想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

コゲラ、アカゲラ、ゲラゲラ

2022-02-06 17:42:27 | Weblog
雪の日が続いている。
気温が例年よりかなり低く日中も零下の日が
多い。
しかし、鳥のさえずりはよく聴こえる。



コゲラ君のお仕事はその後も続き、
塞いだ穴の隣、また隣と続いていた。
東京の仕事場から三日ぶりに戻り、まず見る。
工事現場みたいである。



ゲラにお気に召した木造家屋は私の好みでも
あるんだけど、使いかたに利害が生じるとは
悩ましい。



結局のところ、野鳥より早起きするのは
難しいので見張っても一朝、早起きすると
翌日は寝坊する。



しかたがないので鳥除けの磁気グッズを調達し、
プラスチック製の板を広めに貼ることにした。
ガクちゃんM氏が二人でやってくれた。
ありがとうございました!

ゲラ君に諦めてもらう作戦、どうなることやら。




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招かれざるモノ、コゲラよ

2022-01-27 23:31:56 | Weblog
大晦日から元旦にかけての珍騒動は
招かれざるモノの襲来であった。



大晦日の朝。
トントントントン、トンとトン。
リズミカルな音が聞こえた。
山ではいつも朝寝坊なのがたまたま
早起きした。前夜から降っていた雪を
見ようと寝床からすぐに出た。
台所で朝のお茶を入れていると聞こえてきた。
トントントン、調子のいい音。

初めは聞き流していたが、やがて、ん?
アレ? と思いつき階段を急ぎあがり
窓を開けたら、いた! 

屋根の一番高いところの、軒下に
そやつはやってきた。
コゲラ君、それはないよ〜
こらーーと烏を追うときの大声で叫ぶと
とっとと逃げた、と思ったら
すぐそばの松の木の枝に止まっている。
羽が白に黒の斑でなかなかおしゃれ、
てなことを意ってる場合ではない。

コラ、しか思いつかない。
窓ガラスを音をたてて開け閉めすると
ようやく飛び去った。
板張りの軒天に長い切れ目が入り
端っこには穴が……。嗚呼。
トントントントン、鋭い嘴できちんと
開けてありました!

それでおしまいではなく、約10分後に
再び屋根の反対側、玄関の上の軒天に
ちゃっかり、トントンしにきた。
仕事半ばで追いやったが、それでも穴は
しっかり空いていた。

コゲラだと思うが、20年も住んで初めてだ。
たぶん、若鳥のデビュー戦なのだろう。
離れたところから我が家を眺めてみると
確かにあの場所はいい栖になりそうだ、
高いし……と小ゲラの気持ちになってみた。
強風が止んでよく晴れた今朝、ゲラめも
はりきってきたんだろう。
他に高くて虫のいそうな樹がいっぱいあるのに……

翌朝、元旦も同じくトントン。
賑やかに新年が明けた。
雪もどっさり降り続け、なかなか
緊張の年明けであった。

庭を横切り、縁側に降りたり
低木のムラサキシキブの実を啄んだり
小鳥が遊びにくるのは楽しい。
複雑である。
隣にある道場の雨戸に横一列に数個
大穴を開けられたことがあったが
当時は山に慣れていなく鳥のせいだと
わからなかった。キツツキよ、
あれから二十数年ぶり、オマエかよと
がっくりだ。
大地震でも無傷だった家だがオマエかよ、
ため息であった。

山間部の田畑での鳥獣被害はよく聞く。
駆除という猟を快くは思わないけれど
困ったものであることはよくわかった。
しかたがないのでカメ虫スプレーを
噴射して急場をしのいだ。
2週間効果があると書いてあったが
わからない。

穴は長身のガクちゃんたちが梯子をかけて
ふさいでくれることになった。
めんどくさい仕事である。
ありがとさんでござんす。

形あるものは壊れる、常日ごろそう思って
執着しないことにしているのだが
この家が好きなのだと、いまさらながら
気づいたのであった。
コゲラよ、友よ、お手やらかに…頼むよ。

山の正月篇、つづく。








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心に沁みる詩人のことば

2021-12-30 13:00:00 | Weblog
「万象」八木重吉

人は人であり
草は草であり
松は松であり
椎は椎であり
おのおの栄えあるすがたをみせる
進歩というような言葉にだまされない
懸命に 無意識になるほど懸命に
各各自らを生きている
木と草と人と栄えを異にする
木と草はうごかず 人間はうごく
しかし うごかぬところへ行くためにうごくのだ
木と草には天国のおもかげがある
もううごかなくてもいいという
その事だけでも天国のおもかげをあらわしている
 といえる
…………………………………………

十代おわり頃に買った普及版の
定本「八木重吉詩集」が今では薄茶色に
なった。元はクリーム色の
柔らかな和紙のような表紙と、
箱入りだった。時を流れを感じる。
そのだいぶ後に買った上製本の定本は、
パラフィン紙で被い、大事にして
綺麗なままだ。
わたしの後は誰の手元へ行くのか
なあと、たまに思ったりする。



第一詩集「秋の瞳」にある
「草に すわる」は若い時分、
とても沁みた詩だ。

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

三行の言葉が意固地を棄てさせた。
まちがいばかりしてきたこと、
気づいても遅い、改めようにも
どうにもならないことがある。
悔しさではなく、ひきずってきた
重荷を降ろし偽りない気持ちに
戻っていく
自意識からの解放と、
すなおに詫びる気持ちだ。
誰に向けてでもなく自分自身を
偽らなくていい安堵、
うちに還った子どものような
はだかの自分になることだ。
三行の詩がそう教えてくれた。

