1992年
将来は投手陣の軸となることを約束されているといっても過言ではない。高卒2年目ながらマウンド度胸は抜群。ストレート主体にカーブ、フォークを操る投球は素晴らしい。今のまま順調に伸びていけば、左腕投手王国に加藤の名が加わる日も近い。
1992年
将来は投手陣の軸となることを約束されているといっても過言ではない。高卒2年目ながらマウンド度胸は抜群。ストレート主体にカーブ、フォークを操る投球は素晴らしい。今のまま順調に伸びていけば、左腕投手王国に加藤の名が加わる日も近い。
1993年
「子供の頃からの夢」のプロからの指名に、社会人を蹴っての入団。将来性豊かな右腕だ。寡黙だが、マウンドでは強気なところを見せる。長身から投げ下ろす速球とスライダーが持ち味。プロでは「ストレートで押せる速球王になりたい」と、やはり強気。「2年で一軍に上がって、毎年、背番号の小さくなるような活躍がしたい」と、しっかり将来を見据えている。
1999年
プロ7年目にして初めて一軍キャンプからシーズンのスタートを切った。「何もかもが勉強になってます。でも負けているとは思っていません」と言い切るあたりに精神面の強さ、負けず嫌いの性格が表れている。打者の胸元をえぐるシュートは威力抜群。強気な性格と相乗効果を発揮できれば、一軍マウンドはグッと近くなる。
1991年
高校時代は、投手経験はあるものの背番号「8」絶対的なエースではなかった。それが近鉄の入団テストで合格。それも「三振をとれる逸材」という理由で。中央球界ではまったく無名の存在が、プロ球界でスターを目指す。
1996年
打者のいやがるクセ球を持ち、大きなカーブと真っすぐのコンビネーションが売り物だ。打撃投手からのし上がったという異色の経歴を持つ谷内は一昨年に一軍デビューを果たして話題を呼んだが、昨季はファーム暮らし。同じ左腕の伊藤、柴田らとの競争に勝てるか。「とにかく少ないチャンスをものにしたい」サウスポーという特徴を生かして一軍キップを手にしたい。
2000年
近鉄を戦力外になって広島にテスト入団。98年にはウエスタンでノーヒットノーランを達成し、一軍戦にも登板した。カープでも左の中継ぎとして活躍のチャンスはある。バッティングピッチャーからはい上ってきた根性で、新天地での開花を目指す。
1992年
ダイエーから移籍1年目の昨年、うれしい通算1000投球回をマーク。投手としてのひとつの目標をクリアした実績を土産に、10年目の節目の年だ。得意のスライダー、シュートのゆさぶりで中継ぎとしてもうひと花。ベテランは貪欲にマウンドに固執する。
1998年
「勝負球はナックル」という異色の左腕投手だ。今の球界ではナックルを投げる投手は非常に少ないだけに、チームのピンチを救う貴重な武器になりそうだ。「パワーのある外国人選手を三振に取ってみたい」という言葉通り、セットアッパーとしての活躍が期待される。
1997年
1試合平均10奪三振、MAX144㌔。入学当時無名だった日本文理大(大分)を、九州屈指の強豪校に押し上げた奇跡の右腕に熱い期待。夢であるプロ野球全打者との対戦実現のため、開幕から先発ローテーション入りを目指す。セールスポイントはストレートのキレとフォークボールだ。
1992年
春の鴨川キャンプでじっと高野を注目していた土橋監督からいきなり「マウンドに上がってみろ」の指令がとんだ。高校時代の盗塁視察率、実に8割という驚異的な鉄砲肩は、それほどまでに首脳陣の目をひきつけている。投手転向という思い切った試みが功を奏するのか、やはり本来の捕手のポジションに腰を落ち着けるのか、いずれにしても高野にとってワクワクするようなプロ1年目がスタートする。
1994年
頑健かつ長身から投ずる速球に威力があり落差十分のフォークボールにもスカウトは注目したと言う。小学3年から始めたアマチュア時代をとおして、スポットライトとは無縁で本人が「陽の当らない野球人生」として唯一の例外が昨年の大学選手権出場だった。本格的な投手経験は大学入学後という奥手が、一挙に最高峰プロ球界にまで登りつめ、潜在能力の爆発だ。
1985年
タテに割れるカーブと高めの直球が武器の本格派だが、まだまだセンが細い。1年間じっくり基礎体力をつけることだ。下半身をみっちり鍛えて、低めの制球力をつければ、活躍が期待できる。
1991年
西武、中日と渡り歩いてきた左腕が、猛牛軍団で進退をかけた勝負にでる。スリークォーター気味から繰り出される直球、カーブはまだまだ威力十分。「新天地で実力を出しきりたい」もう後がないと自分でも思っている。
1986年
ルーキーには似合わず、物おじしないところに大物の片鱗が。昨シーズンはツキに恵まれずプロ入り初勝利を逃したが、ことしは一気に5勝は狙える成長ぶりとか。性格も明るく、ことしパッと花咲きそうなムードあり。そのためにはストレートとカーブの他にもう一球変化球が欲しい。
1996年
ドラフト会議の席上で、他球団をアッといわした隠し球。下半身のバランスの良さが生む抜群の制球力と、タイミングよく決るスクリューとスライダー。ドラフト同様、虎の秘密兵器として、アッと驚く活躍に期待。
1997年
田村高時代は2年秋の福島県大会にベスト8に進出したぐらいで、ヨークベニマル入社後もひたすら投げこみによるフォーム固めと筋力トレを重ねてきた。公式戦での登板はないものの長い腕から柔らかく使う投球フォームはこれから大きくのびる魅力を見る者に感じさせる。左腕から140キロを超えるストレートとタテに大きく割れるカーブが武器。日本ハムでヨークベニマルの1年先輩で昨年早くも20試合に登板している平松のあとを追いたい。
1992年
新聞配達をしながら大学へ。しかも野球部の代理監督を務め、チームを引っ張っていた。中央球界でも全く無名。大学で野球をしながら町の草野球チームにも出場。千葉県内では異色のサウスポーである。秀明八千代高から八千代国際大へ。千葉大学リーグでは、一昨年と昨年最優秀投手賞に輝いた。千葉大学リーグ選抜チームで米国遠征に参加もはたした。左腕からのピッチングは、無理のない素直なフォーム。「大野二世」をめざす。
1993年
異色のルーキー。高2の時に完全試合達成。北海道工大4年のときはエース兼主将、おまけに監督までこなした。「野球全体を見られた。野球を覚えるのにはいい経験だった」と振り返る。横手からの切れの良いシュート、スライダーを投げるが「10球投げれば肩ができる」という特徴で社会人時代は先発から抑えまでフル回転した。即戦力として十分、期待に応えてくれそうだ。