1994年
プロ野球では鎮西高を出て近鉄ー西鉄・太平洋クラブーロッテで俊足巧打の内野手として活躍した菊川昭二郎(49)が隈府出身。現在、熊本市で建設機械会社を経営。
1994年
プロ野球では鎮西高を出て近鉄ー西鉄・太平洋クラブーロッテで俊足巧打の内野手として活躍した菊川昭二郎(49)が隈府出身。現在、熊本市で建設機械会社を経営。
1987年
ハマの金田正一(現プロ野球解説者)を目指せー。横浜大洋は二十日、ドラフト外で大型左腕・呉俊宏投手(21)=法大、190㌢、83㌔、左投左打=を獲得した。呉は神奈川県出身。横浜市旭小から同寺尾中を経て法政二高へ進学。高校時代は軟式野球部で二年秋、三年春、夏の県大会優勝にチームを導いた。法大経営学部進学後は三年から同校順硬式野球部に所属。三シーズンの通算成績は119回1/3で131奪三振、自責点17、防御率1.28。今春の東京六大学準硬式野球リーグで42回無失点を記録している。大洋とのなれそめは古葉監督が十月上旬、友人と会食した際、たまたま呉が同席。その立派な体格を見込んで十月中旬にテストしたところそのフォーム、球威に監督、スカウト陣がほれ込んだ。横浜大洋の隠し玉だ。呉は家業の貿易商を継ぐつもりで大学一、二年は草野球しかやっていなかったが「どうしてもプロに行ってみたい」と思って準硬式野球をはじめたという。大洋からの誘いに本人、家族も賛成で「ボクは直球主体の投球ですが、スライダーが好きな球です。10勝以上はできる投手になりたい」と抱負を語った。呉にほれ込んだ木庭球団取締役は「今年のドラフトにかかったどの左投手よりもいい。「特」の字をつけたいくらい。手首の軟らかさ、カーブ、スライダーの切れは抜群です」と最上級の誉め言葉が飛び出した。「ぼく自身、軟式出身で準硬式にもこんな逸材がいるとは。勉強になりました」準硬式出身というハンディは、ほとんどない、とは木庭スカウト。「広島の大野が、出雲市信用組合という軟式のチームに二年間、所属していたこともあるくらいだからね」大野が通算79勝、38セーブを挙げた投手に成長しているのを見れば分かる、と言いたげ。今季十二球団でドラフト外入団は呉が初めて。契約金は二千万円、年棒三百六十万円(いずれも推定)
1982年
早実では川又の1年後輩に当たる。クセのある投法は、目先を変える意味で面白い存在だが、ピッチングそのものを、しっかり身につけること。精進することが大切。
1992年
負けん気が強く、性格は投手向き。キレのいい140㌔台の速球が武器の本格派右腕として、高校時代は鳴らした。今年は基礎体力の強化に専念して、プロの体を作ることが主目標。あせらず、じっくりと体作りに励み。将来のエースを狙う。
1987年
主戦の森は速球とカーブのコンビネーションが身上。カーブは大小2種類あり、キレも鋭く、絶妙な制球力で安定している。
森は昨年の九州大会と県予選の全試合に登板、九州大会の3試合は一人で投げ抜いた。速球と大小二種類のカーブのコンビネーションがよく、丁寧にコーナーを突く。防御率1.47は今大会出場の主力投手中10位。九州大会で連続無四球試合を演じるなど制球力は抜群で、走者を背負っても粘り強い投球ができる。また、マウンド上でのテンポの良さも守備陣に好影響を与えている。一見おとなしそうだが、内に秘めた闘志は相当なもの。大舞台になるほど真価を発揮するタイプだけに頼もしい大黒柱だ。立ち上がりさえ、うまく切り抜ければ甲子園でも活躍しそう。
1990年
熊本県熊本市
契約金2000万、昨秋のテストに合格。62年春のセンバツにエースとして活躍。ベスト8進出を果たした。打たせてとる型の投手、コントロールはよい。
1990年
デビューした87年に10試合投げた後は、一軍のチャンスに恵まれない。右打者の胸元をえぐる得意のシュートに加え、落ちるボールをマスターした昨季も、上での出番はなかった。今年は元旦から自主トレを開始するなど、背水の陣を布いている。