プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高木真一

2012-03-10 23:16:42 | 日記
投球フォーム・・・元・阪急のエース足立光宏に似たアンダースロー。



球種・・・下手投げからホップする速球。カーブ、落差の鋭いシンカー。


1979年
・「ウチの秘密兵器だ」と首脳陣がキャンプから期待しているのが、投手の高木。チームでは唯一の下手投げで実に気っぷのいいピッチングをする。ことしが二年目だが、すでに25歳。それだけに本人も「正念場です」と必死。昨年は5試合に出て、勝敗に関係なしの防御率7,20.「残るオープン戦で、いい結果を出し、本番で早く1勝したい」これが現在の願いである。

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野崎進

2012-03-10 22:02:41 | 日記
1978年「ヤクルト入団時」
・プロ野球史の面でも驚くほどの「異色」の新人が入団した。ヤクルトの野崎進投手「千葉商・18歳」なにしろ、左右投げ、左右打ちというから、大変な珍種である。これまで、左右投げのスイッチ・ピッチャーは1964、1965年に巨人に在籍の吉成昭三がいるが、一軍には上がれずじまい。失敗例しかないが、野崎君は「これまで、高校の公式戦では左で一度も投げたことがありませんが、ヤクルトでは左右投げを練習して、日本のプロ野球界初のスイッチ・ピッチャーとして成功したいですね。そのためにはファームで2,3年頑張ってみます」と野心満々である。この投打左右利きの珍しい野崎も、もともとは左利き。それが、千葉商の鈴木監督が「右投げの方がコントロールがあるから」ということで、薦められ右でも投げるようになった。身長178センチ、体重75キロは大洋のエース・平松とズバリ・同サイズだ。プロ入りについは当初、考えてなかった。「甲子園から帰ってからは、ボクが長男だし家業を継ぐつもりでした。ノンプロの東京ガスや明治生命も誘ってくれましたけど、全部断ってきました」ところが、千葉商の大先輩に当たる小川善冶コーチが、市原市の実家を訪れ、入団を薦めたとき、急にプロ入りしてスイッチ・ピッチャーの腕を磨いてみたい誘惑にかられたという。契約金500万、年俸180万という低い条件も、問題にしなかったという急変ぶり。「とにかく1,2年は打撃投手もやって、一生懸命がんばります。スイッチ・ピッチャーとしての夢は、王や張本さんには左で投げて、田淵さんや山本浩さんには右で勝負することですね」千葉商からのプロ入団は高橋重行「大洋」以来だが、異色の忍者もどきの二刀流が晴れの舞台に出れば、たいへんな人気を呼ぶだろう。


1977年・甲子園大会出場時
8月12日・1回戦
・・・・・・・・千葉商000000000・0
・・・・東洋大姫路10100200・・・4

・9年ぶりに登場した千葉商は野崎を中心とした「ワンマン・チーム」野崎は右投げの投球で得意のタテのカーブを武器に懸命の力投をみせたが試合巧者・東洋大姫路打線に小刻みに得点された。打席での野崎は「オール左」で、豪腕・松本から全て流し打ちの4打数3安打と苦もなく打ちこなした。

野崎投手・投球内容・8回・9安打・三振1・四死球3・自責4

千葉商・野崎進投手「主将」の試合後のコメント
「うちは守りのチームなので先取点をやらないように、と初回は硬くなって力んでしまいました。逃げの投球が良くなかった。でも自分では80点から90点の出来だと思います。松本君はやはりスゴかった。球が速いなあと思いました。バッティングも振りが鋭く自分たちより上。やはり力負けです。」

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峯本達雄

2012-03-10 12:20:57 | 日記
1977年「ウエスタン」
・阪神のルーキー峯本が乗りに乗っている。7月9日の広島戦でプロ初ホーマーとなる満塁アーチをかけたのが始まりで、11日の
同カードでまたも満塁ホーマー。そのあとの近鉄戦でも仲根から同点ホーマーを打ち込んで、まさに一人で打ちまくっている感じだ。この間、6試合で25打数10安打、3ホーマーの15打点という働きぶりは手がつけられない。ノンプロ・新日鉄堺の出身。ドラフト4位指名だが、そのパンチ力に目をつけた小林スカウトが強引に口説き落として、入団にこぎつけた経緯がある。腕っぷしの強い、見るからに頑丈そうな体。佐野にもうひと回り筋肉をつけたようなタイプだ。礼儀正しく、用具の後片づけなどもすすんでやっている。入団発表の席で、吉田監督が一目見て惚れ込んだというエピソードもある。


