プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大内貴志

2023-05-27 09:08:19 | 日記
1990年
層の厚さでは球界№1の巨人の投手陣にあって、将来の楽しみなルーキーは、東海大四高からドラフト外で入団した大内貴志投手だ。今年の新人の中では、地肩の強さは一番。プロの体力をつけて、3年後、一軍入りを狙う。北国、北海道の出身。東京の暑さには「一度、練習中に日射病になった」ほど。球種は真っすぐの他にカーブ、スライダー、シュート。しかし、どれも今一歩だ。「球もそんなに速いほうじゃないし、三振を取れるタイプでもないので、とにかく低めをコントロールよくつけるように気をつけます。目標とするピッチャーは桑田さん。球のキレとコントロールで勝負して、知らないうちに試合が終わっているようなピッチャーになりたい」甲子園(高校3年生のとき、センバツで出場)では、体調を崩してしまい、1回戦で敗退。「あんまりいい思い出がないので、プロでいい思い出をたくさん作りたい」という。

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千原淳弘

2023-05-27 09:01:06 | 日記
1992年
8月16日の対大洋戦、0対6と大きく点差の開いた4回に千原の出番が回ってきた。「緊張しっぱなし」の初登板は3回を投げて被安打3、自責点2の結果ながら、光る野球センスは首脳陣の目を引いた。「フィールディングではショートスローできるし、スナップもきく、フットワークもいい。ピッチングの組み立て、コントロールもまずまず、全体的にバランスがとれているよ」と和田博実二軍監督も目を細める。小学校3年生の時に少年野球チームに入り、投手は6年生から。高校時代は県大会3回戦進出が最高だが、3年生の春、練習試合ながら強豪・明徳義塾を1安打完封したことで一躍分校のエースとして注目を集めた。自分自身のピッチングを「コーナーを丁寧について、緩急をつけた攻め方が持ち味。球種はカーブ、シュート、スライダー、高校では通じても、ストレートで押すのはプロでは無理です。打者へは、向かって行くより、だましていくタイプです」と評するが、「変化球でかわるようなことをせず、若いのだから、勢いのあるストレートをほおれるような力をつけてほしい」(和田監督)と、高校の先輩、垣内哲也外野手のように、ダイナミックに育つことを期待されている。

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佐藤貞治

2023-05-27 08:51:45 | 日記
1990年
佐藤は左腕本格派。フォームはしなやかで安定しており、制球力がいい。迫力はそれほど感じさせないが、速球は見た目よりずっと伸びがあり、相手打者を振り遅れさせる。左腕独特の大きなカーブやシュートを交えて投球を組み立てて、「ここぞ」という場面ではパームボールが決め球。フォーク以上に落差があり、「思った所に投げられるし、打たれたことはない」と佐藤自身も自負している。新チームでの防御率は0.95と安定。昨秋の九州大会3試合は1人でマウンドを守り、自信をつけた。


本格的にピッチングに取り組んだのは、昨年新チームになってから。中学時代も投手は救援を務めた程度で、高校入学後はむしろ打力を買われて、一塁手のポジションを獲得していた。ところが、投手に起用してみると、予想以上の力を発揮し、昨秋の九州大会では3試合を1人で投げ抜くエースに成長。朝倉監督に「佐藤のおかげで4強に入れた」といわせた。短期間で整ったフォームを身につけ、自己流でパームボールを覚えたことからもわかるように野球センスは抜群。ピンチで顔色を変えない度胸のよさもある。

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山田直政

2023-05-27 08:44:35 | 日記
1967年
左腕山田は今大会屈指の速球投手。1㍍76、73㌔の体格にも恵まれ、落差の大きいカーブと真っすぐ落ちるドロップを織りまぜた投球は強打チームでも二点を奪うのが精いっぱいだろう。昨秋から140イニング投げ自責点22。174三振を奪っている。難点は牛耳ろうという意識が強いため冷静さを欠くピッチングとなり制球が乱れる。

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武田章吾

2023-05-26 21:14:18 | 日記
1978年


クラウンにテストで武田章吾内野手(22)=173㌢、73㌔、右投げ右打ち=が入団。神戸学院の主力打者で、昨年春の関西六大学リーグでは45打数15安打、本塁打2、打率3割3分3厘、ベストテンの6位。キャンプ中から参加していたが、球団はサイドスローのクセ球を高く評価して投手で使いたい意向である。背番号64。

