プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

荒船洋資

2017-03-10 22:21:38 | 日記
1972年

「プロ野球は、努力だけではダメですね。運、体力がないと・・・」と東映の荒船が、この日、球団に退団届けを出し、受理され任意引退選手になった。荒船は三年前、埼玉・深谷商から入団。ごく普通の選手であったが、元運輸大臣の荒船清十郎さんをオジにもっている関係で一時は脚光を浴びたものである。童顔でおとなしく、ナインから清十郎と呼ばれ親しまれていた。「ボクは体力(1㍍78、73㌔)もないし、素質もない。だけど何か目標に向かいたいのでプロにはいったんです」イースタン・リーグでもたまにしか出ない。荒船は、努力したが、ことしのキャンプで胃かいようになり、ますます目標が遠のいてしまった。「このままの状態(ファーム暮らし)でいいのなら、東映はキャッチーも少ないしいられるけど、そんなのはボクもいやなんです。自分なりに努力したし、もう悔いはない。これからはオヤジの仕事をするんです」荒船の父親、靖雄さん(56)は埼玉県秩父市で織物業を営んでおり、長南の荒船はゆくゆくは会社を継ぐことになる。「ほんのちょっぴり不安はありますがデッチから鍛えてもらう」とこれからのことについていう。野球では成功しなかったが、清十郎は、立派な社会人になるだろう。
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片岡建

2017-03-10 22:09:47 | 日記
1975年

「野球人生、もう一度、一からやりなおしです」-ニッコリ笑って日ハムのバッティング投手・片岡建選手(28)が、現役を引退。先乗りスコアラーとして第二のプロ人生を歩み始めた。四十五年、リッカーからドラフト一位で入団したのに、左足肉離れを再発。結局1勝もできず大方の期待を裏切ったが、持ち前のスピードとコントロールはバッティング投手で花開き、張本の恋人といわれる名物選手となっていた。「ハリさんの移籍とともに僕も現役を引退ですよ」ごくろうさまでした。生まれたて、ホヤホヤの先乗りスコアラーさんは、多忙なオフを送っていた。六日、神奈川・金沢文庫の自宅。机に向かって、ことしのチーム成績の整理だ。実は、スコアラーの仕事は三年ほど前から手を染めている。バッティング投手との二足のワラジ。張本の恋人としての役割は、それほど重大だったことになる。「ユニホームを脱ぐことには別に抵抗はなかったです。これからすべてを勉強しなきゃいかんという気持ちだけ。ただ、こんな若いのにあえてボクを先乗りスコアラーに選んでくれたことには責任を感じますね」専任の先乗りスコアラーとしての一本立ち。「バッティング投手として選手も横から見たきた目。見習スコアラーとして出す報告書の確かさ。そのへんを買われたんでしょうね」(岩本ファームディレクター)入団時にはドラフト一位とチヤホヤしておきながら、ひとたび不運な故障に見舞われると「契約金ドロボー」とののしる冷たい世間の風も、十分に知りつくしている偵察情報に重点を置く大沢野球が自信を持って送り出す偵察隊長だ。その新米の先乗りスコアラーさんが最近頭に来てること。彼氏張本のことである。「セ・リーグの投手の中に、3割はもう無理だろうなんていってる人がいる。バカにしてたらやられるよ。ことしだって、技術的にはどこも悪くなかった。成績が悪かったのは、他にそれだけ心配事があったということになる。打たれてから泣いたって知らんよ」なるほど恋人だけのことはある。四年間、張本のために投げつづけた球はざっと約5万2千球。試合前にその日の好、不調を予想し、それがピタリと当るのは毎度のことだった。その張本の移籍とともにやっと二足のワラジにサヨナラをする。かたわらにルイスビル製の破れたグラブ。四年間、バッティング投手をつとめた間、使いつづけたものだ。「これもちょうど、引退の時が来たんだね」-初めて見せるしんみりした表情。これからはペンを持っての床ガラスだ。まだ独身。「いままでだってお嫁さんが見つからなかったのに、今度の仕事は半年も出ずっぱりで、ますますむずかしくなるなあ」0勝1敗。投手・片岡のこれがプロ成績のすべてだ。
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佐藤敬次

2017-03-10 21:47:30 | 日記
1971年

ロッテ、南海両球団の間で進められていたロッテ・佐藤敬次投手(21)と南海・里見進捕手(28)の交換トレードが、九日午後、正式に両球団事務所で同時に発表された。ロッテは、昨年のトレード会議で里見捕手を南海に移籍させたが、大沢監督が同選手の復帰を強く要望したため、若手のホープといわれる佐藤投手を放出することにして移籍を実現させた。佐藤投手は、四十四年に大宮工からロッテ入り、公式戦出場は四十五年に2試合に登板しただけだが、上手投げの本格派で、将来性が期待されていた。
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