1978年
・ファーム暮らしの若トラ・峯本が一軍入りした。7月1日の広島戦、プロ入り二度目の代打で登場し、見事、左翼席へ第1号ホーマー。7日の大洋戦でも、やはり代打で左翼へ二塁打を放ち、ヤングパワーぶりを発揮している。「夢中で打った。入るとは思わなかったけど、ホームランになるなんて!ダイヤモンドをゆっくり回れるなんて、気分いいスネ」峯本は実感をこめてこう語っていた。不振を極める阪神にとって救世主の出現だ。

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奥柿幸雄

2012-03-10 08:53:33 | 日記
なんとなく、強打者
王のようにと背番号1

ベビー・ブームの昭和二十三年六月六日に生まれた。身長1㍍80、体重80㌔。この少年選手、およそこわさを知らない。中学生になったとき、なんとなく野球をやるようになり、快速球を投げる左腕投手になった。そして静岡商に進学して、投手から「なんとなく」(同選手の話)一塁手に変わった。一塁手、四番打者として、奥柿は強打をふるいはじめた。左ワキをしっかりしめて、たたきつけるようなバッティング。だれにおそわっただけでもなく、これも「なんとなく」覚えたというが、まだるっこいカーブより、快速球の方がうちやすかったそうだ。三年の夏、あこがれの甲子園に出場して二試合で7打数4安打、本塁打1本。4安打のうちカーブを打ったのはたった一本、本塁打は左中間に飛んだという。奥柿はこれだけのことを話すのに、かなり時間をかけた。話だけ聞くと、鼻っ柱の強い、ドライでなまいきな少年を想像しがちだが、実際はその逆。とつとつと話した。持って生まれた素質を、いままですなおに伸ばしてきたようである。速球を打てるというのは強打者の第一条件、そして、外角球が苦にならないとなれば、もういうことはない。
キャンプ・イン第一日ー。奥柿がマシンを相手にバッティングを始めると、飯田監督、岡本コーチは驚いた。目のさめるようなライナーがはじきだされ、低い弾道で、外野フェンスを何本もオーバーした。何年もプロのメシを食っている選手のような当たりだった。きっちと左ワキをしめ、鋭い腰の回転で完全にバットを振り切っている。左右の肩も正しい回転を見せている。ヒザをうまく使って、タマにウエートを乗せている。「腰とヒザの使い方がむずかしい」体験から割り出して、奥柿はそういっていたが、たしかに腰とヒザの使い方がうまい。「高校生ばなれしている」と飯田監督はうなった。
だが、奥柿がどんなに高校生ばなれしているといっても、欠点がないわけではない。理論通りのバッティングをやっているが、バットの振り出しはスピードがないし、高めのタマにはバットがスムーズにでていないようだ。はやいカーブ、スライダーで内角を攻めたれると手も足もでない。しかし「いまのままで当分打たせます。いじる必要はありません。あの鋭いスイングをなんとかして生かしていきたいと思います。これからプロのスピード、変化にとまどうかもしれません。だが、そのカベを破ったときー」と飯田監督は広野(中日)王(巨人)にも負けなくなる、といいたそうだった。背番号1。左打ち、左投げで王二世のような存在である。背番号1は、王のような大打者を渇望している水野オーナーの発案だそうだ。
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高橋二三男

