プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石原碩夫

2014-04-05 06:52:50 | 日記
1961年

「たとえオープン戦だからといっても、一軍は一軍だ。4イニング投げて1四球に押えることができたんだから、来シーズンもきょうのつもりで投げるんだ。きょうのピッチングを忘れんなよ」十一月十二日、大津での対阪神戦に先発した石原投手(七月東洋紡岩国から入団)は、コーチや選手にこう激励された。ローテーションで4イニング投げることになっていた石原はその責務を完全に果たした。そのあとはローテーションにしたがって高野、橋詰、富永に予定どおり交代したが、橋詰が打たれ、3-2で逆転され勝利投手にはなれなかった。「たいぶ自信がつきました」と石原は語っていた。西村、多田両コーチとも、「スピードはあるし、カーブも切れるし、これからもっと伸びるだろう」と来シーズンに大きな期待をかけていた。いままで東映にはこの横手投げがいなかったので、この石原の好投には水原監督もごきげんだった。
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大森秀男

2014-04-05 06:24:19 | 日記
1961年

高校球界きっての好捕手中京商の大森秀男選手(1メートル75、69キロ)の入団が決定した。大森はことしの春と夏の二度甲子園に出場、強肩強打、すぐれたインサイドワークで各球団スカウトの注目を浴びた。阪急はさきに中日入りが決定した山中投手とバッテリーを組んでいたのに目をつけ、山中ー大森のバッテリーで獲得しようと猛烈な巻き返し攻勢を演じたが、山中の方は中日入りをくつがえすことができなかった。しかし大森はスケールの大きい打てる捕手だからいままでの新入団選手のなかではピカ一。岡村、松並、木村と捕手の正位置をめぐってさっそく激しいポジション争いを演じることになりそうだ。
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松崎勝志

2014-04-05 06:18:56 | 日記
1961年

七日に正式契約した日大一高の松崎勝志一塁手(1メートル81、75キロ)はハワイ選抜軍との試合でオール東京の四番を打った好打者。手首が強く、スラッガーの素質十分と期待をかけられている。岡野代表は、「滝田が抜け、故障がちの岡本のいる一塁だからチャンスは十分一日も早く定着するよう」と注文した。
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日下正勝

2014-04-05 06:11:55 | 日記
1965年

パ・リーグの新人王になった池永正(西鉄)が、このオフに両親を日光、箱根へ親孝行旅行に連れて行ったという話をきいて、「全くうらやましいネ」と大きなため息をついているのは、大方の若手選手たち。「だけどボクなんかオヤジの顔も知らないんだから・・・」とさびしそうにいっているのが大洋の日下。海軍にいた父親の孝雄さんは、昭和二十年の三月、日下が生後五か月のとき、南方で戦死してしまった。それ以後、母親の春子さんが女手一つで育ててきたわけだが、末っ子の日下はなに不自由なく大きくなったという。「でも五か月の間に二度オヤジに面会してるらしいんです。それがせめてもの慰めですけど・・・」父親の話がでる毎に、日下はこういって自分自身を慰めている。入団した当時から日下は、「早く一人前になることが、なにより親孝行」と精進をつづけた。昨年はイースタンの二冠王(ホームラン、打点)に輝いてことしは一軍入り確実、といわれていたが、キャンプの終盤に右肩を強打してまたフイにした。それでも、打点26(二位)、ホームラン7本(一位)をマークして今年も有望株らしい活躍をみせた。しかし、念願の一軍入りができなかっただけに残念でならないらしい。「来年こそは絶対に神宮や後楽園で、思いきりばりばりやりますヨ」といまから四年目の来シーズンに親孝行と野球生命のすべてを賭けている。
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皆木敏夫

2014-04-05 06:02:05 | 日記
1971年
・巨人の皆木敏夫投手「22歳」が今シーズン限りで退団し、来季からは第二の尾崎を目指してゴルフに転向する。「3年間はガムシャラに練習するだけです。どうせ野球で失格したんです。今度はとことん頑張ってみますよ」巨人に4年在籍し、公式戦はもちろん未登板、イースタンリーグでも10試合に出ただけで1勝2敗。ゴルフに転向といえば聞こえはいいが、実際は自由契約選手として整理されたのだ。現役時代の年俸は100万円。栄光に背を向けたバッティング投手というカゲの存在に甘んじるならば、あるいは来年もまだ100万の年俸をとることができたかもしれない。だが皆木にはそれが我慢ならなかった。「阪急との日本シリーズの前に下手投げをやれっていわれたんですよ」転向を決意させたのは、この下手投げ指令だったという。巨人は自分を単なる投げる機械としてしか評価してない。すでに限界を知りつつあった皆木の心は、このときはっきりと決まったという。現在、3年後に行われるプロテストに向けてスタートをきっているが、「いまはまだハーフ45か
46ぐらい。これを合格点の36か37に持っていくには、大変な苦労があると思います。でも多摩川で練習に励んだことを考えれば、なんだってやれる」皆木はプロゴルファーとしての成功を決意した。
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サディナ

