1960年
大崎のピッチングをはじめてみたのは、ことしの夏の甲子園大会だった。フォームがぎこちない欠点はあったが、高校生ばなれのした体と、とてもいい素質を持っているように感じた。フォームがぎこちないのは腕の振りが堅いからで、体格のわりに球にウエートがのっていなかった。ところが先日大洋入りがきまって京都衣笠球場で実際に大崎の球をとってみて、体が非常にやわらかくなっているのに気がついた。昨年夏肩を痛め、昨秋から今春にかけて坂本(立大志望)にマウンドをゆずったがこのときのニガい経験が彼を人間的にも技術的にも成長させ、今夏の大会で活躍できたのだろう。「野球をやるために平安にはいったのに肩を痛めて野球ができなかった。眠れない夜がつづいたし、本当に目の前がまっくらになりました」と当時を語っている。いまは肩の痛みがすっかりとれ、腕の振りも非常にスムーズになっているが、グローブを持つ左手の使い方がまだまずい。そのため体が大きいのにフォームが小さくなっている。左手を大きく使えば打者に威圧感を与える。また球速も豊かになり、いっそう有利になる。そういうフォームの欠点はあるが、目標を定め、よくねらって投げていたのには感心した。大崎は上から投げおろしたときにスピードがあり、コントロールもよく球が生きていて申し分ないが、ときどき投げるサイドからの球はスピードが落ち、球が死んでいる。サイドから投げては1㍍82の恵まれた上背を殺してしまう。大崎がプロの投手としてやっていくにはまず三つの欠点をなおさなければならない。第一は球の軽いこと。第二は腰の小さいこと。第三に体に似合わず気が小さいことだ。球の軽いのは正確なコントロールをつけることである程度カバーできる。腰まわりをもっと大きくするにはランニングで鍛えることだ。腰から下が細いから腕だけにたよろうとするところがある。腰を張って腰で投げるピッチングをすれば下半身も大きくなるだろう。下半身の小さいことがカーブにも影響して、手先だけで投げようとしている。カーブはストレート以上に腰で投げなければいけない。シュートもカーブもいちおう投げられるのだから、変な球種もおぼえることはない。いまのまますぐ第一線はムリだろうが「二、三年二軍で勉強したい。いますぐ一軍のユニホームを着ようとは思いません」というとおりみっちり鍛えて将来にそなえる気がまえが大事である。
大崎投手の話 「同僚に坂本君といういい競争相手がいたことは幸いだった。ことしの夏の大会では堅くなったが、動揺しない精神力をつけることが第一だと思っている。技術的には疲れてくるとステップが大きくなるので、腰が落ちて力を使うわりに球が切れなくなるのをなおしたい。土井垣さんに聞いてみたら「踏み出す左足のツマ先が内側に向かないからだ。日常歩行のときも少しくらいかっこうが悪くても内またで歩くようにつとめなさい」といわれました。下半身を鍛えて一日も早く公式戦に出たい」
大崎投手略歴 高野中(京都)出身。中学二年までは捕手、三年から投手に転向したが中学時代は大きな大会に出場していない。昭和三十三年平安高入学、藤野(東映)卒業のあとのエースとなった。今春の選抜では昨年痛めた肩がまだ回復せずスランプ、高松商にKOされた。しかし夏の予選ではあざやかにカムバック、坂本に代わってエースとなり西舞鶴高(七回コールド)を一安打、16三振。東山高を11三振、ノーヒット・ノーランにおさえるなど五年連続甲子園出場の立て役者となった。甲子園大会でも金沢市立工を1安打、14三振に押えたが、鹿島高戦には自分の暴投(スクイズを警戒したウエスト)で惜敗した。平安高野球部はじまって以来の長身投手で、高校球界きっての本格派。
出身校 平安高。 身長、体重、きき腕 1㍍82、75㌔、右投右打。
生年月日 昭和十七年四月二十三日。
現住所 京都市左京区高野蓼原町三一。 背番号 未定。
