2007年
プロ3年目にしてイースタン初マウンドを踏んだ。ノーワインドアップ、スリークォーターからのスライダーが得意球。今季は縦の変化球、ボール球で勝負する術を覚える。
2007年
プロ3年目にしてイースタン初マウンドを踏んだ。ノーワインドアップ、スリークォーターからのスライダーが得意球。今季は縦の変化球、ボール球で勝負する術を覚える。
1998年
小林聡(3年目・21歳)と、まだ実績は残していないが宇野雅美(2年目・20歳)の2人に期待したい。小林も宇野もけっして速球派というわけではない。小林は191センチという長身から投げ降ろす角度十分のストレートと落差のあるカーブを武器にし、昨シーズンの最終戦に佐藤とともに一軍デビューを飾った。ファームでは主力クラスで、昨シーズンは23試合に登板し、5勝8敗、防御率4.64で、投手成績11位の実績がある。190センチ以上ある長身選手は下半身の使い方に課題があり、小林もその例に洩れない。武器のカーブは一軍でも通用する力があるが、フォーク系の落ちるボールがないと球威で押すタイプでないだけに苦しいことは確か。宇野はピッチングをしているときに腕が長く見えた。テークバックが大きく、前の腕の振りも大きいので、見た目にスケールがあり、外国人選手のような投げ方をするピッチャーという印象が強くある。しかし、テークバックが大きすぎるため、前への腕の振りが緩くなり、ピッチング全体に躍動するようなアクションもなかった。プロ1年目の昨シーズンは5試合に登板、7イニングだけしか投げていないので見る機会がなかったが、高校時代に見せた素質からすると1年後くらいに一軍のマウンドに上がっていてもおかしくない。欠点を抱えながらも、腕の振りのしなやかさは一級品。面白いタイプのピッチャーに育つかもしれない。
1997年
昨季の秋季キャンプで近藤新監督が目をつけた逸材。188センチの長身から角度のある球を投げ下ろすタイプで、確かに素材として面白い。フォークをマスターすれば相当な器になりそう。
1982年
昭和38年7月4日生 1㍍78、72㌔、右投右打
ドラフト外にも夢がある。ウエートトレーニングに励み、体力づくりが第一。努力のうえには、おのずから一軍の道が開けるはずだ。
1983年
昨年テストで入団した投手だが、まだファームの試合にも登板させられないし、打撃練習用の投手に徹するほどの制球力もない。しかし、力量の面で未知数ながら、なにかを期待させるものがある。大坪や川根の先例もあることだから、くさらず不断の精進を重ねることだろう。
1982年
沖縄の星、竹下と同期生、華やかなフットライトを浴びた竹下に対し、縁の下の力持ち役に徹したが、コントロールなら負けない自信を持つ。今度は南海の星として輝いてほしい。
1983年
昨冬は出身校の興南高校の所在地である沖縄に自費で行き、自分の肩を調整してきた。一応選手登録はされているが、ファームの実戦で投げられるのか、打撃練習専用の投手となるかは本人の努力次第である。コツコツの努力型であることは認められているから、あとはどうアピールするかだ。
1984年
温厚な性格と骨身を惜しまぬ練習態度に好感がもてる。当分はバッティングピッチャーの手助けをして研さんをつづけることになるが、そのうちにチャンスをつかんで、晴れのマウンドにたつ日が訪れるだろう。くさることなく努力を重ねることだ。
2000年
剛球が自慢のストッパー候補が近鉄に加入。昨季在籍した2Aトレントンでは、リリーフで150㌔を超す直球を武器に、6勝0敗3Sの成績を残すなど、7年間のマイナー生活で通算29S。細かい制球力が身につけば、即メジャーと言われた逸材だ。エルビラ、ウォルコットに次ぐ3番手で、二軍スタートとなっているが、ハングリー精神旺盛で日本で飛躍的に成長する可能性を秘めている。
1994年
