若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

ははーっ、お代官さまぁ~

2009年04月13日 | 政治
土佐のまつりごと: 子どもの無保険 厚労省通知・全文

厚生労働省は、国民健康保険の運営にあたって、
「保険料(税)滞納者に対し機械的に資格証を発行するな」
「滞納の事情や生活実態をよく把握し、きめ細かい対応を」
と市町村に通知を出している。

「行政は、規則を機械的に適用することなく、きめ細かい対応をせよ」
という言説が、あまり批判されることなく大手を振って歩いている点に
すごい違和感を感じる。


「基準を杓子定規にあてはめることなく、個々のケースについて担当者が
その場その場で判断し、妥当な処置を行う。」

営利企業であったり、ポケットマネーで慈善事業をするのであれば、これでいい。
個々のケースで妥当な処置を行い、利益が上がった場合は、
これを評価し給料に反映させてよい。
利益につながる顧客には手厚く対応し、そうでない顧客にはそれなりに対応する
という選択肢もありだろう。

ところが、行政はそうはいかない。
法の下の平等(法適用の平等)という縛りがある。
どのような場合に、どのような処置を行う、という基準を法律や条例で定めたら、
この基準をすべての人に一律に適用しなければならない。
この基準を適用して都合が悪ければ、基準を作り直さなければならないのであって、
基準をその場その場で曲げてはいけない。

公務員に広い裁量を認めてはならない。
「きめ細かい対応」というと聞こえが良いが、このような運用を認めると、
応対した職員によって処置に差が出てくる。
同じ生活状況の人に対して、
職員Aは「これは可哀そうだ。保険証を交付しよう」と考え、
職員Bは「本当は滞納分を払えるはず。資格証を交付しよう」といったように、
応対した人で違ってしまう。

「機械的に判断するのではなく、きめ細かい対応を」
というのは、
「基準は有って無いようなものです。応対する職員の裁量で判断します。
みなさん、応対する職員の心証を良くするよう頑張ってください。」
と国民に言ってるようなものだ。
もっと悪く言えば、
「保険証が欲しければ、役所の窓口で土下座しろ!お役人様に媚びろ!
私の匙加減ひとつで、どうにでもなるんだぞ!」
ということだ。

これでは、法適用の平等は維持できない。自由に対する脅威となる。

私が思うに、行政は杓子定規でなければならない。
基準を満たせば、保険証が交付されて保険給付を受けることができる。
基準を満たさなければ、保険証を返納し資格証を受け、一旦は10割負担とする。
この基準の適用にあたっては、機械的に判断しなければならない。
コメント
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