1966年
近鉄バファローズは、ことしの第一回新人選択会議で交渉権を獲得した高垣義広投手(鳥取西高)との交渉権を放棄することになり近くコミッショナーに届け出る。高垣投手は右投げの本格派投手で、中国地区では屈指の好投手といわれ、九月の第一回選択会議で巨人、阪神、大洋、広島、南海、近鉄の六球団がリストアップしていた。
1967年
雪どけのため、ここも三十分遅れて練習開始、卒業試験で帰郷していた新人高垣投手(鳥取西高)が母親といっしょに姿をみせた。他の投手陣と同じようにハッスルしていたが「むこうでやっていなかったので、バテますヨ」といいながらもさっそくブルペンでピッチングをはじめた。これをみた三原監督は「あまりムリをするなヨ」と声をかける。だが、タマを受けた小川はびっくり。「北角(中日)みたいなフォームだ。いいピッチングをする」と感心していた。
近鉄バファローズは、ことしの第一回新人選択会議で交渉権を獲得した高垣義広投手(鳥取西高)との交渉権を放棄することになり近くコミッショナーに届け出る。高垣投手は右投げの本格派投手で、中国地区では屈指の好投手といわれ、九月の第一回選択会議で巨人、阪神、大洋、広島、南海、近鉄の六球団がリストアップしていた。
1967年
雪どけのため、ここも三十分遅れて練習開始、卒業試験で帰郷していた新人高垣投手(鳥取西高)が母親といっしょに姿をみせた。他の投手陣と同じようにハッスルしていたが「むこうでやっていなかったので、バテますヨ」といいながらもさっそくブルペンでピッチングをはじめた。これをみた三原監督は「あまりムリをするなヨ」と声をかける。だが、タマを受けた小川はびっくり。「北角(中日)みたいなフォームだ。いいピッチングをする」と感心していた。