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伴義太郎

2023-05-25 09:41:30 | 日記
1991年


伴は、ほとんど知られていない存在だった。中央球界では全くの無名。福岡県の筑陽学園ではなんと4番手ピッチャーだったというから、よく渡辺省三・九州地区担当スカウトの目にとまったものだ。当時のエースは、近鉄にドラフト外入団した野口理夫投手。伴は野口の陰にかくれ、背番号「12」だった。そんな控え投手が、わずか1年で見違える成長を示した。昨秋のドラフト6位。2月の春季キャンプではまともにキャッチボールもできない状態。大町定夫二軍マネジャーも「近い距離でキャッチボールの相手をしたことがあるけど、胸に返って来るボールはなかった。あっちへこっちへ暴投みたいな球ばかりだったね」と苦笑した。預けられた上田次朗育成コーチも、途方に暮れた。そんなハシにも棒にもかからないような投手が、急速な進歩。9月18日から参加した米国フロリダ州で行われた教育リーグで好投したのだ。今季、ウエスタン・リーグの登板はない。米教育リーグが実戦初登板であった。「ウエスタンでなかなか使えない投手でも、教育リーグでは使ってみようかという気になる。いろんな投手にチャンスを与えられるということからも意義があった」と石井晶コーチ(二軍監督)は、米教育リーグだからこそ、伴を起用してみた。すると6試合で2勝1敗。18回1/3を投げて被安打13、奪三振18、与四球4、失点4、自責点2、防御率は0.98だった。「ストレートの切れがいいし、抜けたカーブはチェンジアップの効果もある」と石井コーチから一躍、注目を浴びた。安芸キャンプの紅白戦でも1回イニングを投げた。3者凡退に仕留め、中村監督も称賛。「ウチにいないタイプ。面白い存在」と伴にスポットライトを当てる。

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前田四郎・内田照文

2023-05-24 22:19:53 | 日記
1971年
広島は前田(南海)内田(西鉄)の二投手を第三巡以降の指名で手に入れた。先日のドラフト会議で指名投手が少なかったため、トレード会議で投手の補充をしたことになる。


前田四郎投手(21)=176㌢、72㌔、右投げ左打ち、高岡商出=は四十二年のドラフト会議で南海が第6位で指名した。昨年はウエスタンリーグで4勝3敗(防御率3.83)今季は同リーグで11試合に登板して2勝2敗、34回2/3を投げて被安打39、自責点11(防御率2.83))の成績を残したが、カーブに鋭さがある。


内田照文投手(22)=180㌢、71㌔、右投げ右打ち、熊本工出=はプロ四年目で、長身の本格派。昨年はウエスタンリーグで2勝2敗(防御率2.81)ことしは同リーグで11試合に登板し3勝1敗。26回を投げ被安打21本、自責点11(防御率3.81)の成績だが、シーズン前半の力投ぶりが広島に認められて指名された。


「両投手とも上手投げの速球、カーブを主武器としている。どちらも若いし、うまく育てばことしの藤本のようになる素質がある」と野崎二軍コーチは好素材であると強調。根本監督も「良い投手を指名出来た」と両投手に期待していた。広島はこの会議に十二選手をリストアップして提出したが、どの球団からもトレードの申し入れはなかった。

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松本正幸

2023-05-24 22:07:14 | 日記
1967年
エースは松本。1・84㍍の長身から投げおろすストレートは打者の手もとでグンとのびる。とくにスライダー気味のカーブは、打者をかなり手こずらせそう。


熊本工は同日午後一時から練習開始、エース松本はあいかわらずタマが速く、直球、カーブ、シュートを久原捕手のミットにビシビシきめていた。


エース松本は184㌢の長身から投げおろす本格派。速球が武器。カーブも速球とあまり変わらないスピードで威力がある。

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サンギルベルト

2023-05-24 21:57:20 | 日記
1991年
サンギルベルト投手は、身長191㌢の長身で140㌔前後の速球にカーブ、シュートを織りまぜての投球が身上。広島のアカデミーに入る前に、ヤンキースのアカデミーに入っていた。「将来は、ウチの金石のようなタイプの投手になるだろう」と田中ゼネラルマネージャーも、彼の将来性を保証している。

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町田公雄

2023-05-23 17:14:12 | 日記
1978年
引退理由を「能力に限界」とだけ報じられた町田だが、その弁を聞けば、大部分のプロ野球選手が抱く悩みを代弁しているといえなくもない。「このままでいけば、ある程度試合にも出れただろう。だが、僕の場合、四年目といっても高校出の選手と年が違う。年棒は百万円アップして三百六十万円になったが、これでもプロ選手としてはギリギリの生活を強いられている。好きな野球をしてお金をもらえるのだから、それは最高なのだが、もしこのままズルズルいけば、野球を続けられなくなったときにどうすればいいのだろう。それに選手は1個の商品。球団からクビといわれれば、組合もない我々はそれっきり。女房も子供もいる。両親の面倒もみてやりたい。ならば、今が転身のチャンスだと思ったのです。こんな気持ちがあるから、あんな三球三振もするのだろうし、転身と野球の二マタをかけている自分にほとほといやけがさしたわけです。町田の新しい人生は、義父の仕事の手伝い。といっても、ズブの素人だけに、その下請け会社に出向いて、最低1年は丁稚として修業する身という。八十五試合、九十九打数二十安打、打点三、本塁打一本、打率二割二厘ーこれがプロ向きじゃなかった男、町田のプロ三年間の全成績である。