本の扉の後や雑誌に載せたことが
何度かあった。
作品にも当時の自分の気持ちにも
しっくりと合う言葉だった。
反対する人がいなくてよかった。
八木重吉を知らない人がいいねと言った。

難しいことばは使われていない。
けれどそこへたどり着くのは
むずかしい、とてもとても。
数行の言葉を読み終え、わたしは
新たな気持ちに、もといに、
戻る。
そのために開くようなこともある。



八木重吉の作品は29才までの数年間に
三千作余り書かれ、二人の幼子と
七歳下の妻を遺して逝った。
神へ向かう透徹した心を託した詩は
キリスト教徒でなくとも
神を想う者、仏の慈悲を想う者、
また心の奥底で善人たらんとする者に
沁み透る深い言葉ではないだろうか。

批判や皮肉、歎きを濾過して除き
無条件の無垢の美しさを視ていた人、
その喜びを覚っていた人。

「私」
人が私を褒めてくれる
それが何だろう
泉のように湧いてくるたのしみのほうがよい

こういう人が生きて在ったことが
文学やら詩人やら関係なくただただ、
人として嬉しい。そして、尊い。
最も大事なことかと思う。
いうまでもなく妻登美子と後の夫
歌人吉野秀雄の尽力のたまものである。














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朝霜の

2021-12-29 10:38:38 | Weblog
12月8日記
冬はいつかいつかと思っているうち
唐突にやってくるよねと話していたら、
数日後、やってきた。
まだ雪虫も見ていないのに、だ。

寒くて目覚めた朝、庭は一面銀色だった。
とーぜん、ガウンを羽織って裸足のまま
サンダルはいて庭へ。
雪が降った時と同じ、見に行くのである。
それに朝霜のは消にかかる枕詞、
急がねば消えてしまう。



朝霜の消なば消ぬべく思いつつ
いかにこの夜を明かしてむかも
(柿本人麻呂)

思考をコントロールする訓練がある。
瞑想はその基本なので、効果はあるが
本当に思いを整理しきれるかというと、
そう簡単ではない。
しかし思いをひきずっていると睡眠が
浅くなり、昼間もどうかすると勘違いや
物忘れをしたり判断が鈍るという悪い
兆候が表れ、ろくなことはない。



冷たい夜から光満ちる時へ移りゆき
陽の光はささっと霜を溶かしてしまう。
霜は水滴になり土に滲み通り沈んでいく。
その土に立ち、歩を前へ一歩。
忘れるのではなく
消すのではなく
新しい一歩を、歩む。
思いあぐねた結実、もう溶けていい。

人の現実はそうはいかないけれど
執着の居場所などない自然は
眩しくて気持ちよい。

この十日後に本格的に雪が降った。






















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過信を悔いて

2021-12-28 21:12:13 | Weblog
大きな犬が駆けてくる
足どりは若くはないが
それでもたったっと駆けて
尾を揺らしくるくると廻り
そばにすり寄って横たわった
黒い毛の わたしの
ベイビーと呼んだわたしの
わたしの わたしの

幻灯のなかの犬
もう抱きしめられないことに
気づいたとき
愛の量が足りなくて
わたしの という過信
愛している という過信
与えられた分を返すことなど
できないものを



くるくると廻りそばにいる
君とのすき間が確かにあって
それはヒトと犬という差ではなく
愛の量
君がわたしを見ていたように
わたしは君を感じていたか
そこにいるという過信
眠れぬ夜に現れた幻
君が去った雪の日を想う










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母に会いに

2021-12-04 18:47:28 | Weblog
コロナ感染対策の面会制限が引き続き
行われている介護医療院へ向かう。
先月行く予定だったが母の病状悪化で
延期になって待ち遠しかった。



羽田空港へ向かうモノレールは普通、
各駅停車だった。マスク無しで談笑
する男女数人の大声。
朝8時半だがまだほんのり朝焼けが
残る空と静かな水面を眺めた。

老夫婦は降りる駅を間違え一つ手前
で降りた。声をかけなかったことを
悔やんだ。
人生いろいろ、数分待てば次がくる。
だけど数分間の悔しさが旅の始まり
なら気の毒ではないか。
悔いること多き日々、己を恥じる。

母は表情が硬くなっていた。
2週間の入院生活が及ぼした影響は
想像以上だった。
病状は落ち着いたようだが年齢より若く
見えていた母は年相応に老いが進んだ。
そして言葉は私への心配ばかりで、
いつもよりさらに重く切実に聞こえた。
沈んだ雰囲気を変えようと冗談を言うと
ちょっと間を置いて笑った。
やっと、すこしだけ笑った。

ガラス越しにスマホでの会話し面会は
すぐに時間になった。
車椅子に乗った背中を見送った。
ほんとうに、小さくなってしまった。



夕刻、有明海に面した百貫港灯台へ。
夕陽には間に合わず、残照が
尾を引く海原を眺めた。
島原半島、普賢岳のシルエットが
対岸に浮かぶ。



母は海を見たがっていた。
もう連れていってあげられないのが
とても悔やまれた。
あの時、あの日、あの時間、、、、
どうして行かなかったのかと思う。

母が海を好きなのだと知ったのは
数年前だった。
海岸線を車の窓から眺めたことは
あったが、母は疲れて眠っていた。
ほんとうは海辺に座りたかったのだと
思う。ずっと飽きるまで眺めて‥‥

