1972年
「プロ野球は、努力だけではダメですね。運、体力がないと・・・」と東映の荒船が、この日、球団に退団届けを出し、受理され任意引退選手になった。荒船は三年前、埼玉・深谷商から入団。ごく普通の選手であったが、元運輸大臣の荒船清十郎さんをオジにもっている関係で一時は脚光を浴びたものである。童顔でおとなしく、ナインから清十郎と呼ばれ親しまれていた。「ボクは体力(1㍍78、73㌔)もないし、素質もない。だけど何か目標に向かいたいのでプロにはいったんです」イースタン・リーグでもたまにしか出ない。荒船は、努力したが、ことしのキャンプで胃かいようになり、ますます目標が遠のいてしまった。「このままの状態(ファーム暮らし)でいいのなら、東映はキャッチーも少ないしいられるけど、そんなのはボクもいやなんです。自分なりに努力したし、もう悔いはない。これからはオヤジの仕事をするんです」荒船の父親、靖雄さん(56)は埼玉県秩父市で織物業を営んでおり、長南の荒船はゆくゆくは会社を継ぐことになる。「ほんのちょっぴり不安はありますがデッチから鍛えてもらう」とこれからのことについていう。野球では成功しなかったが、清十郎は、立派な社会人になるだろう。
「プロ野球は、努力だけではダメですね。運、体力がないと・・・」と東映の荒船が、この日、球団に退団届けを出し、受理され任意引退選手になった。荒船は三年前、埼玉・深谷商から入団。ごく普通の選手であったが、元運輸大臣の荒船清十郎さんをオジにもっている関係で一時は脚光を浴びたものである。童顔でおとなしく、ナインから清十郎と呼ばれ親しまれていた。「ボクは体力(1㍍78、73㌔)もないし、素質もない。だけど何か目標に向かいたいのでプロにはいったんです」イースタン・リーグでもたまにしか出ない。荒船は、努力したが、ことしのキャンプで胃かいようになり、ますます目標が遠のいてしまった。「このままの状態(ファーム暮らし)でいいのなら、東映はキャッチーも少ないしいられるけど、そんなのはボクもいやなんです。自分なりに努力したし、もう悔いはない。これからはオヤジの仕事をするんです」荒船の父親、靖雄さん(56)は埼玉県秩父市で織物業を営んでおり、長南の荒船はゆくゆくは会社を継ぐことになる。「ほんのちょっぴり不安はありますがデッチから鍛えてもらう」とこれからのことについていう。野球では成功しなかったが、清十郎は、立派な社会人になるだろう。