プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

縄田洋海

2017-12-18 21:32:46 | 日記
1970年

西鉄ライオンズはノンプロ八幡製鉄の縄田洋海投手(25)=右投げ右打ち、身長173㌢、体重70㌔=を獲得した。同投手は家庭の事情ですでに同社を円満退社している。西鉄ライオンズの城島渉外課長は同投手の入団希望もあって獲得交渉を行ってきたが、九日午前、同投手の同意を得た。同投手は福岡第一高から八幡大学へ進学、九州六大学野球リーグ戦では昭和四十一年春、同年秋、同四十二年の春と三回連続最優秀選手に選ばれ、同野球部の主力投手として活躍していた。なお、同選手は十日午後、福岡市天神の西鉄球団事務所で正式契約、十一日から西鉄の島原キャンプに参加する予定。縄田投手は九州六大学野球リーグからのプロ入り第一号選手。縄田投手の西鉄入りは突然だった。西鉄が勧誘に乗り出したのが一月三十一日。縄田投手が八幡製鉄を退職すると聞いて、さっそく城島渉外課長が乗り出した。このとき、同投手はすでに八幡製鉄野球部に退部を願い出ていた。八幡製鉄は極力慰留に努めたが、同投手の決意は堅かった。家庭の事情もあったが、プロで自分の力をためしたいという野球への情熱があったようだ。西鉄としては、八幡製鉄野球部に迷惑をかけてはいけないと慎重だったが、縄田投手は自分の意思で西鉄入りに踏み切った。「思いがけないスカウティングだった」城島渉外課長がこう語るのも無理はない。一昨年、同投手が九州六大学野球最後のシーズンを迎えたとき、すでに二、三のプロ球団が目をつけていた。だが、当時は体力的には恵まれず「素質はあるのだが、ここ二、三年間はノンプロでみがきをかけたほうがいい」と見送られている。この一年間、縄田投手の体格は見違えるほどたくましくなった。オーバーハンドからきれいなフォーム、得意の快速球が一段と威力を増している。西鉄としては「できれば、今秋のドラフト会議でリストアップする予定」だったそうである。

縄田投手の話 西鉄入りを決心しました。やる以上は死にもの狂いでやります。

城島渉外課長の話 突然プロでやりたいという話を聞いた。八幡製鉄に迷惑をかけてはと思って、円満退社するのを待っていた。十分期待してよいと思う。

稲尾監督の話 八幡にいい投手がいると聞いていた。素質のある投手ということだし、期待している。
コメント
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