海に突き出したコンクリートに座り
暗い波を眺めながら思った。
身体が冷えて立ち上がったけれど、
名残り惜しかった。
もっと居たいと思った。



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「カナルタ 螺旋状の夢」と秋の森と

2021-11-14 12:46:38 | Weblog

10月上旬、コロナ規制が緩やかになり
1年半ぶりに映画館へ出向いた。
自粛生活後に見る一作目、納得の高揚感
を与えてくれる作品に出会えるとは
思いもよらなかった。
予備知識もなく観たのだが、世の中まだ
捨てたもんじゃないという明るい気分になった。

イメージフォーラムで上映中の
太田光海(Ota Akimi)監督のデビュー作、
「カナルター螺旋状の夢」である。
アマゾンに棲む先住民シュアール族に密着し
監督が一人で自らハンディカメラを持ち
密林の中を主人公とともに歩き、語り、
耳を傾け、心を通い合わせていった
濃密な時間が描かれている。

東西のこの分野の先達によってなされた
調査記録の業績に全くひけを取らない、
さらに先へ進めた秀逸な作品かと思う。
新しい眼線と方法、そして選択を示して
観る者は改めて自らと立ち位置を考えさせられる。

熱帯雨林の濃い緑と空と土が発する力を
まっすぐにとらえ非日常的な日常を祝祭の
ように描いている。魅力的だ。
人類社会の今と未来への重要なメッセージが
いくつかの挿話を挟んで構成され(巧み!)
おしつけがましくなく伝えられていた。
驚きつつ笑いつつ、森へいっときの間、
誘われてしまう。
学術的云々はわからないが映画的センスが
秀でているのは確かで、河瀬直美の濃緑と
また違った魅力に溢れ力強い。
ラストシーンに唸った。

薬草狩りは古伝を学んでいるので身近な話、
親近感を覚えた。
自然の理を尊んだ人々を愚かな未開のことと
思うのは誤りである。
世界各地にある神話に近似性があるのは
元は一つだからだ。
元を知り、自然の一部として存在する人の
謙虚さと畏怖の意味をどれも示唆している。

ネタバレになると面白くないので詳しくは
書かないけれど、主人公セバスティアンに
起きた奇跡(まったく私たちには奇跡だ!)
は彼らには日常だということだ。
奇跡とは天地のはたらきと人が一体になる
証として現れる。
目の前に起きたことをどうとらえるか、
見える者と見えない者、
見ようとしない者、それぞれ平等に
自然の摂理は働きその命運を分ける。

セバスティアンが大きな樹の根の洞の前
に立ち、「この下に土器が埋まっている
と思う、いつか掘ってみよう」という。
そのときこれは未開時代のことではなく、
現代であることにふと気がつく。
ああ、彼は私たちと同じ今にいて、
けれど先祖を想いながら今を生きている。
その堂々として明るく前向きな姿に
胸を打たれた。

太田監督と上映後のロビー外で話を聞けた。
出版の予定についてなど尋ねたいことが
あったからだが、マスクをした顔に
深い澄んだ眼があった。
淀みのない言葉と礼儀正しさが印象的、
作品の完成度と対照的にとても若く
清冽な情熱が迸っていたから、つい歳は?
と尋ねてしまった。失礼でした。
自主上映で公開し自ら道を拓いていくのは
並大抵の努力ではないだろうと思った。
毀誉褒貶の波がそのうち押し寄せるだろうから
呑まれず、淡々と進んでいってほしいと思った。
全国まだこれから上映の輪が広がることだろう。

イメージフォーラムではまだ上映中。

森の紅葉はすっかり終わりました。

















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夏から秋へ 森庭の木々と

2021-09-15 10:26:48 | Weblog
森庭は夏から秋へ。
光と風と草木が季節の移ろいを教えてくれます。



下は臭木(くさぎ)、名前は臭いがすることから。
若葉は山菜として食すことができ、
鳥も好んで実を食べます。



写真をみれば過ぎた夏の日が思い出されます。
猫がニャ、ニャと話しかけながらついてくるのでおかしくて。






この夏はよく晴れた暑い日は10日ほどで、
雨の日が続き、大雨もありました。
雨に濡れて木や草の緑がいっそう美しく
眺めて飽くことがありません。
雨音も心地よく、気持ちが安まります。




大雨の日、外へ出ないで窓から、
雨に打たれて揺れる山椒。
今年は豊作だわ、と独り言。
まだ採りませんけど。


ムラサキシキブ属のコムラサキ。
やがてちょうどいいぐあいの
紫色の実をつけてくれます。



冬菩提樹がエゴノキの根元の脇から生えてきたので
他へ挿し木しました。根付くかどうか心配でしたが……
若葉が出ているのを見つけ大喜び、もちろん
その菩提樹という名に惹かれたからです。

でも冬菩提樹は印度菩提樹とは別もの、
小葉の科の木、シナノキ属です。
初夏に甘い香りのする白い花をつけます。
さわさわと花が揺れる大きな木になって
ここにいてくれますように。
想像するだけでも楽しいことです。



ヤマボウシが赤い実をつけているのが
遠目にもわかり、どれどれと近くまで
見にきました。
初夏に白い十字の花をたくさんつけ、
ついこないだ青い実に成ったのをみた
ばかりでしたが。





