想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ドラマ「VIVANT」 と書経

2023-09-20 18:56:49 | Weblog
ナツハゼという名は夏のうちに
一番に紅葉が始まるところから
つけられたそうだ。今年の実は
暑さのせいで熟するのが早い。
超酸っぱいジャムの元。

ところで、TVドラマのVIVANTを観たが
主人公乃木が告げるように言った言葉に
注目している多くの人と同じく私もオオッ
皇天ていうか、と盛り上がった最終回。

皇天親なく惟徳を是輔く

台詞でも考察後追いの記事でも惟をタダと
訓んでいるが、次の徳につけた強調詞で
コレというのではなかろうか。
ともあれ、いい台詞!

息子といい、父ベキといい、
彼らが語る日本人かくあるものという
言葉は戦後久しく聞かない。
今では何のこっちゃといわれるくらいだろうから
とても新鮮であった。出典や根拠を知らないと
偏った思想だと勘違いするかもしれないし。
それほどに逆に斬新、またベキの言葉は
原型をかみ砕いて、よく通るわかりやすい
今の日本語表現だったから異論はないだろう。
それが皇天‥とつながっていることを知る
人は少なくても別にかまわない。
結果オーライ、如何に行動するかだ。
アッラーも天照大神も仏陀も真髄は同じ、
その心を知らず言葉だけ知っていても意味はない。


(シュウメイギク)

儒学経典は五経、八経とも五世紀に半島
諸国から調貢として伝わり、それを東儒と
合わせ聖徳太子が官学として定着させた。
太子が著した五憲法、宗徳経、神教経では
儒学と神道、仏法を加えさらに昇華された。
七世紀初頭に聖徳太子が唱えた三法の精神、
民族と宗教を超えて和と成して善へ向かう
という志は、今なかなか通じないので、
脚本に拍手を送りたい。


(濃緑の朴ノ木の葉っぱ)

先代旧事本紀大成経伝(一)(二)(三)
同(四)(五


未熟な仕事ですが、手に取っていただけるとうれしいです。
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おいしい無農薬・野菜たち

2023-08-17 16:40:32 | Weblog
暦では日曜から一昨日までがお盆だったが、
お盆休みというより先週末の3連休を山で過ごし
Uターンラッシュを避け早めに東京に戻った。
お盆を都内で過ごすのは久しぶりだった。
しかし、、暑い。日差しがきつい。

何するわけでなし、、、出かけず仕事した。


森庭はいつもの夏。暑いけれど気持ちよい。
昨年中、伸びすぎた樹木の枝下ろしをしたので
木漏れ日が芝生に挿してきれいだった。
風もよく通る。

小鳥は合唱大会。
どさくさに紛れて烏もくるが「カーっ」と
地主に一喝されて隣地の高木へ逃げ去り
負け惜しみなのか、カーと一声二声鳴く。
制空権は君ではなく地上にあるんだよん、ここだけのはなし。

犬がいないと外で過ごす時間は花木の手入れ
くらいしかない。
プランターに何も植えないまま、もう夏、遅い。
することといえば水まきくらい。
何かしよう何かしようとする貧乏性が抜けない。




ある日、栽培者の氏名を印刷したシールと手書きメモが
一緒に入った無農薬栽培野菜をイオンスーパーでみつけた。
一軒の農家さんが卸していた。
その見栄えの悪いキュウリ、ピーマン、茄子を試しに
食べてみた。‥‥まいうー!(うまいの表現はむずかしい)
こんなに違うのー!?甘いというか味があるというか。
成城石井の野菜を買って持ってきていたが、それより
上品な、けれどはっきりした味なのだ。
ということでイオンに行くようになったのだが残念なことに
いつもあるわけではないようだ。

原発事故から12年経ったが、福島は農業県だったのに
東北他県や関東のが売場のほとんどを占めてきた。
地元野菜は長いあいだ売れなかった。
ようやくこの1〜2年、少しずつ地元の野菜コーナーが
充実してきた。けれども私は手を出すのに勇気がいった。



2011からずっと食品残留放射性物質の検査データを
見続けてきた。測定所が閉鎖して減ってからも
役所のHPにある放射性物質検査データもみてきた。
放射能性物質がゼロになるには長い歳月がかかる。
周辺の放射能測定ポイントの数値がゼロになるのは
私が死後、数十年から百年近くかかるだろう。否、
百年経っても残る核種もある。
役所は半減期の短いセシウムしか検査していないけれども。

海洋放出などもってのほかだ。
全身全霊で反対し続けなければならない、と思っている。
誰も責任を取らない国、罪を償わない国だが、
被害を被っているのは人だけではない。
大地、海、生き物すべて。
国とは何かと考えざるをえない心境にもなる。

