1967年
昨年大洋を退団し、レスラーになることが九分通り決まっていた羽場勇二選手の国際プロレス入りが、お流れになった。桑田と国際プロレスのヒロ・マツダは、荏原高校時代野球部で先輩、後輩の仲。そこで桑田は、昨年自由契約になった大きな羽場に目をつけ、マツダと交渉した。マツダも性格のいい羽場に惚れて、プロレス入りはすぐ決まった。ところが羽場の両親から、「いくら給料が安くてもいいから、うちの息子はサラリーマンにしたい。どうもプロレスは・・」という横ヤリが入って、おじゃんになった。一番ショックだったのは当の羽場、「せっかく桑田さんが心配してくれたのに、申し訳がない。プロレスには興味があるんですがね」と、しょんぼりしている。馬場につぐ野球界からのプロレス入り第二号も、かくしてお流れとなった。性格のいい選手だっただけにチームメイトは、早く就職が決まればいいと気をもんでいる。
昨年大洋を退団し、レスラーになることが九分通り決まっていた羽場勇二選手の国際プロレス入りが、お流れになった。桑田と国際プロレスのヒロ・マツダは、荏原高校時代野球部で先輩、後輩の仲。そこで桑田は、昨年自由契約になった大きな羽場に目をつけ、マツダと交渉した。マツダも性格のいい羽場に惚れて、プロレス入りはすぐ決まった。ところが羽場の両親から、「いくら給料が安くてもいいから、うちの息子はサラリーマンにしたい。どうもプロレスは・・」という横ヤリが入って、おじゃんになった。一番ショックだったのは当の羽場、「せっかく桑田さんが心配してくれたのに、申し訳がない。プロレスには興味があるんですがね」と、しょんぼりしている。馬場につぐ野球界からのプロレス入り第二号も、かくしてお流れとなった。性格のいい選手だっただけにチームメイトは、早く就職が決まればいいと気をもんでいる。