プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

迫田七郎

2018-01-05 23:49:39 | 日記
1965年

「第三の投手か? うん、まあ小山、坂井につぐ投手といえば、西、妻島、それにこの迫田だ」真田ピッチング・コーチは、大洋打線を四回1安打に押えた迫田をほめていた。迫田七郎といえば、照国高を出たあと、大阪の板谷商店で軟式野球をやっていた時、オリオンズの練習にテスト生として参加、採用された無名投手。昨年入団後、メキメキ腕を上げ、イースタンで最優秀投手、そしてことしのハワイ・キャンプからはローテーションにも加えられた。「シュートはいいし、速球がよく走る。こりゃ小野のあと釜を立派にカバーできる」と本堂監督も大喜び。若さでポンポン投げまくる迫田は、何ともいえない魅力を発散させて、首脳陣は、「いい男なんで、女の子にモテすぎて心配しているんだ」と、今シーズンの迫田への期待が大きいだけに、あれこれと細かい点にまで親心ぶりをみせている。

「もうイースタンのエースだけはこりごり。ことしこそ待望の1勝をあげて見せます」と二年目を迎えた迫田はすごい鼻息だ。すでにオープン戦ではしばしば起用され、大洋戦(十三日・小野田)には初勝利というハッスルぶり。「ことしはリリーフだけじゃなく先発ピッチャーとしても育ててみたい」と首脳部は、このひねくれ球の迫田を、妻島と並んで小山、坂井に次ぐ第三の投手にしようと特別力を入れている。迫田は昨シーズン、イースタンでは12勝4敗と最多勝利をマーク。六月から一軍入りしたが得意のひねくれ球が、「相手の目先をかわすのにいい・・・」ともっぱらリリーフばかり。東映十八回戦(東京)に初黒星をもらっただけで、12試合登板したが全部救援投手で1勝もできなかった。だからことしはなにがなんでもプロ入り1勝目をマークすると迫田は開幕を待ちこがれている。首脳部は「昨年以上にことしの迫田はおもしろい存在になりそう。もう少しスピードさえつけば鬼に金棒だが」と今シーズンの活躍にはタイコ判、妻島につづくピッチャーになれるかどうか、とにかく二年目の迫田の前進は未知数の魅力がいっぱいというところ。

東映戦に完封勝ちした二十才の好成年、シュート、スライダーが意識しなくとも投げられるという便利な男迫田は、「ことしの成長株だ」と、首脳陣も手ばなしだが、彼を真田コーチは「あの顔が気をつけなければならないのだ」と意味深なことをいった。いい男で女でつぶれることはこれまでも何人かあったが、真田コーチの心配もここにある。「ボクみたいな田舎者を相手にする人なんていない」迫田は一笑にふしたが、合宿から下宿にかわったことを知った女性ファンがさっそく球団に「その下宿に行くには、どういったらよいか」と電話してくる仕末。球団職員も、「大切な商品、変な虫がついては困るからね」・・・ともっぱら、かん口令。日本の南端九州鹿児島出身である人気者のお話である。

オールスター前までは池永(西鉄)とともに、新人王の最有力候補だった迫田が、6勝あげてからこの一ヶ月間勝ち星から遠ざかっている。「うちで個人タイトルをねらえる唯一の選手だから」と本堂監督も期待しているが、この迫田は夏に弱いという欠点がある。消火器が弱いためだ。ひまさえあればごろりと横になり、どんな時にも腹まきをして体に気をつけているが、食欲もめっきりと落ちる彼である。「ことしはあまり暑くないのでいいんだが、どうも勝てない」と元気のない迫田には冷夏もあまり役に立ってない。迫田にとっては、いまが一番大切な時だ。池永が着々と勝ち星をあげているのに対し、彼はさっぱり。「ピッチングそのものは悪いわけではないのだが、どうも完投できない。何かスタミナをつける方法はないかね」という。朝鮮ニンジンやニンニクという夏バテ防止法が、球界で行われているが、迫田君一つあなたも、やってみては。一本四千円もする朝鮮ニンジンでも一勝につながれば、安いものだと思うが・・・。

シーズン前半では小山も顔負けの快投で一躍新人王候補と騒がれた迫田も、中半からは鳴りをひそめ、結局6勝に終って、プロのきびしさを味あわされて、いま秋季練習に参加している。「勝てなくなってくると、やれ自信過剰だとか、気合が入っていないかといわれ、まったくいやになった。しかし自分にも反省しなければならないところがあるし、また来年は一年生のつもりでやる」と黙々と練習に打ちこんでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林誠