だがその思考はそもそも間違っている。
悪をみて善を見失うの図に陥ってはいけないんである。
善、正しさを忘れてはならない。
奴らは悪を悪でないように屁理屈をこね誤魔化し騙しているわけだ。
けれども自らを正しいとは決して言っていない。
しかたがない、という。
悪は攻めて絶えさせねばならん、というのがまっとうな道理。
不安になっている場合ではない。
悪を断つということは人の責任である。

と、森庭で息巻いている。。。。。
(ほんね、無農薬野菜をいつも食べたい。)

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間道をゆく

2023-07-03 21:25:28 | Weblog
そこだけ雲は薄くなって光が零れ差して
明るくなった。

夏は草刈り、小川に溜まった落ち葉掃除、
水の通り道を作り、大雨に備える。

バラは病気にならないように先月から
ニームや無農薬系の消毒液を噴霧した。

小さな小さな虫が蕾を食べにくるのは
止められない。見つけたら払いのけ、
どうにか去年よりたくさん蕾が開いた。
自然と笑みもこぼれる。




間道はかんとう、かんどうとも読む。
ぬけみち、わきみちのこと。
また名物裂に太子間道というのもある。
法隆寺伝来の経絣の紋様で太子の衣で
あったという伝承からの名である。

紋様は古くは自然や祈りや祝祭、崇敬を
形に表している。間道は縞であり道であり
それも大通りではない脇道である。
抜け道であるが裏道ではない。
どこを通るか。いや、どの道にも理由が
あって、なりゆきがある。
道ゆきも。

どう道を選ぶかをいつもいつも選ばされて
生きていくようだ。みんなそうだろう。
選ぶのは自由なのに。



間道をゆく。
間道を着て、いく筋もの間を抜けて
風を感じながら
その時々に聞こえる声に応じながら
通り抜けるところまで
間道をゆく。
六月の庭先で。

「たかまるために間道を行く。」
(細田傳造・みちゆき/2019.5「間道を行く」)
ふっと読みたくなって開いたところ)



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土を喰らう

2023-06-15 20:01:53 | 
水上勉「土を喰う日々」が映画になり、
ジュリー(沢田研二です)が水上役で主演した。
映画はまだみていないけれども原作は
典座の僧が書いたものに水上勉がさらに滋味を
重ねたようで、とてもよかった。

同じ精進料理でも人生の辛みを悟った作家は
ちょっと甘みを足す。けれども酒は使わない。
小僧時代にもったいなくて酒は使わなかった
経験と、野菜本来の甘みや苦味を引き出して
作る。品のある食事である。

穀物や野菜を通じて土からいただく滋養で
命をつないでいく。
聖俗に関わりなくこうした方法が暮らしの
中心にあった時代、人は土を大事にした。

ところで、神文伝の四十七言のなかにある
男田畠耕(おたはく)は農耕の役目を男性の
務めと教え、女蚕績織(めかうを)に衣服を
調え快適な暮らしの元を支える女性の役目
を説いている。
これを男女の違い(差別ではなく)と狭義に
読まないよう留意がいる。陰陽のはたらきが
事となって顕れるとこうなるという一形態だ。
そして、古代から生活の基本がほぼ変わらない、
その本質を読み取ると興味深い。
男女に分けた両方の仕事が、生きるために
不可欠な衣食住を成り立たせる。
人の暮らしの基本を表している。

しかし千年数百年かけてそれらの意味を
人の世は変えてきた。
いまや土を耕すことが生活から切り離され
土も虫たちも生命を亡くしつつある。
自然も額縁の中の絵のように扱っている。



道元「典座教訓」にある細やかな決まりは
表現は異なるが宗徳経の教えにも重なるので
すんなりと入ってくる。
むずかしいことではなくあたりまえのこと。
そうしたほうがどれほどよい結果を生むかと
いうことをこうしてじっとしている時間には
なおさらわかる。

典座教訓は食事のみならず、人が命の原点を
思い出す方法を教えたものともいえる。
それがなければ祖霊供養も神仏祭祀もまた
意味をなさないのである。
典座は僧堂の役目の一つで食事と湯茶の仕事を
担う。大勢の僧侶の命を養う大事な係である。

典座の務めの困難はまずは一日たりとも休みが
ないこと、一日どころか四六時中、離れていい
ということはない。それを難儀に思わずにする
にはなぜそこにいるのかを思い定めていること
かと思う。

求道心がないのに地味で質素で面倒な料理を
他者のために作り続けることはできない。
他者に喜んで食してもらうことを喜びとする
利他心が自然に備わって料理という小さな仕事に
大宇宙を感得するようになる。

さと芋の皮を薄く剥くというのはあたりまえのこと
だと思っていたが、テレビに出ている料理家が
器用に包丁を使うけれどもずいぶんと分厚く
芋の形が残らないくらいに剥いてザルに投げ
入れていくのに驚いたことがあった。
さと芋に触れるとそれを思いだすことがある。

