プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

新井克太郎

2012-01-26 19:36:59 | 日記
フォーム・・オーバースロー 球種・・スライダー、フォーク


「高校(埼玉・大宮工)一年の夏だけで野球はやめちゃった。あとは軟式ボールで遊んでいただけ」。
ちょっと珍しい球歴の投手が突然先発してアレヨ、アレヨのうちにプロ初の完投勝利を記録した。
大洋の新井克太郎、二十一歳。五十二年秋、太陽の新人テストに合格。四年目の今季、一軍昇格で五試合、
十回3分の一投げて勝敗に無関係の自責点6。「先発は昼過ぎて球場へ来てからいわれた。一度は先発で
投げてみたいと思っていたんですよ」
争奪合戦のあげきドラフト一位、数千万円の契約金で入団しても一勝もあげず消え去った者はゴマンといる。
「(高校三年の)秋にたまたま新聞を読んでいて新人テストのことを知った。面白そうだな、と参加したら
六十㍍走とピッチングだけで合格しちゃいました」
大洋では完全試合を記録した島田源太郎(現解説者)以来のテスト生の初勝利。今季の開幕早々プロ二年目で
巨人戦に先発勝利の前泊、ヤクルト相手にプロ十二年目で初完封の佐藤の例と似て弱投球団ゆえに与えられた
チャンスながら「二軍でコツコツ努力した成果です。私には内心自信があった」と山根コーチからも認められる
努力家である。
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縄田洋海

2012-01-25 00:05:05 | 日記
フォーム・・・記載なし   球種・・・カーブ、シュート


最も注目されるのがやはり八幡大だ。有望新人の加入で戦力もいちだんと充実した。今季も優勝候補の最右翼であろう。その投手陣はリーグ随一の縄田が健在。立ち上がりが悪い欠点はあるが、低目をつく速球とシュートは威力がある

八幡は寺崎の立ち上がり、5安打で5点を先取。四回には円田、今村に打者一巡の猛攻を加え、5安打で4点。さらに六回は四球の植山を馬場が右中間に三塁打して合計10点。一方の久留米は縄田の速球と決めダマのカーブにひねられ散発5安打。一、九回の得点機も不振の打線ではどうしようもなく縄田に完封された。八幡のワンサイド・ゲームだった。 (八幡大 1勝)


4月13日:【第三試合】:【八幡大 7x-0 九州大】
縄田は9回二死、荒木に右翼線初安打を浴び、ノーヒット・ノーランを目前にしながらのがしたが、三振20を奪う好投を見せた。球速は昨年より伸びがあり、シュートやカーブが低めに決まった。九大のバットは縄田のタマを空振りするばかり、外野に飛んだのは荒木の1安打だけという不振ではどうしようもない。

八幡は1回吉野の四球を足場に敵失で1点先取すると、2、5、7回にそれぞれ得意の強打をきかせて2点ずつ加点、一方的に勝った。
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久保文雄

2012-01-24 23:24:54 | 日記
投球フォーム・・・オーバースロー

球種・・・重い速球と緩いカーブ主体の投球


1982年
・和歌山・伊都高からドラフト外で入団して2年目。大器がその片鱗をのぞかせはじめ、いまキャンプ地の草薙でちょっとした「シンデレラ・ボーイ」になっている。高3の夏、県大会決勝で箕島に敗れ、全国的知名度は得られてないが、巨人のスカウトも手を伸ばしていたというから実力は相当なものだった。同期入団の左腕・広瀬新太郎が教えられたフォームを崩していたのに比べ、久保は指摘された所をきちんと守り、自分のものにしていった。具体的には右手の使い方を直されて、腕がスムーズに大きく振りぬけるようになった。182センチの上手投げ、真っ向からの重い速球が実にコントロールよく、捕手のミットにおさまる。「夏場過ぎには一軍で投げられれば儲けもの」といっていた関根監督だが、キャンプイン1週間もすると「開幕から中継ぎでいけるかもね」に代わり、キャンプ中盤過ぎたいまは「ひょっとすると抑え役でいけるかもしれないぞ」に代わった。慢性的な「左腕不足」に悩む大洋投手陣の救世主になれるか注目である。

