カーブ、シュート、フォーク


1985年に阪急に1位指名されプロでの活躍を誓う石井

・「プロでも真っすぐで勝負する」石井はキッパリ言い切った。大学四年の最後のシーズンこそ肩痛で持ち前の速球に威力を欠いたが、140キロの剛速球は再びプロでよみがえる。地肩が強いのが石井の財産。神宮球場のホームプレートからバックスクリーンに放り込み、大学で遠投比べをしていて、グランド左翼席奥の校舎のガラスを割ってしまったことがある。遠投力120メートルの豪腕が無限の可能性を秘める。性格もプロ向き。「西武のような選手に主体性がないところはボクの性格に合わない。その点阪急は好き」と思ったことをはっきり言う。好きな言葉も「完全試合」とふるっている。「投手である以上、いつも完全試合を目標に投げて当たり前」と、強気の石井らしい座右の銘だ。エースの「佐藤義則二世」としての期待も高い。「むろん佐藤さんが52年にとった新人王を狙います」と、石井はタイトルに向けてまっしぐらだ.

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