山萩の種があちこちに落ちて
若木が育っていたので草刈りの日に
「萩は刈らないでね」というお願いをして
刈り取らないように気をつけてもらいました。
茂った草の中にある背丈の低い萩を除けて
刈るのは面倒なことだったろうと思います。

伐採した木は丸太にして垣根の修復に使います。
枯れるままにしてある大きな根に
苔や若木が茂り天然の寄せ植えになっています。
山萩も育っていました。



草刈り中のM氏が撮ってくれた萩の写真。
木や花の名を調べながら楽しみつつの「作務」
ここでは作業を片付けることより知り、
考え、智ることが目的だから楽しみます。

細い枝に小さな丸い葉をつけ、
ピンクの可憐な花が咲いて
ひと枝だとたよりなさげだけど
ふわっと茂っている様は
あたりを明るくしてくれて
とても惹かれます。

季節がめぐって去年と同じように
また花が咲き実がなり、木々が紅葉し、
空気がしだいに冷えてくる。
このめぐりの中の小さな変化は命を
感じさせてくれる。

もう一つの変化は森の住処を破壊された
人以外の生きものたちが移動していること。
太陽光発電で広範囲に伐採された雑木林
からこの森近くへ寄ってきている。
彼らには大事件、大きな変化。
藪から鹿が飛び出してきたり、山道を
横切る黒い影がやたら大きかったり……

人間は強欲に土地を荒らしていくことを
経済発展といい、まだ気づかない。
「人新世」という地質学上の区分で、
現代は最悪の時代。
グレート・アクセラレーションは
否応なしに目に見えてわかるようになった。

熱波、大雨、大風、大雪、自然災害を
省みない無謀な開発が被害をさらに
増大させる。
それを野放しにしている行政、政治は〜
と、批判だけしていればいい時代は
ほんとうに終わった、すべての人に
切実で身近な問題となった。

森に癒やされながら、同時に
人間の罪深さを思わないわけにはいかない。

















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ひとやま百文の地

2021-08-08 17:12:14 | Weblog

なんかちょうだい、なんかちょうだい、
根気ではかないません。
ミントの上に乗らないように注意しないと
どっかと座ったりして、収穫前に台無しに
されてしまう。
暑い夏はミントティーが体調を整える
のにとてもいい。
スペアミントは一晩置くと甘くて美味しい。



前回は山桑の話をするはずが
太陽光発電所を造成中の写真ばかりに
なってしまった。
中国資本は水源地のある山林を買う
のをやめていない。
経過を記録しておくために書いた。
この世での時間もそう多くはないと
思うとあとは野となれ山となれと
気楽に構えて…
とはいかない。そうはいかない、
と思うのである。

山桑の若木をみつけて思うのは
この地にまつわる歴史である。
切実なことを犬猫に回避し本題に
入らないのはいつものことだが、
愛犬の代わりには頼りなさすぎで
役不足のジョリ子おまえではなし。

白河市は奥羽の起点、見所の小峰城や
南湖公園をささっと廻って観光客は
会津へ向かう。
戊辰の頃、白河以北ひとやま百文と
蔑み闘わざるをえないように仕向けられ
あげくのはては朝敵扱い、
ばかにするなと言いたいと怒ったのは
藤沢周平であった。

新幹線新白河駅構内には戊辰戦争の絵が
描かれた立て看板がいつごろからか
おかれている。
その文章から説明書きを担当したのは
関東以西の者ではないだろうというのは
穿ったみかたになるだろうか。



移住前に土地を探していた時に知り合った
地元の人が「中央とは違う」という言い方
をするのが気になった。
何?と尋ねたとき返ってきたのが戊辰戦争
の顛末、彼らのご先祖の話であった。
以来、余所者の私になにくれと親切に
してくれたが、東西の線引きが解かれた
わけではないことをことある毎に感じた。
私は九州の出といっても官軍ゆかりでは
なく流浪の民だと伝えても、
おっかさんに聞いてみと言う。
母に聞いた話はしなかった。



百年たとうが何年たとうがおかしなことは
おかしい、ならんことはならん、
どっちが曲がったことか、
中央では違うだろうがという。
何につけ、そんな話になり、あなたには
わからないだろうがとも言う。
言われれば知らねばなるまい、
というわけで仲間に入れてもらった。

史学研究、郷土史研究、東北学などの盛んに
学習会があった。
誘われるままに行き、年配の方の話を聴く。
散会後の方がおもしろかった。
問わず語りの昔話は確かに中央、つまり
表側には出ていない。
大きな歴史は小さな営みを飲み込み
美談で覆われる。
明治という苛政の時代に日本人はそれまで
かろうじて根源にあった仁も義も喪失した。
そしてうわっつらの義理が蔓延っていき
それは今日を作っている。

一次史料を用いた新しい研究成果と、
それを裏付ける土地の直の記憶を伝承
すべく努める人々はまじめだった。
明治維新の虚飾を剥がす学者も現れ、
地元の強い思いを託された。

2013年の大河ドラマ「八重の桜」は
観光事業者を潤しはしたが、しこりを
融かすにはほど遠く、概ね不評だった。



戊辰戦争に敗れた藩士たちは会津降伏人
と呼ばれ、最北の寒冷の土地へ追われた。
蝦夷地でロシアの盾にせよという木戸孝允
の策略は反対され南部におちついたが、
生きるに適さない土地であることには
変わりなかった。
移住して死んだ者、食えずに戻り、
このあたりを開墾した者(知人の一族は
そうだ)それでも食えず散っていった者の
話を聞いた。
百数十年ではまだ生々しい。