2014-04-05 05:50:42 | 日記
1959年

「まず投手の補強を・・・」といっていた山本監督に、おそまきながら吉報が入ってきて喜ばせている。それが、かねてから話題になっていたサルディナ投手の入団決定であり、このほど近鉄を去った榎原好投手、阪急を去った原田孝一投手の入団である。サルディナ投手の話は、すでにシーズン中からのものであり、具体的な交渉は昨年十一月ころからはじめられており、今季ストーブ・リーグは惨敗を伝えられる南海にとって、唯一の光明だったもの。それが、このほど、サルディナ投手の所属チーム、ハワイ朝日軍のオーナー前原氏を通じて南海橘代表あてに「よろしくたのむ」旨の書類が届いて、決定的となったのである。橘代表は「正式契約は、ことしの二月頃になるだろう」と語っていた。このサルディナ、正式にはジョン・サルディナといい、当年とって二十七歳、身長1メートル85、体重85キロというから、半田選手に比べれば体が大きい。サイド・スロー投手で、かなりの速球を投げるということだが、いくぶんコントロールに欠けるうらみがあるとのこと、だが、変化球でも、相当威力があるカーブ、シュート、ナックルなどを投げるということで、早くも期待をもたれている。外人選手問題のかまびすしい折だが、これで南海が打倒西鉄に一歩でも近づけるとしたら、ファンにとって嬉しい話である。
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小永井孝

2014-04-03 23:09:38 | 日記
1963年

川上監督は、いま小永井に首ったけである。小永井(こながいと読む)という名の選手などあまりなじみはないが、今シーズン、横浜南高から入団した新人である。ポジションは捕手だが、川上監督は「二年間が勝負だ。その間に一軍に入れなかったらクビを覚悟しろよ」とハッパをかけている。川上監督としては、外野手に転向させて、手薄な外野陣を充実させる計画らしい。1メートル81、78キロという体格だから、鍛え方いかんではクリーンアップも打てる素質を持っている。ところがこの小永井はちょっと変わった経歴の持ち主なのである。中学時代に日本ボーイスカウトの代表としてフィリピンのマニラへ行ったことがあるその上、野球をはじめてからこんにちまで、ファーストミットかキャッチャーミットしか持ったことがないという。「だから、監督さんから外野をやれといわれたときには、どうも打つほうより守るほうが不安でなりませんでした。小学校のころはファーストミットを持ったまま投手をやったんです。脚力と打撃には少し自信があるんですが・・・」と控えめながらも張り切っている。
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篠田荘平

2014-04-03 22:45:31 | 日記
1963年

思う人には思われず、思わぬ人には思われて・・・と茶化すわけではないが、大洋の左投手陣中意外に伸びてきたのが三年目を迎える篠田である。キャンプを迎えるまでの話としては、しきりと権藤、鈴木隆、三平の左腕トリオが宣伝され、篠田など見向きもされなかったのに、現実において左投手陣中、一番好投しているのがそのトリオより篠田であってみれば、まさに思わぬ人に思われたようなものだろう。三十六年安岡工から入団した三年生で1メートル69、71キロのずんぐり型。重い球とドロップにコントロールのついたのが成長のタネである。一部ではまだ、「ほかの左が悪いから目立っているだけで、一本立ちと太鼓判を押せない」と辛い点をつける向きもあるが、首脳陣は、「これで自信をもてばけっこう戦力になる」と期待は十分。篠田も、「ペナント・レースで1勝もすれば自信がもてる。とにかく1勝をするのが目標です」と本番開始を待ち望んでいる。過去二年の成績は三十六年が登板5試合で勝敗に関係がなく、昨年は26試合で先発が二回、1勝1敗だった。
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グリフィン

2014-04-03 22:19:32 | 日記
1963年

グリフィン投手がやっとテスト生から一軍選手に昇格した。ブルームの紹介で来日したのが六月上旬。気候の変化がカゼをこじらせ、長いやきもきのテストをくり返していたが、最近3A当時(ポートランド、ヒューストン、オクラホマを転々)の変化球を投げだしたので、慎重な別当監督も、やっとOKした。さっそく大毎17回戦に登板させ、「シュート、スクリュー・ボールなどいい球を持っている。左投手がいないので、どしどし使う」とまずまずの評価。本人もオーバー・ハンドをサイドスローに切り替えてからよくなったーといい、カーブ、シュートなど四種類の球は打たれない自信がある」と意欲的だ。ところで、ご本人は七月上旬に奥さんを大阪へ呼び寄せて、ちゃっかり永住するかまえ。まだホテル住まいだが、家が見つかればブルームと同じように芦屋あたりに住みたいそうだ。ペットネームも早速ついた。グリンピース。
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渡真利克則

