プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

堀本律雄

2017-03-11 20:02:34 | 日記
1960年

みずからのサヨナラ打でかせいだ二十四勝目、文字どおり堀本の一人舞台だった。七回一死一、二塁で伊藤を救援してみごと後続を断ち、その後十回まで投げてわずか一安打。そしてその裏小山から安打を奪ってケリをtけるはなばなしい活躍ぶり。国松が決勝のホームを踏むのをたしかめない前に一塁ベンチをとび出したナインは、一塁ベース上に突っ立っている堀本めがけて殺到した。「堀本サマサマや」ナインにつかまれるようにしてベンチへもどった堀本に浜崎コーチがいま流行のダッコチャンを左腕にからませた。「これがきょうのお祝いや」「大事にしますね」-自分でたたき出した勝利の味は格別だろう?「きょうはピッチングのことより、バッティングの方を聞いてもらいましょうか。最後のは外角スライダー。その前がカーブだろう。カーブ攻めを覚悟していたんでボックスのずっと前に立ったのがよかったな。外角を打つにはボックスの前に立つのにかぎるわ。八回の二塁打?あれも外角のカーブや」八回裏一塁に森をおき、右翼線に二塁打。森は本塁寸前に別れて決勝打とはならなかったがこれも外角打ちの見本のような当たりだった。「ここまでできたんだから、どうしても勝たんことには・・・」少し気ばった感じ。ここでまたカメラマンにグラウンドへ呼びもどされて「外角のスライダー・・・」を連発。「もう、よろしおまっか」と関西ベンでことわってからタオルを首にまきつけ小走りにロッカーへ。通路に待ちかまえていたファンの手をふりほどくのも一苦労の堀本だ。「・・・点をとらさないためには堀本より仕方なかった。あいつはたのもしいやつ・・・」水原監督の声がロッカーから流れてきた。「連投はもちろん覚悟していますわ。いまのウチの状態じゃ毎日投げるのもあたりまえやと思ってますさかい。しかし手がちょっとしびれてね」右手を二、三度握りしめた。着がえながらそばにやってきた長島が「堀本さん、参りました」と最敬礼。「こら、ひやかすな」どちらからともなく笑った。これで堀本の登板数は実に51。巨人の試合が97だからいかに堀本の比重が大きいかわかろう。-いよいよ30勝が迫ってきたね。「これからがホネや。別に記録は意識してないがね。まあのばせるだけのばしてみますが・・・」と金歯を光らせた。
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中村常寿

2017-03-11 18:56:30 | 日記
1960年

五回裏難波が代打に起用されると中村(常)はスタスタとロビーへもどった。またたく間に報道陣がとり囲む。太いマユ、ヒゲの濃い顔。たんたんと質問に答える。「カーブがうまくきまった。2ストライクをとったあとはほとんどカーブ。それに肩をこわして以来はじめて使ったシュートが生きた。飯田さんがこのシュートにうまくかかってくれてね」「九回まで投げる余力があったようだが」「このへんがいいところでしょう」「苦しかった回は」「スコア・ブックを見せて下さい。ああ、四回・・・。飯田さんに三塁打されたときです」「プロ入り初勝利の気持ちは?」「だってまだ試合終わっていないでしょう」どっと周囲から爆笑が起こる。「着がえますが、いいでしょうか」と立ち上がった。中村は四月中旬、立川キャンプで行われた巨人若手と米空軍部隊との試合前、一塁手をつとめてボールを下手から投げて、肩を脱キュウ。豊島区の吉田接骨医を訪れたときは「オレの野球生活もこれで終わりか」と思ったという。「クヨクヨしてもダメだと思い、痛い肩を使わずに練習した。つまり走ることです」そのうちに肩の痛みはウソのようになくなり、五月二十五日。対中日戦(後楽園)に投げたが自信らしい自信は二日対大洋戦(川崎)で投げてからだそうだ。
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大矢根博臣

