プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

河瀬雅英

2014-04-27 20:27:13 | 日記
1976年
・近鉄の養成選手として1年間鍛えられていた河瀬投手「大阪・興国高校出」が晴れてメンバーの一員になった。昨年1月、練習生で自主トレに参加、ここで西本監督、杉浦コーチの目に止まり「入団」の了解もすでに取りつけていた。しかし投手陣は29人も抱える大所帯。「これ以上いらない」というフロントの意向で、合宿入りはしたものの選手登録はされなかった。オーバースローの無理のないフォームは首脳陣の間でもかなり期待されている。興国高時代は控え投手として、公式戦の出番はほとんどなかった。全くの無名といっていいだろう。この1年間、昨春の延岡キャンプにも参加し、シーズン中は黙々とバッティング投手を務めてきた。しかし、選手契約を終えると、これまでの苦労がすべて吹っ飛んだように顔をほころばせた。「合宿生活も楽しいし、みんないい人ばかりです。練習一本に打ち込み、負けないようにがんばります」あこがれのプロ選手となって希望に燃えている。養成選手の先輩には阪神の古沢のような成功例もあるのだ。中央では無名でも努力次第では道は開ける。河瀬には正月も休日もない。今日も藤井寺のグラウンドで懸命に走りこみを続けている。
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阪本敏三

2014-04-27 11:10:28 | 日記
1967年

阪急にまた一人有望な新人が入団した。昨年東映が交渉権を得ていた河合楽器の阪本敏三内野手(立命大、一七三センチ、七一キロ)だ。阪本は平安高校時代に甲子園大会に出場、いまをときめく?巨人の柴田(当時法政二高)から四打数四安打を打ち注目されたこともある。その上、山本級の足も持っている。立命大に入学し一年春からレギュラーとなり、四年春のリーグ戦まで連続七シーズン盗塁王となった俊足の持ち主で、百メートルを十一秒七で走る。大学時代の通算打率は三割一分五厘で好打者として知られていた。卒業後ノンプロの河合楽器に就職したが、藤井スカウトが熱心にプロ入りを説得、プロ入りに踏み切らせた。ノンプロ時代の打率も三割以上を打っており、実践型の遊撃手として、都市対抗でもマークされたいた。
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若林憲一

2014-04-27 01:15:21 | 日記
・捕手として入団するが、プロ4年目に外野転向。だが状況に応じ、時には一塁、遊撃もこなす万能プレイヤーである。

ファーム成績
1977年・打率214、本塁打1
1978年・打率276、本塁打1
1979年・打率208、本塁打3
1980年・打率270、本塁打0
1981年・打率000

1977年
・5月4日の巨人ー大洋「後楽園」の試合は9-3と大洋がリードして、8回表、大洋の攻撃に入った。一死一塁の場面で打席に入ったのは、長崎に代わってセンターの守備に就いていた若林。ここで見事にセンターオーバーの三塁打を打ったが、これがプロ6年目の初安打だった。甲府商業から1972年に大洋入りしたが、しばらくはファームの常連にとどまる。昨年のイースタンで打率263、5ホーマーのパンチ力を買われ、今年初めて一軍入りを果たした。しかし、代走が主で、この日を迎えるまで3打数無安打。それだけに6年目の初安打には、すっかり興奮し「なんでもいいから、できるだけ多くのゲームに出てチャンスをつかもうと必死の毎日です。後輩の田代があれだけ打つのだから刺激されます」と話していたものだった。
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石井高雄

2014-04-27 01:14:04 | 日記

1971年
・オープン戦もたけなわだが、カープではルーキー石井「柳川商業」の評価が上がっている。右投げ左打ちの利点もあり3月6日の南海戦「呉」で早速デビュー。この試合では四球で出塁し選球眼のよさに加え、バッティングの渋とさも印象づけ、翌7日には2番右翼手としてスタメン。5回には初安打を中前に放つなど3打数1安打、四球1。目についたのは4打席中、ファウルを実に11個も記録したこと。プロの投手に対し必死で喰らいつくファイトには、スタンドのファンも大喝采。「すでに自分の打撃を身につけている。これからも、どしどし機会を与える」と根本監督。石井自身も「僕は左投手は苦にしない。対戦した投手は、制球力はともかく、スピードはそれほどでもない」とかなりの自信だ。171センチと小柄ながら度胸は満点で首脳陣は「左打者が少ないだけになんとか戦力に」とちびっ子石井に大変な期待ぶり。
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筒井良紀

2014-04-27 01:13:00 | 日記

1975年
・「ストップ、ストップや!」1塁コーチ・小池の必死の叫びも無我夢中の筒井、松本には聞こえない。満塁ホーマーを左翼スタンドに叩き込んだ筒井は喜びのあまり、飛び上がりながら猛烈な勢いで1塁走者の松本を追い抜いた。幻の満塁ホーマー。8月6日のウエスタン、阪急ー南海7回戦のことである。2-2で迎えた6回、一死満塁のチャンスに打席は筒井だ。石田真の投じた3球目、思い切り振り抜かれた打球は風に乗って鮮やかなアーチ。リーグ今季初の満塁ホーマーが記録されるはずだった。しかし前述のように2塁ベース手前で、1塁走者の松本を追い抜いてしまう。中山塁審がすかさず「追い越しアウト」の判定を下すが、状況が完全につかめていない筒井は何やら抗議して、また走り出そうとしている。だが、すべてはあとの祭り。判定はくつがえらずに「3ラン安打」に変った。「前に走者がいることなんか全然わからなかった。そんなに速く走った憶えもないし・・」ベンチに戻ってナインに冷やかされた筒井は照れくさそうな表情。この筒井は20年前、同じ南海で名捕手として鳴らした筒井敬三選手「故人」のオイに当たり、本人も捕手として入団したが、上がつかえているため現在は外野にコンバートされている。お人好しのところからチーム内の評判もよく、他チームの選手からも好かれる人気者。「あんまり喜びすぎたんでつい・・こんど打ったときは胸を張って堂々とベースを周ってきますよ」これまで、「幻のアーチ」はいくらか記録されているが、満塁アーチが取り消されたのは初めてである。
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