1970年
・彼、畑口健二は、よく夢を見る。それは、きまって放浪をつづけたグローバルリーグ、東京ドラゴンズ時代のものだ。「ハッとして目をさますと、ああ夢でよかったと思うのです。あの苦しかったときのことが、ボクの脳裏にこびりついて離れない。カラカスでさまよったときの同僚の顔。ボクにとって一生忘れられないでしょう。でも、あのころは、もうだれにも話したくはありません」
畑口の実家は、大阪市内にあるのに、高校は法政二工。それも定時制の出身だ。大阪のPL中学を卒業してから高校を三度も代わっている。野球の名門、興国高、それから横浜高。ここを一年で中退した。大洋へスカウトされたからである。
「興国へ入学したとき、どういうわけか野球部に入れてくれなかった。それで嫌気がさして横浜高へ転向したとき、いま阪神のヘッドコーチをしている藤井さんが大洋のスカウトをしておられて、ボクをスカウトしてくれた」。
畑口は、こうして大洋のユニフォームを着ると法政二高の定時制に通った。昼はファームで練習し、夜は高校。三年かかって卒業したとき待ち受けていたものは、力の世界からの脱落であった。こうしてグローバル・リーグに加わり、東京ドラゴンズのユニフォームを着て異国をさまようことになった。
しかし、彼は「野球の虫」だったのだ。なんとか羽田に帰りつくと、一週間後に伊勢市にある友人宅に世話になって野球のトレーニングをはじめている。そして、この1月、阪神にテスト生として自主トレーニングに参加したのだった。
「親父は、ボクが阪神のテストを受けていることなど、なんにも知らなかった。朝、早く起きてどこに行っているのだろうという程度だったのです。それが、ある日、ボクの入団が内定したというニュースが新聞にでているのをみて、阪神のテストを受けていたことが家族にバレてしまったのです。そのとき、両親は、たったひと言、よかったなァといっただけでしたが、このひと言がボクにとって、いちばんうれしいことでした」。はじめて畑口の顔に笑みが浮かんだ。普通なら冗談をいって同僚たちとワイワイ騒ぐ年齢だが、地球の裏側を放浪してきた苦労が、彼を年齢以上に落ち着かせているのかも知れない。大洋に入団した時の給料が五万円。その後、少しずつ昇給したが、阪神では四万円。チーム最低の給料だ。が、今の彼には
ゼニ金など問題ではない。「ボクは、野球がやれるだけでいいのです。地球の裏側で苦労した仲間の中には、野球がやりたくてもやれない人だっている。その人たちのことを考えるとボクはしあわせです。それだけにボクは努力しなければ・・・」
畑口は、こういってグラウンドへかけ出していった。彼の任務はバッティング投手。つまり、打撃強化をねらう阪神打線のけいこ台なのである。阪神の泣きどころは打てないこと。とくに左投手のタマには散々な目にあっている。畑口は左投手。
阪神にとって、どうしても必要なけいこ台なのだ。「畑口が左投手でなく、右投げなら阪神に入団できなかった」このように語る記者もいる。
「グローバルから帰って来た男」は、きょうも黙々と喜んで、打てない打線の練習台になっているのだ。
・彼、畑口健二は、よく夢を見る。それは、きまって放浪をつづけたグローバルリーグ、東京ドラゴンズ時代のものだ。「ハッとして目をさますと、ああ夢でよかったと思うのです。あの苦しかったときのことが、ボクの脳裏にこびりついて離れない。カラカスでさまよったときの同僚の顔。ボクにとって一生忘れられないでしょう。でも、あのころは、もうだれにも話したくはありません」
畑口の実家は、大阪市内にあるのに、高校は法政二工。それも定時制の出身だ。大阪のPL中学を卒業してから高校を三度も代わっている。野球の名門、興国高、それから横浜高。ここを一年で中退した。大洋へスカウトされたからである。
「興国へ入学したとき、どういうわけか野球部に入れてくれなかった。それで嫌気がさして横浜高へ転向したとき、いま阪神のヘッドコーチをしている藤井さんが大洋のスカウトをしておられて、ボクをスカウトしてくれた」。
畑口は、こうして大洋のユニフォームを着ると法政二高の定時制に通った。昼はファームで練習し、夜は高校。三年かかって卒業したとき待ち受けていたものは、力の世界からの脱落であった。こうしてグローバル・リーグに加わり、東京ドラゴンズのユニフォームを着て異国をさまようことになった。
しかし、彼は「野球の虫」だったのだ。なんとか羽田に帰りつくと、一週間後に伊勢市にある友人宅に世話になって野球のトレーニングをはじめている。そして、この1月、阪神にテスト生として自主トレーニングに参加したのだった。
「親父は、ボクが阪神のテストを受けていることなど、なんにも知らなかった。朝、早く起きてどこに行っているのだろうという程度だったのです。それが、ある日、ボクの入団が内定したというニュースが新聞にでているのをみて、阪神のテストを受けていたことが家族にバレてしまったのです。そのとき、両親は、たったひと言、よかったなァといっただけでしたが、このひと言がボクにとって、いちばんうれしいことでした」。はじめて畑口の顔に笑みが浮かんだ。普通なら冗談をいって同僚たちとワイワイ騒ぐ年齢だが、地球の裏側を放浪してきた苦労が、彼を年齢以上に落ち着かせているのかも知れない。大洋に入団した時の給料が五万円。その後、少しずつ昇給したが、阪神では四万円。チーム最低の給料だ。が、今の彼には
ゼニ金など問題ではない。「ボクは、野球がやれるだけでいいのです。地球の裏側で苦労した仲間の中には、野球がやりたくてもやれない人だっている。その人たちのことを考えるとボクはしあわせです。それだけにボクは努力しなければ・・・」
畑口は、こういってグラウンドへかけ出していった。彼の任務はバッティング投手。つまり、打撃強化をねらう阪神打線のけいこ台なのである。阪神の泣きどころは打てないこと。とくに左投手のタマには散々な目にあっている。畑口は左投手。
阪神にとって、どうしても必要なけいこ台なのだ。「畑口が左投手でなく、右投げなら阪神に入団できなかった」このように語る記者もいる。
「グローバルから帰って来た男」は、きょうも黙々と喜んで、打てない打線の練習台になっているのだ。