彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(ヒコナギサウガヤフキアエズノミコト)
と読む。鸕鷀はロシと読み、鵜の事。
神名はカタカナだと意味不明だが
宛てられた漢字から意味を解する
こともでき、あるいは単なる宛て字
の場合もある。
この神を祭る鵜戸神宮をご存じだろうか。
宮崎県の日向灘に面した風光明媚な
岸壁に建つ。珍しい千畳岩でも有名。
現在は鵜戸神宮という名だが推古朝の
社殿創建、のちに桓武朝の真言寺院の
建立、そしてまた明治維新後に廃仏
毀釈、神仏判然令と変遷に伴い改名
され現在の神宮に落ち着いた。
さて縁起や由緒がどういう意味なのか、
文字通り読めば、産屋を祀ったという
ことだから安産祈願になるのだろう。
あるいは日本民族発祥の地など解釈
して崇敬する向きもある。
その気持ちはよくわかりませんが。
ただ、神とははたらきを表す。
それを知った上でないとお門違いの
神頼みをすることになる。
その頼みは誰が聞いているのか、
いったいどこへ届けようというのか、
参詣者は賽銭を放って自己満足して
帰るのだろうが、笑っちまうが、
笑えない話になりかねない。
倭の国(まあ、日本の始まりですね)を
建国した初代神武天皇の父である
このウガヤフキアエズノミコト。
「神の恵みを受け、山海の実り豊かな
地上の暮らしに不自由がないが、
いかんせん天と通い常世へ参ることが
出来ず、また死後の国へ通うことも
できないでいた。それを嘆いて、
火折命に尋ねたところ
二重の天に通うことができない
のは汝が地上の汚れに馴れてしまった
からである。常世国にいけないのは
妻子と婬(たのし)みすぎるからで
ある。未だ生死を覚っていないので
底津根国へ通じることは無理である。
汝は善業の大神である。
五感を滅して魂と一つになれば
自在に行けるようになるだろう。
いたずらに変身に遊んだり、長生きを
楽しんで好奇心に乗じて勢いを増し
清き心を無くしてしまって何の為に
なるのか。
生は生の限りに任せ、死は死の期に
任せ、争わず、闘わず、皇心を持つ
ときは常世国に至ることができる」
なんとまあ、フキアエズノミコトは
子宝に恵まれ、海に親しみ、楽しさ
のあまりに神の心を忘れてしまった
というのである。
皇心とは天神から受け継ぐ心の事で
純善のまっさらなこころのことで、
人の世の欲が汚れとなる。
その喜びに浸ることがまた汚れと
なるのである。
「この国の人の命は永い。天地は
破れ、永き命尽きてむなしといえども
天祖はこれを尊び仙聖もまたこれを
敬うだろう。ただひたすらに天の
心を守り善を尽くすのみである。
国の主としての徳は悪を無くすこと
のみ。これが誠の徳である。
時に悪が現れるときはよく抑え、
それを無くせ。しかしながら、
自分の欲でそれを行うときは
皇心ではない。
皇心はただ天の理にそうことで
あるから。」
(斜字部分は旧事本紀「天孫本紀」)
こう火折命に諭されて自覚された
尊は、元々の善意に立ち返り、
いよいよ誠を極め、偏ることなく
国を治め、神に逆らう悪を無くする
ことができた。
そして、四柱の御子を成す。
その四男が磐余彦命でのちの
神武天皇である。
しかし特筆したいのは三男の
三宅野命(ミケヌノミコト)で、
この命は心情清く妻子と楽しまず
常世国と楽しみ、兄に背かず、
弟と争わず、国をむさぼらず、
荒神と交わって心を荒ませることも
なかった。
つまりは、倫を為す者は独りの
道を行う、そのことを教えた
のがこの彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
という神について書かれた章だ。
現在の神社が神徳として掲げて
いる「安産、家内安全、結縁、
海上安全」はずいぶんと裾野を広げ
現世の要望に合わせたものとなって
いるのである。
この神の社は旧事本紀大成経の
神社本紀にその名が記されて
いる。神社本紀に名があるのは
由緒正しき神社といえる。
吾田国、鵜殿神社(ウトノ)
として列記されているので、
古い社には違いない。
古いからと威張る、格が高いと
するのが神社界隈の常識だが、
では中身はどうか。
よく考えたほうがいい。
「天孫第三代の時、その皇彦波瀲武
大神、豊玉姫大神、玉頼姫大神、
同じ祠に鎮座。これ、この窟は
鸕鷀草葺の産屋なり。」と神社本紀
に説明されている。
明治時代以降の神社再興の国策に
よって、真言宗の寺院から再び
神社に戻り、それを神宮に格上げ
されたのだが、現在の神宮では
そこが善の大神を祭る社という
ことはどこにも書かれいない。
縁結びを謳い、人生の快楽を保証
しているのが現在の姿である。
嗚呼、嗚呼。
神さまが果たしてそこに鎮座
坐すかどうか。
軽々と宣伝につられて参っても
なんのこっちゃない観光疲れか、
荒神に憑かれてテンションが
上がりっぱなしになって欲惚け
してしまうか。
「いい場所」「ありがたい」
と思って行く、それを汚れという。
己を顧みて俗世に溺れることを
戒める場所。善が善を生み、
またそれを育んだ場所という縁起を
今の時代は求めていないのだろう。
いやー、古代も中世も遙かかなた、
汚れきった現在が恥ずかしい限り。
追伸、ユンボのご心配ありがとう
ございました。冬に備えて
早く直します。