プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

秋元肇

2023-05-23 08:02:41 | 日記
1964年
全国高校野球中九州予選で活躍した大分県中津市、中津東高校の本格派エース秋元肇投手(184㌢、78㌔=右投げ右打ち)は十九日同市本町、料亭筑紫亭で中日ドラゴンズの池田義足スカウトと契約書に調印、中日入団が決まった。調印には実母ミノルさん(43)のほか同校体育後援会長土生英夫氏、吉武同校野球部長らが立ち会った。長身から投げおろす豪速球に加えて、切れのよいシュート、ドロップを駆使して各大会に活躍、実力県下随一と評されていた。大洋、中日、広島、阪急が交渉していたが、築上郡筑城町の秋元の実家にくい込んだ中日が獲得に成功したもの。

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辻善之

2023-05-22 22:39:19 | 日記
1964年
「オープン戦の準備はもとより、ことし、なぜ九分九厘つかんでいた優勝を逃したか。そこいらを振り返り、来シーズンへの地固めをするのが練習のねらいです。戦力的に強化するのは投手と内野手でしょう」という三原監督。その投手の中で、上手から下手に変えて見違えるようなピッチングをしているのが辻投手。「やはりだれでも上手投げでなければいけないとは限らないですね。辻投手は昨年もちょっと下手から練習していたことがあったけど、本式にこれをやりだしたのはこの練習から。なかなかいい球を投げてます」と高松捕手はいっていた。

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伊藤泰憲

2023-05-22 22:25:16 | 日記
1982年
大洋にテスト参加している伊藤泰憲内野手。46年から55年まで中日に在籍。昨季は南海でプレーしたが、不本意ながらファーム暮らし。オフに自由契約になり、一度は野球をあきらめかけたが夢を捨て切れず、最後の挑戦にかけている。「今年の9月で30歳になるんです。20代のしめくくくりとしてやり残したことに…。悔いを残さないためにも必死で取り組みます」


1986年


中日ファンの、特にクロウト筋を沸かせた代打の切り札。伊藤泰憲さんが、この4月26日、名古屋市昭和区石仏町にその名もズバリ「スポーツ35」というスポーツ用品店を出した。

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八島米雄

2023-05-22 22:16:46 | 日記
1985年
23年に巨人のユニフォームを着た八島米雄投手。戦前の保原中学チームがグングン台頭してきたのは昭和11年の県大会で決勝に進出してだという。そのときのエースが八島。八島は巨人で1完封勝ちを含む2勝2敗。退団して福島日東紡の軟式野球チームに入って全国制覇の中心となった。プロを退いたあとすぐ、こういうところで野球を楽しむ時代がいい。

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辻邦男

2023-05-22 20:55:00 | 日記
1969年
阪神には三人の辻捕手がいたが一人欠ける。辻邦男といえばご存知のない方も多いと思うが、ヒゲの辻佳捕手の実弟だ。昨年のキャンプで阪神に入団したばかりだが、みずから力不足を感じて退団を申し込んだ。というよりは、兄のアドバイスでやめたといえるかもしれぬ、ヒゲの兄貴はいう。「このままでは将来のためにもならないから、早くあきらめさせたんだ。家業(魚商)を手伝うことになるだろう」兄貴のおかげで思い切りがついた辻弟のようなケースはかえっていいかもしれぬ。

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田村浩一

2023-05-22 20:45:14 | 日記
1982年
福岡は九州産業に田村浩一投手がいる。185㌢、70㌔、線はまだ細いが、右のオーバースローから両サイドをつくストレートは威力がある。しなるような、きれいなフォームから、速球、カーブ、シュート、スライダーを投げる。最近、コントロールもよくなってきた。昨秋、今春の福岡市長杯で優勝した。九産の玉三郎、と呼ばれ、負けん気の強い九州男児である。

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マレット

2023-05-22 20:21:29 | 日記
2003年


近鉄は7日、業務提携しているドジャースのブライアン・マレット投手(28)の獲得を発表した。マレットは昨季、ブルワーズ傘下の3Aインディアナポリスでストッパーとして45試合に登板し、3勝2敗25セーブの好成績を残した。メジャーでの実績はないがMAX151㌔を誇り、中日に移籍した大塚の後ガマとして期待している。梨田監督は「投手起用が楽になる?そうですね。今までは後ろから逆算してたから。期待してます」と最大の懸案がクリアされて胸をなで下ろした。すでに身分照会を済ませており、今月中旬に来日予定。順調なら同下旬にデビューとなりそうだ。


