プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

林正広

2012-03-03 08:59:53 | 日記
1980年
・あざやかなデビューだった。林がスタメンで起用されたのは、9月3日の日ハム後期10回戦「日生球場」9番を打ってポジションは2塁。いきなり大暴れの大活躍。4回2死1,2塁から、中超え2塁打を放って2走者を迎え入れた。なんとこれがプロ5年目であげた初打点。この日は3安打で4打点と、猛打賞も獲得した。「まぐれですよ。でも気持ちがいいものですね。今夜はプロ入りはじめての、うまいビールが飲めます」ニッコリと林。そして、翌日の日ハム11回戦では、8回、高橋一から左翼スタンドに、これまたプロ入り初ホーマー。「カーブでした。思い切りスイングしたんですが、まさかホームランになるとは・・・。がんばります」と、ナインたちの祝福に照れっ放しだった。林は、向陽高からノンプロ・住友金属に入社。50年のドラフト4位で指名され近鉄に入団。もう28歳だ。過去4年間に29試合に出場しているが、1,2軍を行ったり来たりの生活。いい素質を持ちながら弱気なところがあって、チャンスをモノにできなかった。ようやく開花のきっかけをつかんだ林は「ボクもいい年だし、これを機会に一軍に定着してみせます」ときっぱり決意を語っている。実際にアーノルド、永尾、石渡らの先輩をも追い越すほどのハツラツなプレーぶりを見せている。西本監督の期待も大きく「林や吹石らの若手の活躍が、新しい力をチーム内に吹き込んでいる。これらが他の連中に刺激になって、チームもこれからいい方向に進んでくれればいいのだが」という。173センチ、72キロと小兵だが、愛称が「ガン」というほどのガンバリ屋。背番号52、林の動きにご注目を。

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小川博

2012-03-03 08:57:56 | 日記
投球フォーム・・・右サイドスロー


球種・・・ストレートのMAXは144キロ程度。シュート、カーブ、スライダー、決め球はシンカー。低めに伸びる速球の制球力がよい。


1987年・7月11日・ロッテー西武13回戦「川崎球場」観衆2万3千・試合時間・3時間9分
西010000000・1
ロ01008103・・13
勝ち・小川・・負け・郭・・本塁打・清原12号、愛甲3号

小川投手・投球内容・9回・4安打・三振6・四死球2・自責1

小川「四球2は収穫」
・2年ぶりの先発で、プロ先発初勝利を完投で飾った小川は「中継ぎで結構打たれていたのに、先発を言われてうれしかった。勝ちより、試合を壊さないように思っていた」という。清原に一発を食って「高めは禁物」と目が覚めたそうで、横からの5メートル前後の風を計算に入れたカーブ、シンカーを有効に使った。3年目の小川にとっては「ノーコン投手なのに、四球2は収穫」だった。

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古賀正明

2012-03-03 08:57:20 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「思い切り上体をしならせ、掛け声とともに威力のあるタマを投げ込んでくる。やや力が入りすぎるフォームのためヒジ痛に悩んだ」


球種・・・ストレートの球質は重い。カーブ、落ちるシュート、得意球は左右に変化するフォークと、外角に曲がりながら沈むスライダー。


1979年・ロッテ時代
・身長187センチのチーム1の長身・古賀が移籍後初勝利を挙げた。日ハム前期5回戦「川崎球場」でのこと。「早く白星を稼いで、チームに貢献したかった」試合後、いかつい顔をクシャクシャにしながら語っていた古賀だ。三振は6つ、四球は0、ただし古屋と島田誠には死球を与えたものの、結局、9イニングでヒットは5本、自責点1は立派な内容だ。「初コンビの土肥とピタリ呼吸が合い、リードは一任して全力投球したんです。休養も十分だったし、一つやらなければという気持ちがあったからタマも走ってくれたんでしょうね」とニコニコ顔。ロッテの投手陣はエース・村田に頼りすぎて他の投手は不甲斐ない状態が続いたが古賀の完投勝利で明るい材料が一つ増えたことになる。