2012-03-10 08:36:32 | 日記
打は器用、足も合格
高橋二、レギュラー候補に

1㍍68、65㌔と小柄な新人高橋二が、ドラフト1位の味を見せた。「あのからだでは、非力すぎるのでは」という声もあるが、三回の初打席で四球を選ぶと俊足を生かして、打者阿部の2ストライクからの3球目にスルスルと二盗に成功。二打席目は2-3からの外角ストレートを左中間に流し打って二塁打。オープン戦初安打だった。三打席目は得意のドラッグ・バンドの構えを見せて野手を前に引きつけ、三塁線を突破。痛烈な当たりでなかったから、もし三塁手溜池が定位置にいたなら三ゴロに終わっていたろうが、こうした細かい駆け引きが高橋二の特徴でもある。
稲尾監督は「前評判どおりのうま味を見せてくれた。戦力として十分期待できそうだ。ゲームに慣れればもっとよくなるだろう」と一応の合格点をつけたが、しかし、プレーのひとつひとつを分析すると、まだ余裕がないためか、プロのスピード感がわかっていない。三塁線突破の安打を放ったとき、高橋二は「二塁も十分いける」と判断、俊足をとばしたが、打球は前進してすくい上げた左翼の井上から遊撃・東条、そして二塁へ中継されてタッチアウト。一塁コーチス・ボックスの稲尾監督は「ストップ」と両手を広げて大きなジェスチャアをしたが、これが目にはいらなかった。コーチを見る余裕がなく、足を過信した二つのミスが重なったのである。
今後の課題は試合経験を積みながら、こうした点を自分のものにしていくことだが、走れるうえにバッティングも器用な左打者だけにいまのところ外野の一角の最短距離にある。

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石原修治

2012-03-10 08:18:34 | 日記
1977年
・近鉄の評判選手・ルーキー石原をじっくり観察させてほしい、と報道陣が西本監督に申し入れ宿毛キャンプの昼食時に、とくに一人だけの特打ちを命じた。なるほどすごい打球がすごく伸びる。鋭いライナーが左翼線いっぱいに目盛りではかったように飛んでいく。元阪神ヘッドコーチの岡本伊三美氏が「低めにストンと落ちる球を、あれほど見事にとらえるバッティングはレギュラーだって真似できませんよ。大洋の松原ソックリですね」声をかけられた西本監督が「そうやろ。松原そっくりやろ。これは楽しみなバッターやで」とニンマリしたものだ。いまの近鉄は大型の内野手不在が頭痛のタネだ。ヤクルトから益川を獲得したが打撃がいまひとつ。だから石原がルーキーとはいえ、いきなりレギュラーになるチャンスはありえる。ただ、問題は守備だ。足は速い方で、これも合格点をとっているが、フィールディングは、なんといっても高校出の新人だけに実戦になると不安視される。本当に当落が決まるのは、オープン戦になってからだが、夢多い新人であることは確かである。

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生田啓一

2012-03-10 08:17:53 | 日記
1978年

「試練を乗り越え復帰に燃える」
・開幕直後に78年の「ファーム落ち第一号」の選手になってしまった。「一軍で1試合にも出られなかったのだからショック。でも必ずはい上がってみせますから・・・」といっていたヤクルト・生田。あれから3ヶ月余のいま、打率・333「7月27日現在」でトップを好調に走っている。先日のJ・オールスターでは6番レフトで先発出場。2回に三浦「阪急」から右前安打を放ち、逆転劇のお膳立てをした。「うまいミート・バッティングは断然光っていた」与那嶺コーチ「巨人」・・・と絶賛していたが、それもこれも自分と入れ替わって一軍入りした杉浦へのライバル意識が、いまの台頭の原因になっているのは間違いのないところ。今年は、アリゾナ・キャンプにも参加し「左の代打要員当確」の声が強かっただけに一軍を外された生田にとっては試練のファーム生活だった。「素晴らしいプロ根性の持ち主」と評価されるが、といって好調・生田になかなかチャンスは生まれそうにない。若松、マニエル、杉浦の外野トリオがオール左。代打の福富も左ときては、狭き門もいいところ。「とにかくファームにいる以上は、実績を作って認めてもらわないと・・・。これからも好球必打で行きますよ」打撃王をめざす生田の表情は、夏の陽に輝いている。

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服部敏和

2012-03-10 08:17:22 | 日記
1970年「近鉄時代」

・「万博優勝」を狙うことしの近鉄の新戦力で大きな期待をかけられているのが二年目の服部敏和外野手だ。ズバリいって「服部が一番でセンターに固定されたら近鉄は優勝できる」とまでいわれるほど注目される選手である。立大を中退、二年間のノンプロ生活。俊足、強肩。守備には定評がある。問題はバッティングだが、昨年最後の阪急戦で左右に打ち分け4打数4安打。勝負強さもあり、あとはどう自信を根づかせるかだ。

