プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高橋三千丈

2024-03-26 21:24:59 | 日記
1979年
星野の後輩らしく、正面から勝負を挑む本格派。東京六大学では、どんな強打者がでてきても決して逃げず、その強気な投法で明大の島岡監督を感心させた。藤沢とともに一年目から一軍のマウンドを目指す。大学2、3年当時の速球、シュートの切れが戻れば、先発グループの仲間入りが期待できる。課題は大学4年のシーズンに見られた力み過ぎを矯正、カーブ、スライダーの二つを会得することだ。先輩・星野もプロ入り1勝までは苦労した。壁を乗り越える精神力は十分だろう。

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杉山知隆

2024-03-26 21:18:43 | 日記
1979年
前期の2勝から後期一気に7勝をあげてスパート。パの水になれた今季、大沢監督がもっとも期待する一人だ。時速145㌔のビッグ・スギ。昨年4勝(無敗)のライオンズの前にことしも大手を広げて「ストップ!」


1980年


昨年の8月18日。みちのく青森での南海戦にプロ入り初の完封勝利をあげるとともにこれも初の10勝台へ。力で押しまくる豪快さにプラスしたワザのピッチング。高橋直、佐伯との三本柱でチームの先陣を切る。

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松谷秀幸

2024-03-26 21:11:11 | 日記
2000年
秋季、春季大会ともベスト4。大会屈指の右腕松谷を擁し、優勝を狙う。松谷はストレート、変化球とも切れが良くなり、新しくフォークボールもマスターし、さらに安定度が増した。


140㌔台の速球を持ち、2年生だった昨年の夏から、興南のエースを務める。以来、大会関係者からは2年越しで「№1の本格派投手」と呼ばれている。181㌢、77㌔、右投げ。大阪市出身で沖縄とは特にゆかりはなかったが、中学時代にOBの紹介で同校を知った。他の近畿の高校からも誘われたが「沖縄のレベルは高いと知っていた。自分でやってみて、どんなレベルか確かめたかった」という気持ちで沖縄に。速球にもさらに磨きをかけ、スライダー、フォークと球種も増やし「№1」の評価を不動のものにした。しかし「特にその意識はない」と気負わない。一方、その戦歴は優勝には恵まれず、準優勝や4強に甘んじてきた。今春も準決勝で沖縄水産・友利と10奪三振を奪い合う投手戦を演じたが、0対1で破れた。「内容では負けていなかった。悔しい」と振り返る。高校生活最後の夏を迎えた。昨年の経験もある。満を持して「どうしても優勝して甲子園に行く」と闘志を燃やす。


松谷秀幸にとっては今までの人生の中で一番長い一日だったに違いない。ヤクルトから3位指名の連絡が入ると、最初は緊張した実情だったが、次第に笑顔が広がった。182㌢、78㌔、右投げ、右打ちの本格派。140㌔台のストレートを武器にカーブ、スライダーなど切れの良い変化球を持ち、夏の大会からフォークボールもマスターして安定感を増したことが高く評価された。松谷は「指名してくれただけで、うれしい」と喜びを表した。意中の球団はなく、中学二年のころからプロ野球を夢見ていた。中学を卒業後、甲子園を目指すため大阪から単身で沖縄へ。高校での目標達成はならなかったが、もう一つの夢をかなえた。ドラフト前にはヤクルト、巨人など5球団から指名したいとの連絡があったという。「高い評価で指名してくれて驚きでいっぱい」と複雑な心境も見せた。この日の興南高校では宮城悦夫校長、松谷、母親の恵美子さんが待機。球団から連絡が入ると安ど感が漂った。美恵子さんは「心配の方が大きい。気の弱いところがあるので、もっとずぶとくなってほしい」と気遣った。松谷はプロ入りに前向きな姿勢を見せ、「球界を代表する選手と早く対戦したい。三年後には一軍でプレーしたい」と意欲満々だった。


プロ野球のドラフト会議でヤクルトに3位指名された興南高の松谷秀幸投手(18)=182㌢、78㌔、右投げ右打ち=が二十日、那覇市内のホテルで仮契約を結んだ。契約金六千万円、年棒四百四十万円。背番号は未定。本契約は十二月二十日、ヤクルト本社で行われる。会見には松谷投手と母親の美恵子さん、ヤクルトの片岡宏雄取締役、酒井圭一スカウトが同席。松谷は少し緊張ぎみながらも「ほっとした気持ちです。一流の選手になれるよう、体づくりから頑張りたい」と抱負を述べた。目標は三年後の一軍入り。片岡取締役は「真っすぐの速さが魅力」と松谷を高く評価している。右本格派の松谷だが、目標は同じヤクルトの左腕・石井一久投手「真っすぐで三振を取れるピッチャーになりたい」と決意を表した。松谷は来年一月、東京の合宿所で行われる新人合同自主トレに参加する予定。ヤクルトは今年から浦添市で春季キャンプを張っており、引き続き来春も予定している。松谷は「沖縄のファンにも、見てもらいたい」と話していた。

