想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ここ、いいっすか?

2014-02-09 00:22:06 | Weblog

いいっすか、いいっすか、と幅きかせてねじりこんでくる。



ネコですがゴリ押し、想像以上に強いオシで…、負けた。



ドヤ顔?
いいえ、これはカワイコぶりっこ。



犬の居場所だった縁側を占拠してはや一年。
猫神さまに守られる日々です。

ところでドヤ顔で思い出しました、国会で参考人招致される
予定のNHK経営委員で安倍首相のお知り合いだという女史、
長谷川千代子氏。
野村秋介氏への追悼文の中で、「現人神(あきつみかみ)」と
いう言葉を使っています。
法でなんといおうと今上天皇は「現人神」、死して神とともに云々。
長谷川氏はこれ以前も「男女共同参画」を批判して注目されています。
本人は精神論哲学論であり政治に関与するものではないと弁明し、
経営委員として問題はないと反論しているようです。

NHK経営委員問題は国会の成り行きを静観するとして、気になるのは
「現人神」という言葉のほうです。
これがクセモノなんでありますよ。

あらひとがみ、とも言い、天皇は生きている神様である、
いきがみさま、だから絶対なのである、従いなさい、という
アレなんですが、これはそもそも間違いです。
戦前、大日本帝国軍とお上が国民を戦争へ駆り立てたとき
都合よく拡大解釈した、というか、こじつけた考え方が根拠です。

完全に間違っているのですが、どうして現代、今の今、それを
国学者、日本文学者、神道学者、宗教学者、等等の関係各所は
訂正しないのか、です。
はなはだ疑問であり、遺憾におもうところでありますよ。

現人神という言葉は古くは万葉集にあります。
あるけれども、それを長谷川氏や戦前の軍隊や安倍首相が
使いたがっているような意味ではありません。

人と神は厳然と違う世界、そのくらいのことは誰にもわかりますし
昔のひとはそんな荒唐無稽なことは言わなかったし書いていない。
古伝にもありません。
万葉集にあるのは、「帝の業績をたたえるためにまるで神のような」と
大げさに比喩した歌ですね。
比喩であることは読めば誰にもわかりますし、比喩が決り文句に
なったということもあります。よくあることです。

国学者折口信夫は戦後の講演でこう言っています。
「なんといっても天皇を現人神とし絶対君主の下で軍(いくさ)
に狩り立てられた庶民の心を(戦後いまさら)神道に戻すのは
難しいことだ」続けて「神は死んだ」とまで言っています。
日本の伝統、古来の思想である神道が地に落ちたことを嘆き
なんとか復興させたいと願った折口信夫でしたが、志を遂げない
まま昭和28年に亡くなりました。

その数年前には論調が変わり、どうも神道はもう今の日本では
難しいと気弱になっています。
時代は朝鮮戦争に突入し警察予備隊は自衛隊へと格上げされ
日本は米軍のための反共の防波堤として再軍備へと逆行し始めます。
サンフランシスコ講和条約を機に公職追放解除されたかつての
戦犯たちは復権し、その政治活動が活発になっています。
岸信介(安倍首相の母方祖父)も復権します。
権力を前に、学者、言論者たちは再び黙ったことが、折口の
変化からも読み取れます。


人の心を権力者が操るために神を騙ったというのは日本史の汚点で
神のあずかり知らぬこと、神には関係なく人の咎。
神人同一、この考えが一番迷惑なのは天皇陛下ではなかろうかと
こういう話が出るたびに思います。
なぜならば祭祀と祈りのために生涯を捧げるお立場、それは
血に泣くということで「私」はありません。のんびりと自由自在
勝手に~なんて全然ない生涯です。
世の中の平穏、人々の暮らしに安らぎのあることを祈念して
やまないのが天皇のあるべき姿であり、それに尽きます。
人の命の大事さを一番ご存知で、神のための死など、ありえない
のです。
(昭和天皇は戦犯合祀後の靖国神社へ参られませんでした。)

そもそも記紀の神話の解釈に苦しんだ国学者が神を擬人化して
解釈してしまったことも「現人神」を誤解する発端、一因であるか
とも思いますが、それもごく一部の国粋主義的な、やはり体制的な
学者にあったことでした。
「古事記伝」の本居宣長は擬人化していません。

けれども江戸時代ではあるまいに、それを訂正することは
科学が進歩した今ならできるのです。
神とははたらきであり、神名はそれを表す記号なのですから。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする