1982年
昭和38年7月8日生 1㍍81 74㌔ 右投右打
制球力の良さがキラリと光る。厳しい学園生活から学んだ精神力は強い。あとは、プロの厳しさに打ち勝つだけ。
1982年
昭和38年7月8日生 1㍍81 74㌔ 右投右打
制球力の良さがキラリと光る。厳しい学園生活から学んだ精神力は強い。あとは、プロの厳しさに打ち勝つだけ。
1987年
「阪神2位だよ」午後二時前。五時間目終了のチャイムに合わせて横浜高・野球部顧問の青山梅磨教諭に耳打ちされて、高井の顔がパッと輝いた。クラスメートが一斉に駆け寄り「やったー」「おめでとう」の連呼。今季指名された七十人のなかでも意中球団の上位指名を受けたのは少数派。高校三年間、あこがれの甲子園を踏むことはなかったが、最後は愛称の「ハッピー」通りの結果となった。「何だか実感がわかなくて…」と最初、報道陣の質問に「ハイ」「イイエ」ばかりを繰り返していた高井。しかし興奮が収まると「これからプロに入っても、いい時ばかりではないと思う。ダメになった時にあきらめず、頑張る覚悟」としっかりした抱負を述べた。2位という高い評価を受けたことについては「自分ではそこまでの自信はない。上位指名にふさわしい選手になるにはまだまだ勉強です」合宿所の電話で近鉄に二年間在籍した父親の準一さん(44)に報告。この時は「おめでとう」の一言だけだったが、平塚の自宅では「お前がプロでメシを食えるかどうかは、最初の三年が勝負。その間、体力トレーニング、基本技術、理論をじっくり身につけられるかどうかだ」と先輩の厳しいアドバイスが贈られた。
渡辺元・横浜高野球部長の話 高い評価を受けて指導者としてもうれしい。高井は左右どちらでも打撃のポイントが決っている魅力あるバッター。プロでも中距離ヒッターとして活躍できると思う。負けず嫌いで燃えやすい性格も合っている。どんどん自分からチャンスをものにしていってほしい。
横浜高の高井から阪神の高井へ。二十三日、阪神からドラフト2位指名された横浜高・高井一外野手(18)の入団が決まった。田丸スカウトが横浜市西区の横浜東急ホテルで本人、父・準一さん(44)、横浜高・渡辺元部長(45)らと会い、条件を提示、直ちに仮契約を結んだ。契約金は三千五百万円、年棒三百六十万円(いずれも推定)本人の志望球団ということで交渉は終始和やかなムード、高井は「目標は掛布さんです。三年目には一軍でレギュラーをとりたい」と目を輝かせた。プロ野球の経験がある準一さんも感慨深げで「小さいころからプロ野球入りできればと思っていたが、実際こうなってみるとホッとしたような、信じられないような」と晴れ姿に見入っていた。渡辺部長は「私が今までプロ野球に送り出した選手の中でもトップの実力がある。ものになるバッターです」と高井の門出を励ましていた。
1982年
これまたテスト入団選手だが、最近、珍しくなったサイド・スロー。キレ味の鋭いシュートを武器としており、掘り出しものと評判。しかし、入団発表後、腰を痛めて入院。多摩川、宮崎のキャンプに参加できなかった。練習を開始したのは3月に入ってから。それも腰に注意して、おそるおそるという状態。出遅れとアセリが心配されるが、まず体を完全な状態に戻すのが先決。1年間は、あせらず、ゆっくり鍛えるという。
1990年
七色の変化球が冴える。大洋で5勝をマークした実戦派の高橋は新天地で一段と熱が入る。武器であるフォークボールは面白いように低めへ落ちる。マウイキャンプではすぐにナインと溶け込み、いいムードを作っている。「高校の後輩である渡辺久信もいるし、みんな若い。いい刺激を受けています」と、表情は明るい。チーム全体が若いだけに、高橋のような中堅投手は貴重な存在。フォークだけでなくスライダー、シュートとコントロールが良く安定感は抜群。昨年息切れした投手陣の潤滑油として、高橋は今までのプロ生活のすべてを今年にかける決意。若手のお手本となって投手陣の争いが激化している。
1988年
投手としてヒジの使い方がうまいのが魅力。それと、手が21.5センチもあるのが有利だ。140キロ台の球を投げるし、ナックルも投げる。大きく育ってもらいたいひとり。
1990年
ドラフトでは6位指名ーしかし実力的には隠れ一位と超A級の評価を受けていたのが、浅野投手(岡山南)指名順位が遅れたのは、社会人入りが内定しておりプロ側が二の足を踏んだからだ。あえて指名した巨人の交渉は当然難航したが、スカウト陣の熱意が浅野を動かした。なんといっても145㌔近い球威十分のストレートが魅力。「真っすぐで三振を取れる江川さんのような投手になりたい」と言うがイメージ的には槙原二世かもしれない。
1998年
昨秋、巨人からトレードでマリーンズにやってきた。巨人時代は中継ぎでの出番がほとんどだったが、近藤監督は先発投手として期待する。もちろん、本人もその覚悟だ。ダイナミックなフォームから投げ下ろす速球は力強く、切れ味鋭いスライダーはパ・リーグのバッターを大いに苦しめるに違いない。7年目を迎える今季、大器が新天地で花を咲かせる。
1990年
期待の左腕も四年目を迎えた。これまで単調なピッチングでつかまった点を反省、真っすぐとカーブに加えマウイキャンプで小山コーチからパームボールを伝授された。「すぐにはマスター出来ないでしょうけど、かなり感じはつかみました」と一軍入りへ表情は明るい。これまで工藤以外、左の先発投手が育っていない西武。首脳陣の熱い期待に応えるべく、亀井が四年目に勝負をかける。
1990年
これまで一軍で活躍しなかったのが信じられない。ストレートは140㌔を超え、ファームではエース級。性格的にノンビリ屋が裏目に出ていたが、今年は阪神時代から知っている小山投手コーチが就任。やる気も違っている。キャンプではチェンジアップに磨きをかけ投球の幅を広げた。「今年は多めに使うつもりです。必ず一軍でやります」この男が働けば西武の左腕不足は一気に解消する。