1972年
大胆不敵なピッチングは、かつての宮田のような人気をつかみそうだ。プロ17年生の下手投げに注目したい。
1958年
秋本はカーブと外角へのスライダーを巧く使い分け大毎は八回まで3安打の散発、二、六、八回は得点圏に走者を送ったが、後続の貧攻で全部逃した。阪急も正面から勝負しない荒巻から七回まで5四球を奪ったが、後続が凡打にかわされた。ところが八回無死思いがけない秋本の右前安打で幸運が転り込み、バルボンの送りバントは野選、つづく本屋敷の巧い送りバントも三塁内野安打となって満塁の絶好機をつかんだ。ここで急いで代った植村には古川が四球押し出し、中田、川合の犠飛で2点を追加した。これで秋本は13連勝。
1959年
阪急の勝因は秋本の力投だ。三回一死遊ゴロの山下は半田の悪投で一挙二進、これをバルボンが中前適時打して先取点をあげた。しかしここで動揺した金彦から2死球を奪って退けながら代った皆川に対し青田の右犠飛で1点を追加しただけ。つづく中田の四球による再度の満塁も古川が凡退して最小限の得点しかあげられず攻撃力は依然低調だった。この打線とは対照的に秋本は一回広瀬に中前打、杉山に三遊間を破られ一、二塁の危機を招いたのみで、これを上手に乗り切ってからは回を追って調子をあげた。二、七回一死から寺田、長谷川に長短打を許しただけで外角へのスライダーを主にシュートも配合よく最後までさえて完封勝利を飾った。南海は一回の逸機が致命傷。なおこの試合で本屋敷遊撃手はパ・リーグタイの10捕殺を記録した。