1976年
・近鉄の養成選手として1年間鍛えられていた河瀬投手「大阪・興国高校出」が晴れてメンバーの一員になった。昨年1月、練習生で自主トレに参加、ここで西本監督、杉浦コーチの目に止まり「入団」の了解もすでに取りつけていた。しかし投手陣は29人も抱える大所帯。「これ以上いらない」というフロントの意向で、合宿入りはしたものの選手登録はされなかった。オーバースローの無理のないフォームは首脳陣の間でもかなり期待されている。興国高時代は控え投手として、公式戦の出番はほとんどなかった。全くの無名といっていいだろう。この1年間、昨春の延岡キャンプにも参加し、シーズン中は黙々とバッティング投手を務めてきた。しかし、選手契約を終えると、これまでの苦労がすべて吹っ飛んだように顔をほころばせた。「合宿生活も楽しいし、みんないい人ばかりです。練習一本に打ち込み、負けないようにがんばります」あこがれのプロ選手となって希望に燃えている。養成選手の先輩には阪神の古沢のような成功例もあるのだ。中央では無名でも努力次第では道は開ける。河瀬には正月も休日もない。今日も藤井寺のグラウンドで懸命に走りこみを続けている。
・近鉄の養成選手として1年間鍛えられていた河瀬投手「大阪・興国高校出」が晴れてメンバーの一員になった。昨年1月、練習生で自主トレに参加、ここで西本監督、杉浦コーチの目に止まり「入団」の了解もすでに取りつけていた。しかし投手陣は29人も抱える大所帯。「これ以上いらない」というフロントの意向で、合宿入りはしたものの選手登録はされなかった。オーバースローの無理のないフォームは首脳陣の間でもかなり期待されている。興国高時代は控え投手として、公式戦の出番はほとんどなかった。全くの無名といっていいだろう。この1年間、昨春の延岡キャンプにも参加し、シーズン中は黙々とバッティング投手を務めてきた。しかし、選手契約を終えると、これまでの苦労がすべて吹っ飛んだように顔をほころばせた。「合宿生活も楽しいし、みんないい人ばかりです。練習一本に打ち込み、負けないようにがんばります」あこがれのプロ選手となって希望に燃えている。養成選手の先輩には阪神の古沢のような成功例もあるのだ。中央では無名でも努力次第では道は開ける。河瀬には正月も休日もない。今日も藤井寺のグラウンドで懸命に走りこみを続けている。