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大北敏博

2012-03-10 08:16:47 | 日記
「苦節7年。一軍の切符手中にしたイースタンの首位打者・大北」さらば多摩川ブルース
1977年
・開幕が間近になって巨人に又一人、有力なヤングがノシ上がってきた。その名は大北敏博。7年目の多摩川育ち。高松商からドラフト2位で入団して苦節7年目の春である。オープン戦の前半は予測はずれてファームだった。やっと一軍へのお呼びがかかったのが、関東遠征初戦・水戸での大洋戦。河埜、中畑に代わって篠塚とともに一軍に上げられ、試合に出た。「ぼくらは少ないチャンスをモノにしなければダメですから、本当に死に物狂いでしたよ」ここで3安打の固め打ち。続いて後楽園でのヤクルト戦でも、王の逆転3ランを呼ぶ代打クリーンヒット。長嶋監督の信頼を勝ち得て「大北はイキイキしているね。このままなら合格です」と一軍入りのパスポートを手に入れた。投手で入団し三塁へ回された。入団のとき「早大進学」を宣言して1巡目ではどこも指名しなかったが、巨人は当時の前川スカウト部長が「内野手に転向させて打力を磨けば、長嶋二世になれる素質の持ち主」として、断固として指名。難航の末、獲得したイワクつきの大北である。最初は長嶋二世の名前負け?と、バッティングに甘さがあり二塁、三塁、遊撃とどこでもこなせるユテリティ・プレーヤーに作りかえられた。その苦労と素質のツボミが開きかけたのが昨シーズンだった。イースタンで、ついに首位打者。「ボールに食いついていく根性と闘争心が旺盛だ。足も速いし、未完成の篠塚に比べて、即戦力として使える」岩本二軍監督。
キャンプでは中畑の後ジンをはいしたが、腐らず焦らず、黙々と精進して、とうとう一軍の壁を突破した。「守るところはどこでもいいです。内野ならどこでもできるし、代打だっていいんです。実績を積み上げていく年だと思っていますから」巨人に飛び出した新星らしい大北の奮戦に期待しょう。

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中村国昭

2012-03-10 08:16:13 | 日記
1978年「日ハム時代」

・シーズン序盤、日ハムの「打」の誤算は中村国だろう。いや守の方でも拙いプレーが重なっている。ヤクルトから「一発のある」大型内野手として移籍して1年目。チームがオープン戦で快進撃を続けたウラにはこの男の活躍があった。阪神戦の満塁本塁打を含め、オープン戦で4ホーマー。当時は中村国も「公式戦が待ち遠しい」と手くすねをひいていたものだ。しかし本番開始と同時に沈黙してしまう。開幕戦こそ1安打で1打点と、まずまずだったが、あとはもういけない。不安視された守備の方でも、ポロリ、ポロリ・・・。「守りには当分の間、目をつぶる」と公言していた大沢監督も、打てない守れないではガマンしきれなくなって、ついに8試合目の阪急3回戦でスタメンから外してしまった。それから3試合おいた近鉄1回戦で再びスタメンに組み入れたが、たて続けに三振を食う始末。打率はやっと1割台だ。危うい立場に立たされた中村。今後の奮起が望まれる。

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盛田嘉哉

2012-03-10 08:15:18 | 日記
・中日の地元・愛知大学リーグ、名城大のレギュラーとして4年間に記録した盗塁はなんと104個。もちろん歴史の浅い同リーグでは前人未到の新記録。「和製ウイルス」「黄金の足」の異名をとり71年に中日に入団。ルーキー時の明石キャンプでの紅白戦では、2盗、3盗をたて続けに成功させ、マスクを被っていた正捕手・木俣に「どえらいヤツが入団しょった・・・」といわせるほどだった。開幕後、しばらくは二軍暮らしが続いたが盛田にチャンスがやってきたのがウエスタンでの南海2回戦。この試合で一気に5盗塁を決めるという放れ業を演じた。4回表、代走に出た盛田はすぐ2盗、1死後に3盗、そして2死後、打者が左の小泉のときにカウント2-1からホームスチールを成功させてしまった。そのあとセンターを守ったが、8回に安打で出塁後、またも2盗、3盗を決めた。初めから徹底的にマークしていた南海バッテリーも走ることが分っていながら手の下しようがなく、お手上げだった。これが一軍入りのきっかけとなる。盛田が代走に出るとスタンドのファンから「走れ、走れ」の凄い声援が飛ぶ。トレード・マークは両手にはめられた黄色い手袋。



