1964年
春の選抜高校野球以来注目されていた金沢高辻佳久投手(18)=1㍍83、75㌔、左投左打=は二十日小松市平面町の自宅で父親三次氏、同校駒谷監督、巨人青木スカウトの三者で話し合った結果、巨人入りを決めた。また同校で三番を打ち、辻投手と三年間コンビをくんでいた竹内洋捕手(18)=1㍍78、73㌔、右投右打=の中日入りも決まった。辻投手は春の甲子園で一躍スカウト連の注目を集め、選抜終了後中日、巨人、大洋、国鉄などの間で激しい争奪戦が演じられていた。そして金沢を親会社中日新聞が地盤としていることなどから一時は中日入りが濃厚といわれていたが、中日が条件的に難色を示している間に、巨人青木スカウトが最近読売新聞正力社主の至上命令をうけて獲得に乗り出し、中日をはるかに上まわる一千五百万円の条件を提示して、逆転に成功したもの。同投手は左の本格派投手として春の甲子園でも金田二世といわれたほどの好投手である。
春の選抜高校野球以来注目されていた金沢高辻佳久投手(18)=1㍍83、75㌔、左投左打=は二十日小松市平面町の自宅で父親三次氏、同校駒谷監督、巨人青木スカウトの三者で話し合った結果、巨人入りを決めた。また同校で三番を打ち、辻投手と三年間コンビをくんでいた竹内洋捕手(18)=1㍍78、73㌔、右投右打=の中日入りも決まった。辻投手は春の甲子園で一躍スカウト連の注目を集め、選抜終了後中日、巨人、大洋、国鉄などの間で激しい争奪戦が演じられていた。そして金沢を親会社中日新聞が地盤としていることなどから一時は中日入りが濃厚といわれていたが、中日が条件的に難色を示している間に、巨人青木スカウトが最近読売新聞正力社主の至上命令をうけて獲得に乗り出し、中日をはるかに上まわる一千五百万円の条件を提示して、逆転に成功したもの。同投手は左の本格派投手として春の甲子園でも金田二世といわれたほどの好投手である。