津島佑子作「ジャッカ・ドフ二
海の記憶の物語」
文庫上下巻になっているのを求め
正月休み用にとっておいた。
二〇一一年 オホーツク海
冒頭の情景描写から引き込まれ、
序章を読み終えるのに時間はかからなかった。
カムイ・ユカラ(神の歌)が文章の合間に
あり、作家が現実と夢幻のはざまを行き来
する何者かに導かれ、知床から女満別空港
へ向かう帰路の途上、寄り道をする様子の
通奏低音として聞こえ続ける。
アイヌの伝えの他に初めて知る名があった。
その前に、知床ではなくシレトコ、網走では
なくアバシリと書かれていることに気づく。
この小説の主人公たちにとって日本人が宛て
た漢字ではない、昔から音としてある地名。
そしてサハリン少数民族のウィルタ。
ウィルタはトナカイ遊牧民族で日本語では
樺太、千島と呼ぶサハリンの原住民族だ。
日本はサハリン南部を統治し、北海道の
アイヌと同じように、ウィルタ人を追いつめ、
戦時中は軍役に連行し、そして棄民した。
辛酸辛苦の末、生き残った彼らに対し、
政府は軍人恩給の請求を拒否したのだ。
言語と文化を奪い、人権を否定しながら、
「単一民族国家日本」という偽りの歴史が
伝えられもしているので、日本人の多くは
ウィルタのことも知らないのではないだろうか。
麻生大臣は今月、地元支援者の前で講演し
「わが国は単一民族、わが王朝は世界
で唯一途絶えたことがない」と語った。
新聞は一面で報じたところもあった。
これまでも何度もニュースになっているが
誤りを修正する気がないらしい。
明治政府の閣僚、役人たちと変わりない
思想と言われもするが、思想というほど
のことではなく、一つ覚えを繰り返して
いるだけのことだろう。
罪を自覚しないことが、より大きな罪に
なる。
そのことを今とても恐れる。
サハリンに反応した私は、次にウィルタと
トナカイ遊牧民というワードに惹かれた。
ソビエトのツンドラ地帯に暮らすトナカイ
遊牧民や、スカンジナビア半島北部ラップ
ランドに生きるサーミ人など、トナカイと
暮らす人々の生活を描いた映画や、写真
を最近も仕事で扱い、その生き方にとても
共感を覚えていたからだ。
第二次世界大戦下、ナチスドイツに抵抗
するデンマークの人々を描いた映画では
ドイツ軍の追っ手を逃れて国境を越える
軍人(諜報員)が窮地をトナカイに救われる。
大きなたくましいトナカイだった。
わたしの伯父は戦前に官僚として任地の
満州からさらに樺太へ渡った。
そこで生まれ、亡くなった子どもがいたこと
を最近知った。
終戦に前後して樺太から内地へ引き揚げた
日本人の戸籍の多くが失われ、消息が不確か
な人が多くいることも知った。
亡くなった幼子は女の子で、いとこにあたる
わけだがこれまで存在を知らなかった。
外務省に問い合わせ、家裁に申請し、新たに
その後の北海道内の住居地に戸籍を作る
手続きをしたのは、遺産相続のためだった。
父の一番下の妹である伯母の死の知らせ
を受け、親族十数人の所在確認が必要に
なったのだ。
身寄りないままに亡くなった伯母が働いて
貯めた遺産よりも、父の故郷である北海道から
散り散りになった親族たちの、そののちの
足跡を知りたい興味がわたしに面倒な役割を
引き受けさせた。伯父が樺太にいたことを
知らずにいたので(満州は知っていたが)
驚きつつ、そしてサハリン島がトナカイ同様に
身近に思えたのだった。
ジャッカ・ドフ二の話はえぞ地から始まり
北の日本海から南シナ海まで続く。
その柱にあるのがキリシタン弾圧の物語だ。
日本にやってきた宣教師たちの苦難は
さることながら信仰を守るために命を
かけた人々の知恵と、鋼より固い結束が、
どのように生まれ、引き継がれていったか。
壮大な旅路は、生きることの意味と、
奪われ失ってもなおその胸に熾火のように
残るものを信仰という一つの形で語られている。
人が信じるものをカミという。
カミは「一神」とは限らない。
古来、豊かだった多様な文化の気配が
均され、別のものに置き換えられ、消えて
しまいそうな今日にあって、知らないこと
ばかり出てくる物語なのに、どこか懐かしさを
覚えながら読んでいる。
(続く)
(これは松の内に書いて、そのままだったので
いいかげんに更新して今年のブログ開始としたい)
今年もドジで間抜けなうさこを