料理ほど心が表れやすい仕事はないと思う。
見栄えよくおいしくできるのがいいという
のではない。典座の仕事から教えられるのは
心からそれを扱い生かし、拵えているか
ということの大事さだ。
だから集中しなくてはできない。
考え事やよそ見をしていては失敗する。
食べる人のことを思って作らず自分の為すこと
に没頭してもだめである。
落ち着き、よく頭をめぐらし、ていねいに
行う。なにより清潔でなくてはならない。

朝食が終われば昼を、昼が終われば夕食を
そして明日のことを備えておく。
こういうことを惓ことなく何年も何十年も
やるのだから、悟りの域に達しもしようと
思う。
また途中投げ出しても、また戻ってやる
ということができればそうすればいい。
許されればありがたい事だが、山門を追われ
戻る道などまあ実際にはない。



山中のわが家のそばには道場があって週末には
人が訪れる。
食事をする台所もある。
そこで三食を拵えて食し森庭仕事などをして
我が身と我が身を置いた空間を観る。
利害と我欲から離れることは難しいので
あえて自然のなかで、見て見ず、触れて触れず
という時間を過ごすのである。
無心になってといっても‥‥作為的にならず、
そこに在るだけということ。
それがとても難しい。

先生は道場でいくらしくじっても怠けても
教えている先生のほうがそれらをぜんぶ
受け止めておられるようだ。
俗世の濁りや醜さの類はニュートリノみたいに
通過させ何をも滞留させない。
私の身体はその反対に、醜悪さと憎悪を
受け止め満身創痍といったところか。
あのギリギリとした痛みが走った時、
自分が何に対して怒るのかを思い知った。
それがとても悲しいのだった。

人は怒ることも悲しむこともある。
理不尽にも遭遇する。
それをどう乗り越えようかと思い
自分をなだめながらの帰り道だった。

自分自身を許すことが一番難しい。
できない分、何ごとにも感謝する。
それで折り合っていくかと思った。
母を思うと母はずっとそうしてきたのでは
なかったろうかと思った。



病はようやく癒えたけれども自分が
負った傷の深さに気づいた。
器が小さく、ただただ未熟なのである。

森は樹々の緑が日々濃くなっていく。
もう梅雨に入った。
バラも咲き、芍薬も大輪をつけ、
甘くて優美な香りを放っている。

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桜待ちしていたあいだに、

2023-04-27 09:37:14 | Weblog
山の桜も全国並に10日ほど早く開花した。

山桜の淡い色が山肌を明るく染めている。
家へ向かう道路は太陽光発電のダンプカー
が行き交い広大な範囲で牧場や雑木林が
工事現場化して風情はなくなった。
ぽつぽつと背を高く伸ばし山桜が見える。
それだけで殺伐とした気持ちが少しだけ
明るくなる。ああ、さくら、さくらだと。

三月半ばころから身体が重だるかったが
四月に入ってそれははっきりと形になって
顕れてきた。
そしてある日の夕刻、体の脇から背中にかけ
ギリギリと痛みが走った。若い頃から腰痛に
慣れているのでああきたかと思い、そのまま
きりのいいところまでと仕事を続けた。

根をつめているつもりはないけれども‥‥
と、あとから悔いてもしかたがないが
腰痛ではなく別の病名だった。
「ストレスが原因」と医師に断定された。
はっきり言いますけどと眼鏡の女医は
笑いながら告げ、あきらめて休んで、
と笑いかけた。
痛みで体を動かすのも辛いので従順に
頷いた。薬局の待ち時間が途方もなく
長く感じられ、早く横になりたかった。

それでも翌日の予定を考えているわけで
あきらめるしかないのだよと自分に言い
聞かせた。
数日経って仕事場へ行き、身体が無理だ
と訴えているのか教えているのか実感し
早々と帰宅した。
それからも何度かよたよたと出かけるが
そのたびに限界を思い知った。
日薬という医師や先生の言葉をかみしめる。



こんなに何もしなくていいのだろうかと
思いが湧き上がるのをなだめながら
空を見たり庭の花を見たり植木鉢に水を
やったりゆるゆるのろのろとしている。
薬を日に三度飲むために食事を取らねばならないが
調理する力はほぼない。

三日くらい前から読書をする元気が出てきた。
「正法眼蔵」と「宗徳経」「典座教訓」を
取り出して拾い読みする。
そこにひたっていると元気をもらえる。

つづきはまた。
今日はここまで。









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神文伝 人これをさとらざるも‥‥

2023-02-23 18:49:20 | 
先代旧事本紀大成経伝(五)は神文伝。
発売中です。
師、安房宮源宗先生の解説を本にする
お手伝いを致しました。

昨年のほとんどをこの本に費やした、
というと分厚い大著のようだけれども
厚さ1センチ96ページのサイズです。
片手で持つことができバッグに収まる
ことを考えて作ってあります。