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安田尚弘

2012-03-03 08:56:27 | 日記
1979年「イースタンリーグ」
・報徳学園からドラフト3位で入って今年が3年目。昨年までは、ノーコンと荒っぽいピッチングが災いしてイースタンでも0勝投手に甘んじたが、今年はキャンプ、オープン戦で一軍昇格。結局、開幕からまたファームへ逆戻りしたが首脳陣の評価は高まっている。9月20日現在、20試合に登板し5勝4敗と大洋では最も安定感のあるピッチャーに成長している。ドラフト6位指名でわかる通り、高校時代も大きな実績はない。スカウト陣も「体格がいいのと本格左腕という点を買って、3,4年後に使えるようになれば・・・」といった存在だった。5勝目を挙げた日ハム13回戦「横浜」は川本と投げ合い完封こそ逃がしたが1安打、1四球、6三振という見事な投球をみせた。「まだ投げてみなくては、いいのか悪いのかわからぬ欠点はあるが、独特の大きなカーブはとにかく面白い存在だ」と、小谷ピッチングコーチ。「ひところはマウンドとブルペンのピッチングが全く違ってたけど、最近は、ボクなりに自信みたいなものがつきました。課題は多いけれどストレートで勝負できるピッチャーになりたい」と安田。大洋は加藤英、三浦道、宮本と左投手の線が細いだけに、安田の台頭はチームにとって明るい材料となりそうだ。

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細川安雄

2012-03-03 08:55:59 | 日記
1972年
・「あいつはいい素質しているね。伸びるよ。捕手としては第一線に出るのは難しいので、この秋季練習から内野にコンバートしたが、おもしろい存在だね」こういって中田二軍監督がファームのホープに押しているのが細川だ。オフにはいっているが、やる気満々の細川は、合宿で朝晩の素振りを欠かさない。180センチを軽く越す長身の割りに体重が少なかったが、この1年間で大きくなり75キロになった。スタミナもついてきた。コンバート直後の教育リーグ5試合で375の打率を残し6打点をマークした。好素質にほれ込んだ西本監督自らが、手取り足取りして打球に対する構えからファーストミットのグラブさばきを教え込んだこともあった。「うれしかったですね。監督にコーチしてもらえたんですから。ファーストのほうは守りやすいですが、ボク自身としてはサードが好きですね。守っていて楽しいですよ」本人は三塁に魅力を感じているが、素人も同然の細川では心もとない。そこで中田二軍監督は無難な1塁手で伸ばしていきたいようだ。

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徳山文宗

2012-03-03 08:55:26 | 日記
1977年「イースタンリーグ」
・ここ数年、Bクラスの常連だったライオンズが、ジリジリと追い上げて3位に浮上してきた。そんな中、今最も期待を集めているのがルーキー徳山外野手。和田監督もそのセンスにはゾッコン。どこをとってもソツがなく、開幕直後には一軍入りの大抜擢をされたほどだ。ファームでは2番右翼が「指定席」もちろんフル出場で前半戦はコンスタントに3割台をマークし非凡なところをみせていた。しいて欠点をあげれば少々線の細いところ。夏場に入って打率が下降したのも、このあたりに原因がありそうだ。それと、性格的におとなしいことも挙げられる。だが和田二軍監督の徳山を見る目は熱っぽい。「3割打てば来年は胸を張って一軍入りできるでしょう」躍進クラウンのホープにかける期待は大きい。

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秋山重雄

2012-03-03 08:54:47 | 日記
1977年「ウエスタンリーグ」
・激しい優勝争いを展開する近鉄だが有望な若手選手に混じって、忘れてはならないのは31歳のベテランの秋山。内野ならどこでもこなせるところを買われて、一軍でも貴重な控え選手だった。だがレギュラーにはいま一つモノ足りず、石渡や西村のカゲに隠れたままだった。ウエスタンでは小柄な体に似合わないパンチ力を発揮し、現在6ホーマー。打点28はチームのトップ。しかし、秋山のいいところは数字に現れる成績ではなく、若手の「兄貴分」的なところにある。若手が一軍へ上がっていくたびに、そのたびに後ガマにまわされるポジション。後輩が出世して、自分がその穴うめになるのは面白くないはずだが、秋山はイヤな顔一つせず、最近は外野守備に就く事もある。どこのポジションにいても、若手に必ずアドバイスをする性格でもある。一軍の経験を生かした「読み」は攻守になかなかのもの。他球団がうらやむほど素質のある若手がゴロゴロいる近鉄。次々と一軍に引き上げられていくが、その何パーセントかは「プレーイング・コーチ的存在」の秋山にあるといえるだろう。

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谷岡潔

2012-03-03 08:54:17 | 日記
1970年「大洋時代」
・ルーキー谷岡がオープン戦デビューを飾った。3月14日の東映戦「前橋」この遠征から一軍メンバーに加わった谷岡は9回2死で代打で出場。桜井投手から中前へ初ヒットしたもの。いかにもルーキーらしく「きょうは球が走ってなかったみたいですね。だから打てたんですよ」と謙虚な言葉。試合前、別当監督から「振りが大きい。もっとシャープに」とアドバイスされた後の初ヒットだった。「それがよく効きました。真ん中のストレートですから打ってあたりまえですが、気分いいもんですね。もっと努力して早く一軍に定着したい」試合後、谷岡はこういっていたが、翌日も守備から打席に立ってまたヒット。まったくついているデビューだった。