大崎のピッチングをはじめてみたのは、ことしの夏の甲子園大会だった。フォームがぎこちない欠点はあったが、高校生ばなれのした体と、とてもいい素質を持っているように感じた。フォームがぎこちないのは腕の振りが堅いからで、体格のわりに球にウエートがのっていなかった。ところが先日大洋入りがきまって京都衣笠球場で実際に大崎の球をとってみて、体が非常にやわらかくなっているのに気がついた。昨年夏肩を痛め、昨秋から今春にかけて坂本(立大志望)にマウンドをゆずったがこのときのニガい経験が彼を人間的にも技術的にも成長させ、今夏の大会で活躍できたのだろう。「野球をやるために平安にはいったのに肩を痛めて野球ができなかった。眠れない夜がつづいたし、本当に目の前がまっくらになりました」と当時を語っている。いまは肩の痛みがすっかりとれ、腕の振りも非常にスムーズになっているが、グローブを持つ左手の使い方がまだまずい。そのため体が大きいのにフォームが小さくなっている。左手を大きく使えば打者に威圧感を与える。また球速も豊かになり、いっそう有利になる。そういうフォームの欠点はあるが、目標を定め、よくねらって投げていたのには感心した。大崎は上から投げおろしたときにスピードがあり、コントロールもよく球が生きていて申し分ないが、ときどき投げるサイドからの球はスピードが落ち、球が死んでいる。サイドから投げては1㍍82の恵まれた上背を殺してしまう。大崎がプロの投手としてやっていくにはまず三つの欠点をなおさなければならない。第一は球の軽いこと。第二は腰の小さいこと。第三に体に似合わず気が小さいことだ。球の軽いのは正確なコントロールをつけることである程度カバーできる。腰まわりをもっと大きくするにはランニングで鍛えることだ。腰から下が細いから腕だけにたよろうとするところがある。腰を張って腰で投げるピッチングをすれば下半身も大きくなるだろう。下半身の小さいことがカーブにも影響して、手先だけで投げようとしている。カーブはストレート以上に腰で投げなければいけない。シュートもカーブもいちおう投げられるのだから、変な球種もおぼえることはない。いまのまますぐ第一線はムリだろうが「二、三年二軍で勉強したい。いますぐ一軍のユニホームを着ようとは思いません」というとおりみっちり鍛えて将来にそなえる気がまえが大事である。
大崎投手の話 「同僚に坂本君といういい競争相手がいたことは幸いだった。ことしの夏の大会では堅くなったが、動揺しない精神力をつけることが第一だと思っている。技術的には疲れてくるとステップが大きくなるので、腰が落ちて力を使うわりに球が切れなくなるのをなおしたい。土井垣さんに聞いてみたら「踏み出す左足のツマ先が内側に向かないからだ。日常歩行のときも少しくらいかっこうが悪くても内またで歩くようにつとめなさい」といわれました。下半身を鍛えて一日も早く公式戦に出たい」
大崎投手略歴 高野中(京都)出身。中学二年までは捕手、三年から投手に転向したが中学時代は大きな大会に出場していない。昭和三十三年平安高入学、藤野(東映)卒業のあとのエースとなった。今春の選抜では昨年痛めた肩がまだ回復せずスランプ、高松商にKOされた。しかし夏の予選ではあざやかにカムバック、坂本に代わってエースとなり西舞鶴高(七回コールド)を一安打、16三振。東山高を11三振、ノーヒット・ノーランにおさえるなど五年連続甲子園出場の立て役者となった。甲子園大会でも金沢市立工を1安打、14三振に押えたが、鹿島高戦には自分の暴投(スクイズを警戒したウエスト)で惜敗した。平安高野球部はじまって以来の長身投手で、高校球界きっての本格派。
出身校 平安高。 身長、体重、きき腕 1㍍82、75㌔、右投右打。
生年月日 昭和十七年四月二十三日。
現住所 京都市左京区高野蓼原町三一。 背番号 未定。