そして表紙カバーをあえてつけていません。
この本の用途は神文を唱えることです。
カバーがめくれたり外れたりする面倒が
ないようにしました。
カバー本来の目的は本の問屋や書店が
商品が傷むのを防ぐためです。
帯の幅を広めにとり本を扱うときに
そこを持ってもらうと表紙に汚れが
つくのを防げます。
これ、実は知人の編集者のアイデアです。
なくてもいいよ〜、と実際にカバー無し
の本を持ってきて教えてくれました。
すっきりしててよかったのです。



この本にとっては「すっきり」は大事です。
神文は四十七文字で表されているのですが
そこに人生まるごと表現されています。
実にすっきりとしていて、単純明快でした。
それを理解できたのは本が出来上がる頃、
編集中は深い霧のなか、頭も靄っていて
あああああ、もうだめだと声に出して
言っていたほどでした。

入稿寸前の校正のための読み合わせの時、
ふっと視界が明るくなって、ああそうかと
四十七文字がくっきりと見えてきたのです。
先生に、これって意外と単純ですね、と
電話で話すと、そう、単純ではないけど
明解ね、と言われました。
それで余計なもの、色をつけないでと
言われた意味もわかり、猫の手のような
仕事をしていた私も元気になりました。

元気になってからは校正が重なり入稿が
ずれていってもへいちゃら、いつもならば
イライラするのだけれど粘りました。



聖徳太子が当時も謎だった神文を解読し
人々に意味がわかるようにされたという
ことなのですが、太子が尊い方であるのは
いうまでもないですが‥実は私のアイドルは
そばに仕えた秦河勝なんですぅ・・・・。

河勝の文が好きで大成経の序伝の伝の文
といい、この神文に添えた神文伝という
文も熱いのです。熱すぎて泣けるほど。
(本のタイトルの神文伝は河勝のこの序文
を指すのではありません)

河勝が太子から賜った弥勒菩薩像が本尊の
広隆寺(京都)はよく知られていますが
聖皇本紀には秦氏一族の庄を太子が訪れた
日のことが書かれていて現在の広隆寺辺り
とおぼしき地名が出てきます。

そして秦河勝を祀った神社は大避神社です。
神職憲法に人を祀らないとありますから、
ここは後世に里の人々が創建した社ですね。
秦氏と赤穂市坂越のつながりは瀬戸内海を
挟んだ対岸の土地も含めて六世紀前後の
古い時代からあったと思われます。
その地を歩くことでまた何か感じられる
ことがあればという淡い期待を持って、
春になったら旅に出て赤穂市の海辺に
寄り道してみようと思います。



河勝といい儒学者の学哿といい太子に仕えた
人がどのようであったかを大成経各巻の
行間に読み取り、その熱情とまっさらな
忠信にいつも心打たれています。

神文伝の12ページにある秦河勝の文、
「その言(ことば)には数あって数の実に
理を含みこの理は玄(おく)にあって
人これを知(さと)らざるも、
これ先天(たかあまはら)の伝なり」
とあります。

人これをさとらざるも‥‥と人である河勝が
書く、それがとても大事なのです。
聖人である大王、太子は訓と解きを成した
という次の行の前にそれがすんなり書かれた
それが河勝その人を語っているようで。

河勝は太子にすべてを教わり、順じた人
でした。素直さと私心のなさ、そして
そうあることができる聡明な知性が
備わっていた人なのでしょう。

四十七文字の人含道(ひふみ)祝詞は
神職者でも唱える人は少なく(皆無かも)
一般書籍にしたのには源宗先生なりの
お考えあってのことかと思います。
私自身は三十数年来つねに手元にあり、
その重みも知っていました。
秘書ともいうべきこの文が書棚に並ぶ日が
くるとは思いもよらないことでしたが、
今だから必要ということかと思います。

吉と出るか凶と出るかという踏み絵のような神文を口誦する。
人生の節目を作ることになるかもしれない。
そんな本です。

現在アマゾンよりもhonto が早く配送します。
または最寄り書店か版元でお問い合わせください。

ISBN978-4-908665-07-3
書店に注文するときは、これをプリントしていくといいです。





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ひとつづきの空の下で

2023-01-01 16:30:07 | Weblog
謹賀新年。
おめでとうございます。
おだやかな元旦です。新年を迎えられる
慶びを本年は格別に感じます。
いくつかのよいことがあって、
とても静かな年越しとなりました。

「新しい戦前」という言葉通り爆撃のニュースは
元日とて絶えることがありません。
ゼレンスキーが人でなしと訴える声も虚しく
聞こえます。

例年に比べて降雪も少なく晴れ間の見える空に
ひとつづきの空の下に、今凍えている人が確かに
いることを思わざるをえません。ましてや
今の幸福に何の、誰の保証もない国のありさまですから。