(これは山桑とは別品種)

山桑、山椒、ヨモギ、蕗、オオバコ、
ウコン、藜(羮にする)、アサツキ、
山牛蒡、みなこのあたりにある。
蕨は保存もするが、根からとる澱粉が
貴重だった。
春夏のささやかな実りでは子を養え
なえず、親もまた病で困窮した。

長い冬、積雪の多いこの土地に見切り
をつけて町へ出て日雇いになるしか
なかったと言った。

土地に染みこんだ人々の悲哀を偲び
ながら歩く森庭で、草木を撮り、
調べ、ああこれを食べたのかと想う。
鳥と同じだな、
飛べない人は、土に這うようにして
生き、しがみつき倒れたんだと
想った。誰も根づくことができず、
自然がそのままに残った土地だった。

それにしても福島はなんと因果な土地
かと嘆かざるをえない。
中央政権は福島を電力開発にかっこうの
適地とし、戦後すぐから水力発電ダムを
多数造った(奥只見)。それからまた
10年後には原子力発電所を浜通りに造った。

電力は関東地方の発展を支えた。
出稼ぎをしなくてよくなった男達は
原子力発電所と関連施設ではたらき
現金収入を得られるようになった。

そして2011年。
そしてまた10年後のいま、
放射能まみれになった福島は、
どうなったか。
ショックドクトリンまっただ中だ。
外資がそれとわからぬように、
大挙やってきている。

再生エネルギー政策による土地買収は
経産省経由で県が許可。
スマートシティ構想も経産省肝いり、
会津若松市で目下進行中。
便利、合理的、過疎や人口減に対応
できる未来志向、と謳っている。

先頃、「デジタル・ファシズム」の
の出版記念講演をオンライン視聴した。
ノンフィクション作家の堤未果氏の
話し方はスマートで聞きやすい。
FAGA(ファーガ)+Microsoftの
ビッグテックが何を仕掛けているか、
今、起きていること、その先の危険
について刊行を控えてかいつまんで
話された。

わたしは福島を好きだ。
この情けなく、いじらしい土地。
ファシズムから守るにはどうしたら
いいのだろうか。

阿武隈川、阿賀野川があり猪苗代湖、
吾妻山、磐梯山を仰ぐ会津地方から
城下町の風情がのこる中通り、
そして太平洋をのぞむ浜通り、
開放的で美しかった海岸線。
海山河すべてがあった。
ただ、貧しかった。
人々は懸命に生きてきた。
災厄はいつも外からやってきた。





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山桑の実

2021-07-25 17:11:52 | Weblog
前回の最後の写真は山桑でした。
植えたものではなく実生の若木です。
以前はなかったので、たぶん小鳥が落とした
種から育ったのでしょう。この夏に急に
背丈が伸びました!

桑の実はラズベリーによく似ています。
桑の葉は蚕の、実は野鳥と子どものごちそう。
甘酸っぱくて、抗酸化作用のあるビタミンEや
ポリフェノールが豊富です。ナツハゼの実と
同じですね。

樹木から、鳥やさまざまな生きものが命を養う
糧を恵まれてきたことを知って触れると、
眺めているときとまた違う気持ちになります。
人と桑の歴史の古さはよく知られていて
身近なのですが、今では実物を見るのは難しくなりました。

樹木の価値は温室効果ガス吸収源として注目
される一方で、森林破壊や環境破壊を招くという
矛盾が露呈してきました。
熱海の土石流災害は、まさしくその人災でした。

再生可能エネルギーとして太陽光発電が急速に広まり、
福島では放射能汚染に悩む地主から牧草地や森林を
事業者が安値で買収し、広大な太陽光発電所が造られて
います。これらは10年前から会津など県内各地で
取り組まれてきた地産地消を目的にした太陽光発電
とは趣旨の異なる商用発電事業です。
地元は造成が済めば雇用もなくなり多額の事業税が
入るわけではないのに、なぜ許可してしまうのか。
安易な気がしてなりません。

放射能汚染で失われた森、田畑を放置したままより
活用した方がいいという意見は、自然の力を無視
したあまりに早計な考えかと思います。
除染の努力を怠ったのは東電と経産省、環境省で
あり、地主の力ではままならないわけでしたが、
樹木を伐採せずに自然が回復する力を見守ること、
環境保全は景観も含めてじゅうぶんに配慮される
ことが、未来を作ることになると考えます。
生きものの気配を消した黒いパネルの海は
殺伐とした未来社会を見るようです。





今年の春からいよいよ本格的に重機が入り伐採と
造成が始まっています。
ついこないだまで道の両側に豊かに葉を茂らせ
強い風を防いでいてくれた雑木群が、すっかり
消えて見晴らしのよい事、少しも嬉しくないです。

遠い山並みがすこーんと見えるようになったと
しても、そこに今度は黒いパネルの海が広がる、
それを想像すると怖気がわいてきます。
完成すると国内有数のメガソーラー発電所になる
とのこと。(上海電力日本株式会社)





写真では広すぎて撮りきれていないのですが、
ここで長いあいだ営巣してきたオオタカは
どこへ行ったのだろうと思います。
手嶌葵の歌うテルーの唄(ゲド戦記)を
を思い出します。