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植村秀明

2012-01-24 20:34:23 | 日記

長身生かした速球

両リーグを通じ外人選手を除くともっとも大きい一八八㌢、八五㌔の本格派投手。
恵まれたからだから投げ込む速球が魅力である。奈良・郡山高二年のとき夏の甲子園へ出場、
二回戦で横浜一商に敗れたが、力いっぱいの投球は 大器 として注目を集めた。広島東洋が
二位にリストアップしたのももちろんその素質にほれ込んでのこと。まだ荒削りだが「そこが魅力」
と備前コーチ。「じっくりと鍛えこむ。キャッチボールを見ただけでよくわからないが、下半身のバネ
をつけさせたい。一年生に期待するのはコクだが後半戦あたりから出てくれれば・・・」
植村は「一日も早くプレートを踏みたい。聞いてみると速いだけではだめだということですし、
シュートを覚えようと思います。ライバルは阪神にはいった野上君(和歌山市商)。僕とよく似たタイプですし
負けたくありません。それとチーム内の全選手。自主トレーニングに二日ほど参加してきつかったことより、
やらにゃかんと身がひきしまる思いでした。」
根本監督は「小細工を覚えさせないでよさを伸ばし、威圧感をあたえる大型投手に育てたい」という。
この若ゴイをじっくりと鍛え上げようとしている。


郡山・植村秀明投手 惜しくも大記録逃す

郡山・植村投手の快投が続く。ズシッと木村のミットにおさまる球は、見るからに重そうだ。
小千谷は球威に押されて内野へのゴロが精いっぱい。四球で出た二人の走者も、併殺と二盗を
しくじり、三人ずつで七回を経った。記者席のあちこちから「ノーヒット・ノーラン」の声が
かかる。八回も二死になった。これまで四十七度の大会で、十五人の投手しかやったことのない
記録、しかも開会式後の第一試合では、昭和7年第十八回大会の明石中楠本投手以来三十四年ぶりの
快挙だったのに、ここで広川の三塁右でちょっと不規則バウンドした内野安打が出た。
「本当に、ノーヒットだったのは知りませんでした。それよりいま何回をやってるのかも気がつかなかった
です」と植村は身長が1㍍86もある大きな体に似ぬ小さい声で、はずかしそうに話した。
植村は二年生で、まだカーブの投げ方を覚えるところまでいかず、シュートと著球で勝負する投手、との評判が
早くから伝えられていた。コツコツ当てていく打者をそろえた小千谷は「うちの好きな型の投手」と意気込み、
プレートの二㍍ほどまえから投げさせて打撃練習、植村に備えた。郡山の森本監督はこの練習ぶりから「外角に
強そうなので、思い切って内角のひざ元をシュートで攻め、外角はボール一つはずれる球を投げるように」と
バッテリーに作戦をさずけた。小千谷はこの配給にまんまとひっかかった。シュートにつまり、これではいけない、
外角球を打とうとあせるので、ついボールに手を出した。小千谷の柴山監督は「北陸大会で打ちすぎたことから、
みんなに引っ張ろうとする悪いくせがつき、得意の右翼打ちが出たのは九回だけ」と反省する。
もう一つ植村を元気付けたのは一回の先取点だ。郡山は奈良県予選からジャンケンに勝つと必ず後攻をとった。
小千谷はそこまで調べて、この日にたとえジャンケンで負けても好きな先攻になれると思いこんでいた。
ところが郡山は「守りにつく選手が少しでも落ち着けるように」と先攻をとり、ここでも森本監督の読みが
当り、小千谷の堅い立ち上がりをついて一点を拾った。すべてにうまく先手をとったといえる。植村は九回の
二死から石坂を四球で出し、2-1と追い込んでいた関に投げたドロップを右前に適時打された。大会を前に
やっと覚えたドロップ、三球しか投げなかったうちの一球で完封を逃しただけに、バッテリーサインを送る森本監督は
「速球でいくべきだった」と残念がった。

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伊東勇

2012-01-24 20:19:27 | 日記
フォーム・・不明  球種・・・スライダー、カーブ、シュート


西鉄4-2ロッテ

西鉄は三回一死後、伊東投ゴロ失、基と船田がいずれもうまく右へ打って同点、二死後広野が
0-1から木樽のカーブを右へ三点本塁打して引離した。
伊東は一回アルトマンに打たれて一点を失ったが二回からは調子をあげた。球速こそなかったが、
シュートとスライダーをコーナーに投げ分けた。七回やや制球力を乱し一点を取られ与田の救援を
受けたが、プロ入り初の勝ち星をあげた。ロッテは四連敗。