わが定番のグールドからしばらく離れていました。
クリスマスの頃、twtの友人がアップしていたCD
ジャケットをみてそうだなあと聴きたくなりました。
グレン・グールドともう一枚はチェロのゴルドベルグでした。






そして元旦はAnd Serenity 瞑想するG.グールド
というアルバムを聴いています。
休みではあるけれど年始早々に印刷所へ戻す
校正紙を抱えて、緊張しっぱなしなので
気持ちをしずめるのにとても合っています。

晩年のグールドのピアノはやわらかな響きで
若い頃の録音より、今の自分には心地よく感じます。
グールドの小さなハミングがかすかに聴こえます。


(クリスマスに降った雪です)

皆さま、美き年となりますように。





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雪虫が飛んだ、紅葉も最後の日

2022-11-16 00:30:27 | Weblog
更新しない日々に秋は過ぎていき
例年にもまして樹々は彩あざやかでした。

撮っておいた写真をいくつか上げます。



上の樹は事情があって枝を短く伐った。
切り口から出ていた新しい葉が紅葉して
元気ですよ、またまた伸びますよ、と
さやさやさやと秋風の中で歌うさま。
小川の向こう岸にたっている。

先月半ばだったか雨が降り続いた夜、
裏庭沿いに流れている小川は水嵩を増した。
裏山へ続く私道に水は溢れ、
土管を埋めて作った小道は壊れた。
あの道を通ってぷーちゃんとふたりで
いつも裏山の奥のほうまで歩いた。
冒険はふたりだったからできた。
今はしない。
熊に遭ってもたぶん逃げられなくて
困ったことになるだろうと思うから。
で、その道を私が直す理由もなくなった。



20数年かけて背丈が伸びた森庭の樹は
枝葉も大いに茂り、夏の陽を遮り
空があまり見えなくなっていた。
真夏、木陰は涼しくてよかったが‥‥。
そろそろ手入れ時であるということで
この秋は伐採作業をすることになった。
紅葉の美しい木を残した。



M氏とS君が先だって先生の指揮のもと
大活躍した。
もちろん猫の手以下のあたいはみていた。

M氏が玄人が使う木登りの道具を買い
長梯子が届かない高いところまで登った。
チェーンソーを持っているのでハラハラする。
わたしは下から凝視していた。心配でも
余計なことは言わない方がいい、気が散るから。

倒れた木がほかの樹々に当たらないよう
倒れる方角を計算して伐る、言うは易く
行いは難し、どんぐりの木も硬い。
下で見ていた時より木は大きく長かった。
音を立て、どーっと倒れる。
茂った枝葉を切り分けるのも大仕事だ。
二ヶ月近くかけ週末ごとに片づけた。



広い敷地に倒した木と切った丸太が散乱し、
落ち葉も積もる。
ふかふかの地面は一面黄色とうす茶色。
いい匂いがしている。
枯れ草の匂い、ぷーちゃんの匂い、
ああ、懐かしい匂いだ。



燃料高騰の折、有効活用したいものだが
とりあえずは焚き火で減量する。
雪が降りだし埋もれる前にかたづけたい。



こむらさきしきぶ、今は葉が落ちて
茶色の細い枝に濃い紫の実が生った
一枝を手折りガラスの花瓶に挿した。
この庭の美しさは、森に手を入れて
作ってきたものだが、もとよりの自然が
あってのことだ。
歳とるごとに美しさをより深く感じている。

若い頃からこの世に未練はない早死がいいと
思っていた。
だからこの世を去り難い気にするものに
出会うとは、なんという幸福だろう。
この場所の美しさ。
愛するものと過ごした時間。

昼過ぎの明るい光の中、雪虫が飛んでいた。
じきに霜柱が立って冬が降りてくる。










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泣く効果

2022-10-06 23:27:41 | Weblog
台風がいくつか来て、家の周りでは
倒木や、裏の沢が氾濫し山の小径が
崩壊したり、それらしく夏が過ぎ去り
もう秋の真ん中だ。




このところ、もう何日もだが
夜ごと泪があふれ、
時には声を出して泣き、
泣き終えて 眠ろうと努める。

言葉にしないことが泪になって
こぼれだしているのだ。
誰も見ていないところだし
心配して身体を寄せてくる者も
いないから 泣いていられる



ページをめくり幾篇かの詩を読み
他人の言葉を深く吸い込んだから
今夜は泣かないはずだった
ほんの数秒置いて、落ち着いて
泪はこぼれてきた
納得したようにしずかに泣けてくる
どうしても泣くのか……