「第二の福本」をめざす盛田・・・今やイダ天男の異名をとる今季の期待男
1972年
・「ボクがファンの方たちから、こんなに期待されているとは・・・。いよいよ責任の重大さを痛感します」というのは二年目の盛田選手。ことしのオープン戦。西京極球場での阪急戦に木俣の代走で一塁走者になった時だ。スタンドから「ゴー、ゴー盛田!」とすごい拍手と声援が送られた。これにはまさかなじみのない京都のファンが、自分をこんなに応援してくれるとは、ツユ知らない本人がビックリ。その時「ことしはガンバラなくちゃ」と、身にしみて感じたそうだ。もちろん、本拠地・中日球場でも、代走盛田の場内アナウンスが放送されると、スタンドはドッとくる。オープン戦では通算7試合に代走で出場し、3盗塁をやってのけた。失敗はゼロ。ベース一周13秒8、百メートルを10秒台で失踪する俊足は、プロのスピードに馴れたせいか、今シーズンは、いよいよ冴えそうである。昨年の後半戦で一塁走者となって出場し、二塁を回った際に右足を痛めたのが原因で、戦列を離れファンを寂しがらせていたが「オフには温泉に行って治療をし、トレーニングも十分積んだのでもうすっかりいいです」ということだ。現役時代に好走塁を売り物にした与那嶺監督にとって盛田はお気に入りの選手。将来は代走だけでなく「阪急の福本のように育てていきたい」といっている。盛田が「第二の福本」になれるかを期待しょう。

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春日祥之輔

2012-03-10 08:14:36 | 日記
1977年「クラウン・・・ファーム時代」
・クラウンの青木ファーム担当はウエスタンの全試合に顔を出しては、若手選手を盛んにPRしている。「どうだい、ウチの春日は。キャッチング、スローイングなど総合力では誰にも負けないはずだ」と、まさにベタ惚れ。春日はプロ3年目、右投げ左打ち、俊足、巧打の捕手である。170センチの小兵だが、とにかく足の速さを買われてのプロ入り。高校、ノンプロ時代はもともと捕手だったが、一昨年、昨年とも外野手でほとんどのゲームに出場している。一年目の打率が224で、昨年は262.順調に成長してきたといえそう。そして盗塁王争いにはいつも顔を出して、その快速ぶりを発揮している。「今年は一気にジャンプの年・・・」と思われていたが、立花、徳山という大物ルーキーの外野手が入団。春日は外野を追われるようにして、捕手へ再コンバートされるハメになった。しかし、ここにも吉本、金城という先輩連が構えており、シーズンが開幕しても、あくまで控えでしかなかった。そしてやっと出番がまわってきたのは、6月も半ばを過ぎてから、金城が一軍に引き上げられ、吉本は故障のアクシデント。春日はようやくマスクを被ることができた。だが、この控え捕手は並みの器ではなかった。キビキビとしたリード、ファイトをむき出しのプレーは首脳陣も一目置くほどだった。打撃面でも持ち前のシュアなところを披露。32打数9安打で・281は立派なものだ。とくに中日戦でベテランの大石からプロ初ホーマーを記録、最近では2試合に二塁打4本というイキのよさをみせている。小柄で眼鏡をかけているハンデを克服、チームのカナメ役の重責を果たしているあたり、有望選手の一人には違いない。


