1966年
さきのプロ野球第一回ドラフト会議(九月)で中日球団が中途退学者として、誤ってリスト・アップし話題となった、愛知大学野球リーグ、名商大高井諭投手(20)=三年生=は、十四日同大学を退学。この日、同選手は実兄弘氏(30)といっしょに名古屋市昭和区広路本町の同大学を訪れ、高木野球部長、杉浦監督に退学届けを出した。学校側はこれを受領した。退学の理由について、高井選手は語らなかったそうだが、弘氏は「いろいろ家庭の事情があり、退学後はうちの商売(建築請負い)を手伝わせる」と語った。
さきのプロ野球第一回ドラフト会議(九月)で中日球団が中途退学者として、誤ってリスト・アップし話題となった、愛知大学野球リーグ、名商大高井諭投手(20)=三年生=は、十四日同大学を退学。この日、同選手は実兄弘氏(30)といっしょに名古屋市昭和区広路本町の同大学を訪れ、高木野球部長、杉浦監督に退学届けを出した。学校側はこれを受領した。退学の理由について、高井選手は語らなかったそうだが、弘氏は「いろいろ家庭の事情があり、退学後はうちの商売(建築請負い)を手伝わせる」と語った。