わたしのことではないのだけれど
詩のなかの そのことにしみじみと
悲しみが湧いてきたようだ
しかたがない 詩のせいだ
凄腕の抒情詩人なのだから

悲しみは、奥深くに沈んでいる悲しみは
底までたどり着くと同じ色なのか
ああ、怒るより悲しむほうがいい
呪うより、恨むより、ずっといい
けれども一番底にあって
自分でも見えなかったりする
ほんとうのきもち
夜叉ヶ池の水のように深く
体内に滲み、潜むのだ

母をそばで看ていられないことが
とても辛い。
そういう境遇を選んできたことを
いいわけもできないことだから。
そのことを思い続けて
できることといえば祈ることしかない
というていたらく
祈りが尊いのではなく
尊い方へ祈るしかないだけだから

どのような境遇に身を置いたとしても
その魂が安らかであるように
その心がおだやかで明るく照らされて
あるようにと
かつて母がわたしにそうしてくれたように
祈る、それだけにすがりついて

涙はせきとめないほうがいい
氾濫しないように
しずかな場所でひとり泣くといい










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「憂鬱之島 香港、ここで生きていく」

2022-08-30 23:36:39 | Weblog
渋谷のユーロスペース、上映最終日は朝から雨だった。

闇に浮かぶ波頭に人影、
中国大陸から香港へ、海峡を泳ぎ逃れる。
文化革命の最中あるいは天安門事件の
危機から逃れ、小さな島に自由を求め
命からがら陸を踏んだ。
ぬれそぼる香港…
画面も濡れていた。



映画をみてやがて20日経つ。
憂鬱はわたしの中に浸みこんだままだ。
2014年香港は雨傘革命で世界の注目を
集めた。民主主義を求めたデモは若い
革命家たちを一躍有名にした。

彼らの要求は「普通選挙実施」である。
つまり中国の息のかかった選挙委員による
間接選挙を「普通」へ改めよというものだ。
その機会を逸し続けてはなるまいとして
立ち上がった学生が大規模なデモの
中心であった。その若さと真摯さに
海を隔てた人々もメディアも注目した。

だがそれはかえって中国本土を硬化させ
警察の武力圧力は強まりデモは力を失った。
元々なかった民主主義を求めたデモは
現状を変えられないまま活動は停滞した。

民主化運動を恐れた中国は一国二制度を
撤回し香港政府に「逃亡犯条例」改正を
促した。
中国批判をすれば中国当局に拘束され
捜査、刑罰対象となるのだ。

香港には言論の自由があった。自由を求め
海峡を渡った人々の子どもたちが成長した
今、再び中国当局に怯えるとは悪夢だ。
2019年、今ある自由を守るためのデモに
200万人の群衆が命をかけた。

そして2020年5月、中国は香港の言論を
取り締まる「国家安全法制」を導入した。
集会制限にも拘わらず数千人の若者がデモ
に参加し多くの逮捕者を出した。

映画は三世代にわたる抵抗の歴史の記録
を実在の活動家による再現ドラマと当事者
の証言、証拠写真を混ぜたドキュメンタリー
である。

クラウドファンディングに参加しチケット
が送られてくるまで長かったが、完成した
本作はまぎれもない傑作であった。
ここに証された事実は遠い国の出来事とは
もう思えない。
今の日本は、確実に危うすぎる。

何のために生きるかより、生きるために
何をするか、を突きつけられている。
生きるとは、自由に息をすることである。
コンクリート壁が四方を圧迫する狭い部屋
に10年は長すぎると彼は言った。
暴動罪の判決、恐れて口をつぐんで
目の前の享楽に我を忘れるか。

息をする自由を守るには……
生きている今を感じ、決して離さないことだ。
憂鬱に抗って、今日も
ビクトリア・ハーバーで泳ぐ。
チャン・ハックジーの身体と心が最後に
勇気をくれる。





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美しい世界に出会う

2022-08-02 14:39:47 | Weblog
美しい、と思う瞬間がなければ
生きてはいられない
それは予期しないとき
無心でいるとき
訪れるようだ



美しくないものを嘆き、怨み、怒る
それだけですでに
自らを汚し美しくないのだから
何も思わないとき
恵まれるように顕れる



望まないこと
欲しがらないこと
求めないこと
賢人や詩人がそうしるしてきたのは
そうするしか見られない世界を
知ったからだった

知ったとて、その瞬間を待たないこと
それが秘訣
忘れたようで忘れはしないのだから
惜しむことはない、と
大きな気持ちでいることくらいだ

世界は人が思う以上に美しい







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7月8日夕刻 白い月

2022-07-14 16:02:55 | Weblog
その日。
まだ明るい空、東南のやや高いところに小さく
白い月が見えた。昨日が上弦だった。
あまり変わりない月齢9.0。