新ストッパー候補のマレットが、八回に来日初登板、1安打無失点に無難にテストを終えた。「直球、スライダー、カットボール、チェンジアップの4種類の球を投げたが、まずまずよかった。日本の打者は的確なミートをする打者が多いね」とマレット。この日は真っすぐの最速が142㌔止まりだったが、「夏場になれば150㌔は出るよ」と自信も見せた。

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井原慎一朗

2023-05-21 22:33:05 | 日記
1974年
「よかったな。おめでとう」のナインの祝福に、「いやあ、まだ自分でも信じられないんです」と、井原が目をパチクリさせていた。井原といえば、ファームのエース。今シーズンもイースタンで5勝3敗、防御率1.36という堂々たる成績をあげている。しかし、一軍の壁は厚く、入団五年目でやっと1勝。ことしもまだ一軍で二度しか一軍のマウンドに登板していなかった。その井原が、二十年ぶりの優勝を目前にして乗りまくっている中日を相手に、九日の神宮球場ですばらしいピッチングを披露。4イニングを1安打に抑えて、とうとう今シーズン初白星をあげてしまった。「きょうは、スライダーがよかったです。それにしても、きょうの中日はおかしかったですよ。ボールには手を出してくれるし、どまん中の絶好球は見逃してくれる、ボクが勝ったんじゃなく、向こう(中日)に勝たしてもらったようなものなんですよ」それにしても井原は、うれしそうにウイニングボールを握りしめていた。

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大石滋昭

2023-05-21 13:49:09 | 日記
1985年
近鉄を退団した大石滋昭内野手(20才)、やっと成人式の若さだが、野球一筋にやってきた若者にとって、やはり再就職の道は厳しいようだ。朝早くから夜遅くまで、アルバイトで忙しい本人に代わって、兄・直昭氏は、「退団後、昨年の年末まで警備員をしていましたが、最近は知人の植木屋の仕事を手伝っています。しかし、いつまでもアルバイトでは仕方がないし、この3月からは不動産会社に入って、人生の再出発をする予定です。自分が本当にやりたい仕事が何なのか、これは本人に聞いてみなければわかりませんが、弟のことですから頑張ってくれることと思います」

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山川喜作・手塚明治

2023-05-21 11:51:15 | 日記
1959年
巨人の三塁手だった山川喜作はプリンス自動車の販売課長におさまっている。広い顔を利用して販売の実績をあげ、高くその手腕を買われている。面白いのは大量のプリンス特製(?)フン尿車を売り込んだせいか、このフン尿車が走っているのを見かけると山川さんが走っているといわれるほどになっていることだ。


カメラ・ブームに乗って成功しているのは巨人ー大洋にいた三塁手の手塚明治。東京銀座でカメラ店の重役におさまっているほかに、下丸子にレンズ工場をもち、レンズ製作で大いに当て、現在は増築増築とうれしい悲鳴をあげている。

