プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

岡本一光

2012-03-28 12:40:33 | 日記
投手時代「1974年」
・阪急の岡本一光投手が来シーズンから野手として再出発することになった。といってもこの岡本、プロに入ってから投手になったという変り種。45年、阪急入りしたが、当時の首脳陣に目をつけられたのがその体つき。左投げ左打ち、179センチ、76キロの長身選手。とくに左腕不足に悩む阪急では「うまく育ってくれれば」の期待を持って、プロ入り早々、投手転向に踏み切らせた。しかし急造投手の悲しさ。速い球はなげるのだが、コントロールがどうしても身につかない。打者との駆け引き、けん制動作、球種・・・難しいことばかり。すでに5年が経過したが、現状のままなら再び野手に戻った方が「本人のため」ということで今度の決定になった。


野手時代「1979年」
・3試合で連続で3本のアーチ。そのすべてが勝利に直結。すごいヒーローぶり・・・。その男が昨年まで9年間もファームでくすぶっていた岡本一光外野手。プロ5年目に一塁手に転向。だが、いかんせんファーストベースには脂の乗りきった加藤英、大隅がデンと構えている。当然のように岡本はファーム暮らしが続く。野手転向後、ファームの通算成績は247安打、20ホーマー、117打点、打率272.。これが他の球団なら2,3年前に「一軍の選手」になっているところ。「日陰の生活」が続いた岡本に二度目の転機は去年、秋の外野手転向だ。福本、蓑田、ウィリアムス。勇者の外野陣は鉄壁である。しかし梶本・新監督の構想に「左の代打者づくり」も併せ含まれていた。「これがボクに与えられた最後のチャンス、この機会を逃すと、もう二度とボクに晴れの舞台に立てる日はこないと・・・」シーズンオフも私設のトレーニングセンターで体を鍛え上げた。そのイキイキとした姿勢が、3試合連続アーチという「離れ業」を生んだ。歯を食いしばって、耐えに耐えてきた積み重ねの結果の快打だった。
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藤本昌治

2012-03-28 12:39:50 | 日記
1977年
・「ウエスタンリーグ」
4月8日の阪神ー阪急戦のこと。藤本はなんと4打数4安打の大当たり。初先発で意気込む青雲に対し一人で打ちまくった。まず一打席目の2回に左前打すると、4回には同じく左前に2点タイムリー。そして6回には左越え二塁打と当たりは続き、8回にも中前にたたいて4の4.両軍ベンチをビックリさせた。藤本はテスト入団して今年が6年目。スタートは投手だったが、2年目に内野手に転向し、そのままファームで鍛えられている。その藤本に今年、大きな刺激剤となるルーキーが入団した。外野から遊撃へコンバートされた吉沢俊幸である。二遊間コンビを組むと、いやでも相手を意識しないわけにはいかない。「先輩として負けられんのですわ。この世界で何年もメシを食ってきた者として意地があります」昨年後半あたりから打撃の方も野手のそれらしいものになってきている。バッティング・コーチから「もっとワキを締めて腰で打つ要領を覚えろ」と、くどいほどいわれ続けた効果が、やっと表れてきたようだ。課題は守備、それもスローイングをマスターすることだろう。投手出身だけに併殺プレーなどのモーションが大きく、首脳陣から注意されている。これを克服できれば一軍の道が開けてくる。
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玄岡正充

2012-03-28 12:39:27 | 日記
1982年
・異色の二ユーパワーの台頭だ。2年生、まだ19歳の玄岡正充。168センチ、71キロ、右投げ左打ちで主砲・若松そっくりの体つきだ。このチッビ子・二年生が、いま激烈な外野のポジション争いに名乗りを挙げてきた。紅白戦ではレギュラー組で一番・センター。終盤にはバテが出たものの、18試合で50打数13安打。西井投手から右翼へ120メートルを超えるホームランも打った。キャンプ中、若手野手たちは夕食後、きまって宿舎裏手の駐車場にバットを持って集まった。玄岡も、この素振りの特訓にフル参加だった。下がコンクリートだけに運動靴は底が擦り切れてしまう。10日間で玄岡は4足も靴を買い替えた。「アイツに、ボクの持っているものを少しでも伝えてやりたい」若松も、彼のひたむきな「プロ根性」に注目している。
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