プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ティロットソン

2018-01-03 18:46:18 | 日記
1971年

南海待望の青い目の助っ人ティロットソン投手が来日した。いささか太りすぎの感じで、記者会見の席上、坐ったとたんにボタンがち切れるという一幕もあったが、これは「昨年の末にアルバイトでテレビや洗濯機のセールスをやっていたので身体は鍛えていないが、もともと身体作りには時間がかからない方なので、開幕には充分間に合わす」とのん気なもの。武器は速球とスライダー。「日本の野球のことはたっぷりと聞いてきたから、どんなものかは大体わかっている。だからある程度の自信はある」と大見得を切っていた。「スタンカとまではいかんが、大きな戦力になりそうや」と野村監督もひと安心。地味だったハドリやブレイザーにくらべて、ティロットソンは阪神にいたバッキーばりの陽気な外人。ことしの南海のティロットソンの加入でムードも変わりそうな気配もする。
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ディサ

2018-01-03 18:43:51 | 日記
1965年

R・ディサ投手が、今シーズン限りで、日本球界から姿を消すことになった。昨年、日本球界初のウエーバー選手として、東京オリオンズから近鉄に移籍、二年間、必死の努力をつづけたが、ついに往年の球威はよみがえらず、自由契約選手になった。傷心のディサは、しかし、野球への未練は断ち切れず、「ハワイに帰ってもう一度野球をやりたい」といっており、帰国後ハワイ・アイランダース(3A)のテストを受けることになっている。ディサは「野球ができなくなった場合のことを考えて・・・」と大阪府枚方市香里園にアパートを買うなど、一時は日本永住を決意していたが、まだ二十四歳の若さ。もう一度野球選手としてのチャンスをつかみたいと考えを変えたようだ。すでに渡航手続きも終わり、二十八日羽田発のパン・アメリカン機で如東音夫人(23)、長男ディック・ヨシオ・ジュニア・ディサちゃん(十一ヵ月)ら家族とともに出発する。如東東夫人はかつて東京すみれファッション・モデル・クラブに所属していたほどの美人。「ディックは、はじめ日本に永住するといっていたのですが、近鉄を自由契約になり、ハワイでもう一度出発したいようです。なにしろ、ディサにとって野球は命ですからね。彼の再起を、少しでもバックアップしたい」ときっぱりした口調で話していた。
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