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矢ノ浦国満

2023-05-21 11:15:41 | 日記
1968年
満州の大連に生まれ、わずか四歳のとき、日本へ引き揚げてきた。だから生まれ故郷を覚えていない。両親が落ちついた先は福岡県遠賀郡水巻町、矢ノ浦はここで育ち、その風土の影響を強く受けた。水巻町は日炭高松の町であった。矢ノ浦が住んでいる実家から三百メートルも離れていないところに、ノンプロの日炭高松の合宿があった。そこにいまや押しも押されもしない巨人の遊撃手黒江の青春があった。「どういうきっかけで知り合ったのか、いまでは、はっきりしないが、よく黒江さんから内野手の心得を手ほどきしてもらったものです」東筑高二年のころである。それから十年、かつての師弟がひとつのポジションをめぐって争いを繰り広げる。奇しき因縁というべきだろう。近鉄の監督は千葉茂氏であった。「もやしのように、ひょろっとした選手だったが、カンのよさは抜群だった。それだけ練習をしていたよ。しかし性格はどちらかというと親分肌、それにちょっと淡白すぎるきらいもあった」入団の年の三十五年のシーズン、プロ一年生で、いきなり百十試合に出場、二割五分六厘の打率をマークした。新人王のタイトルも近いといわれたが、いま一歩が不足し、ついにこの年のパ・リーグは該当者なしに終わったのだった。「昼は藤井寺の二軍練習場で練習したり、ウエスタンリーグに出場、夜は日生や大阪球場へ駆けつけたものだよ。あのころはほんとに夢中だった。いつも合宿で夜のバットスイングもやっていた」だが、矢ノ浦はしだいに初心を忘れていった。ノンプロの優勝チームと試合をやっても負けるのではないかといわれた弱小チーム近鉄の環境になじんだのも影響した。しかし、こうしたなんの抵抗も、苦労も経ぬまま、いつしか矢ノ浦は、近鉄のお山の大将となっていった。プロ二年目を迎えたころの矢ノ浦は、参加報酬はいきなり倍増して、月収十四万円となった。「大阪のミナミを肩で馬を切って歩いたものですよ。ビール一杯で顔が赤くなり、一本がリミットなんだが、バーやキャバレーの雰囲気が好きだったんですよね。よく馬鹿遊びしたものですよ」独身で生活に苦悩することもない。それに大阪女に惚れられることもしばしばだった。「月給を手にしたら、その足でミナミに飛んでいった。そしてきれいさっぱり使い果たすと、つぎの給料日まで合宿に閉じこもる。そんな生活の繰り返しだった」サラリーの範囲内で遊んでいたまではよかった。それがついつい、フトコロが寂しくなると球団に給料の前借を申し込む。それが積もり積もって、いつしか八百万円にものぼった。そして矢ノ浦は借金王となったのである。近鉄から移籍のさい、矢ノ浦の借金はそのまま産経が肩替りした。だがその借金は半額の四百万は球団が負担する取り決めになっていた。「保証人も三人いた。産経に関係した人もいるんだ。しかしそれも一礼とっていなかったためそんな約束をした覚えがないと突っ放された。昨年の暮、突然移籍要員に指名されたけど、それもこれも借金がからんだためだ」かくて、矢ノ浦は巨人のユニホームを着ることになった。そして十年前の師・黒江と遊撃のポジションをめぐって、静かな対決をするのも、これまた野球人生なのだ。「よそのチームから巨人へはいった人は多い。だが埋もれたまま消えていったものも多い。それらの人たちは、よそのチームでレギュラーでありながら、巨人では控えであるという欲求不満にスポイルされていったからだ。ベンチにいるときも、いつゲームに出されてもいい体調の配分を考えておかなかったからだ。ぼくはそんな前者の誤りを繰り返したくない」矢ノ浦は人が変わった。近鉄、産経の矢ノ浦を想像してはいけない。自分の才能に溺れ、いつしか練習嫌いといわれてきたのだが、多摩川、台湾、そして宮崎でトレーニングを積んだ矢ノ浦の生活態度は、首脳陣の目をみはらせた。「練習嫌いなんて、ウソだったんだろう」白石ヘッドコーチも、矢ノ浦の真剣な練習ぶりに目をみはった。東京・南麻布の矢ノ浦宅。やっと二歳になったばかりの長男聖君が寝入ったころ、矢ノ浦の素振りが始まる。結婚以来かつてなかったことである。「ことしの主人は、人が変わったみたい。バットを持ち出して練習するなんて。この前も雨が降るんじゃないと冷やかしたんだけど、あれだけ野球に命をかけているなら、もし失敗しても悔いは残らないでしょう。うんと頑張ってもらい、どんどん稼いでほしい」天才に努力がプラスしたら、もう鬼に金棒。黒江とも正面から挑戦していくだろう。矢ノ浦は黒江といういい先輩を得て幸いというべきだ。「努力すればそれだけ給料がもふえる。働く楽しみ、巨人がそれを教えてくれた。目覚めたといってもいい」球界の借金王であり、放浪息子だった矢ノ浦。心構えも違ってきたというが、巨人ではどんな活躍を示すだろうか。

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奥村武博

2023-05-21 10:37:16 | 日記
1997年


阪神から6位で指名を受けた土岐商高の右腕奥村は「幼いころからの夢だったのでうれしい」と晴れやかな表情。すでに内定しているJR東海との兼ね合いもあるのか、「周りの人と相談したい。でも気持ちは前向きです」とプロ行きをほのめかした。奥村は今夏の甲子園を逃したが、188センチの長身から繰り出す直球と角度のあるカーブを武器に県大会準優勝の原動力となった。九月にJR東海から内定をもらい、その後、阪神から調査書が届いて心が揺れたという。