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ホルツ

2024-03-24 23:12:58 | 日記
2005年
強力な中継ぎ陣に加わった待望のサウスポー。7年という豊富なメジャー経験を持ちながら、以前より興味を抱いていたという日本球界に念願の入団を果たした。コントロールの良さに定評がある中継ぎのスペシャリスト。ベイスターズでもそのキャリアを活かしセットアッパーとしての働きが期待されている。キャンプにはひと足遅れて2月8日からの参加となったが、早々とブルペン入りするなど気合も十分。変幻自在の投球術での活躍が楽しみな新戦力だ。

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ホルト

2024-03-24 23:08:01 | 日記
2003年
昨年6月に入団するや先発ローテーションの柱となり、故障者が続出した投手陣の救世主となった。キレのいい。変化の大きなカーブを武器に、テンポ良く、強気で打者を攻めるピッチングで6勝をマーク。しかも先発17試合中完投4、完封2とスタミナも抜群。「中4日で投げるのが理想。年間通して投げれば12勝はできるし、そこからひとつでも多く上積みしたい」と自信をみせる頼もしい存在である。

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中田宗男

2024-03-24 22:58:27 | 日記
1979年
体育大学の出身らしく、バランスの取れた体、切れのよいバネの持ち主。武器は縦横二種類のシュート。速球の伸びをふやし、けん制プレーなど実戦上の技術を覚えれば、くせ球を持つだけに一軍への道は近い。


1981年


球界では珍しい、日体大出身。プロ入り1年目の54年、大きく割れるカーブを武器に、ウエスタン・リーグで活躍、一軍定着を期待されたが、2年目の串間キャンプで骨折。その悔しさを今シーズンにぶっつける。


1982年


右投げの本格派投手。毎年、今年こそは…と期待されながら一軍に昇格するチャンスに見放されつづけている。それというのも投球内容がいま一つ単調なきらいがある。これが原因だろう。第一線へ飛び出すには「これだ」という決め球をマスターするのが課題。


1983年


右投げの本格派投手。昨季は待望のプロ初勝利を挙げ、文字通り今季がステップ、勝負の年。球は速い。これに課題の「落ちる球」をマスターすれば、一軍定着も夢ではない。

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石川雅実

2024-03-24 22:44:34 | 日記
2002年
ドラフト4巡目の左腕・石川も注目の存在だ。3月で21歳とまだまだ伸び盛り。スリークォーターから右打者の内角をクロスにえぐる140キロ台の速球が最大の武器。カーブ、チェンジアップ、スライダーと球種も豊富だ。春季キャンプで最初から一軍スタートとなったのは石川1人。制球に苦しむ場面も目立ったが、中継ぎ左腕の柏田、河本が出遅れただけに、開幕一軍の期待もかかる。背中には今や出世番号となった「36」新風を巻き起こすかもしれない。

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福沢卓宏

2024-03-24 22:39:01 | 日記
2000年
甲子園をわかせた最速145キロ右腕が、あこがれの世界に飛び込んできた。次なる夢は、ナゴヤドームのファンを熱狂させること。「いい見本の先輩がいるので、早く体をつくって、その中に入りたい」18歳の青年は、自分の足元をしっかりと見つめている。持ち味は高校球界ではトップクラスだった直球だけではない。変化球も良く、特にスライダーの切れは抜群。三振も取れる。目標はコリアンエクスプレスの異名をとった宣銅烈投手。「宣さんのようにグイグイ押していけるピッチャーになりたい」竜投の明日の守護神に立候補だ。


2001年


昨年は同期の朝倉に先んじて1軍のマウンドを踏むことができた。しかし、ともに白星は手にできずじまい。本当の競争はこれから始まるといっていい。スピードガンに表れる球速ではライバルに後れを取るものの、ボールの切れや変化球といった実戦的な面ではむしろ先をいく。ともに昨年は打たれることでいい経験ができたはず。その悔しさを今期にとうつなげることができるか。山田久ヘッド兼コーチ直々の指導を受けた昨年の伊良湖キャンプも、どれだけ身についているかが楽しみだ。まず「2軍で実力を蓄えること」2年目を迎える右腕に気負いはない。1軍の舞台でもキラリと光った高速スライダーに、しっかり磨きをかけるつもりだ。

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三浦将明

2024-03-24 22:33:21 | 日記
1987年
昨年4月、念願の一軍のマウンドに立つことができたが、それは10球降板というほろ苦いプロデビューだった。カーブはプロでも一級品といわれる。体力をつけ球威が増せば、一軍定着も夢ではない。


1988年


高校時代は甲子園球児として活躍した人気者の5年生。大きく割れながら落下するカーブは、球威、制球力とも一級品。だが速球の威力がいま一つで、これが足踏みしていた原因だ。このところ、年を追って一軍のマウンドに上がるチャンスが増え、細身の体にも目に見えて肉付きがよくなった。体重の増加とともに速球のスピードが増してきたのは、今後が楽しみ。野球を良く知っているのも、三浦の大きな武器だろう。