2014-04-03 21:07:23 | 日記
1981年
・太いマユ、キラリと光る大きな目。南国の太陽に日焼けした褐色に近いハダ。そのイメージをひとことでいえば「野性味」
阪神はこの野性味にホレた。そのホレ込みようを小林チーフスカウトの渡真利評で紹介してみたい。「俊足で、又、強肩を誇り、バッティングは超高校級レベル。最近の高校球界では№1の素材でしょう」まだまだ続く。「阪神としては将来、掛布につぐ中心選手として期待しているのはウチの全スカウトの一致した意見。ま、3,4年たてば石毛や原クンは必要でなかったと、ファンの人には納得してもらえるでしょう」いやはや、まさにゾッコンというやつである。184センチ、77キロ。阪神の野手陣の中では若菜と並ぶ上背。「これで、もうひとまわり体に肉がつけば・・・。これはスケールの大きな内野手誕生ですよ」渡真利担当の渡辺スカウトも目を細める。この渡真利だが、高校は比屋根監督の熱心な勧誘で興南高に入学。1年からレギュラー。ポジションはこのときからサードで、4番に金城「日本ハム入り」、5番が渡真利。高校卒業後は大学が社会人野球にという考えが強く、ノンプロのプリンスに入団内定。しかし、阪神、大洋からの強い勧誘。プロの魅力も手伝い、阪神のドラフト2位指名にプリンスを断った。「阪神にはサードに掛布さん、遊撃に真弓さん。岡田さんや加藤さん・・・と内野が揃っているので、ボクがすぐには・・・」レギュラーになるのは数年先と覚悟したうえでの阪神入り。だが、大型内野手として、阪神の彼にかける期待は絶大。「巨人のホワイト選手が目標です。できたら大リーグでも通用するようなパワーを身につけたいんです」
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竜隆行

2014-04-02 00:01:48 | 日記
1964年

「今シーズンはいい経験になりました。自分でもプロの水は決して甘くないんだと思ってはいましたが、大学とプロの差がこんなにあるとは思わなかった。練習する時間がなかった。といいわけにはしたくない。とにかく来シーズンこそは、また一年生になったつもりで一からやり直します」竜はこういって今シーズンを振り返っている。法大時代、山崎(東映)と並んで神宮で鳴らし、今シーズンは小野につぐ左腕の本格派投手として期待された竜も、芳ばしい成績ではなかった。わずか10試合にリリーフばかりで登板、9回1/3を投げただけで自責点8と全くの不振にあえぎ、ワン・シーズンを棒に振ってしまった。
「スタートでつまずいたこともあるが、練習不足でシーズンにはいってしまったため、フォームがまとまらず、逃げのピッチングをしたのが一番の原因だ。そのため本来上から投げていた腕が下に下がって、スピードが出なかった。だから右打者特有の打者のひざ元に食い込むタマにもキレがなかった」と不振の原因を説明している。今シーズン、竜は大学の卒業試験のためハワイ・キャンプへも途中から参加、調整の遅れがそのままフォームのくずれに結びついて、公式戦まで響いたというわけだ。竜以上の期待はずれに終わった山崎の場合と、全く同じ格好だ。六大学時代から竜のピッチングは本格派といえるほどのものではなかった。上背もなく、シュート、カーブなどの変化球にしても、絶対的なウイニング・ショットといえる切れ味がなかった。しいていえば、球質が重いこと、ピンチにも力まない冷静さが彼のピッチングを支えていたといえた。「大学時代はカーブに自信を持っていたので、勝負どころではカーブを使っていたが、、変化球に頼るのでは寿命が短い。これからは真っ向から速球で勝負出来る投手になりたい」と目標を立てていた。しかしことしは体調の遅れとこの大きな目標がぶつかって、かえって禍いした格好になったようだ。本格派投手という目標はいいとしても、急速に生まれ変われるものではない。竜は竜なりの持ち味を生かせば、根性があるだけにもっと活躍出来たに違いない。「一からやり直す・・」という竜の来シーズンに期待したい。おそらく来年こそは山崎ー竜の投げ合いが見られるだろう。プロ入りして期待の選手が崩れたりみずから潰れるのは根性に由来することが多い。この点、チーム力からいっても、左腕に期待するところの多い東京では、竜の一本立への期待は大きい。
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長鋪光洋

2014-04-01 21:28:32 | 日記
1971年
・青田ヘッドコーチの就任で、巨人・川上監督まで「大洋を№1にマーク」と恐れているが、秋季練習で別当監督が、とくに目をかけているのが期待の長鋪内野手だ。昨年暮れのテストで笠岡高「岡山」から採用した選手だが、「最初見たときは、これではとてもとても・・・、と思っていたのに・・・」ファーム関係者も目を見張るほどの長足の進歩ぶり。185センチという長身だが「フルスィングしても、内野にしか飛ばなかったのに・・・」というほどだったのに、一年間のファーム暮らしで、いまや期待度№1.「とにかくマジメで熱心。合宿で朝起きると石村捕手とすぐ打撃練習だ。モノになる」と、山田二軍監督も太鼓判を押す。10月27日から始まった教育リーグ「対東映」で、別当監督の見ている前で、カーブを右前へうまく安打。「大きいのに足が速い。これは反射神経のいい証拠だ。これは鍛えがいがある」別当監督はぞっこんである。来シーズンは「長鋪ナガシキ」の連呼がグラウンド中に鳴り響く可能性大だ。
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