1979年「イースタン」
・「豆タンク」「野球小僧」と、いわれながら後半戦も大ハッスル。春日は、好調にトップを走り続けるライオンズの恰好のリードオフマンである。選手登録、つまり「本職」は捕手だが、「どこでもこなすガッツのある選手」岡田二軍監督・・・というわけで、目下は右翼の定位置を確保するかたわら、捕手や二塁にまで手を伸ばしている。バッティングもここにきて急上昇。5月末から約1ヶ月、13試合に連続安打したのが効いて、打率も280台にまで持ち直した。今年は、5年目で初めてJ・オールスターに「1番・センター」で出場。新生・西武にとっては加倉、徳山と並ぶ「目玉選手」である。大分・中津工からノンプロ鐘化を経てドラフト5位で入団。都市対抗に出場したものの、これといった球歴はない。かって兄「春日一平」も同じライオンズに在籍していたが、一軍では13試合に出ただけだった。それだけに「いまの調子をさらに上げて一軍戦出場を果たし、兄貴がやれなかった分、ひと暴れしてみたいですよ」と春日。色つきメガネを光らせながら左打席に入るさまは迫力充分だし、ヘッドスライディングが大好きというあたりは、さしづめ「突貫小僧」のムード。岡田監督が高く買っているのもわかるような気がする。「足はあるし。バッティングも守りも十分に一軍でやれるものを持っている。マナーもいいし、ファームの優等生だね。小さい体だけど、誰よりもガッツのあるのがいい」レオ軍団の「切り込み隊長」のこれからの活躍が、見ものになってきた。

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奥宮種男

2012-03-10 08:13:47 | 日記
1978年
・ヤクルトから金銭トレードで移籍入団した奥宮種男捕手は地元の九州工高の出身。もうじき29歳になるプロ11年目のベテランだが、「1年生になったつもりで何もかもやり直す」と、新春早々から15キロのロードワークに飛び出すなど大張りきりだ。それというのも「小さい頃からのあこがれだったライオンズ入りがかなったからです。小、中学生から高校時代はもちろんのこと、プロ入りしてからだって、一度でいいからライオンズのユニフォームを着てみたい、と思ってたんです」という満足感があるからで、九州に帰って、すっかり元気になった奥宮は「去年は出番がなかったけど、今年はひとつ正捕手を狙ってみたい」とは勇ましいかぎりだ。

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高木宣宏

2012-03-10 08:12:50 | 日記
投球フォーム・・・左オーバースロー「ワインド・アップ」細身の体をいっぱいに使って投げ込むダイナミックなフォーム。


球種・・・ストレートのMAXは147キロ程度。カーブ、スライダー、フォーク、チェンジアップ。「スライダーとカーブでカウントを稼ぎ速球で勝負するのが得意パターン」


1985年
・ヤング勢の台頭が目立つ広島。その筆頭が4年目の左腕・高木宣宏である。オープン戦に出れば好投。古葉監督をニンマリさせているばかりか、これで左投手の先発要員が大野、川口に加えて三人目となれば、左不足に悩む他球団の監督にとっては苦笑するしかない。3月22日に発表されたオープン戦のMVP「スター大賞」の候補に、投手としてただ一人ノミネートされているのは、高木の好調さを裏付けしているものだ。なるほど、入団当時からその素質は高く評価されていた。一年目から一軍のマウンドを踏み、二年目1勝、三年目の昨年は2勝と、序じょにであるが、それなりの成果もあげてきている。「高木には昨年、7勝してくれっていったんですよ。それをあえて今年もいうつもり。でも、この分ではオツリが出そうだね」と担当の安仁屋投手コーチ。それでなくても山根、北別府、大野、川口、津田と先発要員だけでも豊富な広島投手陣。シーズンが始まると、安仁屋コーチは「嬉しい誤算」に悩まされ、古葉監督はおそらくベンチの中でほくそ笑むことだろう。

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滝口光則

2012-03-10 08:12:18 | 日記
投球フォーム・・・プロ3年目に一時はサイドスローに転向したが、翌年再び、オーバースローに戻している。


球種・・・ストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップ


1981年・2月22日・オープン戦・巨人ー広島「宮崎」観衆1万6千・試合時間2時間10分
広島000000000・0
巨人10000020・・3
勝ち・浅野・・負け・滝口

滝口投手・投球内容・7回・8安打・自責1

「度胸も満点、滝口」
・広島の収穫は、今年2年目の滝口投手。力のあるストレートに、時折チェンジアップをまじえ、巨人打線を7回まで3点に抑える好投で「とても気持ちよく投げられた」と、うれしそう。こと6回、中畑を空振りの三振に仕留めたチェンジアップは見事だった。原には打たれたが「打たれて当然の甘い球だった。そんなにこわいとも思わなかった」と、度胸もなかなかのもの。古葉監督も「ベストメンバーなみの巨人をあれだけ抑えたんだからね。高橋慶のエラーがなければ完投させるつもりだった。楽しみな投手だ」と喜んでいた。

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