想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

鎮花祭 大神、狭井神社から山の辺の道へ

2014-05-21 16:59:09 | Weblog
(四月の奈良旅3)

朝から小降りの雨だった。
三輪へ向かう電車の窓から大和の山々に抱かれるように
広がる田畑が見えた。
平安時代にはこのあたりはすでに鄙の地で、古きゆかしき地
となっていたことを思い、千数百年前も人は山を振り仰ぎ
見つつ暮らしていたことを想った。
神が身近だった頃を。

大神神社を経て、摂社狭井神社へ回るとちょうど鎮花祭を
終えた宮司に続いて参拝の人波が出てくるのに出会った。
境内はたくさんの椅子をあわただしく片づけている最中で
お札をいただく人、薬水を求める人でごったがえしていた。
祭壇の前に立つと、笹百合と忍冬が供えられていた。

無病息災を祈る鎮花祭の謂れは古く701年の大宝令に定めた
となっている。



しかし旧事を学ぶ立場からみれば、そう古くはない。
神々がしろしめしたこの地にも、異国唐の文化の影響著しく
かつてはあった人々のおおらかさは失せつつあって、騒乱と
不安が高まった時代、つまり末世の始まりの頃…現代から
数えるとちょうど真ん中より少し手前の人の代の事である。
災いは人の心が為すものという日本古来の思想が弱々しく
なった時代ともいえる。

花の散る春のすえのころ、花が舞い散るように疫病が飛散し
災いをなす、効能のある笹百合と三輪山の忍冬を神に供え、
荒ぶる神の御魂を鎮めようと祈祷した。
さっきすれちがった参拝の人波は背広姿が多く訝しかった。
ホテルへ帰って調べてみると別名くすり祭りともいわれ、
製薬業関係者の信仰厚いという。なるほど、ご利益かな、
いや、大神神社の威風は他所では感じるそのような皮肉を
吹き飛ばしてしまうような厳かさがあったのだった。

神社で神頼みはしないのが私のあたりまえなのだが…
心の隅にかかっていたものがふと強く思われ、狭井神社では
お願いごとをした。
大切な人のさきごろからの病が癒されんことを祈って。

参る人の姿がいずれも静かで、真摯なのが印象的であった。



山の辺の道。この道を辿り、檜原神社へ向かった。
上り、下り、また上り、細く続く道は古の人が歩き通うた道。



野鳥の声がするので、合唱させていただく。
わが風の谷の裏山を歩くときとほぼ同じ気分であった。



檜原神社の辺は見晴らしのよい台地で、夕日絶景スポットらしい。
この日は曇り空。晴れれば見える二上山も何も見えない。
見えないが在る。
元伊勢と呼ばれるこの神社へどうしても参詣したかった。





建造物を見るためではない。社の建つ地に秘められ籠る魂を
想像し、ふれてみたいと思うからであった。

祭祀の形が整うにつれ、人は神の心から遠ざかり、神殿は
大仰になり、災厄はさらに増え、信は秘され土に埋もれた。

修正する力はいずこにあるか。
豊鋤入媛命、倭姫命が一身に受けもった「うけい」を
この地の人々はそれと知らずに守っているような気がした
そんな旅であった。








コメント
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