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藤本雄司

2023-05-20 16:41:45 | 日記
1981年
「高知県ナンバーワン投手」といわれた安芸工・藤本雄司君(18)=180㌢、65㌔の評判もいい。ある在京球団のスカウトは、「中央球界では無名ですけどスピード、体つき、フォームもすばらしい。コントロールがいまひとつだが、球速は135~140キロ台。案外早く出てくるかもしれない。まず四位以内には指名されるだろう」と、太鼓判を押すほどだ。右の本格派で二種類のカーブと外角のストレートが武器。一試合の平均奪三振は十個。高二のとき、高知県下の選抜メンバーでフィリピンに遠征し、ノーヒット・ノーランの快投を演じている。現在、急、近、中、西以外の八球団が名乗りをあげている。「中学時代は全然コントロールがなくて、控えだった。うちにきてよくなったけど、甲子園までは進めなかった。今年は一回戦で高知商と当り負けました。素質はいいものもってるし、性格もピッチャー向きだから将来性はあるが、一応、三菱重工神戸に内定しているんですよ。どっちにいくかは本人と家族にまかせている」(池内英夫監督)

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安木祥二

2023-05-20 16:41:45 | 日記
1985年
中日を自由契約になったのを機に、引退に踏みきった安木祥二投手(36才)サンケイー太平洋ーロッテー中日とジプシー生活をつづけ、巨人を除く全球団から勝ち星を奪ったことで名を売ったベテラン投手も、いまは大転換をして喫茶店のマスターにおさまっている。倉敷市平田にある和風軽食喫茶さうすぼうがそれ。「引退してブラブラしていてもしようがないので、女房の親戚がやっていた喫茶店を引きついだんですよ」オープンしたのは1月5日。「女房と2人でやっているんですが、いままでプロ野球の世界では考えてもみなかった250円という小さいお金(コーヒー代)に頭を下げることから、社会勉強をしなおしているんです。おかげさまで、毎日忙しくやっていますが、公式戦のナイターが始まったら、ますます忙しくなるでしょうね。お客さまに野球の解説をすることになるでしょうからね。ハハハ」と屈託ない笑い声。「このままずっと店を続けるかほかの仕事に手を出すか、まだ決めてはいませんが、とにかく毎日に張りがあって、充実した生活を続けています。いまは野球には全然未練はありません」

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ノンプロ転向先

2023-05-20 15:41:28 | 日記
1954年


岩本義行 外野 洋松 徳陽相互銀行
萩原寛 外野 巨人 高崎理研
奥田元 遊撃 近鉄 高崎理研
高塚峰治 捕手 近鉄 高崎理研
横井啓二 捕手 阪神 日鉄二瀬
大原博志 二塁 阪神 日鉄二瀬
江上重孝 投手 南海 日鉄二瀬
和田武彦 投手 中日 大生相互
加藤一昭 三塁 中日 大生相互
石鉢勝美 投手 中日 川島紡績
東泉東二 投手 東急 日本石油
征矢高行 投手 巨人 トキコ
井上親一郎 捕手 国鉄 米子鉄道
吉川健 投手 巨人 大生相互
佐藤公男 投手 洋松 東鉄
池田吉夫 投手 阪神 松下電器
真鍋光輝 投手 阪急 大鉄吹田
今井友保 内野 阪神 大鉄吹田
伊沢修 外野 阪神 大鉄吹田
石川清逸 投手 洋松 春美クラブ
藤道昭和 投手 洋松 春美クラブ
岸本千明 投手 南海 春美クラブ
榊原重人 外野 南海 春美クラブ
金城政夫 外野 東鉄 横須賀NAS
綱島新八 外野 洋松 明治座
市川祐美 外野 中日 東紡富田
辻谷寿一 内野 南海 東紡富田
中辻昇 投手 南海 三重交通
清池英幸 捕手 南海 三重交通
岩井活水 投手 広島 岩田鋳造
飯盛節一 投手 広島 岩田鋳造
浅田肇 投手 国鉄 札鉄
広田康三 捕手 南海 日鉄北松
新村孝造 投手 近鉄 倉敷レーヨン
大西寛介 外野 中日 愛産
樽井信章 投手 東急 明和酒類
鶴丸嘉蔵 投手 巨人 清峯金属
吉田強 外野 巨人 清峯金属
石川要 内野 中日 清峯金属
小山恒三 投手 国鉄 国鉄本庁
小川英雄 捕手 阪急 四国鉄道
野本喜一郎 投手 近鉄 岩田鋳造
寺本昭八郎 投手 中日 NBC
国木彦林 内野 南海 三重交通
中原弘 捕手 南海 志免鉱業
三浦正造 投手 阪神 志免鉱業
菊地博仁 一塁 広島 嘉穂鉱業
河野博 外野 阪神 神戸製鋼
林忠雄 投手 近鉄 篠崎倉庫
浮田逸郎 投手 洋松 佐世保クラブ

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