1989年


打者が「カーブが来るぞ」と待ち構えていても、おいそれとは打てない。確かにカーブの切れ味は抜群で、それが三浦にとって最大の武器だ。もう一つ、スピードが不足していた速球にも、このところ球威が出始めた。ウ・リーグでは5勝1敗。ゆっくりとしたペースだが、着実に力が上向いてきている。体もひと回り大きくなった。神奈川の高校時代に同期だった山本に先を越され「ヤマに追いつき、追い越せ」とライバル意欲を燃やす今季に、期待しよう。


1990年


「ウエスタン」での三浦は抑えの切り札である。「困ったときには、三浦でいく」というのが、ファームの合言葉にさえなっている。高校時代から、大きく割れてストーンと低目に決まるカーブは一級品。ところが、天は二物を与えず…というわけか、速球のスピードが物足らなかった。それでも体重が増すにつれて、最近はあとひと息で140キロ台も望めるまでに成長した。その成長ぶりを買われて、昨シーズンは夏場から一軍ベンチ入り。その広島21回戦で、リードされた場面の3番手で登板。見方がすぐ逆転して「プロ入り初勝利だ」と喜んだ途端、手堅く抑えに出たはずの郭が打たれて逆転負け。せっかくの大魚が三浦からスルリと逃げたのは悔しい。7年目を迎えた今シーズン、今度こそチャンスを生かしてやりたい。努力は必ず報われる。

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松本祥志

2024-03-24 22:18:33 | 日記
1982年
「今日のようなピッチングでは、まだまだ」阪急・松本はすっかりたくましくなった投球で2つ目のセーブを稼ぎながら、謙虚なことば。7回一死一塁で宮田を救援。代打の田尾を投ゴロ併殺打。8回にはモッカをフォークボールで三振に取る余裕を見せ、9回の2死満塁も速球勝負で切り抜けた。「9回はボールが高くなった。もっと低めに決めないと」と反省の言葉も。高校(東洋大姫路時代)自分の控えだった宮本(亜大ーヤクルト)のプロ入りに刺激され、あいつだけには負けたくないと発奮する松本は今年こそやりそうだ。

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金森敬之

2024-03-21 14:43:28 | 日記
2004年
東海大菅生高校では早くも一年生からエースを務め、いずれも東京都の大会から1年生夏ベスト8、秋ベスト8、3年夏準優勝と常に上位へ進出していた。MAX145キロのストレートにカーブ、スライダーを武器とする強気のピッチングが持ち味。遠投115メートルと肩も強く、体格も182センチ、80キロと早くも風格が漂っている。プロの水にさえ慣れれば面白い存在。高い将来性とともに、培ったパワーをプロで十分にぶつけてもらいたい。

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神島崇

2024-03-21 14:41:38 | 日記
2001年
打者を欺く90キロ台のスローカーブを貴社たちから魔球・神社ボールと称されたことがあった。これも実家が神社という異色のキャラクターが興味を呼んだものだが、直球にスライダー、カーブ、チェンジアップを織り交ぜた米国仕込みの投球テクニックは確かに目を引いてはいた。そんな技巧派左腕も技だけでは通用しないプロの凄まじいパワーをまざまざと見せつけられ、日本でのスタートは厳しいものだった。イースタン戦19試合で8失点、防御率5.54の苦汁をなめている。多彩な変化球を生かしつつ、人一倍の走り込みを積んで生命線であるストレートに一段の磨きをかけたい。

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赤嶺賢勇

2024-03-21 14:39:49 | 日記
1979年

昨シーズンは右肩痛で棒にふった。一から出直しの今季だ。決めダマであるシュートの切れ味は一年目と変わらない。制球力も抜群だが、一軍に上がるにはもうひとつ球種がほしい。三年目を迎え、体つきはすっかりプロの投手になった。


1981年


高校時代は豊見城高のエースとで東海大相模高の原とは何度も対戦したライバル同士だった。沖縄の星といわれて入団して5年目。一軍で常時活躍するにはまだセンが細い。カーブのコントロールがよく、イースタンでは不利なカウントからでも三振をとれるが、一軍ではまだ通用せず、壁の厚さを感じている。女学生には人気があり、ナインから「賢ちゃん」とかわいがられているが、本人は「早く実力派に転身したい」と必死だ。

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藤本茂喜

2024-03-21 14:37:58 | 日記
1987年
一昨年、イースタンであわや首位打者という・328の好成績を残すなど、小柄ながらしぶとい好打者。昨年は1試合(1打席)1軍の経験もした。「これといった売りものがないのがやはり弱点」というのが自己評価だが、虎視たんたんと1軍の座を狙っているのもまた事実だ。

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藤本健治

2024-03-21 14:36:19 | 日記
1989年
ケガに弱い体質は相変わらず。今年もヒザ・肩が思わしくなく・横綱・北勝海の復活で話題になった冷凍療法のお世話になった。「もうケガとはおさらばといきたい」と徹底的な治療を施した。ケガさえなければ、俊足、強肩、長打力は折り紙つきだけに将来のスター選手候補生。

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