投球フォーム・・・右オーバースロー
球種・・・重い球質の速球、カーブ、フォーク、決め球は内角シュート。
1976年
・6年目を迎えた「ジャンボ投手」堂上の株が後半戦に入ってウナギ上りだ。8月5日・大洋戦「川崎」で敗戦処理のマウンドのはずが、その直後、味方の逆転劇で思わぬ白星が転がり込み、これがプロ初勝利。次の阪神18回戦では初セーブ。8月17日の大洋19回戦の二度目の先発に出ると2失点の初完投勝利といった具合。「この6年間、途中でどれだけ足を洗おうかと思ったかしれません。だけど、それじゃ、故郷には帰れない。いっぺん、かならずゲームに完投するまでは・・・その夢までに見た完投勝ちです」あとは言葉にならなかった。1971年、電々北陸から入団。大型に似合わず、腕の振りが小さく、目立った球速がなかったのに、今季初めて一軍に上がった堂上は、内角シュートという新しい武器を身につけていた。これが上昇した原因である。
球種・・・重い球質の速球、カーブ、フォーク、決め球は内角シュート。
1976年
・6年目を迎えた「ジャンボ投手」堂上の株が後半戦に入ってウナギ上りだ。8月5日・大洋戦「川崎」で敗戦処理のマウンドのはずが、その直後、味方の逆転劇で思わぬ白星が転がり込み、これがプロ初勝利。次の阪神18回戦では初セーブ。8月17日の大洋19回戦の二度目の先発に出ると2失点の初完投勝利といった具合。「この6年間、途中でどれだけ足を洗おうかと思ったかしれません。だけど、それじゃ、故郷には帰れない。いっぺん、かならずゲームに完投するまでは・・・その夢までに見た完投勝ちです」あとは言葉にならなかった。1971年、電々北陸から入団。大型に似合わず、腕の振りが小さく、目立った球速がなかったのに、今季初めて一軍に上がった堂上は、内角シュートという新しい武器を身につけていた。これが上昇した原因である。