オープン戦 広島4-4西鉄

投手難にあえぐ西鉄にとって伊東、福永の出現は光明といえる。
三年目の伊東はシュートとカーブで好投、2イニングで四球1を許したが、
2三振を奪うなど無難に投げた。ただモーションが大きいので二塁に走者を
置いたとき盗塁される危険性がある。新人の福永はバネのきいた投法で低めに
よくコントロールされていた。両投手ともオープン戦で経験を積めばおもしろい存在だ。
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岡村佳典

2012-01-24 20:09:31 | 日記
フォーム・・オーバースロー 球種・・カーブ


岡村(浜田)は上手投げの本格派。重い球質でカーブも鋭く早くからプロにねらわれていた。
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中村順二

2012-01-24 20:08:08 | 日記
フォーム・・? 球種・・・スライダー、シュート

正月返上で体力づくり

プロ入りに踏みきったものの、大丈夫かなという不安は残りますが、入団した以上は、早く第一戦で
でられるよう、力いっぱいやります。私にはネームバリューなんてありませんが、社会人野球でやった
経験の積重ねがあります。永淵さん(近鉄)ともいっしょにプレーしたましたし、ある程度の目安は立ちます。
直球、シュート、スライダーを投げますが、直球をいま以上にきれのあるものにしたいと考えています。
いま、ランニングを主体とした体力づくりをしていますが、身体だけは自信があります。
早く第一線飛び出すために、この冬が大事だと考え、正月も返上というところ。
社会人時代でも、一年ごとに少しづつ進歩していましたから、プロの世界でもあせらずやっていくつもりです。
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氏家雅之

2012-01-23 21:12:18 | 日記
フォーム・・?  球種・・・カーブ

1971年ファーム時代
・中日球場でのウエスタンリーグの試合。ナイターの公式戦とは違って昼間のスタンドはガランとしている。それでもファンは結構いるもので、常連がたいてい百名ぐらいは熱心に観戦している。南海を今季初めて名古屋に迎えての一回戦。
ビッグ・ルーキー島本講平「南海」が登場するとあってスタンドはいつもよりファンの数が目立って多かった。本多チーフコーチは「お客さんへのサービスだよ」とばかり6回からドラフト1位の氏家をマウンドに送った。島本対氏家の見せ場は6回にやってきた。だが、勝負はあっさりと島本に軍配が上がった。二走者を置いて、島本の一撃は右翼スタンドへ弾丸ライナーとなって突きささるスリーラン。マウンドの氏家はいくらかひるんだが、試合後「島本君はやっぱりいいバッターですね。完全に負けちゃった」と、さっぱりしたものだった。氏家は学校の関係でキャンプ参加が極度に遅れたのが原因で、遅れを少しでも取り戻そうとして無理を重ねた結果、腰を痛めてしまい十分な練習をやっていなかった。ウエスタンではこの日が二度目の登板だった。中日は昨年、ドラフトのクジ運に恵まれず9位を引いた。見渡したところ即戦力になる投手は全部、他球団に指名されてしまった。それなら、二、三年先に大成してくれる本格派投手をとろう・・・というわけで、愛知県の大府高という無名高から氏家を指名した。交渉に当たった山崎スカウトは「みなさんがドラフト1位ということで、すぐ使わなくてはいけないことをいわれる。だけど彼を小手先のピッチングで小さくまとめたくない。氏家は二、三年先を目標に大きく育ってくれるでしょう」こんな立場に置かれた氏家は見方によっては「幸福な新人」といえる。


腰を鍛え速球で勝負(氏家雅之)

高校では速球七、カーブ三の割りで投げてきました。プロでも体力を生かして堂々と速球で勝負するつもりだし、そういったタイプの投手になりたいと思っています。そのためには、より速い球が投げられるよう、暮れから自宅近くの山道を毎日約6㌔走って足、腰を鍛えています。プロはどんな練習をするのか、それについて行けるだろうか。またプロの投手のスピード、コントロールはすばらしいので、ボクの力で大丈夫だろうかといった不安も確かにあります。だが体さえ鍛えておけばいい結果になると思い、当面の目標は体づくりにおいています。
ともかく一日も早く一軍の投手になることで、何勝という目標はありません。ナイターの光景が輝くマウンドで思い切って投げれたら、どんなに素晴らしいことでしょう。

