雪村周継筆の竜虎図の虎さまである。
虎さまというよりとらちゃんである。
室町時代(16世紀)
根津美術館絵はがきより

先週まで東京青山の根津美術館で
「禅僧の交流」と題した墨蹟と水墨画
の展示があり、もっとも大きな作品が
六曲屏風一双の龍虎図であった。
中央寄りの右手に龍、左手に虎。
両端に浪と竹が描かれている。
龍虎は迫力がある描かれ方が定番だが
この虎は虎というより猫に近くない?
とらちゃんは、どこを見ている?

うちの猫も狙われる小鳥にとっては
獰猛な虎も同然、しかしこのように
かわいい顔でくつろいで人を欺く。
雪村はかような虎になぜ描いたか、
気になるが、とんと知らない。
龍はここには載せていないが、まあ
神秘的なそれらしい龍に描いてあり
勢いと異次元の雰囲気を醸していた。
それに比べて、このとらちゃんは、
いかにも、俗世で悟りきらぬ愚僧の
ようではないか。
愚僧けっこう。
そのままそのまま。
愚も極めるところ、龍の尾くらいは
触れるかもしれない……し、
触れずともよし。
高きを望まず、水の飛沫を浴びて
滑らぬように前足ふんばって。
川に落ちぬよう…
生きておれ、ということか。
生きて、生き続ける。
それだけで、じゅうぶん、難儀な
ことなのだから。
それをまっとうせよと、いうことか。
美術館から茶室と石仏が配置された庭園
へ出て少し歩いた。ちょうど雨が降って
きて、葉や苔の緑がいい色合いになった。



禅は仏教の他の宗派のように死後の
極楽や功徳を説いていない。
死も生も分かたず、今の平安を求め、
仏を求める。そのための自己の探求
が自他の境界を消し、それが仏への
道へつながる。
只管打坐と茶は密接である。後に茶道
となったが茶は座禅時に眠気を覚ます
薬であった。茶を持ち帰ったのは栄西、
その茶を土産に戴いた明恵上人は
草庵のある山に茶の木を植えた。
その種を分けてもらい宇治茶は始まった。
栂尾の上人は若き日、禅を栄西に学び
生涯を座禅三昧で過ごし大王大臣に親しく
せずと自戒し、清貧質素を貫かれた。
それは道元と同じである。

高山寺は京都の市街から外れた山の方、
深山幽谷という形容がふさわしい。
今とちがって昔は訪ねるのも苦労な場所
であっただろう。
座禅するしかないところ、
修行にぴったしである。
明恵上人を慕う女人たちはその庵を訪ね
たという。結界もまたわが胸に、という
事がわからぬ者は女人結界などと看板を
建てねばならないが。
茶と同じく水墨画もまた宋から明の代に
かけて留学した僧と、次々に来日した
高僧が遺した。それを模写するところ
から次第に独自の画風が生まれた。
出展の多くが鎌倉、京都両五山からで
あった。水墨画に添えられた賛を読む
と五山制度下、禅僧も官僚化した時代
にあって、詩や画は俗世と一線を画し
ている。
幽谷深山また胸中にあり、という感じ
なのだろうか。
古い物に触れて心が和んだが、
とらちゃんとの出会いが一番であった。
しばしの間、正面に置かれたソファで
座って眺めた。
こんなに長く水墨画を眺めたのも
初めてであった。
虎さまというよりとらちゃんである。
室町時代(16世紀)
根津美術館絵はがきより

先週まで東京青山の根津美術館で
「禅僧の交流」と題した墨蹟と水墨画
の展示があり、もっとも大きな作品が
六曲屏風一双の龍虎図であった。
中央寄りの右手に龍、左手に虎。
両端に浪と竹が描かれている。
龍虎は迫力がある描かれ方が定番だが
この虎は虎というより猫に近くない?
とらちゃんは、どこを見ている?

うちの猫も狙われる小鳥にとっては
獰猛な虎も同然、しかしこのように
かわいい顔でくつろいで人を欺く。
雪村はかような虎になぜ描いたか、
気になるが、とんと知らない。
龍はここには載せていないが、まあ
神秘的なそれらしい龍に描いてあり
勢いと異次元の雰囲気を醸していた。
それに比べて、このとらちゃんは、
いかにも、俗世で悟りきらぬ愚僧の
ようではないか。
愚僧けっこう。
そのままそのまま。
愚も極めるところ、龍の尾くらいは
触れるかもしれない……し、
触れずともよし。
高きを望まず、水の飛沫を浴びて
滑らぬように前足ふんばって。
川に落ちぬよう…
生きておれ、ということか。
生きて、生き続ける。
それだけで、じゅうぶん、難儀な
ことなのだから。
それをまっとうせよと、いうことか。
美術館から茶室と石仏が配置された庭園
へ出て少し歩いた。ちょうど雨が降って
きて、葉や苔の緑がいい色合いになった。



禅は仏教の他の宗派のように死後の
極楽や功徳を説いていない。
死も生も分かたず、今の平安を求め、
仏を求める。そのための自己の探求
が自他の境界を消し、それが仏への
道へつながる。
只管打坐と茶は密接である。後に茶道
となったが茶は座禅時に眠気を覚ます
薬であった。茶を持ち帰ったのは栄西、
その茶を土産に戴いた明恵上人は
草庵のある山に茶の木を植えた。
その種を分けてもらい宇治茶は始まった。
栂尾の上人は若き日、禅を栄西に学び
生涯を座禅三昧で過ごし大王大臣に親しく
せずと自戒し、清貧質素を貫かれた。
それは道元と同じである。

高山寺は京都の市街から外れた山の方、
深山幽谷という形容がふさわしい。
今とちがって昔は訪ねるのも苦労な場所
であっただろう。
座禅するしかないところ、
修行にぴったしである。
明恵上人を慕う女人たちはその庵を訪ね
たという。結界もまたわが胸に、という
事がわからぬ者は女人結界などと看板を
建てねばならないが。
茶と同じく水墨画もまた宋から明の代に
かけて留学した僧と、次々に来日した
高僧が遺した。それを模写するところ
から次第に独自の画風が生まれた。
出展の多くが鎌倉、京都両五山からで
あった。水墨画に添えられた賛を読む
と五山制度下、禅僧も官僚化した時代
にあって、詩や画は俗世と一線を画し
ている。
幽谷深山また胸中にあり、という感じ
なのだろうか。
古い物に触れて心が和んだが、
とらちゃんとの出会いが一番であった。
しばしの間、正面に置かれたソファで
座って眺めた。
こんなに長く水墨画を眺めたのも
初めてであった。