どうぞよろしくお願いします。
海の記憶の物語」
文庫上下巻になっているのを求め
正月休み用にとっておいた。
二〇一一年 オホーツク海
冒頭の情景描写から引き込まれ、
序章を読み終えるのに時間はかからなかった。
カムイ・ユカラ(神の歌)が文章の合間に
あり、作家が現実と夢幻のはざまを行き来
する何者かに導かれ、知床から女満別空港
へ向かう帰路の途上、寄り道をする様子の
通奏低音として聞こえ続ける。
アイヌの伝えの他に初めて知る名があった。
その前に、知床ではなくシレトコ、網走では
なくアバシリと書かれていることに気づく。
この小説の主人公たちにとって日本人が宛て
た漢字ではない、昔から音としてある地名。
そしてサハリン少数民族のウィルタ。
ウィルタはトナカイ遊牧民族で日本語では
樺太、千島と呼ぶサハリンの原住民族だ。
日本はサハリン南部を統治し、北海道の
アイヌと同じように、ウィルタ人を追いつめ、
戦時中は軍役に連行し、そして棄民した。
辛酸辛苦の末、生き残った彼らに対し、
政府は軍人恩給の請求を拒否したのだ。
言語と文化を奪い、人権を否定しながら、
「単一民族国家日本」という偽りの歴史が
伝えられもしているので、日本人の多くは
ウィルタのことも知らないのではないだろうか。
麻生大臣は今月、地元支援者の前で講演し
「わが国は単一民族、わが王朝は世界
で唯一途絶えたことがない」と語った。
新聞は一面で報じたところもあった。
これまでも何度もニュースになっているが
誤りを修正する気がないらしい。
明治政府の閣僚、役人たちと変わりない
思想と言われもするが、思想というほど
のことではなく、一つ覚えを繰り返して
いるだけのことだろう。
罪を自覚しないことが、より大きな罪に
なる。
そのことを今とても恐れる。
サハリンに反応した私は、次にウィルタと
トナカイ遊牧民というワードに惹かれた。
ソビエトのツンドラ地帯に暮らすトナカイ
遊牧民や、スカンジナビア半島北部ラップ
ランドに生きるサーミ人など、トナカイと
暮らす人々の生活を描いた映画や、写真
を最近も仕事で扱い、その生き方にとても
共感を覚えていたからだ。
第二次世界大戦下、ナチスドイツに抵抗
するデンマークの人々を描いた映画では
ドイツ軍の追っ手を逃れて国境を越える
軍人(諜報員)が窮地をトナカイに救われる。
大きなたくましいトナカイだった。
わたしの伯父は戦前に官僚として任地の
満州からさらに樺太へ渡った。
そこで生まれ、亡くなった子どもがいたこと
を最近知った。
終戦に前後して樺太から内地へ引き揚げた
日本人の戸籍の多くが失われ、消息が不確か
な人が多くいることも知った。
亡くなった幼子は女の子で、いとこにあたる
わけだがこれまで存在を知らなかった。
外務省に問い合わせ、家裁に申請し、新たに
その後の北海道内の住居地に戸籍を作る
手続きをしたのは、遺産相続のためだった。
父の一番下の妹である伯母の死の知らせ
を受け、親族十数人の所在確認が必要に
なったのだ。
身寄りないままに亡くなった伯母が働いて
貯めた遺産よりも、父の故郷である北海道から
散り散りになった親族たちの、そののちの
足跡を知りたい興味がわたしに面倒な役割を
引き受けさせた。伯父が樺太にいたことを
知らずにいたので(満州は知っていたが)
驚きつつ、そしてサハリン島がトナカイ同様に
身近に思えたのだった。
ジャッカ・ドフ二の話はえぞ地から始まり
北の日本海から南シナ海まで続く。
その柱にあるのがキリシタン弾圧の物語だ。
日本にやってきた宣教師たちの苦難は
さることながら信仰を守るために命を
かけた人々の知恵と、鋼より固い結束が、
どのように生まれ、引き継がれていったか。
壮大な旅路は、生きることの意味と、
奪われ失ってもなおその胸に熾火のように
残るものを信仰という一つの形で語られている。
人が信じるものをカミという。
カミは「一神」とは限らない。
古来、豊かだった多様な文化の気配が
均され、別のものに置き換えられ、消えて
しまいそうな今日にあって、知らないこと
ばかり出てくる物語なのに、どこか懐かしさを
覚えながら読んでいる。
(続く)
(これは松の内に書いて、そのままだったので
いいかげんに更新して今年のブログ開始としたい)
今年もドジで間抜けなうさこを
どうぞよろしくお願いします。