プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三好正晴

2021-03-27 15:31:34 | 日記

1991年

 

秋季県大会準優勝の実績からしてVを狙える有力校。そのカギをにぎるのは右本格派・三好の出来。県内屈指の速球派で落差のあるカーブはそうは打てない。

午後三時四十五分、巨人から川口工高・大脇監督に5位指名した、との電話連絡があった。三好正晴投手は十二球団どこでもOKの意向だったが、「実際は十番目でも指名されないと思っていました」と、人気球団からの5位指名に「うれしいのかやれるのか複雑な心境」とおおげさな喜びの表情はなかった。同投手は子供のころからプロにあこがれていたのではなく本格的に志願し始めたのは、今夏の選手権が終わったあと、二年生の秋からエースとして活躍、昨年の秋季大会で準優勝し、関東大会にも出場した。選手権では思った結果こそ出せなかったが、速球が魅力の大型投手として活躍が期待される「これからはトレーニングを積んで体をつくりたい。いまは目標にする選手はいません」と話していた。これで川口工高からは四人目のプロ選手。大脇監督は「三好は精神的な強さがないから四年間の修行(大学)が終わってから遅くはなかった」と内定していた大学のこともあって困惑気味、が、この厳しい親心を三好が成長するためのせんべつにしているようだった。

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干場崇永

2021-03-27 14:29:46 | 日記

1993年

 

ルーキー干場崇永(ドラフト4位)には、簡単に追い込まれ、138キロのフォークで仕留められた。「ストライクゾーンの見極めができていない」。試合後の松井は、反省しきりだった。

 

1998年

 

八、九回を抑えた干場がプロ入り六年目にして初勝利を挙げた。「全然知らなかった。うれしいですけど、本当はもっと早く勝ちたかった」と、喜びの中にもちょっぴり悔しさものぞかせた。1年目の1993年に2試合投げて以降、昨シーズンまで公式戦の登板はない。だが今季は小差の場面で中継ぎとしてマウンドに上がり、ベンチの期待にこたえている。「(投げ終わると)今までになかった疲れがあるけれど、充実感の方が大きいです」と気持ちよさそうに汗をぬぐった。

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谷内聖樹

2021-03-27 14:22:06 | 日記

1994年

(プロ初先発で三回降板)一番自信のあるスライダーが狙った所へ行かず、組み立てができなかった。先発の雰囲気を味わえたし勉強になった。

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江坂政明

2021-03-27 13:32:26 | 日記

1993年

 

先発の江坂はフォークボールとスライダーを低めに集め、右腕から右打者の外角いっぱいに決まるシュートを有効に使い、唯一ピンチを迎えた四回の無死一、二塁も中島を三ゴロ併殺打に仕留めて、プロ初完封。

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桧山泰浩

2021-03-27 09:05:02 | 日記

1986年

ドラフト1位の新人右腕投手、桧山(東筑高)が初めて打者相手に投げた。栗橋、羽田、梨田、大石の主力に約60球。「八分の仕上がり」というストレートを投げ込んだ。ナチュラルにシュートするため、右打者は詰まる場面もあったが、栗橋には快音を残され「満足いく球は四球ぐらい。栗橋さんにはどこに投げても打たれそうな気がした」と桧山。しかし、初体験にしては落ち着いており、コーチ陣は「荒れるかとおもったけれど、いい心臓をしている」と印象を語った。栗橋は「回転がよく意外に重たい」羽田も「いい投手だ。もっと伸びるよ」とほめていた。

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品田操士

2021-03-27 08:59:01 | 日記

1996年

 

今季から野茂(ドジャース)のようなトルネード投法に取り組んでいる。近鉄の品田が初勝利を挙げた。本家ばりの角度のある直球とフォークに加え、100㌔前後の緩いカーブが有効に決まり、七回途中まで相手打線を6安打、自責点2に抑えた。品田は「最後まで投げたかったけど、まず1勝できてホッとしています」佐々木監督は「ようやった、この1勝は大きいで」と大喜びだった。

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高橋功一

2021-03-27 08:52:04 | 日記

1994年

大きなかけに思えた。5連勝で迎えた西武戦。大事な初戦の先発指令を受けたのは、プロ5年目の二十二歳、高橋功だった。昨年までずっとファーム暮らし。中4日でエースの星野を投げさせる案もあったが、山田投手コーチは秋田・能代高の後輩を仰木監督に進言した。成算はあった。プロ初先発だった二日の日本ハム戦では、七回途中まで好投している。「球を低めに集められるし、緩急の差がつけられるから、西武には通用するかもしれない」と山田コーチは考えた。一回のマウンド。左の安部から始まる西武のジグザグ打線を3者凡退に仕留めて、リズムに乗った。スリークォーターからしなるように右腕が出てくる野田に似たフォーム。140㌔台の直球と100㌔台のスローカーブとの緩急の差を生かすことに一番気を使った。「西武には打たれて当然」と開き直って投げたこともよかった。高橋功が生まれた1971年、山田コーチは今の高橋功と同じ年で22勝を挙げている。後輩は、やっとそのスタートラインに立った。生まれて初めてのヒーローインタビュー。その後は、ファンが待つ右翼スタンドまでウイニングランと続く。「ここまで長かった。4年分を一気に駆け上がった気がする」と高橋功。記念のウイニングボールは、偶然、故郷の秋田から球場に来ていた両親に贈ることにした。

1997年

今季初先発で二年ぶりの勝ち星を挙げたオリックスの高橋功は「ボールが低めに集まった。シュートがよかった」と、ひと息をついた。2連打されて降板した六回途中まで打者二十四人。外野への飛球は一本もなく、安打も大半がゴロだった。毎回走者を出しながら無失点だ。「今日ぐらいの結果なら先発でいけるだろう」と山口投手コーチは評価した。

 

1999年

 

クロス気味に足を踏み出す投球フォームは、少しぎこちなく見える。ステップした際に体の動きが一瞬遅くなり、そして急に腕が出てくる。しかし、この変則的な動作が彼の武器である。打者にとってタイミングが取りづらいのだ。直球は130㌔台後半。だがスライダーやフォークの組み合わせで球が生きてくる。プロ十年目のベテランは自らの長所を生かし、ダイエー打線のタイミングを狂わせた。一回守りの乱れから1点を失った。「いやな点の取られ方だったから、引きずらないように。走者を出さないことに集中した」という。二回以降はどんどんストライクを先行させていった。そうなると彼のペースだった。六回までわずか2安打。仰木監督は「功一はよかった。次は中四日で予定しているから、いいところで代えた」と満足そうにうなずいた。

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