一週間が過ぎた今日は満月。
深く雲がかかり朝から小雨が降っている。
夜まで降ったりやんだり続くようだ。



下野草の花もそろそろ終わり。
花の色が褪せていくのが今年は早い。
強い風雨の日が続いたせいだろうか。

東京から戻ったら、葉を茂らせた桜の木の
枝が折れ、地面へ垂れ下がっていた。
さらに奥へと歩くと隣地の木が小川を跨ぎ
こちら側へドウッと倒れていた。



木の先の方が松の木にぶつかり粉々に砕けていた。
朴の木だろうか、大きな葉が幹に絡むように
生々しく広がっていた。
樹皮に苔むして、古い、大きな木だ。
風が吹いて、倒れた。
無惨なさまにまとわりつく大きな朴葉は
他人のような顔をしている。

死にざまは生を映すものと学んだ。
いかに死すかはいかに生きたかの証だ。
その人生を偽って、死者を弔うことはできない。
この一週間、偽りの美談で塗り固め英雄を
作り出していく人々の言葉が溢れていた。
あたりまえのことだが少しずつ事実を語る
声が混ざるようになってもきた。
すると欺瞞が常習となった人々はさらに
声高になっていく。

この森はかわらずおだやかな夕暮れ。
ひぐらしの鳴き声は16時05分から始まり
(気になって先週時計を見ていた)
波打つように聞こえ19時18分に静まる。
風のない日は静寂とともに厳かな気配。

空が白み始めると、野鳥が朝4時には
にぎやかにさえずる。
いまのところ私の邪魔をするのは日中の
カラスくらい、9勝1分けという観じだ。
カラスと鳴きっこして負かすのである。
カラスはわたしをアホな奴と思って
森のさらに奥へと去って行く。














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六月、切り株に芽が出た

2022-06-22 18:51:00 | Weblog
おおお、芽が出た。

先々のことを考えて森庭の木々を伐採したり
移植したり、少しずつしている。
先生と自称弟子たちがだが。
わたしはヒヤヒヤしながら見ている。
この子といっしょに。



「切り株の木」という詩を思い出した。
「風のつよい日だった。大きな切り株しかない木が、
吹いてきた風に言った。
おーい、風。わたしの過去はどこにあるのか。
枝葉をもたない。影をもたない。闇を生まない。
それが現在なら、わたしの未来はどこにあるか。
 切り株よと、風は言った。違うんだ。
過去、現在、未来と、時間を分けるなんて
間違っている。うつくしい時間はどこに
あるか。大事なのはそれだけだ。
 切り株の木は、空を仰いだ。すると日の光が
さっと差してきた。
・・・・・・・・・・・・
 椅子くらいの高さの切り株のまわりを、
切り株の木がずっと生きてきた時間が囲んでいる。
日々の魂を浄めるような時間が、そこにはのこっている。」
(©長田弘「詩の木の下で」2011)



汚された木々、汚された土は十年二十年では
癒えない。元通りにはならない。
ガイガーカウンターがピーピーと甲高く
鳴る場所だった、ここからの眺めをその前も
後も撮り続けてきた。
もうそれも終わりになるだろう。

一帯がTOKIOBAという名になった。
知ったのは少し前のことだった。
その数年前から太陽光発電会社があたり
じゅうの木を伐り、土を掘り返している。
それがキャンプ場やイベント場になった
としても自然が人工物で被われることに
かわりはない。

11年過ぎたからほとぼりは冷めたか。
汚れた土地の有効利用というのだろうか。
有効か?
動植物は追いだし、人が来る。
叢に巣があったキジバト、
もっと奥の藪にも仲間がいた。

耕し整備した黒土、畑にでもするのか。
広い敷地内に舗装した道路が延びている。
震災前に浜通り近くの里山で撮影していた
番組の三番煎じか、もっとビジネス化
するのか。
いずれにしても人が集まるのだろう。
あそこには水辺がない。
遠くに那須連山が見えるけれど、
そばに木立はなく、だだっ広い牧草地だ。
牧草地だったから柔らかい土だ。

短い夏は激しい雨が降る。
冬は雪が積もり、気温が低く溶けない。
晴れた日の陽射しは恵みのよう、
春が来るのがほんとうに待ち遠しい。

復興や開発という言葉が使われる土地、
戦後の福島の歴史はずっと他所の人が
ブルトーザーとダンプを乗り入れ
土ボコりを巻き散らし
木々の葉を汚してきた。
地元の人の幾人かは見張り役や、
重機作業や運転手の下請け仕事にありつく。

あの埃を吸うのは危険ではないか。

昨年夏から冬場、そして春先と
ずっと牧草地や雑木林を掘り返し
土を盛りあげ、掘り下げ、また盛る。
たっぷりと水を貯めた雑木林は
道路の脇に細い流れを作っていたが、
木を伐り、道路わきに新しい排水溝を
掘ってU字溝を埋めこんだ。