生き物たちは奥へ引っ越しするしかないのですが、
まだ造成に着工していない飛び地にいるとしたら
また突然に重機の轟音に襲われる、心配です。

西郷村ではこの電力事業に対して新しく
条例を制定しました。
「自然環境と再生可能エネルギー条例」

事業者に対して環境に配慮するように
求めるならば、これほど大きなメガソーラーは
そもそも許可しないのではないか、
村では県が許可したのだからと言っています
(村議会議事録)

政治と行政の仕事の質を問いたくなりますが
住民はそれらを監視する役割があることを
自覚せざるを得ないということかと思います。
この発電所に、鳥や生き物の次に近くにいる
のが自分なので。

朝まだ早い時間、朝日を背にしたギボウシを

ギボウシの花は昼ころにはしぼんでしまう、
ちょうど蜂がやってきて、花の奥へ入って
いきました。







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カシワ、柏か槲か

2021-07-03 21:17:42 | Weblog
よく柏餅と書かれているけれど餅を包んで
いる葉は、槲(かしわ)の葉。ブナ科の
落葉樹で、いわゆるどんぐり(実)がつく。
樹皮も縦にギザギザの筋が入っていて、
若木でも老木かと見紛ってしまう。



これは家の裏を流れるせせらぎ沿いに実生から
育った。幼木のころから大きな葉がかわいくて
観てきた朴の木だ。
日陰のわりに、背丈も伸び枝も増えてきた。
朴の冬芽は、不思議なかたちなので花なのか
葉なのかわからず観ていたがしだいに開いて
葉になった。

開ききって大きくなった頃、中央に蕾がつく。
もうじき咲く頃だけど梅雨が止んでからだろうな。
クリーム色の花弁はモクレンに似ている。
いい香りがして、実もつける。

調べたら朴の木はモクレン科だった。
だけど古名はホウガシワという。
若葉は食べ物を包むのに使われているから
ホウガシワには納得がいく。
端午の節句に朴葉巻、また朴葉味噌、朴葉寿司
等々、山間部の名物になって今も馴染み深い。
ここでも山道を歩いているとよくみかける。
殺菌効果など効能があり旅や山仕事の携行食に
いいと知っていた昔の人の智恵はどうやって
得られたのだろうか。



お伊勢参りには赤福餅、参らなくても赤福、
ということでお土産のお裾分けにいただいた。
(M君、ゴチになります、ありがとう!)
赤福は賞味期限が夏は翌日まで。無添加で折箱に
直接入れてあるから食べきらないと傷んでしまう。
抑も賑わう参道の茶店の餅は、売り切り食べきり
だからあたりまえではある。
保存したいときは一つずつラップに包んで冷凍
する。一方、朴葉で包んだ餡入り餅の朴葉巻は、
賞味期限が五日。
包んでいない赤福より少しだけ長持ちなのね。


今の人は(わたしもそうだが)智恵というより
知識、それを本(今はネットか?)でちゃちゃっと
得る。しかしそれは本当に得たわけではない。
昔の人が得たものは「身になる」ということで
それは実生活に結びついていた。
実生活は実利という意味だけでなく、生きる
という本質を含んでいて、興味深い。

古くはカシ・カシワは、炊または膳と書く。
祭祀の食べ物(供物)を置いたり、
保存食を包むのに使われたのが由来のようだ。
一方の柏の葉は、包むのには適さないが
土器に詰めて蒸し物に用いたという。
槲も柏も料理に重宝されてきた木である。

木がなかったら暮らしはどうなっていたか。

古伝では木は「よく万物を美(よく)し、
美く生きるをもって性と為す」という。
質は仁(めぐむ)、美くめぐむはたらきだ。
心性に木徳有り、これを養い、百行を善く
するとある。
生けるものすべてにめぐみ、美しく育てて
くれるのが、木というはたらき、という。

さて次も木の話。これは何か、な?




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梅雨入りまえ、ささやかな宴

2021-06-30 22:56:15 | Weblog
芍薬が虫に食われずに咲いた。

ベランダ—園芸家の方々も虫との闘いは
あるだろうけれども森庭は比にならない
のであります。
芍薬の花が開くまで、咲かないかもしれない
という半ば諦めにも似た覚悟をもって
見守っているしかないのであります。
雪解けのあと、土からもこもこと芽が顔を
出し、おお、今年は増えたと喜び、
茎が順当に伸びて葉を茂らせ、緑濃くなり
そして葉と葉の付け根の間に蕾みの赤ん坊が
現れると、すぐに蟻がたかってきます。



蟻はソフトクリームにかぶりつく夏の子らの
ように、一斉にびっしりとまだ小さな芽の
周りに集まります。
根元からよじ登ってくる蟻にニームスプレー
をお見舞いして蕾を守るのです。
しだいにまん丸に膨らんでいく蕾に
期待と不安の眼を注ぎつつ過ごします。

しかし花はいつ咲くのかはわかりません。
ちょっと東京にいる間に気温が上がって
さーてーっと、咲くわよ!てな感じで
芍薬嬢がばっと開いてしまうかもしれず
その時に居合わせることができれば、
それはもう、薔薇が10本咲くよりも
いや、それは言い過ぎだけど、
とにかく芍薬の花が咲くことができれば
吉祥なのです、平和です。
(人は珍しいことが起きると吉と思うか
凶と思う原理ですなあ、都合がいいと吉、
単純やね、はい)

で、今年はめでたく、ほら、咲いて、
蕾があといくつか残っています。
順々に咲いていきますように!



