プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

菅原紀元

2017-03-05 20:38:00 | 日記
1964年

第二試合、菅原が登板すると大洋ベンチはドッとわいた。別所ヘッドコーチは「あんなピッチャーがいたのかい。どんなタマを投げるの」とさかんに岩本コーチらにきいていた。別所ヘッドコーチが知らないのもムリはない。菅原は一昨年の春、埼玉県の川口球場で練習中、醍醐捕手の打ったタマを頭部に受け、一時は再起不能とまでいわれた。しかし手術もやり、あらゆる苦難をのり越えカムバックの道をきりひらいた。「どんなことがあっても再起してみせようと思った。とくにこの世界では一度ボールが当たると選手生活を断念しなければならないような懸念があるので、そういうものをなくするためにもがんばった」と根性は人一倍強いものをもっている。二回投げ、自責点1は初の先発としてはリッパな成績である。「まさか先発するとは思ってもいなかったので、真田さんから投げろといわれたときは緊張した。かたくなり桑田さんに打たれたが、味方が2点とってくれたのでラクになった。しかし三回になったら足がガタガタしてきた。やはりまだ下半身を鍛えなければ」と反省もわすれない。真田コーチは「まだ練習をはじめて日があさいので、下半身が弱い。これから練習を重ねるにしたがってスピードもでてくる。もともとカーブ、ドロップはよいものをもっているので、下半身さえ鍛えれば、来シーズンはそうとう働いてくれるだろう。西、妻島とそれにこの菅原には来年10勝ずつを期待している」という。1㍍82、80㌔、東京・東洋商高出身、右投げ、右打ち。
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長南恒夫

2017-03-05 20:04:16 | 日記
1964年

東映の三番に抜てきされて左右に殊勲打を飛ばした長南は、ごつい顔と反対にいたってはにかみ屋だ。スタンドの豆ファンにせがまれ照れくさそうに握手していた。三十七年、尾崎、安藤元らとともに、東映入りしたとき、水原監督が「やわらかいフォームをしている。なかなかいい」とほめていた。しかしいまひとつスピードがなく、昨年秋、多田コーチのすすめで外野手に転向。この秋から一塁にポジションがかわった。いわば急造一塁手。東映はノドから手がでるほど一塁手がほしい。そのためのコンバートだったが、長南はどうやら合格しそうだ。長南は今シーズン113打席で打率3割1厘。もともと打撃はいい。藤村コーチは「左打者なのに左翼へ流してばかりいる。もともとからだがやわらかいのだから内角球を右に引っぱることもできるはずだ。いまのままではまだパンチにとぼしい。だがきょうのホームランはよかった。こんごもこのようなバッティングをしてほしい」と長南評を語っていたが、本人は「藤村さんや張本さんからいろいろアドバイスされていわれたとおりにやっている。いちばん心がけているのは、打つときの手首の使いかたで、これでパンチをつけようと思っている。左へばかり打っていたのは外角ばかり投げられたからで、別に内角が弱かったわけではない」と藤村コーチの評とはちがったことをいっていた。長南の話題は一塁のフィールディング。それもボロをださずにやっている。来シーズンは、一塁手の定位置を確保することだろう。1㍍79、75㌔、安房水産高出身、左投げ、左打ち。
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三好守

2017-03-05 09:51:02 | 日記
1965年

サヨナラホーマーをとばした殊勲の三好は中西監督に「若年寄り、気合をいれたら打てるだろ」と大声で気合いをいれられテレくさそうに頭をかいた。(若年寄りは三好のニックネーム)年の割りにもう一つファイトがみられない三好がこの日4打数2安打2打点、中西監督がびっくりするような活躍をした。「二回の二塁打はカーブ、九回のホームランは直球でした。豪快なホームランだって・・・それよりレフトに打った二塁打のほうがよかったでしょう。感じよくバットが出たです」三好が本塁打より左翼へ打った二塁打を喜んだのは理由があった。身長1㍍81、体重81㌔の三好は力では西鉄のトップクラス、だがこれまではこの力がわざわいしていた。力にたよりすぎて強引にひっぱるバッティングしかできなかったからだ。新任の花井コーチがまっさきに指摘したのはこの日だった。チームとしての練習は休みだった十六日も三好は百道(ももじ)の合宿所にある室内打撃練習場でファームの投手を相手に百本近く打ってきた。「ぼくもことしで四年目、来年レギュラーになれないとダメだと思うのです。このオープン戦でその足場を築きたいと考えているのです」という三好の目にはファイトがあふれていた。「あいつは足も速いし守備もうまい。そのうえ野球のセンスもある。やる気になればやれるのだ」中西監督は三好の活躍に格好をくずしていた。
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緒方勝