2018-01-05 22:51:04 | 日記
1964年

「バッティングのセンスなら豊田や徳武以上、サンケイの首脳陣に、一軍登用を声を大にして勧めたい」キャンプ当時から、評論家の別当薫氏にこう激賞されていた小林が、最近メキメキ力をあげてきている。もともと小林は二塁手だが、いまは遊撃に定着。センターの福富と交代で一番を打っているが、三日現在、2割9分4厘(81打数、23安打)をマーク。ベストテンの八位でがんばっている。とくに最近の打ちっぷりはめざましく、最近10試合に38打数の16安打、打率4割3分1厘と大当たり。二十日の大洋10回戦(西武園)では、延長十二回に決勝のヒットをとばすなど、攻守に地力を発揮しはじめた。小林は保原高出身の二年生。一メートル七十五センチ、七十八キロと内野手としては格好のタイプ。守備も軽快で粘り強い性格と合わせ、その将来性にはタイコ版を押されている有望株だ。小林は「早くナイター(一軍)で試合をやってみたい」とムズムズしているが、ファームの打撃を担当している佐藤コーチは「悪い癖だった片手打ちもなくなって、腰がすわってきた。素質もいいし、性質も素直だからまだまだ大きく伸びますヨ」アメリカ仕込みで、ハイセンスな野球を身につけている別当氏が推薦しているのだから、まず大物に間違いがなかろう。別当氏は、「ベース・ボールはスタイル・オンリーではだめだとよくいわれますが、基礎が出来ていて、しかも腰が強ければスタイルもよくなるものです。小林君は技術を身につけています」と大きな期待をかけている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐々木幸男

2018-01-05 22:09:38 | 日記
1960年

エース佐々木は長身。投げおろす速球はノビがあり、鋭いカーブがコントロールされており、本格派投手としてはまずA級。

十和田を相手にノーヒット・ノーランゲームを演じた金農佐々木投手は春の全県選抜の対秋工戦に次いで二度目の快記録。得意の速球、シュートが低目にビシビシきまって好調だったが、どうしたわけか死球を三つも与えた。三回に石川昭、古川と連続、続いて四回には田原に死球。それでなくても強豪との対戦とあって緊張していた十和田チーム。この死球におびえたか打撃振わず8三振を喫し、試合慣れした金農にのまれた形で敗れた。

エース佐々木は長身からのスピードボールが武器で県大会では三試合に登板。対十和田戦で七回終了無安打、無得点試合を演じたのをはじめ、三試合で失点わずかに1点の好投ぶり。まだ走者が出るといく分動揺するもろさはあるが、三試合で四球は五個とコントロールもよくなってきた。

1965年

始めか終りの男という変なニックネームが佐々木幸につけられた。今年のオープン戦、初登板したのが佐々木、公式戦最終ゲームにやっと勝利投手となったのが佐々木ということから、このアダ名がつけられた。今シーズン、佐々木幸にかけられる期待は大きかった。四本柱につぐ若手投手ということで、少なくとも10勝がノルマされていたほど。ところが、オープン戦で自信をうしなったことが、大きなアクシデントとなり、二軍で暮らす生活がつづいた。「気分的に参ってしまいました。どうも気が弱く苦境をはねつけようとした心の戦いに負けました。もっと力強さがボクになかったものかと残念でした」10勝の目標がその十分の一で終ったことを反省している。「オフの間、からだを鍛えて来季に備えます。ボクにとっても来年こそ本当の意味で正念場だと思いますから・・・」早くも来季に闘志を燃やしている佐々木幸だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淵上澄雄

2018-01-05 21:46:15 | 日記
1965年

スケールこそ小さいが淵上投手を中心にしたチームで、昨夏からの成績は17勝4敗と高い勝率を誇り、打力もなかなかのもの。投打の大黒柱、淵上投手は重いシュートが武器。一年生の時から主戦投手で投げているので打者とのかけひきも、まず申し分なく、昨秋の県大会優勝と中部地区大会で中京商(愛知)を苦しめたことが大きな自信になっている。


本格派の好投手である岐阜の渕上のピッチングがみものだ。180㌢の長身から投げおろす速球に切れのいいカーブ、シュートを持っている。制球がいいので安定しており、よほどのことがないかぎり乱れそうにない。