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藤田賢治

2012-01-23 21:11:15 | 日記
球種・・・ストレート、カーブ、シュート


1970年
・「御当所」ということもあって、今年入団した藤田投手が去る4月4日の近鉄戦「富山」で登板した。投げたのは九回の一イニングだけで、その内容も被安打3、四球1とさっぱりのデビューに「この球場は高校のときにいつも使っていて、よく知ってるんですが、初めての登板だけにまったくドギマギしちゃって・・・」と苦笑い。それでも、「やっぱり実力のないせいですよ。力があれば、あがるなんてこともないし、だいいち、もう少しいいピッチングができたでしょうが・・・」と自分の至らなさを反省していた。しかし、人気のほうは、相手の
近鉄・太田幸司以上の「フジタさーん」の黄色い声援を浴び、ナインからは「たいしたもの」と冷やかされていた。

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中野英明

2012-01-21 21:24:56 | 日記
高校時代に練習試合で原辰徳「東海大相模」を三球三振に仕留めた経験がある。

1978年ウエスタン成績
19試合・2勝5敗・90回3分の1・・防御率2,60


1979年
「へぇー、トレード?そんな話があったんですか。ボクは全く知りませんでした」将来を嘱望されている左腕は自分の耳を疑うようなしぐさをして、ちょっぴり寂しそうな表情だ。中野英明投手。東海大二高から期待されて入団した、4年目の左腕。実はこの投手、大洋に目をつけられ、トレードの申し込みを受けていたのだ。しかし近鉄首脳陣が協議の結果「出せない」ことになり、大洋にその旨、伝えたのである。ショッキングなニュースに中野はしばらく呆然としていたが、残留が決まってひと安心。「よそから話があるということは喜ぶべきなんでしょうかね」と、複雑な表情をみせていた。

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渡辺弘基

2012-01-21 20:42:12 | 日記
投球フォーム・・・・スリークォーター?オーバースロー?


球種・・・ストレート、タテの大きなカーブ、内角シュート


1977年
・この2,3年、中継ぎ専門役なら渡辺がもっとも有名だろう。悲願のV1を果たした50年、渡辺は130試合すべてにベンチ入りした。並みの努力や節制ではとてもこんなことはやれない。先発要員であれば、一度登板すると、中3日の休養が与えられるが、渡辺のような「中継ぎ役」は出番が定かでないから、試合の中で展開とにらみ合わせて、何度かブルペンに走る。仮に、その試合に登板しなかったとしても、ブルペンで1試合分に相当する球数を投げてしまったこともあるだろう。ことしがプロ6年目の渡辺だが6月24日現在、プロ入り通算で196試合に登板しながら6勝6敗・7セーブがすべて。完投勝ちはむろんない。先発はわずか5度である。「選手には、それぞれの役割がある。ボクの場合は中継ぎ。自分の能力と合わせて当然、これをまっとうすることがすべてです」と見事にまで割り切る。176センチ・76キロ。決して体に恵まれているわけではないが目下、投手として308試合に連続ベンチ入りしているのである。カープに移籍して3年目。だれ一人渡辺のグチを聞いた者がいない。「渡辺は、どんな職業についても成功するだろう」周囲の一致した声である。

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池之上格

2012-01-21 20:26:49 | 日記
投球フォーム・・・・「入団時から野手転向するまでにオーバースロー、サイドスロー、スリークォーターと変更していた」


投手時代最後の1979年は6勝9敗、126回投げて防御率4,79と冴えなかったが、打撃成績は50打数23安打・460と野手顔負けの数字を残していた。

・決め球不足が致命傷だった。


1977年・ウエスタンリーグ成績
29試合・完投10・8勝11敗・179イニング・三振61・防御率2,97

1977年・10月6日・日ハムー南海後期13回戦・後楽園・観衆1000人・試合時間・1時間54分
南000000300・3
日000000000・0
勝ち・池之上・・負け・高橋直

池之上投手・投球内容・9回・4安打・三振2・・四死球1・自責0

「プロから足洗うのやーめた」入団5年目で初完封。来季に夢つなぐ池之上
・プロ入り5年目で、池之上がはじめてシャットアウトゲームを経験した。さる6日の日ハム戦、消化ゲームとはいえ、4安打散発の完封試合である。鹿児島県下でも指折りの進学校である鶴丸高から48年に入団した。当時、東大ならいつでもOKという抜群の成績をもちながらプロで野球をしてみたいという気持ちが捨てきれず南海入り。ところが、この頭のよさがマイナス。「結果をおそれすぎるようだ」ということで伸び悩み、昨年は14試合に登板し、プロ入り1勝目をあげたもののパッとせず、ことしもファーム暮らしをつづけていた。やっと8月末にベンチ入りがゆるされ、8月31日の阪急戦「富山」で初先発したが、あとわずかのところで初勝利を逃していた。「なんとか今年も一つぐらい勝ちたいですよね」ちょっぴり寂しそうにいっていた矢先に、このシャットアウト勝ちをおさめたもので、池之上もホクホク顔。「今年もダメだったら引退を考えようと思ってました・・・。でも、これでまた張りができました。来年こそは一軍で投げられるようにガンバリたい」池之上は胸を張ってキッパリいい切った。

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与田順欣

2012-01-21 17:54:43 | 日記
八代商高から入団。1年目から一軍入りも、すぐ足を骨折してしまい、2年間は一軍と二軍を行ったり来たりだった。
3年目の64年から一軍定着。ちょうど投手陣が世代交代の時期にさしかかっていたこともあり、すぐに先発ローテに
入り、60試合に登板、7勝18敗の成績を挙げている。武器は、180㌢と当時としては長身から投げ下ろす速球。
さらにカーブ、シュート、スライダーと多彩な変化球を持っていた。やや勝負弱いところもあり、なかなか2ケタ勝利に
到達することがなかったが、69年まで先発の一角として投げ続けた。67年には自己最多の13勝を挙げ、防御率も
2.44。68、69年も50試合、45試合に投げたが、70年、黒い霧事件で永久追放処分となった。



「純朴な男・与田順欣を襲った事件」
与田順欣・・・八代商出身の速球派投手。球はめっぽう速かったが、おとなしくて気の弱い純朴な男だった。一軍に台頭してきたのは、3年目の39年。池永、田中勉と並んで「ヤング西鉄の三本柱」とまでいわれ、13勝をあげた年もある。直球は見ていて気持ちのいいほどのスピードを見せ、快投をつづけてもテレたような小さな笑みを浮かべるだけだった。8年目のある日、球場前で先輩投手に肩を叩かれ「一緒に帰ろう」と誘われる。それが「悪魔のささやき」だった。45年、プロ球界始まって以来の不祥事にまき込まれたときの、この気弱な男の顔は、見ていて痛々しかった。「あなたは善人、そんなことをする人ではない」という中学校時代の女教師からの手紙を読んで、すべてを正直に告白しょうと思ったという。つらく苦しいドン底から自力で這い上がって、いま早朝から深夜まで運転手として泥まみれになって働いてるときく。「あんなにいい男が・・・」と与田を知る人は誰もがいう。いまは休日に草野球を楽しむ日々。白球人生にはつらいこともある。・・・・1985年の資料

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加藤英美

2012-01-21 16:50:35 | 日記
投球フォーム・・・・左スリークォーター「172センチ、74キロと小柄だが左腕から繰り出す七色の変化球はヤクルト・安田二世の呼び声が高かった。技巧派でうまく打者をかわす能力にたけている」


球種・・・独特のクセ球を持っている。ストレート、カーブ、シュート、スライダー、フォーク、チェンジアップ、シンカー


1980年
・プロ3年目の加藤が4月22日・阪神戦「横浜」で今季初登板。2-6と敗色濃厚な8回に4番手として登板し1死を取った後、中村勝に三塁強襲安打を許す。ここで迎えたのがゴールデン・ルーキー岡田彰布だが、加藤の方が緊張して1-0から一塁へのケン制が「ボーク」と判定され、カーッときたところ真ん中からのカーブを三遊間安打され1点を失ってしまった。岡田にとってプロ初安打・初打点となった。「真ん中に甘いカーブが入ってしまったんです。あれなら誰でも打ちますよ」と試合後の強がりも報道陣の嘲笑を買うばかりであった。

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中田宗男

2012-01-17 21:15:31 | 日記
投球フォーム・・・オーバースロー

球種・・・ストレート、シュート、武器は堀内「巨人」ばりの大きなカーブ。

・1982年ウェスタンリーグ成績「18試合・1勝3敗・セーブ3・防御率3,44」

・1983年の年俸「420万」

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