選手の逆指名が認められるなどの新制度となった昨年のドラフト会議で、1位指名された。バネのある下半身を生かした186㌢の長身から投げおろす快速球が持ち味で、フォームは槙原の若いころに似ている。丸亀商高時代は控えの投手で、東北福祉大に入ってからも、2年生までは登板のチャンスがなかった。その間、陸上選手のように走り続け、それが実って、3年生から同期の関根(日本ハムにドラフト1位入団)とともにチームの二本柱となった。その関根は、永遠のライバル。大学時代は1年生からマウンドで投げる姿を見て、「いつか越えてやる」と激しい闘争心を燃やした。3年生からは「関根に負けないピッチングをするぞ」と。お互いプロとして勝負する今年は「関根より早く1軍で投げる」こうしたライバルを持てることは、今後の成長におおいに役立つだろう。速球派なのに、好きな投手は技巧派の広島の北別府。「ないものねだりというのか、僕にはない精密なコントロール、ずばり内角を突く大胆さを持っていますから」宮崎キャンプでは、速球に磨きをかけるとともに、フォークのコントロールをつけて、縦の変化をつける投球を身につけることを課題として取り組んだ。堀内コーチは「将来のエース候補なので、じっくりと育てていきたい」と語るが、三野は「1年目からどんどん投げたい」と意欲を見せていた。
2000年
昨シーズン途中に巨人から移籍。移籍後初登板となった7月31日の千葉ロッテ戦では、チームの連敗を12でストップさせるサヨナラ勝ちに導いた。また北海道での古巣・巨人戦では先発して6回を4安打無失点に抑え2勝目をマーク。その後はサイドスローへのフォーム改造に取り組んだこともあり、試合登板も減ったが、課題の制球力は格段にアップ。持ち味のスピードボールとスライダーを武器に今シーズンは3年ぶりの一軍登板を狙う。
1992年
きれいにまとまったフォームからMAX144㌔の速球、キレのいいカーブを投げ込む。東北球界では文句なしの№1投手だった。巨人が将来の左腕のエースに・・・との期待を込めて獲得した金の卵だ。
1997年
技巧派左腕として貴重なワンポインター。
キレのいい速球とスライダーを持っているだけに、対左打者用のワンポイントとしてなら一軍に食い込む余地はある。
1998年
貴重な中継ぎ左腕として期待が寄せられる。
2006年
183センチの左投げでスピードは133㌔。体作りが完成されれば、クセ球だけに面白い存在になる。まずはイースタン登板から。
2007年
左投げでクロスファイヤー。昨年念願のイースタン初登板を果した。183センチの上背から133㌔速球とカーブ。もっと体を作り、ファームでの実績を積み重ねたい。
1999年
昨年巨人を退団し、今春沖縄キャンプでカープのテストを受け合格。まだプロで通用する体づくりが必要だが、若さとともに、大きく成長していく可能性を秘めた素材。野球に取り組むハングリーな姿勢は期待していい。
2005年
ファーム3年通算32試合2勝5敗、防御率6.33。00年から5年間、社会人野球。トライアウトで140㌔速球を披露。身体能力も高い。一度引退した選手のプロ復帰は渡辺孝男捕手(西武→日本ハム)以来2人目。
2006年
プロ初登板の9月7日、古巣・巨人からウイニングボールをゲット。豪快なフォームからスライダーとチェンジアップを投げ分ける。
2007年
ストッパーを任され、スライダーを武器に06年イースタン最多44試合登板。巨人・広島から社会人野球を経てプロ通算6年目。そろそろ悲願のプロ初勝利を手にしたい。
1982年
日産ディーゼル野球部出身。プロで野球がやりたくてテストを受けていた。巨人のテストは2度目の試験で合格。とにかく練習の虫で、雨の日も風の日もランニングと体操、シャドー・ピッチングを欠かさなかった。多摩川キャンプでも十分走り込み、下半身は安定している。ストレートとカーブが武器で、135㌔の速球を投げていたが、この速さではプロでは通じない。体にも恵まれず、技巧派に転身する必要があろう。