いよいよ試合の日がきた。この日のために、みんなで励まし合い助け合ってやってきたが、ずいぶん苦しい練習もあった。しかし、あすは甲子園のマウンドに立てば、そんな思いもいっぺんにフッ飛んでしまうだろう。それに抽選一番とあって、閉会式の選手宣誓という大役を与えられた。選抜に出場することの喜びにもまして、これはうれしいというより、責任の重大さを痛感する。岐阜短大付属の渕上ではなく二十四ナイン代表の渕上だから。昨夜はなんども選手や監督さんのいる前で練習してみた。ゆっくり、落ち着いてやれよみんなが口をそろえて激励してくれる。入場式は七万の観衆がはいるといわれているが、りっぱにやってのけよう。それから抽選一番というのは、とても縁起がよいという話だ。過去に多くの優勝校を出しているようだがぜひ第一戦を勝ちとってこの優勝校に一枚加わりたいものだ。母校のためにも、何千というファンのためにも。

この日行われた入場式の練習で渕上主将が選手宣誓を行うとあって、人一倍気をもんでいたのが松本監督ら短大付属高のベンチ陣。どうかうまくやってくれればよいがとスタンドで、立ったりすわったり。この心配をよそに、当の渕上主将はわれわれ選手一同は・・・・と、なかなかりっぱにやってのけた。これを見た監督さんらまあこれならと、ほっとした表情だった。

わが子の活躍を見守ってやろうと、選手の家族がつめかけていた。渕上投手の母親、よ志さん(45)と姉さん、亜代さん(20)もスタンド上段から応援、渕上君が参加全選手を代表して選手宣誓を行ったときは、渕上君がりっぱに大役を果すと、もう感激の涙が流れ、やっと顔をほころばせた。また同選手の出身地、吉城郡国府町からは二ツ寺町長、大坪助役、中学時代の野球部長、砂原先生などもつめかけ、町あげての応援だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金本秀夫

2018-01-05 21:19:17 | 日記
1965年

金本が米子高から阪急へ入団してもう四年になる。入団当時丸尾スカウトは、「きっと大物になる。スケールの大きい投手だよ」と期待をかけていたが、その後いっこうに芽が出ず、こんどのオープン戦でもサッパリ、佐々木幸、大石と並んで若手三羽ガラスといわれながら、チャンスをつかみそこねた印象が強い。西本監督も、「スピードはあるのだが、コントロールがいま一つ、思ったほど伸びなかった」と批評、山下コーチは、「結局、下半身の弱さがたたっている」と説明する。もう一つの欠点は気が弱いことだ。だから一度くずれ出すとブレーキがきかない。高知キャンプでもこんなことがあった。いくら投げてもストライクがはいらない。ストライクをねらったらかえってボールになる。だが西本監督は黙って金本のピッチングを見ていた。「その苦しさを乗り越えてこそはじめて一人立ちできるのだ」と。そしていくらボールが多くても金本を引っ込めようとしなかった。「ことしは必死です。ことしダメだったら・・・と背水の陣です」試練に打ち勝とうとする金本の気がまえは、十分だ。石の上にも三年、プロ入り四年目を迎えたことしは、文字どおり勝負の年でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安藤治久

2018-01-05 21:06:53 | 日記
1964年

安藤治が任意引退選手になった。四本柱につぐ投手として期待されていたが、1勝もせずとうとう引退選手となり、目下中日でテストを受け、再起を図っている。10勝近くあげられる力がありながら、なぜ阪急は安藤治を任意引退選手にしたのか?安藤治は精神的にやる気をなくしていた。その原因は、前コーチだった荒巻コーチとそりが合わず、ローテーションに入れられなかったから。安藤治のいい分は、「投げられるコンディションになりながら、個人的な感情で登板させて貰えない。とにかく阪急にいては自分の力がだせない。そんな気分的なものがやる気をなくしてしまった」一方岡野社長は「いまのように気分的にくさっていては阪急ではプラスにならん。安藤の将来を考え任意引退選手にした」ということだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江渡辰郎

2018-01-05 20:57:28 | 日記
1965年

バッティング投手専任の格好だった江渡辰郎投手がスコアラーを兼任することになった。三十三年、尼崎高から近鉄に入り七年目になるがいっこうに芽が出ない。しかし、コントロールのよさ、球筋の素直さは抜群でもっぱら一軍のフリー・バッティング投手にかり出されている。殊に今シーズンの近鉄は南海の皆川、東京の坂井と二度まで下手投げ投手にあわや完全試合という苦汁をなめているので、下手投げ江渡の任務は重大。その上、スコアラーを兼任することになったわけで、試合前の打撃練習に投げたあと、すぐ私服に着替えて、スコアブックと取り組んでおり、一人二役で大忙し。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする