プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

牧野宏

2018-01-24 23:59:46 | 日記
1960年

二十六日夜、伊豆方面の新婚旅行から帰ったばかりである。そこで圭子夫人(24)といっしょの写真を注文したらちょっとテレていた。昨春(法大四年)湿性ロクマク炎で入院、春のシーズンを棒に振った牧野だが、すっかり元気になっている。学生時代より体がひとまわり大きくなった感じさえする。「体に自信が持てるようになったからこそプロ入りにふみ切った。大学を卒業したときやれる自信があれば真っすぐプロ入りしたろうが、病気をしてしまったので・・・。しかしすっかり回復したところへ、私と同じような経験をした法大の先輩である戸倉さんが親身になってすすめてくれたので気持ちがきまった」そうだ。そして「もちろん投手としてやっていきたい」といっている。夏の都市対抗予選前に肩ならし程度のピッチングをはじめ、九月にはいってからぼつぼつ本格的に投げこんできた。十一月の産業対抗では登板できるコンディションを作りあげた。「よく学生時代にくらべてどうか?ということを聞かれるが、自分ではよくわからない。ただ、球がよくのびているときは自分でもわかるものだが、そういう球がまだないからかも知れない。しかし投げられる体になったということだけでもうれしい」いまの目標はまずスピードをつけること。プロのゲームを見てなおさらそれを感じているらしい。「なんといっても速い球に威力がなければプロでは投げられない。技巧派といわれる投手でも一応速い球は持っている。変化球と速い球の割合の違いで本格派と技巧派にわかれているだけだ。自分のいままでの投手経験からいってもいちばん打たれないのはストレートに威力があったときだ。ピッチングはやはり速い球が中心になっていかなければウソだと思う」速い球と同時に研究したいのがシュートで山内(大毎)をおさえることだという。「山内さんはまったくシュート打ちがうまい。だから山内さんでも打てないようなシュートをマスターすれば、まず大丈夫だといってもいい」圭子夫人とは法大時代からのつき合いだが「野球は数回見ただけでわからない」(圭子夫人の話)そうだ。牧野は「あまり野球にくわしくて細かい神経を使ってもらうよりは、その方がありがたい」と早くも息の合ったバッテリーぶりを見せている。明春、五日に西下、ホーム・グラウンド西宮球場に近い宝塚に新居をかまえる。それまで、牧野はトレーニング、サカナ釣り、猟銃を肩に歩きまわる。ちょっと太りすぎたからだ。牧野のスタート準備は着々と進んでいる。

日本石油・水野捕手の話「法大で牧野とバッテリーを組んだのはボクが四年、牧野が二年のときである。それから四年、ことしの産業対抗で牧野の球を受けてまず感じたのはスピードが落ちたことだ。もっとも牧野のコンディションを考えればそれもムリはないと思う。学生時代にくらべて腹が出て、腰のまわりにもぜい肉がついている。そのため上体が乗らず、腰もきれない。従って腕がさがる。というより昔のように上から投げられる体ではないのでどうしてもスピードがないわけだ。スライダー、シュートなど変化球の切れはそんなに悪くなかったが、スピードがないから六分程度のピッチングというところ。しかし、これが牧野の実力ではない。自分でもやる気になっているから、これからのトレーニングで腰や、腰のまわりのぜい肉を落とせば大いに期待できる。シーズン前半はムリとしても、後半にはきっと牧野らしいピッチングをみせてくれるだろう。またいまの牧野にとってムリに仕上げを急ぐことは禁物だと思う」

出身校 成田高ー法大。 身長、体重、きき腕 1㍍74、80㌔、右投右打。
生年月日 昭和十二年十一月九日。
現住所 千葉県印旛郡栄町安食三七一一。 背番号 未定。
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幡野和男

2018-01-24 22:10:05 | 日記
1961年

高知へくる前の神戸・川重グラウンドでの練習だった。打撃練習の一番最後にきれいなフォームで打つ新人をみた金田監督が報道陣にこういった。その新人は45の背番号をつけていた。「45番の新人はだれかいな。いいバッティングしてるで。高校生にしては基礎ができとる。これはええバッターになるな」ベンチの火バチをかこんでいた報道陣が「あれが法政二高の幡野ですよ。そら、昨年の夏の甲子園で優勝した・・・」金田監督は名前をおぼえる前に幡野のバッティングに目をつけてしまった。それからの幡野は新人の中の特待生。新人の野手組で高知キャンプに参加したのは幡野だけである。キャンプでの練習は「新人だから」という区別はまったくなかった。古い選手と同じだけの打撃練習をやり、シート・ノックでも左翼を守っている。昨夏の甲子園大会で四割五分の高打率をあげたときと同じように球にさからわないきれいなスイングでいい当たりをとばしている。中肉中背でプロ選手として大きい方ではないが、脚力があるので本塁打も出る。キャンプでの首脳陣の幡野評は大変いい。「並木は三割打者になるのに四年かかった。幡野は並木より一年早く三割打者になる素質を持っている」という声が多い。その片リンを紅白試合でみせた。六回の守備から伊藤に代わって左翼を守り、七回の初打席で同じ新人の太田の二球目を三遊間の遊撃寄りに打った。そのゴロは球足が速く左前安打になって両軍を通じての初得点をたたき出した。「やっとプロの空気になれたところで、まだ余裕ができません。毎日があっという間にすぎます。高知での二週間でやっていける自信はつきましたが、プロはすべてにスピードがあるので、早くそのペースを知りたい。きょうのヒットもつまっていました。あれもスイングがシャープになればもっと当たりがいいでしょう。当分いまのままやって、つまずいたときにいろいろ考えてみようと思います」ボツリボツリという。阪神のユニホームを法政二高のタマゴ色のユニホームに着がえれば、まだまだ高校選手で通る童顔だ。幡野はオープン戦にも行く。プロ入り二ヶ月たらずでもう三十名のなかにはいってしまった幹部候補生である。1㍍75、73㌔、右投右打、十八歳。
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高井準一

2018-01-24 21:33:29 | 日記
1960年

2-0でリードした四回、二死一、二塁で高井が中堅右へ三塁打、これが法政二高が大差をつけるきっかけになった。試合前「ここ数年間でことしのチームが一番強い」と自信満々だった田丸監督の目を白黒させるような猛攻がつづいた。高井はこの日三番を打ったが的場と代わってトップを打つこともある。これがことしの法政二高打線の特徴だ。ずばぬけたバッターもいないかわりに切れ目がない。それがスタート・メンバーの全員安打という結果になってあらわれた。高井はまだ一年生だった昨年の大会ですでに三塁手、五番打者としてデビューしている。「もう基本はできているから守備ではなにもいうことはない」(田丸監督の話)だそうで、その器用さをいっそう生かすため、ことしは併殺網の中心になる二塁にコンバートされた。器用な高井はふなれなポジションをすぐこなしてしまった。しかしバッティングではムリにひっぱりすぎる欠点があるので田丸監督はこの点をうるさく注意している。そのため外角打ちの練習を相当やらされたらしい。それがこの日外角高目のストレートをうまく中堅右へ合わせる三塁打を打てた原因だろう。「高井は精神的にも大きく成長した。前の打席で二度も歩かされていたから、昨年の高井なら打ちたくてたまらず、きっと欠点をさらけだしていただろう。しかしことしの高井はゆっくり球をみる余裕がある」と田丸監督も高井のバッティングをほめた。まだ二年生だが、一年生で早くもレギュラーに抜テキされた素質は、小坂(法政二高ー法大ー広島)二世と期待されている。五人兄弟の末っ子。平塚・代洋中学出身、1㍍78、69㌔、右投右打。

高井選手の話 「昨年も出ているのでのびのびとやれた。守備の方ではただ思いきってやれといわれただけだ。しかしバッティングの方はいつもりきみすぎるんで注意されている。室山さん(法大、春の首位打者)のようなシャープなバッターになりたい」
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長幡忠夫

2018-01-24 20:28:52 | 日記
1960年

今夏の予選では4試合に16打数、3安打、2打点で一割八分八厘。昨春、甲子園で活躍した長幡としてはややモノたりなかった。ホームランを一本記録しているが、これはランニング・ホーマー。昨年は一塁を守っていたのを、脚力があるのでことしは外野に転向した長幡が足でかせいだものだった。上背も申し分ないが、そのわりにウエートがない。その長幡が昨年の夏ごろから長打をねらい出した。一発ねらうファイトは買っていいが、このため長幡のバッティングがちょっとラフになってしまった。長打をねらうのでスイングがどうしてもすくいあげ気味になり、ヒジがあがってしまうので打てるポイントが非常にせまくなる。手首が非常に強く打者としての条件にはめぐまれているのだから、もっとミートに重点を置いてどんなポイントでも打てるようなバッティングを心掛けた方がいい。手首が強いとどうしても球にさからい勝ちになるからなおさらだ。長幡ほどの強い手首をしていれば、ムリに長打をねらわなくても、ミートさえよければ自然に距離はのびる。長幡の長所を生かす意味でも水平打法をすすめたい。合田も長幡も素質はいい。しかし、プロの世界でのしていくには特徴をのばすためになおいっそうの努力を望みたい。

阪神を選んだのは?

阪神は地元のチームだし、子供のころから大のファンだった。あこがれのユニホームを着て、思い出の甲子園でプレーできるのは大きな魅力だ。

まず勉強したいことは?

何もかも身につけたいことばかりだが、とくにバッティングだ。練習に参加して塚本コーチにヒジのあがる欠点を徹底的に、注意された。まずこれを直すことだ。高校投手のスピードならどうにか打てたが、プロのスピードにはいまの打ち方では通用しないらしい。

出身校 県尼崎高。 身長、体重、きき腕 1㍍74、66㌔、右投右打。
生年月日 昭和十七年八月十八日。 現住所 兵庫県西宮市津門稲荷町四七。
背番号 未定
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合田栄蔵

2018-01-24 19:27:32 | 日記
1960年

合田は育英高戦の前日、対社高戦に完投して2-1で勝っている。そして育英高戦では先発の牛島が2点をとられ、四回からあとをうけて投げたが、3点を追加されてしまった。昨春の選抜大会で見たときにくらべるとひとまわり肉がついてウエートは増してきたけれども、野球選手としては大きい方ではない。投手としてのスタミナにもちょっと不安がある。これが合田にとって問題だ。体力の消耗する夏の連投は決してラクなものではないが、合田は昨夏の予選ではスタミナの不足から敗れている。こんご合田がプロで活躍していくにはこれなら絶対というきめ球をマスターすることだ。いまの合田でいえばシュートだろう。シュートを完全に自分のモノにすれば、コントロールのいい外角球がいっそう生きてくる。戦前、私の現役時代(巨人)に南海にちょうど合田と同じような神田という投手がいた。ドロップに威力があり、それとわかってヤマを張っていてもなかなか打てなかった。合田もシュートにこれくらいの威力と自信をつけてほしい。下半身にバネがあり、腰が安定していることでも神田を思い出せる合田に、かつての神田のようなピッチングを期待してもムリではないと思う。

①南海を選んだのは?
スピードもあり、スマートでもあるチーム・カラーにひかれた。また鶴岡さんのような監督のもとでもまれたい。

②まず勉強したいことは?
スピードをつけることだ。練習に参加してみて、いままでスタンドから見て感じていたときとは問題にならないすごさにおどろいた。杉浦さんが投げているのを捕手の後ろから見たが、軽く投げているようなのに球がぐんと伸びていた。一日も早くあんな球が投げられるようになりたい。

出身校 県尼崎高。 身長、体重、きき腕 1㍍72、68㌔、右投右打。
生年月日 昭和十七年六月三日。 現住所 兵庫県尼崎市杭瀬二ノ坪二六。
背番号 未定。
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