この薔薇、名前を忘れました。
(ブログを遡るとわかるけど……)
ずいぶん前に植え、滅多に咲かない
けど、今年はつぼみがたくさん。
この紫はなんともいえない、
この色に染めた布が欲しいなあ。
叶わないからそばに飾って愛でます。
ほのかな香りです。


ペネロープはいつもより早めに
咲きました。甘い香りが漂います。



このお客さんは名乗りません。
連れ添って現れます。
ゆったりと木の実や虫を啄んで
ゆったりと遊んでいかれます。
近寄っても逃げもしない。
鳩より一回り小さいくらい、
小鳥というには大きい、
はっきりいってかわいくはない
けど、まあ、居てもいいよと思って
ますが、あちらは我らがシマだと
いうことなんでしょう。



撮ったのは6月半ば、今は梅雨に入り
雨続きです。
森庭の雨を眺めていると、激しい降りも
しとしと雨でも、気持ちが安らぎます。
きっと雨のなかにたつ木々が美しいからでしょう。
こころが洗われるよう、とありきたりな
ことをマジで、思います。

では次は木々を撮ってupします。
予告編、これは何の木か、な?







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桜のあとには庭仕事

2021-06-09 12:00:00 | Weblog
九輪草が咲いた、咲いた、無事に。



なぜ嬉しいかというと、土から新芽が出て
若葉だけの頃に草と間違えて摘み取られて
しまう「事故」に合わなかったからである。
事故るのはだ〜れの仕業かは言わないが、
あそこにクリンソウガアルカラサ、ハーイ
というやりとりの後、その時期が来ても
花を見ない年が何度もあって。

似たような葉の、花のつかないよもぎに
似た、よもぎではない草が生えていて、
花がついていないとむしられてしまう。
その時がきたら、冬から春へ一気に、
ほぼ数日で変わるので、花が咲いて春を
知り、あ、春だ、と気づく。
春の気配はあるのだが、暖かい日が数日
あっても、最後の雪が降るまで本当の春は来ない。
来たら、とんとんとんと騒がしく芽吹きだす。

ということで、今年はひさびさに九輪草の
写真が撮れてめでたい。
気ぃつけてくれて学ちゃんありがとう。

そして春になって植え替えたのがコレ。


冬のあいだハウスに置いていたヒメリンゴを
日当たりのいい花壇にいったん仮植えしていたら
花がついていた。おお、かわいい。

それからまたすっかり春が落ち着いたところで
定位置を決めて移植した。





2本で小径を挟むように植えた、この先に
ぷーちゃんの円墳がある。


新しい芝で覆われたぷーちゃんの墓。
帽子みたい、ぷーは春のうたた寝かな。

まだ小径は作っていないから土の道だけど、
広い森庭には、歩く小径がある。
だだっ広くて、どこからどう歩いてもいい
けれども、道順があって木々の配置もある。
カメの頭の中にある図面に沿ってゆっくりと
森が庭になっていく。
あ、そゆことでしたか!?と、
いつもあとで驚く。作業しながら全体が
見えているのはカメだけなのである。

でも、このまえは2本の苗木がこの間隔で
植えられたのはきっと小径をここに作るから
だろうと思った。
たずねてみたら、案の定であった。
ぬかるまないようになにか敷いていく。
小径沿いにもっと花を植えようと、妄想。

長いあいだ、庭仕事から遠ざかっていたけど
また楽しみになった。
庭仕事の楽しみこそが人生の粋であるなと思い出す。
ヘッセもメイ・サートンも、麦わら帽子と
手袋に長靴を履いていたな。




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天空の村マチュピチュと仲良しの村

2021-06-08 22:03:22 | Weblog
ある日の東京駅構内、大玉村という幟があった。
福島県の安達太良山を望む山村から来た野菜売りの
ブースだった。

お店の人に、高村光太郎の?とたずねると
そうそう智恵子抄ね、と返ってきたw
南米ペルーのマチュピチュ村と友好都市協定
を結んでいて、日本で最も美しい村連合!だと
いうのだからトマトもカブもタマネギもみな
オーラを放って……なんてことではないが、
美味し、安し、なので荷物が増えるが買ってしまった。
重い……後悔……







天空の村マチュピチュはアンデス山脈の尾根に
位置するので標高が高い。安達太良山のすそ野に
ある大玉村はマチュピチュより四季の変化に富み
緑豊かだ。

福島県の地図、すぐに放射能測定マップが頭に浮かぶ。
あの日、雲の流れは安達太良山を除けていったか、
放射能プルームは郡山から北上し、大玉村には
かからなかったか、、、
野菜を洗いながら思う。
元気を取り戻したんだな、
こんなに立派に育つものを、大変だったろうなと。

2011年から10年経ち、線量は下がった。
放射性物質は木の根元、表皮、土中、渓流の底に
沈下して循環しまだ震動しながら消えきっていない。
除染されていない山の木々も10回芽吹いた。
それでもすっかりさっぱりとはならないのが
放射性物質である。

土や水によざす生業の人だけの苦しみではない。
廻り巡って、みな我がこと、じぶんごととならない
人はいないのだが、大丈夫アンダーコントロールと
うそぶく永田町住まいの方々には、ぜひ福島から
お取り寄せしていただきたい。
パフォーマンスで手に持つだけとかではなく、
常備菜にできますよ、ほぼほぼ。
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ののあおやま