長い人工水路は泥で埋まり溢れないか。

アスファルトは切り込みだらけで
凸凹になり見苦しく、鄙の景色が
泥とほこりだらけだ。
道の両脇から、狸や猫やたまには鹿、
猪が現れるような場所だ。
工事の間じゅう騒音に怯えただろう。

わがもの顔で、土を木を汚す人たちは
ほんとうに愚かしい。
退化の一途をたどるヒトにも
美しい時間は訪れるのか。






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山桜

2022-05-02 19:15:52 | Weblog
庭から見える桜のうち一番大きな木が
三分咲きだったのが4月24日でした。
いつもゴールデンウィークの最中に開花
するので、このまま咲き続くとしたら
帰ってくる前には満開になってしまい、
地面に散り敷いた花びらを見ることに
なってしまいそうで気になっていました。

29日に帰ってきたらちょうど満開の最中、
最初の木は葉桜になりつつありましたが、
次々に咲いて、森庭ぜんたいがふわっと
明るいのでした。



翌日も桜を見るために歩いて、
ふつふつと湧き上がってくる喜びに
父、そして母を想いました。

花に思う事柄はそのつど様々だろうけれど
高く伸びた桜の上の方についた花たちを
見上げながら、父を思い、今ここにいられる
この時を、感謝せずにはいられない気持ちと
喜びとが満ちてきました。
そして母を思うと、その苦しかった歳月ごと
抱きしめてあげたい、桜が咲いたよ、
咲いたよ、といっしょに包まれるよう
願いました。



降り注ぐ幸せ、
予想だにしなかった喜び
人生にこんな時間があることを知りました。


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3月の地震、11年目の恐い

2022-04-06 07:30:00 | Weblog
二ヶ月ぶりの更新になった。
ベイビーが逝ってからというもの間遠な
更新でだらだらと続けてきたが……
こんなに離れていたのは初めてだなあ。
たまたま、ちょうど二ヶ月ぶりということ。
3月は母の誕生日が16日で、夜は地震だった。
被害が大きかった福島浜通り、さぞかし
落胆されたことだろう。
これからという時……、酷なことだ。



雪解けで水かさが増してきた3月半ば。



木の芽がちらほら目立ってきた。

SNSが生活の中心にどっかと根づいて
いいね、が価値基準になる世の中。
変わらず裏表はあって、裏の裏の裏も
あったりして、くるくる回るのに
ついていけない。
静かに暮らすのにはネット空間とは
距離をとるほうがいいのである。

どだいついていく気などないが、
3.11からこのかた懐中電灯と同じくらい
常備、必需品のiphone とモバイルルーター。
ネット空間を無視し続けることはできず、
昨日も今日も、そういえば先週も
東北新幹線の臨時ダイヤを調べ
予約した指定席切符がどうなるかと
やきもきしたあげく、車両1両分しか
指定席がないことを知り慌てた。

運行再開しても間引き運転だから
東京駅では自由席車両に長蛇の列が
でき、いつもはガラガラの時間帯が
満席、立つ人ありの盆暮れの風景だ。
ちゃっかり指定席車両に座った人は
JR東日本からのお知らせをスマホか
なにかですばやくキャッチしたのか、
そういうことか、と落胆した。

なにが嫌か、嫌というより怖いか……
それは満員列車なわけで……
フィジカルディスタンスは無しだ。
車内アナウンスとは裏腹な状況の中
人いきれでぐったりしながら帰った。
えきねっとをすぐに見るべきだった。


山へつながる道はすっかり様変わり
して殺風景になった。
太陽光発電工事現場が延々と続いて
木々が伐採されてしまったからか、
春の気配も感じられない。
ダンプカーが土埃を巻き上げていくそばに
その脇に桜並木が続いている。
咲いても観る人がいない桜は
寂しいを通り越して可哀想である。



庭のビニールハウスのなかで薔薇が
新芽をつけていた。





高くなりすぎた木を伐採した切り株、
庭の真ん中あたりにあるので、
ここに座ってのんびりする指定席。
ここも猫に先回りで陣取られるかもしれない……

疲れのせいか、悪いほうへ思考が向いて
どうも明るさのない日々である。

そうそう、最後になったが冒頭の写真は
気鬱の慰めに載せました! 実はこれ、
母の誕生日に贈った薔薇のアレンジメント。
花屋さんがこれ送りましたよと知らせて
くれたもの(これもネットで)
98回目の誕生日、信じられないことだ。
苦労ばかりだった母の人生を思うと
神さまに感謝、つながる人々に感謝、
母は花が何より好きなので喜んでくれた。
コロナ対策でいっしょに過ごせないのが
残念だしもうしわけないけれど、
花を贈るくらいしかできないけれど、
母が喜んでくれたことに慰められた。
けっきょく、そういうこと…
ダメ子でんねん。















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