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森谷昭

2012-03-03 08:53:45 | 日記
1980年「イースタンリーグ」
・巨人二軍首脳陣が大いに期待しているのが2年目の森谷だ。1番、3塁手でスタメンに名を連ね2安打をマーク、開幕戦、快勝の原動力になった。決して派手さはない。巨人の選手というイメージからほど遠く、泥臭いタイプの選手である。スローイングも、中畑みたいなダイナミックさはなく「どっこいしょ」といった感じで投げている。だが、プレーに「粘り」がある。とくに3塁ベース寄りのゴロに対しては強い。よくいう球際の強さをこの森谷はもっている。口のきき方も、とても2年生とは思えない。そして自信をもっている。先日、こんな話をしていた「実際、ファームじゃ面白くないですよ。やっぱり一軍でプレーをしなきゃ、ね。また、上に行ってもやれる自信はあります」今年のキャンプの紅白戦。森谷は代打で左中間に2塁打を放った。たまたま、試合を見ていた青田昇氏が「ふところの深い、いいバッターだな」といったことを思い出す。トップバッターとして、闘志を前面に出して投手に向かっていっている。これから先が楽しみな一人だ。

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小金丸満

2012-03-03 08:53:16 | 日記
1970年
・ロッテの春季キャンプではルーキー小金丸が注目されている。グランドではめっぽう威勢がいい小金丸は、どう見ても新人とは思えぬ面構えである。もともとヒゲが濃いところへもってきて、ドスがきいた声の持ち主ときているから、若い者の中にまじっていると、ひとカドの
「おっさん選手」にみえる。その上、入団発表の席上、永田オーナーの隣でプカプカとタバコを吸う強心臓ときている。もっとも、彼の評価が上がったのは、単に気が強いというだけではなく、キャンプ初日に首脳陣をして「ウーン、これはいける」と唸らせた大物打ちのバッティングである。矢頭コーチも「パンチ力そのものは有藤といい勝負だろう」というように、準レギュラー組のクリーンアップを打つなど、指宿キャンプの紅白戦では全打席をフルに打たされている。首脳陣の彼への期待のほどもわかろうというものだ。ノンプロ時代の2塁のポジションは1塁に転向になった。主軸の榎本が左投手に手こずったときは、この小金丸を1塁に起用するという濃人監督の腹づもりだ。矢頭コーチは「欠点はあるものの、あのパンチとセンスはなかなか大したもの。一軍でも通用できるまでには時間が、かからないだろう」と見ている。首脳陣の頭の中にはイキのいい小金丸を控えにおいて、ベテラン榎本の奮起を待とうという狙いもある。

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工藤博義

2012-03-03 08:52:46 | 日記
1978年

「ウエスタンリーグ」
・阪急のルーキー工藤が7月15日の阪神戦「西宮」で豪快な2ホーマーをたたき込んだ。その相手が、なんとエース・古沢。1本ならともかく、2本も左翼席へ放り込んだのだから立派「2本とも真っすぐの球だと思います。でも、まぐれですよ」顔はクシャクシャ。球の速さはまぎれもなく一級品の古沢が相手だけに、喜びも分ろうというもの。「間違いなくウチの将来のクリーンアップや」と太鼓判を押すのは西村二軍監督だ。俊足、強肩、強打の持ち主。ジュニア球宴にも、阪急の野手からただ一人出場した。「ノンプロでもまれているだけありセンスがいいし、野球をよく知っている。もう少しプロのスピードに慣れてくれば、来年には一軍入りできるだろう」阪急の外野陣は層が厚い。その一角に食い込むのは並大抵ではない。だが工藤なら・・・。そんな期待を十分に抱かせる人材である。

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宮崎弘教

2012-03-03 08:52:16 | 日記
1982年
・プロ入り7年目で勝負を賭ける男もいる。南海の宮崎弘教だ。今年こそは・・・と一軍入りを夢見ていた宮崎にとっては、いま目の前にぶらさがっていたチャンスを取り逃がした悔しさしか浮かんでこない。「特に昨年のキャンプ。最後まで遊撃のポジションを争っていたのに・・・。でも、オープン戦でふるいにかけられて・・・。精一杯、努力したんですがね」二軍の中でも一、二の努力家として有名。オフには実家が鉄工所を経営しているとあって、自分の手で鉄アレイを作り、筋力アップに努めてきた。浪商の後輩・香川の手前、先輩として意地も見せつけてやりたい。もう一つは高校時代のライバル岡田「阪神」に大きな差をつけられている「負けたくないですよ。岡田は気軽に声をかけてくれるが、やはりひけ目を感じる」愛称「キンちゃん」の目はギラギラ光っている。

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