1989年
エース宮川を軸に投手力は安定している。宮川は180㌢、75㌔の左腕で、カーブ、シュートなど多彩な球種で打者をほんろうする。左ひじの痛みがやや気掛かりだが、バックの信頼が厚く打たせてとる投球がうまい。
プロ野球ドラフト会議で日本ハムから5位指名を受けた大館商高三年の宮川晃投手=180㌢、75㌔、左投げ左打ち=は四日、プロ入りの移行を強めたことに伴い、就職が内定していた秋田あけぼの銀行側へ報告に訪れるとともに、初めて球団側と実質的な交渉を行った。宮川投手はこの日、「気持ちは半分以上、プロ入りに傾いている」と話し、プロ入りの意思をほぼ固めた胸の内を明らかにした。この日は、同校野球部の石垣寿也監督、父親の幸衛門さん(52)=鹿角市十和田、農業=とともに、就職が内定していた秋田あけぼの銀行を訪れ、同校野球部の石崎透監督らに「指名を受けてプロ入りの考えている」旨を伝えた。石垣監督によると、秋田あけぼの銀行側は「最終的に本人の意思で決定してほしい」と話した。この後宮川投手らは、日本ハムのスカウトと秋田市内のホテルで指名後初めて実質的な交渉を行った。球団側は本人の意思や内定先の受け止め方などを聴く一方、宮川投手らはプロ野球の練習内容や生活環境などを確認した。球団側は十日ごろに二回目の交渉を行い、その席上で契約金や年棒などの条件を提示し、同球団の入団発表が予定される今月二十日までには仮契約にこぎつけたい方針だ。
プロ野球ドラフト会議で日本ハムから5位指名を受けた大館商高三年の宮川晃投手(18)=180㌢、75㌔、左投げ左打ち=は十六日、鹿角町十和田大湯字大川原三七の自宅で、日本ハム山田正雄スカウトと三度目の交渉に臨み、契約金三千万円、年棒三百六十万円(いずれも推定)で仮契約した。交渉には宮川投手と父親の幸衛門さん(52)、大館商高の武田保夫教頭、石垣寿也野球部監督らが臨み、一時間余りかけて交渉。仮契約にサインした。仮契約終了後、宮川投手は山田スカウトとガッチリと握手し、「指名を受けたときは六分四分で、内定していた地元の銀行に行こうと考えていたが、本当に好きな野球をやるならプロで自分の力を試してみたい、と両親に話した」と入団への経緯を語るとともに「一年目は体をつくり、二年目からは一軍入りを目指し、将来はチームの大黒柱になれるよう頑張りたい」と抱負を語った。山田スカウトは「柔軟な投球フォームとひじの使い方がいい。体さえできればプロで十分にやっていける。焦らず三年先を目標にやってほしい」と期待を寄せる。日本ハムはこれで阪神に続き、ドラフト指名選手全員の入団が決まった。入団発表は二十日、東京都内の全日空ホテルで行われる。一月十五日からは自主トレーニングが始まるが、宮川投手は「学校とも相談して参加してみたい」と意欲を示した。母親のヒロ子さん(49)は「チームの皆さんにかわいがられて、一日も早く立派な働きができる選手になってほしい」と語っていた。鹿角市からはドラフト制が実施されて以来、初のプロ入り選手。昭和三十七年西鉄(現西武)に入団した米田敏美投手(十和田高)=同市十和田錦木出身=依頼、二人目のプロ野球選手。市民も今後の活躍を期待している。