2017-03-05 09:29:30 | 日記
1968年

ロッカールームは物音ひとつしなかった。しぼれば大粒のしずくがボトボト落ちそうなユニホームを着たまま、緒方は物をいわぬカベをみつめていた。肩からしたたり落ちる汗。「まだまだわかりません。勝負はゲタをはくまでわからないから・・・」緒方はポツリと口を聞くと、またカベに視線を向けた。五分、十分・・・。緒方は動こうともしない。かすか、ほんのかすかだが、風に乗ったグラウンドの歓声がロッカールームにしのびこんでくる。何を考え、何を思い出しているのだろうか・・・。「ガチョン(緒方の愛称)勝った、勝ったヨ。石戸が押えた」河村が、石岡が大声でロッカールームにとび込んできた。緒方は立ち上がった。汗が顔をおおう。「オレの初勝利は初登板だった。あの感激はいまでもわすれないヨ・・・」河村が手を差しだす。握り返す緒方。ノッポの石岡がほほえみを送る。頭をさげる緒方。二人とも、とっくの昔に味わっている初勝利の快感。だが、緒方の顔は地面のように青白い。昨年までの六年間は生きているバッティングマシンといわれるバッティング専門投手。夢にまでみた勝利投手の味を七年目に現実にして笑いも涙もストップしてしまったのだろうか。三人しかいなかったロッカールームに、ナインが続々と引きあげてくると、笑い声と歓声がガンガンひびく。緒方の手は、そうした連中からつぎつぎに握られていく。バッティング投手から第一線へ引き上げてくれた山根コーチ、逆転打を中前にとばした高山には「ありがとうございます」「サンキュー」と白い歯をみせて緒方のほうから手をのばした。ロッカールームのにぎわいに、勝利の味がようやく燃え上がってきたのだろう。だが、緒方はいった。「やめなくてよかった。やっていてよかった・・・」カクテル光線の消えた球場をバックに、ポツリと口を聞いた時は、数分前の笑いはないく、青白くひきつっていた。そして、そのホオにキラリとするものが流れていた。宮崎県児湯郡新富町には母親スミエさん(65)がおり、大分・別府には一月十一日に結婚した光子夫人(28)がいる。七年目にやってきた感激の夜。二か所ともけたたましい電話のベルが鳴ったことだろう。
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東条文博

2017-03-05 08:55:48 | 日記
1972年

ラジオ局の係り員があわてた。浅野のヒーロー・インタビューが終わりに近づいたころに、東条はバットとジャンパーをこわきにかかえて、さっさとベンチを出ようとしていた。そのウデを引っ張り込んで「打のヒーローですからお願いします」-が、その返答も「ボクはいいですヨ」だった。五回の一死一、三塁で先制の二塁打をとばしたというのに。結局はムリヤリにお立ち台に立たされたが、味もそっけもないやりとりだった。「浅野が一生懸命に投げてたから、打たねばいかんと思ってました。会心の当たりでした。調子ですか?悪くはないんですが、たまにしか出ませんから・・・」文字にすれば活気がある内容だが、鹿児島なまりの低い声でボツリボツリ・・・地味だった。東条によると、マイクをつきつけられたのは、プロ入り八年目ではじめてだった。だが、この東条、マイクへの話とは逆に、ハラの中では「やったゾ」という気持だったに違いない。この日が、四度目の先発メンバーだったのである。それは、船田が移籍してきたためだった。一昨年、盗塁王となり、チームではめずらしいタイトルホルダーも、キャンプの段階で、もう控えに回されている。それでもくさらなかった。花やかなふんいきをもつ船田と対照的に、黙々と練習を重ねた。シーズンに入ってからも、代走や守備固めでの出番に耐えた。試合前の練習でも、他の選手の二倍は走っている。船田だっていつかは調子をくずす。そのときはオレが・・・。そんな気持ちを東条はまた、ポツリといった。「辛抱すること。ボクらはくさったら終わりです」東条バンザイとクラブハウスまで、あとにつづくファンの間でのことばだった。「きょうはトウジョウがNO・1」ロペスもロバーツも同じことをいった。追加点がとれたのも東条のためという意味だった。この東条の起用。三原監督によると、連戦で疲れている城戸を休ませるためだった。「こんなに打つとわかっていたら、一番にすえています」とは、試合後のうれしい誤算の弁である。ヤクルトの連敗を食いとめたのは、大むこうをうならせる三原マジシャンでなく、地味な男の努力の積み重ねだった。
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