2021-06-06 19:31:11 | Weblog
246で思い出すのがイッセー尾形、
彼の一人芝居(舞台)に246というのが
ある。(それがタイトルだったかはdvdが
手元にないので判らないけれど)
バブル期の話だったと思うが246に
ドライブするカップルの会話で、
246を連呼してノリノリで歌う。
オチは「ただの道路じゃん」だ。
靑山通りをネタに爆笑できる話だ。

表参道交差点から赤坂方面あるいは渋谷寄りへと、ショッパーを下げた遠来とおぼしき人が連れだって周りを見渡しながら歩いている。
近隣に住んだり働いたりの人とは歩く速度が違って、たぶん景色の見え方も違うだろうと思う。

でも今の靑山通りは凡庸な商業ビルが並ぶ
「ただの道路」になってしまった。
そして人通りもコロナ以前は原宿並に多くなっていた。
個性的だった昔モダンのビルは老朽化で
次々に建て代えられ今風のガラス張りになった。
キラキラした通りは、歩く速度をゆるめる場所がない。
ちょっとさみしい。

大坊珈琲店のあったあたりに金子眼鏡が出店したのはご愛敬だ。けれど、立ち寄れる場所はほとんどなくなった。
カフェではなくて珈琲店が流行りとなって、するとまた新しい店ができる。
でもスペシャリティコーヒー豆を売りにした、1杯の価格が高い専門店だ。まあまあのブレンドコーヒーがあればぐっじょぶ、軽食ありのいわゆる喫茶店はみかけない。

若い人にとっては新しい形態やカフェはいいのかもしれないが、わたしは居心地がよくなくて座っていられない。
有名な人気店はあるんだが、自分にとっての居場所はあるようでないんだなあ。

5丁目の方へ行き一本小道へ入るCICADAと、パン屋のbreadworksがあるので、元気があればそこまで歩く。



ののあおやま」は北青山側の通りに面した公団住宅跡地に建った住宅複合施設一帯の名称。
広い敷地の中心はマンションなのだが隣地との間に水辺と遊歩道がある。

自然林を模した植栽がなされ、憩いの場が設けられている。
緊急事態宣言で延期になっているが、催しものに靑山音ノ会など、古典やクラシックの演奏会が開かれる。
木に囲まれた小さなステージ。

遊歩道は表参道への抜け道になっていて、隣の善光寺の裏へ続き、元からあった小さな公園も位置をずらして残っている。
幼児を連れたママ達をみかける。ブランコ、シーソー、砂場、子ども遊ぶ声が聞こえ、なごめる景色だ。


( ドッグローズ)

日本に自生するドングリの木は20数種類ある。
山の家の森庭には秋冬にウリ坊がやってくる。目当てはシイの実。
他にコナラ、ミズナラ、クリ、ブナなどがあって、葉っぱをみながら覚えた。
他にもいろいろあるけど全部はまだ知らない。
先住の木々たちを名で呼びたいので図鑑が手放せない。

自然を模したという「ののあおやま」の植栽はモッコク、コナラ、エノキ、ケヤキヤマザクラなどがあった。
まだ若木、住む人々に見守られ、大きな木に成長できるよう願う。
その間にところせましと植えてあるのは、茶花でよくみる山野草など。

緑や花、木陰があって水が流れる小さな森が、身近に出来たのは嬉しいことだ。
スクラップアンドビルドでコンクリートで固める時代から少しだけ変わった。
変えようとする人がいるのが希望だ。

メインの建物の高層マンションの家賃は高い。公団住宅だった頃の何倍になったのだろうか。
住める人は限られていて、自家用車を使うだろうから、あの散策路を歩いたりはしないのではなかろうか。眺望も東京タワー、森ビルの方へと作られているだろうし。


(都わすれ)

ののあおやまの遊歩道へ入らず直進して右へ行くとキラー通りへ、
その途中にカフェがいくつかある。
左へ行くとお箸で切れるとんかつが名物の「まい泉」から表参道へ。
どちらにも行かずに脇の小道に入るとチョコレート屋があった。
前はなんだったか……新しく出来た店で珈琲のテイクアウトができる。
できたてを売るチーズ屋に寄って、再びののあおやまへ。

1階飲食エリアにスタバの創業者エリック・ローズの店が出店していた。
そのわりには人気がないのはコロナ禍のせいだろうか。どちらにしても縁の無いレストランだからいつも素通りだ。
木のテラスでちょっと休み、仕事場へと戻る。こんな感じで近場を歩くのは、外出を控えた日々のちょっとした気晴らしになった。
人出が少ないからできることで、正常に戻ったら靑山通りはやっぱり観光地で246だ。ゆるゆる歩けるのは今のうちかなと思う。


静寂と、木の息に包まれた森庭にほんとうはずっといたい。
よく眠れるからだ。
東京では不規則で寝不足が日常、後しばらくは往復しながらの生活だ。
この暮らしかたになってもう20数年。思いがけない変化は森にも、そして都会の真ん中でも起きた。原因はヒトノナセルコトだ。

あしたのことはまるでわからない。
今を生きるしかないのだ。
しかし今を充足して生きるのは言うほどた易くはない。
いつまでたっても悔い多き日々。
都忘れとイタリアン・アスターは似ているけれどもぜんぜん違う。












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