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尾藤龍哉

2023-05-23 13:15:29 | 日記
1976年
昨年阪神のテスト名まで入団した尾藤龍哉投手(20)わずか一年で首になったが、ただいま、大学受験を目指して猛勉強。二浪したと思えばいい。プロの生活も味わったし、人生何事も遅すぎるということはないと思う」この尾藤君のお手本になるのが、元広島の榊原氏。十五年前、広島を首になった時、球団が東洋工業へ就職を斡旋したが、これを蹴って中大を受験して合格。そして五年後、正面から東洋工業の入社試験を受けて堂々の入社。「ダメだと烙印を押されたら未練を断ち切って、新しい人生を進むべきだ」と榊原氏はいう。「野球だけが人生」と思い込んでいる二軍選手はとくと傾聴すべし。


「いや、驚いたのなんの、たしたもんですね」阪神の掛布三塁手が、ひたすら感嘆していた。ムリもない。昨年11月、たった一年でクビになった僚友・尾藤龍哉君(21)が、この春三つの大学を受けて、すべて合格してしまったのだ。愛知大、中京大、日本福祉大の各経済学部。そうラクにはいれない大学ばかりである。この尾藤君、愛知県立瀬戸高校時代は、野球は好きだったというものの、もっぱら勉学に励み、早大理工学部を受験して惜しくも失敗。「浪人中に、大好きな阪神の入団テストがあり、ひやかしに受けてみたら合格。もう一年浪人するつもりで入団しました」契約金ゼロ、年棒は100万円。「素人だったが、背が高く手首も強かったので投手として採用した。頭のいい子でね。性格も純粋でいつも精いっぱい練習していました。ナインの間でも人気者で、こんな好青年をみたことがない」(藤村隆男元阪神二軍コーチ)みんなに好かれても、初戦は実力の世界である。肩をこわしては野球生活ともおさらば。福祉大に入って、将来はマスコミ関係に進みたいという尾藤君の、一風変わった野球人生だった。

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吉年滝徳

2023-05-23 11:37:19 | 日記
1995年
関西が序盤、一気の攻勢で勝負を決めた。17安打の11点を挙げ、エース吉年をもり立てた。吉年は立ち上がりこそ制球に苦しんだが、伸びのある速球にカーブ、フォークボールを織り交ぜ完ぺきな投球で相手打線をほんろう。七回二死まで無安打に抑える好投で、被安打わずか2、10奪三振の完封を達成した。

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田嶋敏雄

2023-05-23 10:41:00 | 日記
1983年
エースは田嶋。滋賀県№1の投手である。177㌢、70㌔とがっちりとした体で、スリークォーターから大小2種類のカーブと速球、ナチュラルシュートをうまく投げ分ける。センバツでは対東北戦に持てる力の半分も出せなかったが、甲子園のマウンドを踏んだ自信は大きな財産となっている。滋賀県代表では、湖北の怪童と騒がれ、春の県大会でも実力を十分発揮した。この調子が続けば、春果たせなかった夢を夏の甲子園での期待はさらにふくらんでいく。

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畑口健二

2023-05-23 09:43:00 | 日記
1965年
新人採用制度が、いよいよ発足するが、しめたとほくそえんでいるのが、森代表。新人登録が停止になるぎりぎり前に一人大物を登録しているからだ。その選手は、畑口健二投手。まだ十八歳。身長1メートル79、体重80キロ、左投げ左打ち。浪商のエースだったが、あるトラブルで、学校をやめたところを、藤井スカウトが、発見、すぐ横浜高へ転向させ、二、三年後のホープとして期待している。すでに畑口君は、合宿入りし、元気に練習に励んでいるが、往年の名サウスポーだった谷口舎監をはじめ、入谷、森田コーチらにていねいに教えられ、グングン、その素質を伸ばしつつある。

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大庭清

2023-05-23 08:10:25 | 日記
1964年
このところ大庭清という聞きなれない新鋭が、しばしば登板しているが、武末コーチ推奨の成長株の三年生投手である。同期に与田、鈴木五らがいるが、大庭は八月二日の対阪急21回戦(平和台)で投げたのがプロ入り初の公式戦登板。実に3年目にしてようやく日の当る場所へ出たというわけ。ところで、武末コーチが、この大庭へかける期待が大きいのにはわけがある。かつてサブマリン投手で一世を風ビした武末コーチは、素質のある若手へ下手投げの投法を指導、オーバースローからサブマリンへ変えた例もある。三年生の下川が昨シーズン、アンダースローで公式戦で投げていたが、下川はもともとオーバースロー。武末コーチの指導で投法を変えたものだった。大庭もそのひとりであるが、特に大庭は三年前の佐世保北高からの入団以来オーバースローから下手投げに指導されたものである。しかし、武末門下からまだ、実績を残す投手は出ていない。反対に下川はみずからオーバースロー転向を申し出る始末。そこで武末コーチとしても苦労して指導してきた大庭にぜひとも武末式指導の真価のほどをみせてほしいわけだ。

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