2017-03-11 18:47:13 | 日記
1960年

大矢根はナインの握手攻めにあいながらダッグアウトへ引きあげると、ベンチの一番すみでタバコを一服。巨人から一勝をあげた五月二十六日(後楽園)は脱兎?のようにとび込んできて「ああ、疲れた」ベンチにながながとあお向けにねそべってしまったのにくらべると格段の差。カメラマンに呼び出されて、ていねいにタバコをベンチに置いてグラウンドへ出た。「きょうはこの前(六月六日・中日)より調子は悪かった。とくにはじめは気負っちゃったが、バックが二点とったでしょう、ずっとらくになっちゃって・・・」どっしり前足をひろげてしゃべる口調はゆっくり。「ふしぎと巨人相手のときはファイトがわくね。きょうはシュート、落ちる球がよかった」強気を売り物の大矢根らしく言葉はあまり出てこない。「四回森が国松のホームランになる球をとってくれたでしょう。試合のヤマだった。国松にはあまり打たれていないから、外角へはずしてから落ちるやつで勝負しようと思ったんですが、ど真ん中へいっちゃった」-だれを一番マークした?の質問にも「王君ですね。二つも四球を与えちゃったでしょう。打たれてはいないんだけど、しぶとくくいついてきそうでなんとなくこわかった。長島君はなんとも・・・」かざる様子もみせず正直に告白した。「後半はずっとらくになった。三点でしょう」さもあたりまえのようにいってのけたあたりが大矢根らしいただ一つの言葉だった。中日は後楽園ノイローゼになっていた昨年にくらべると、ことしはうってかわったような活躍ぶりだが、その原因をこの大矢根がつくり出したようなもの。「巨人のときはどうも必ずといっていいほど調子がいいんですよ」といってテレくさそうな笑いでごまかしてしまった。杉下監督が報道陣を前をラバー・コートを小わきにかかえて振り向こうともせず小走りにダッグアウトを出ていくときは、もう吸い残したタバコのことは忘れているようだった。
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大矢根博臣

2017-03-11 18:31:14 | 日記
1960年

長島のサヨナラ・エラーをひきおこす三塁ゴロを打った大矢根は必死に一塁へ走った。「ちょっと見たら長島がファンブルしているのでムチャクチャに走ったよ・・・」決して足の速い方ではない大矢根だから気ばっかりあせって一塁ベースの近くではヨロヨロしていた。長島がファンブルした上にあわてて送球したのが左へそれ、王の足がベースからほんのわずか離れていなければアウトだったろう。中日ベンチは大さわぎ。日ごろ冷静な牧野コーチまで「やってくれたよな」とわめいている。大矢根は森にかかえられるようにしてベンチに帰ってきた。いすにドスンとすわって「へばった」しかしすぐ「いや、それでも後楽園で巨人に勝ったときよりずっとましだ」といった。そういえば後楽園のときはベンチへ帰ってくるなり、長いすにながながとねっころがりしばらく放心状態になっていた。九回の二死一、三塁で打者大矢根となったとき、ネット裏記者席では「大矢根の代打はだれだろう」とみな盛んに考えていた。ところが杉下監督が長い間大矢根と話し合った結果、大矢根が打ち、貴重なサヨナラ・ゴロを放ったわけだ。杉下監督にきくと「どうだと大矢根にいったら、どっちでもいいや、というんだ。そこで、じゃあまだ投げられるかというと、それは大丈夫です。と答えたので打たせたんだ」とのことだった。気の弱い投手の多い中日の投手陣で、いちばん気の強い男として勇名。杉下監督がマウンドへいっても、すぐマウンドをおりたがらない投手としても知られている。「調子はよかった。同点にしてから気も楽になり、のびのび投げた。はじめはシュートを主に、あとはシュートとカーブを半分ずつくらい。自信はあった」そうだ。今シーズンの三勝のうち巨人にはいずれも完投の二勝、中日に新しい巨人キラーが現れた。
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