「この世界で何より痛々しい現実は、
誰かを愛して失うことではなく、
愛する能力を持たないことだ。」
〜ANDを悼む〜 より
シリ・ハストヴェット
抄訳 柴田元幸
上は、妻が書いたポール・オースターの
回想録に出てくる一文だ。
たばこの匂いについて
「私はその香りを、死んだ夫の徴として
愛着を抱くようになった。人が話すことを
学び、読み書きを覚えると、体の中に
いろんな象徴が埋め込まれる。この過程
は西洋では十分に理解されているとは
思えない。まったくの虚偽である心/体
の二分法に私たちは閉じ込められている
からだ。
私が日々吸い込む煙はいまは死んでいる
私が愛する男の、実体ある徴なのだ。
匂いはやって来ては去る。手で触れること
もできず、つかのま訪れて消え、その出所
もしばしば視界内にはない。」

愛しかたをわかっている人などいない。
だが、からだの中にそれがあることを
知っていて、それなしには生きている
感じがしない。
そうなるまでに失意や孤独を重ね必然
として偽らざるあの感覚を覚える。
それは嬉しいとか喜ばしいとかあるいは
誇らしいとかいった外目にわかるような
興奮ではなく、しずかに沈むようにある。
ああ、かなしいというのはこれなのかと
愛という字を思い出す。
歳をとって、わかったことは目には
見えないもの、真実は象徴としてしか
表れようがなく、だからつかみどころが
なく、ひとりひとり、違った象の愛を
秘めているということだ。
底にあるものはまったく同じなのに
浮き上がってくるのはまるで異なっていて
すれ違い、諍い、哀しむ。
互いがふれあうときでさえ、ひとりと
ひとり、二つの愛があって。
けれどもどちらかが死ぬと、つまり
見えなくなるとそれは影のように
片方に重なり、ひとつになる。
そう、そばにいるのがわかる。
そうだね、と肯くのがわかる。
さみしくはなくなる、永遠に。
誰かを愛して失うことではなく、
愛する能力を持たないことだ。」
〜ANDを悼む〜 より
シリ・ハストヴェット
抄訳 柴田元幸
上は、妻が書いたポール・オースターの
回想録に出てくる一文だ。
たばこの匂いについて
「私はその香りを、死んだ夫の徴として
愛着を抱くようになった。人が話すことを
学び、読み書きを覚えると、体の中に
いろんな象徴が埋め込まれる。この過程
は西洋では十分に理解されているとは
思えない。まったくの虚偽である心/体
の二分法に私たちは閉じ込められている
からだ。
私が日々吸い込む煙はいまは死んでいる
私が愛する男の、実体ある徴なのだ。
匂いはやって来ては去る。手で触れること
もできず、つかのま訪れて消え、その出所
もしばしば視界内にはない。」

愛しかたをわかっている人などいない。
だが、からだの中にそれがあることを
知っていて、それなしには生きている
感じがしない。
そうなるまでに失意や孤独を重ね必然
として偽らざるあの感覚を覚える。
それは嬉しいとか喜ばしいとかあるいは
誇らしいとかいった外目にわかるような
興奮ではなく、しずかに沈むようにある。
ああ、かなしいというのはこれなのかと
愛という字を思い出す。
歳をとって、わかったことは目には
見えないもの、真実は象徴としてしか
表れようがなく、だからつかみどころが
なく、ひとりひとり、違った象の愛を
秘めているということだ。
底にあるものはまったく同じなのに
浮き上がってくるのはまるで異なっていて
すれ違い、諍い、哀しむ。
互いがふれあうときでさえ、ひとりと
ひとり、二つの愛があって。
けれどもどちらかが死ぬと、つまり
見えなくなるとそれは影のように
片方に重なり、ひとつになる。
そう、そばにいるのがわかる。
そうだね、と肯くのがわかる。
さみしくはなくなる、永遠に。