1994年
大きなかけに思えた。5連勝で迎えた西武戦。大事な初戦の先発指令を受けたのは、プロ5年目の二十二歳、高橋功だった。昨年までずっとファーム暮らし。中4日でエースの星野を投げさせる案もあったが、山田投手コーチは秋田・能代高の後輩を仰木監督に進言した。成算はあった。プロ初先発だった二日の日本ハム戦では、七回途中まで好投している。「球を低めに集められるし、緩急の差がつけられるから、西武には通用するかもしれない」と山田コーチは考えた。一回のマウンド。左の安部から始まる西武のジグザグ打線を3者凡退に仕留めて、リズムに乗った。スリークォーターからしなるように右腕が出てくる野田に似たフォーム。140㌔台の直球と100㌔台のスローカーブとの緩急の差を生かすことに一番気を使った。「西武には打たれて当然」と開き直って投げたこともよかった。高橋功が生まれた1971年、山田コーチは今の高橋功と同じ年で22勝を挙げている。後輩は、やっとそのスタートラインに立った。生まれて初めてのヒーローインタビュー。その後は、ファンが待つ右翼スタンドまでウイニングランと続く。「ここまで長かった。4年分を一気に駆け上がった気がする」と高橋功。記念のウイニングボールは、偶然、故郷の秋田から球場に来ていた両親に贈ることにした。
1997年
今季初先発で二年ぶりの勝ち星を挙げたオリックスの高橋功は「ボールが低めに集まった。シュートがよかった」と、ひと息をついた。2連打されて降板した六回途中まで打者二十四人。外野への飛球は一本もなく、安打も大半がゴロだった。毎回走者を出しながら無失点だ。「今日ぐらいの結果なら先発でいけるだろう」と山口投手コーチは評価した。
1999年
クロス気味に足を踏み出す投球フォームは、少しぎこちなく見える。ステップした際に体の動きが一瞬遅くなり、そして急に腕が出てくる。しかし、この変則的な動作が彼の武器である。打者にとってタイミングが取りづらいのだ。直球は130㌔台後半。だがスライダーやフォークの組み合わせで球が生きてくる。プロ十年目のベテランは自らの長所を生かし、ダイエー打線のタイミングを狂わせた。一回守りの乱れから1点を失った。「いやな点の取られ方だったから、引きずらないように。走者を出さないことに集中した」という。二回以降はどんどんストライクを先行させていった。そうなると彼のペースだった。六回までわずか2安打。仰木監督は「功一はよかった。次は中四日で予定しているから、いいところで代えた」と満足そうにうなずいた。